兵庫県健康生きがいづくり協議会 ニュースと行事予定

兵庫県健康生きがいづくり協議会 ニュースと行事予定

兵庫県健康生きがいづくり協議会は中高年の健康づくりと生きがいづくりを支援するための活動をしている団体です。
会員がニュースや行事予定を発信します。よろしくお願いいたします。

5月10日の総会終了後の14時30分から開催されました講演会についてご報告します。

 

講師は元兵庫県立大学教授(精神看護学)の近澤 範子先生です。

テーマは「フレイルを予防し心の健康を保つために」と題して講演いただきました。

近澤先生は「人生100年時代と言われる今日、高齢者の健康長寿に影響を及ぼすフレイルに注目し、その多面性と進行過程に眼を向けて、高齢期の様々な現象を捉え直します。

その上で、精神・心理的フレイルの進行に伴うメンタルヘルスの問題に焦点を当てて、その予防のための具体的な取り組み方について考えます。

 さらに、自分らしく生き生きと生活すること、すなわち心の健康を保つために大切な事柄に眼を向けて、その根拠と具体的な方法をお伝えします。

 展開の中では私が長年取り組んできました「こころの健康相談」の体験からの学びや高齢期の知人と私自身の体験等も紹介しつつ、改めてこのテーマについて実践的に学びあう機会としたいと思います。」と述べられていました。

 18名の兵庫健生会員のほか、総会には参加されなかった一般の方々も多くの方が参加され、 30名を超える方に参加いただきました。

 

 

 まず、近澤先生の自己紹介とこれまで実践されてきたことを丁寧にご説明いただきました。

そして、講演のねらいと講演の内容と展開についての説明がなされました。

続いて、フレイルについて解説されました。

「フレイルとは」「フレイルに注目する意義」「フレイルの3つの側面」「身体的・社会的・精神心理的フレイル」「フレイル兆候」が詳しく解説されました。

 

次に、「ロコモ」と「サルコペニア」の解説に移りました。

「フレイル・ロコモ対策の必要性」「加齢に伴う心理的変化」「精神機能の低下の原因」「精神機能の低下の影木陽とフレイルの流れ」が詳しく解説されるとともに、喪失体験に関する個人的体験もお話しいただきました。

 

続いて、高齢うつに関するテーマでお話しいただきました。

「精神・心理的フレイルの進行に伴うメンタルな不調」「高齢期うつ病の特徴」「うつ病の予防」のを詳しく解説いただき、参加者による老年期ウツ病のチェックシートに基づく自己チェックの実践とうつ病の診断基準についても解説いただきました。

また、うつ病に関する個人的体験もご紹介いただきました。

 

次に、認知症についての解説に移りました。

「認知症の種類」「認知症の主な症状」「軽度認知障害の理解と対策」「運動による認知機能の向上効果」「運動によって認知機能が向上するメカニズム」「認知機能の改善に効果的な運動」「食事がもたらす心理・社会的効果」「活動による認知症への予防効果」「対人交流によって活発化する社会的認知」「外出頻度が高いことによる予防効果」「ソーシャルサポートによる予防効果」「フレイルの予防と対処のために」「精神機能の低下を防ぐために」の解説をしていただきました。また、参加者よる認知症セルフチェックも実施頂きました。

最後に「心の健康」について解説していただきました。

「心の健康を保つための取組」について幅広い角度から解説していただき、続いて「ストレスとうまくつきあう」方法について、参加者が実践していることと実践してみたいことの角度から解説していただきました。また、ストレス反応について、こころのストレスサインとからだのストレスサインについても教えていただきました。

あっという間の90分でしたが、参加者は丁寧で分かり易い講演にたいへん満足されていた様子でした。

 

講演終了後には布谷宏造先生による「ストレスチェック」の診断測定が行われました。

10名以上の参加者が診断測定を受けられ、布谷先生から丁寧な診断結果の解説を受けられたことで、今回の講演会に参加したことの満足度はさらにアップしたようでした。

以上

 

 

 

当協議会の今年度の総会を18名の会員に参加をいただき開催いたしましたので、以下の通りご報告させていただきます。

2025年5月10日(土)13時30分より神戸市立婦人会館 4階 「つばき」にて開催されました。

臼井会長の挨拶の後、

鳥越氏が議長に選出されて総会の議案が審議されました。

 

