兵庫県健康生きがいづくり協議会 ニュースと行事予定

兵庫県健康生きがいづくり協議会 ニュースと行事予定

兵庫県健康生きがいづくり協議会は中高年の健康づくりと生きがいづくりを支援するための活動をしている団体です。
会員がニュースや行事予定を発信します。よろしくお願いいたします。

 前回の伊丹氏のエッセイの第二弾のご紹介です。

1970年代初頭、著者は人生の局面で出会うあれこれに、肩ひじ張らぬしゃれた態度で取り組みむ先達でした。今の世の中に溢れているのは、浅ましい計算ずくで夢のない人生論ばかり。損得抜きで気を楽にしてくれる知恵がほしいと考える、あなたのためのエッセイ集です。

恋愛、猫の飼いかた、礼儀作法、言葉というもの、身の周りの諸問題を取り上げて語ります。

1972年に刊行された本の文庫本ですが、今でも新しさは衰えていません。

 

 

 「不在通知」と題するエッセイでは、留守電のテープについて語ります。出始めた頃は戸惑いもあったようですね。
「歯」と題する項目では、登山のリュックサックの重さと結婚生活におけるストレスについて語っています。男に気を使わせないと豪語する女でも、出かける時にはいつも歯を磨くのかと尋ねてくるこの不思議さをしみじみと指摘します。


「済んでしまった」では、人間は生涯で三回恋をすることができる、初々しい春の恋、烈しい夏の恋、そうして、静かな、勝ち味わい深い秋の恋と、だから、もう一回出来ると信じる人は多いとの持論を述べています。
「腕の問題」では不自然な寝方について考察した後、「下になる腕の問題」はまだ解決していないとして、二人で寝るときの腕のやり場について考えた挙句に、だれか図解入りの本でも出さないかと提案します。そして、それにしても女というものはよく男の胸なんぞに抱かれてやすやすと眠れるものだと思う、私なんか鼻の先に温かい女の肌が迫ってたりしたら到底うっとうしくて眠れるものではないと強弁します。確かに、二人で寝るときの腕の持って行きどころは問題ですね。


「浮気論」では、ばれた時には絶対に否定する、これが思いやりであり、愛情であると言い切ります。男性諸氏、女性諸氏ももちろん、よくよく心されたし。しかし、どうしても目が泳いでしまいそうにも思うのですが。
「御祝儀袋」では山口瞳はあげるということは命がけと言っていることを紹介します。しかし、この頃祝儀袋を見かけませんね。
「捨てる」ではその昔、米兵は一円札を紙屑のように窓の外へ捨てたことを紹介します。金の主人は本来人間である。しかし、1円玉でも捨てるのはとても気がひけて出来ることではない。としたうえで、お金にはそれを使った人の生霊がこもっているので、一円玉を捨てれば必ず罰が当たると。


眉間の皺」では、人相学でも易断でも良くないとされるものだが、眉根に皺を寄せずに考えを集中しようとする方法を考えただけで眉と眉が寄ってくるとシニカルに述べます。
「うぬぼれかがみ」では、鏡に映る姿は自分の見たい姿を映しみているだけだと看破します。フランスではかすかに縦長に映る鏡になっているそうな。
「脱毛」では禿げることへの恐怖心を切々と書いています。伊丹さんでもそんな思いを抱いたことがあるんですね。

 

 46のテーマについて、伊丹節がさく裂しています。是非ご一読を。

以上

 1933年5月15日生まれの日本の映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CMクリエイター、ドキュメンタリー映像作家としてマルチに活躍し、映画監督の伊丹万作を父に持ち、女優の宮本信子を妻とし、長男は池内万作として俳優として活躍、次男は池内万平として伊丹プロダクション取締役とし活躍、ノーベル賞作家の大江健三郎は妹ゆかりと結婚したので義弟にあたり、1997年12月2日、伊丹プロダクションのある東京都港区麻布台3丁目のマンション下で、飛び降りたとみられる遺体となって発見されたため当初から経緯について様々な説が飛び交った何かと話題になることが絶えなかった 伊丹十三のエッセイを紹介します。

 