2. 議事内容:

第1号議案  令和6年度事業活動報告

1.会員動向 

2.運営会議・ふれあい広場

3.兵庫健生の活動状況については兵庫健生ホームページにおけるブログで定期的に報告を実施

4.講師派遣事業は9回

5. 令和6年度通常総会開催

6.近畿ブロック会議

7.全国地域協議会代表者会議等

8.部会活動

 

第2号議案  令和6年度決算報告及び監査報告

 

第3号議案    令和7年度役員改正(案)

令和6年度の役員全員が留任。

 

第4号議案  令和7年度事業計画(案)

1. 会員増強

2.健全財政の維持

3.講師派遣事業の充実

4.助成金事業の取組

5.行政との関係強化

6.ディスコン事業の強化

7.例会(ふれあい広場)の充実

8.親睦会

9.部会活動

 

第5号議案  令和7年度予算(案)

 

第1号議案から第5号議案までは全て承認されました。

 

総会と講演会の終了後、17時より湊川神社の楠公会館にて18名が参加しての懇親会が開催され、和やかな雰囲気と美味しい食事と少しのアルコールにより会員同士の懇親が図られました。

以上

5月10日(土) 午前11時00分~午後0時10分で神戸クリスタルビル6階ひょうごボランタリープラザ「ミーティングスペース」で開催されました。。

 

1. 2025年度のふれあい広場の開催予定について

  9月11日(木)に神戸体育館でのディスコン開会開催を組込みました。

  ディスコン大会を9月に開催し、おとなのお散歩は3月にしました。

  12月の第5回演芸大会は会場探しが困難なため、変更する予定もあります。

 

6月 14日(土) 頭の健康・心の健康・体の健康(小澤輝郎先生)
7月   12日(土) 姿勢と健康(横山喜美男先生)
8月   休止
9月 11日(木) 子供からお年寄りまで、誰もが一緒に参加でき、同じルールで競技できるディスコンを楽しもう
10月 11日(土) 健康チェックを活用した拡大ふれあい広場
11月 8日(土) 笑いのヨガ(大平貴子先生)
12月 13日(土) 第5回演芸大会
1月 10日(土)  認知症予防と生活習慣 ならびに脳はつらつゲーム(福田章先生)  
2月  14日(土) 講演会もしくはみんなの語り合い
3月 14日(土) 大人のお散歩

 

 

2.5月総会対応について

  *場所は、神戸市婦人会館の50人収容可能な「つばき」を予約済み。

  *総会参加予定者は18名です。

  *総会の進め方についての打合せを運営会議にて進めます。

  *総会終了後の講演については、近澤先生にお願いしています。PCとプロジェクターは手配済み。

  *講演終了後の会員による懇親会については、楠公会館にて18名で個室を予約済み。

   最初に参加費の3300円を集金し、別途飲み物を注文された方についてはその料金を

   別途徴収します。

 

3.助成金対応について

 *ひょうごボランタリー基金の「県民ボランタリー活動助成」は7月にエントリー対応予定。

 

4.近畿ブロック会議の開催予定について

 *昨年と同様に近畿・中四国合同のブロック会議が開催される予定です。

 *徳島健生が中心になって開催準備を進めており、6月21日(土)から1泊2日で開催予定 

  です。

 *次年度以降については宿泊を伴う開催は準備が大変なことから、宿泊無しの開催やZoom

  を使った開催等を検討していくこ  

  ととしています。

 *兵庫健生も次年度以降の開催のお手伝いを求められており、対応する予定にしています。

 

5.会員増強に向けた取り組みについて

 財団本部に健康生きがいづくりアドバイザーのこの2年間での資格取得者データの提供を依頼して、入会の働きかけを実施することとしました。

以上

巻之四には「蛇性の淫」が、巻之五には「青頭巾」と「貧福論」が収められています。

 

蛇性の淫(古代):紀伊の網元の次男の大宅豊雄は小屋で雨宿りをしている時に若くて美しい未亡人の真女子と出会って傘を貸しました。傘を取りに彼女の家に行くと彼女から愛を告白され、金銀飾りの太刀を与えられました。その太刀が盗まれたものだとわかると家族は家を守るために役人に訴え出たのです。捕まった豊雄が真女子の家に役人とともに行ってみると家は荒廃しており、彼女は雷とともに姿を消して、豊雄は罪を軽減されて姉夫婦のいる大和に暮らすこととなりました。豊雄を追って現れた真女子は姉夫婦に取り入って豊雄と夫婦となったが、吉野の花見に行った際に当麻の酒人に正体を見破られて滝に飛び込み、正雄は彼女の正体が蛇であることを知ったのです。国に帰って豊雄は新妻の富子を娶ったが真女子は富子に乗り移り、災いが周囲に及ぶことを案じた豊雄は我身を犠牲にすることを決心するのですが、道成寺の法海和尚の力で蛇は取り押さえられて境内の土中深くに封じ込められたのでした。

 

青頭巾(戦国時代):快庵禅師は美濃から奥州へ行く途中に下野で里人から鬼が来たと騒がれました。山寺にいた篤学の僧が越の国から連れ帰った美童に迷って美童の死後に肉が腐るのを惜しんでその死体を喰ってから食人鬼となり、毎夜里に下りて墓の死体を喰っているのだというのです。快庵はその食人鬼の僧の寺を訪ねて懺悔させ救いを求めさせました。快庵はその僧に自らの青頭巾と「証道歌」の二句を授けて句の意味を求めよといいました。翌冬に寺を再訪してみると、影のような僧が二句を唱えているのを見ましたが、快庵が禅杖で頭を撃つと僧の妄念は消えて、青頭巾と白骨が草葉に残ったのでした。


貧福論(安土桃山時代):陸奥の高禄の武士の岡左内は吝嗇漢と憎まれることもあったが、人を従えることのできる金の徳は武士も軽んずべきではないと考えていました。ある夜、黄金の精が翁の姿となって金の徳を軽んじる世間への憤りを吐き出すために左内との夜語りにやって来ました。左内の問いに対して精霊は自分は神仏とは違う非情のものであって、善悪とは関わらない存在で、吝嗇で無慈悲な人間でも金銀を大事にする者のところに集まるのだと答えました。左内が今の徳川の天下の行く末の話題を振ると戦国時代の武将たちを富貴論の立場から評して、やがて徳川の世に改まることを示唆する詩句を唄って消えていったのでした。

以上

巻之二には「浅茅が宿」と「夢応の鯉魚」が、巻之三には「仏法僧」と「吉備津の釜」が収められています。

 

浅茅が宿(戦国時代直前):下総の百姓勝四郎は没落した家を再興するために妻の宮木を残して絹を売りに京に出かけて利を得るが、帰りの木曽で山賊に襲われ京に引き返しました。戦乱の中でひたすら夫の帰りを待つ宮木はすでに死んだに違いないと思った勝四郎は七年後に京にも戦乱が迫ったこともあって下総に帰郷しました。元の家を見つけた勝四郎はそこで宮木が生きている姿を見つけましたが、それは宮木の亡霊だったのです。そのことを知った勝四郎は戦乱の間も宮木は貞操を守っていたことを翁から聞かされてより悲しみを深くしたのでした。


夢応の鯉魚(平安時代中期):絵の名手である三井寺の僧興義は病気で息絶えた後三日目に蘇生して人々にその間のことを話しました。熱病に浮かされて琵琶湖に入ると海神の使いによって鯉とされて湖を逍遥していましたが、空腹となって餌に喰いついて釣り上げられ、館でまさに切られようとした瞬間に目が覚めたのだというのです。興義が死んだあと彼の描いた絵を湖に散らすと本物の鯉となり泳ぎだしたのでした。

 

仏法僧(江戸時代前):伊勢の隠居の夢然は子の作之治を連れて高野山に詣でたが僧房に泊まることができずに灯籠堂で夜を明かし、仏法僧の声を聞いて発句を詠んでいると貴人と家臣の一行がやって来ました。その一行は高野山で憤死した豊臣秀次の亡霊たちで、その中から連歌師の紹巴が夢然を呼びに来て、その発句に脇句を付けて打ち興じたのでした。修羅の時となり人々は騒ぎだして二人も連れて行かれそうになるものの、許されて人々の姿は消え、気絶から覚めた二人は命からがら戻ったのでした。


吉備津の釜(戦国時代):吉備の富農の放蕩息子の井沢正太郎は吉備津神社の神主の娘の磯良と婚約し、神社の釜占いでは凶と出たものの婚儀を執り行いました。嫁いだ磯良は義父母に良く仕えたが、正太郎は遊女の袖を身請けしたため、両親に家に閉じ込められるも、磯良を騙して旅費を工面させて袖と駆け落ちしました。裏切られた磯良は恨み嘆いて病死しました。駆け落ちした二人は袖の従兄弟の彦六の世話になって暮らしたが袖は物の怪に憑かれて病死し、陰陽師に見てもらうと磯良の怨霊であることがわかったのです。正太郎は四十二日間の物忌みを行うも最後の日にまだ夜が明ける前に外へ出てしまい、殺されたがその死骸は何処にもなく、壁の血と髻のみが残っていました。

以上

 今回から3回にわたって「雨月物語」をご紹介します。

作者の上田秋成徳川吉宗治世の1734年に大阪に生まれ、4歳で堂島の紙油商の上田茂助の養子となり、十代後半から俳諧に手を染め、27歳で植山たまと結婚し、翌年養父の死去に伴って家督を継ぎ、商売からの無意識的な逃避のために小説をし執筆するようになりました。33歳で最初の小説を出版したが翌年の第二作目ともに浮世草子の気質物で、変人奇人を主人公にした滑稽風俗小説であったということです。35歳で「雨月物語」の初稿を書き上げていますが、43歳で医師となって大阪市内に戻ってからこの本を刊行しました。53・4歳の時には神話や古代日本語の音韻をめぐって本居宣長とも論争をしています。1787年に風刺小説を刊行したのちに秋成は隠棲してその後眼病に苦しむようになりましたが、60歳で京都に移って国学研究に没頭しました。享年76歳の1809年に京都で生涯を閉じたことになります。

 

 

秋成自身がこの物語を書いたことをそれまでに書かれた本と比較したうえで、題名を「雨月物語」としたことを漢文で書いたに続く巻之一には「白峰」「菊花の約(ちぎり)」が収められています。

 

「白峰」(平安時代末期が舞台):西行崇徳院の墓に詣でると院の怨霊がれて近頃の世の乱れは自分の仕業でありやがては天下に大乱を起こすといいます。保元の乱について院は正当性を主張し、西行はそれを批判する論議が交わされ、院は敵への恨みと復讐の決意を語りますが、西行が仏縁に繋がることを勧める歌を読むと院の顔色は和らいで姿が消えていったのですというお話です。


「菊花の約」(戦国時代が舞台):播磨で母と暮らす清貧の学者丈部(はせべ)左門が知人の家で熱病にかかった出雲の富田城主に仕える軍学者赤穴宗右衛門を助けて二人は義兄弟の契りを結びました。恩返しのために菊の節句に戻ることを約束して出雲に戻った赤穴は前城主を殺して新城主となった尼子経久に仕えることを断って幽閉されましたが、約束の日に亡霊となって左門のもとに戻ってきました。左門は出雲に出かけて赤穴を閉じ込めた従兄弟の赤穴丹治を斬り殺して逐電したが、尼子は二人の信義を憐れんで、左門を追わせることはしませんでしたというお話です。

 

次回は巻之二と巻之三とに収められている四つの物語をご紹介します。

以上

4月10日(木) 午前11時00分~午後0時30分で神戸クリスタルビル6階ひょうごボランタリープラザ「ミーティングスペース」で4月の運営会議が開催されました。

 

1.2025年度のふれあい広場の開催予定について

  9月11日(木)に神戸体育館でのディスコン開会開催を組込みました。

  ディスコン大会を9月に開催し、おとなのお散歩は3月にしました。

  12月の第5回演芸大会は会場探しが困難なため、変更する予定もあります。

  総会資料として配布予定です。

 

2.5月総会対応について

  *場所は、神戸市婦人会館の50人収容可能な「つばき」を予約済み。

  *総会終了後の講演については、近澤先生と詰めていきます。プロジェクターは手配済み。

  *講演終了後の会員による懇親会については、楠公会館で20名程度で個室を仮予約してい

   ます。

   3300円のコースで、ドリンクは別途個人払い出た対応する予定です。

  *総会議案書、案内状等の最終確認を行いました。

 

4.ふれあい広場開催の告知の拡大と入会の働きかけ。

  最近の出席者リストに基づいて討議を行いました。

   

5.助成金対応について

 *ひょうごボランタリー基金については3月に42,1000円が振り込まれました。

 *ひょうごコミッティ財団とコープともしびボランティア振興財団に申し込んでいた2025

  年度の助成金については、両方ともに不採択となりました。

 *今後の助成金申請の方向性につい討議を行いました。

  以上

4月4日(金)のふれあい広場につきましては「大人のお散歩第2弾~明石公園でのお花見ぶらり」を実施しました。集合は11時00分までJR明石駅中央改札出口としました。

13名の方が参加されました。

当日は午前中は少し肌寒い感じがしましたが、日差しにも恵まれて絶好のお花見日和となりました。

 明石公園は、明石城を中心につくられた都市公園です。城跡は、明治16(1883)年5月、当時の明石郡内の有志による民営公園として開園されました。その後、明治31(1898年)年10月には、皇室の御料地に編入されるなどの経過をたどり、大正7(1918)年4月、新たに県立公園として開園しました。

 園内には約1400本の桜があり、桜を360度見渡せる剛ノ池周辺が見所です。

当公園の中心に、重要文化財の明石城があり「日本百名城」「さくら名所100選の地」にも選ばれています。お城に映える桜は必見です。毎年多くの花見客でにぎわいます。

 

 駅に集合した参加者は駅そばのスーパーマーケットで昼食と飲み物などを購入して、明石公園に向かいました。

平日にもかかわらず、多くの人々が桜見に訪れていました。

参加者一行は明石城の出迎えを受けて、さらに剛ノ池まで歩を進めました。

 

多くの花見の皆さんが池のほとりで花見をしながら昼食を楽しんでいました。

 

 桜はまだ満開とはなっていませんでしたが、五分咲きから満開に向かう途中ではありましたが、桜を十分に満喫できる状態になっていました。

恒例の場所でビニールシートを広げて、兵庫健生のお花見がスタートしました。

 

一時間ほど、各自が持ち込んだお昼ごはんとお酒などを楽しみました。

初めはそれぞれ知り合いどおしでの話が弾みましたが、途中からは話題が広がり、あちらこちらでいろいろな話題で大いに盛り上がりました。

 お腹も話も満足したところで集合写真を撮って池の周りを散策して帰途に向かいました。

 楽しいひと時を過ごしてJR明石駅に向かいましたが、女性陣は全員が駅向いの「魚の棚商店街」に向かいました。

 明石駅そばの「魚の棚商店街」は「うおんたな」と呼ばれる明石・魚の棚商店街で、約400年前に明石城の築城とともに誕生したと伝えられており、宮本武蔵の城下町の町割りの設計により造られたと言われる古い歴史を持つ市場です。

全長350mのアーケードに明石特産の海の幸や練り製品、海産物の乾物などを扱う商店を中心に約110店の店舗が建ち並んでいます。お買い物が楽しめたものと思いますが、男性陣は駅中のうどん店にて恒例の酒盛りとなりました。

約1時間ほどワイワイがやがやと盛り上がった後に満足してお花見を終了しました。

 

 三宮での大人の散歩には30名以上の方に参加いただきましたが、今回の明石の大人の散歩では約半数の参加人数となりましたが、参加された方々からはもっと多くの人が参加されても楽しい催しだったとの評価をいただきました。

今年度も引き続き「大人の散歩」の企画を提供していきたいと思っていますので、ご期待ください。

以上

 今回は美人論をあらわした井上が、「京都ぎらい」のヒットに気を良くしてそれまでに記した著書や書きためたものを「京女」と言う言葉で飾り立てた作品であり、新たに目を奪われるような文脈は数少ないのですが、その内容を見てみましよう。

 

 この後の作品である「京都ぎらい官能編」とダブるところも多いのですが、本人は「ここでのべたいくつかの短文は、そこへとびだす跳躍台にもなっている。」と断り書きをしており、既に次の本の構想はなされていたのであろうとも思われます。

 

 さてその内容ですが、最初に京女の「かんにん」は男を舞いあがらせ、関西弁の「好きゃ」は東京の女からはねつけられると述べています。そして京都弁は女の値打ちをあげるものであると結論付けています。
つぎに京都女子大は「3B(不細工・貧乏・仏教)」で、同志社女子大は「3K(かわいい・金持ち・クリスチャン)」だと述べていますが、どうなんでしょうか?


 京都に磁力がある頃までは京都に美人が多数いることは当たり前で、現在に「東京美人」と言う言葉がない様に、そのころには「京美人」と言う言葉はなかった言っています。
また「この街美人多し、注意されたし 角館警察署」という注意喚起が掲げられていると言ったうえで、見たことがないのだが・・・本当なのか?と読者をけむに巻いています。


 ヤマトタケルは女装して女に化け、敵地に赴いて熊襲をたいらげた。この古事記の伝承を引き継ぎ、熱田神宮では唐の日本侵入を阻止するため、熱田神が女に化けて玄宗皇帝を虜にして日本遠征の野望を失せさせようとして「楊貴妃」となって目的を達成したとの伝承があるといい、熱田神宮には草薙の剣が祭られているのであると説明します。
さらに、名古屋は明治の初めには新橋の花柳会への芸者の供給地であり、「名古屋美人」と言われていた。愛知万博のころも「美人の産地」と一時評されたとの説を紹介しています。

どんどん京女論から離れていっているようです。


 美術品の評価は目利きが決め、美人の評価よりももっと判断基準はあいまいで、主観性をぬぐえない。しかし、我々は美人を決めるのはもっと主観的であると根本的に誤って思い込んでいるのだと述べています。
そして女性の社会進出が進むとミスコンは衰えていくと考えていたが、イタリアではミスコンは国民的大イベントであり、日本でもミスコンは隆盛に継続している。そして、それぞれのミスコンごとにそのミスコンむきの美人が選ばれるのであって、曙でもK-1では勝てなかったように最強と思われる人が選ばれるものでもないと結論付けています。


 最後に、明治・大正期には女学校の「醜婦」を在学中に縁談がまとまらず寿退学することなく卒業できそうな顔であることから「卒業面」と言い現わしていたが、1920年代からは「師範面」と呼ばれるようになり、戦前期には女子大はしばしば「姥(うば)捨山」「姨(おば)捨山」と評されたのだと紹介しています。

なんだか女性を敵に回してしまいそうな本となっていましたね。

以上

4月4日(金)のふれあい広場につきましては「大人のお散歩第2弾~明石公園でのお花見ぶらり」を実施します。集合は11時00分までJR明石駅中央改札出口にお越しください。

(下記のチラシを参照してください)

 

明石公園は、明石城を中心につくられた都市公園です。

城跡は、明治16(1883)年5月、当時の明石郡内の有志による民営公園として開園されました。その後、明治31(1898年)年10月には、皇室の御料地に編入されるなどの経過をたどり、

大正7(1918)年4月、新たに県立公園として開園しました。

 

*園内には約1400本の桜があり、桜を360度見渡せる剛ノ池周辺が見所です。

当公園の中心に、重要文化財の明石城があり「日本百名城」「さくら名所100選の地」にも選ばれています。

お城に映える桜は必見です。毎年多くの花見客でにぎわいます。

 

*明石駅そばの「魚の棚商店街」は「うおんたな」と呼ばれる明石・魚の棚商店街で、約400年前に明石城の築城とともに誕生したと伝えられており、宮本武蔵の城下町の町割りの設計により造られたと言われる古い歴史を持つ市場です。

全長350mのアーケードに明石特産の海の幸や練り製品、海産物の乾物などを扱う商店を中心に約110店の店舗が建ち並んでいます。お買い物が楽しめること間違いなしです。

 

5月以降のふれあい広場については、下記のイベントの開催を予定しております。

  5月:定例総会と講演会(14:30開始の講演会は会員以外も参加可能です)

                           <婦人会館で開催予定>

 6月以降も楽しくてためになるイベント(講演会・講習会・体操教室・健康チェック・

大人のお散歩・ディスコン・演芸大会など)を計画しています。随時ご案内予定です。

  

ふれあい広場の開催は毎月の第2土曜日を予定していますので、早めにスケジュールを押さえていただければ幸いと存じます。

 

また、是非ともインターネットで「兵庫県健康生きがいづくり協議会」と検索していただき、  兵庫健生のホームページでの情報をご確認ください。兵庫健生の活動だけではなく、随時更新しているブログもお楽しみいただければと思います                   

 以上