1968年に出版された本であり、半世紀以上も前に書かれたエッセイですが、なかなかためになる個所が多い楽しいエッセイでもあります。

日常の振る舞いにこそ、その人となりは現れるといい、スパゲティーの食べ方、アルコールの嗜み方からセーターの着こなし方や恋愛術まで体験的エピソード二で描かれる実用的な人生論風エッセイです。

 

 

 伊丹が最初の結婚をしてから、ヨーロッパに出掛け、離婚をするまでの間に書かれた文章をまとめたものです。(宮本信子は二人目の奥様なのですよ)
私(伊丹)は役に立つことをいろいろと知っているが、これらはすべて人から教わったことばかりで、私自身はほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない。と伊丹は語っています。

 

 そして、スパゲッティーのおいしい食べ方に始まり、ローストビーフ、オードブルの果物、チーズ、イングリッシュティーの話と続きます。
さらに、イギリスの話題から水、酒、蕎麦つゆ、たまご酒、伽羅蕗と続き、食べ物関連オンパレードが語りつくされます。

そして、ようやく、口笛、石鹸、蚊、猫だましボウリングと続き、男と女の話に移っていくのです。


 この後、いろいろなテーマに移ってから、再びキャベツ、スパゲッティー、餃子、鍋と料理の話に戻り、「料理人は片ずけながら仕事をする」「箸の使い方」を経て、目玉焼きの正しい食べ方、ブイヤベース、チーズフォンデュ、ロゼワイン、おこげ、黒豆、山菜、寿司を経て、正しい包丁の持ち方に至るまでを語り継いでいきます。
 最後は、セーターの話から、服装の色合い、日本人と洋服と装飾の話が続くと思ったら、やっぱり男と女の話で終話します。

伊丹さんらしいなと誰もが思うこと請け合いです。

当節では当たり前じゃないかと思うようなことが多く記されていますが、半世紀も前に書かれたことを考えるとこの伊丹十三という人のすごさが知れるところではないでしょうか。

とにかく全編、「偽物を排除して生きることの大切さ」を訴え続けるエッセイです。

 

次回はこの続編をご紹介しようと思います。お楽しみに!

以上

 10月10日(土)の午前中に運営会議、午後に「ふれあい広場」が開催されました。

7月に総会を開催して以来の久々の兵庫健生としての活動でしたが、参加者の多くの笑顔にあふれる活気ある活動となりました。

その様子をご報告します。

 

 10時から開催された運営会議においては、臼井会長が白内障の手術の影響で欠席となりましたが、不破事務局長のもとで今後の兵庫健生の取り組み方針等が熱く議論されました。

まず、ディスコンの活動状況について臼井事務局長より、伊丹での活動は9月より活動が再開され、10月、11月も活動予定日が決定しており、今後のより活発化が期待される状況であることが報告されました。

続いて、今後の健生の活動方針については、10月から12月においては、新型コロナ対応の状況を見据えつつ、慣らし運転状況として活動を継続することを確認しました。会員の顔合わせとおしゃべりを中心に「ふれあい会議」を開催していきます。

また、忘年会や新年会については、オフィシャルには開催しない方針であることが確認されました。

さらに、スマホの勉強会を開催することを検討することが決定されました。

その後、「Go To トラベル」「Go To イーツ」の利用、電子マネー使用の利便性と注意事項についての意見交換を行いました。

 

今後の兵庫健生の活動日は次の通りです。

11月14日(土) 10:00~運営会議(婦人会館 すみれ) 13:30~「ふれあい広場」(婦人会館 もくれん)

12月12日(土) 10:00~運営会議(婦人会館 たんぼぼ) 13:30~「ふれあい広場」(婦人会館 たんぽぽ)

 

 13:30からの「ふれあい会議」においては、11名の会員の参加があり、不破事務局長の挨拶で開始しました。

事務局から午前中の運営会議についての報告があり、参加者の理解を得ました。

続いて、参加メンバーから幅広い要望事項、近況報告、知って得する知識の紹介等幅広いテーマで全員から発言をいただきました。

その一端をご紹介します。

*スマホ勉強会ではスマホ料金を安くする方法についても教えてほしい。

 

*10月10日は「転倒の日」でもあり、転倒で亡くなる人は年1万人にも達しており、転倒防止対策が不可欠であり、その一つに気功、太極拳の活用が有効である。その気功・太極拳の実演とともに筋肉の機能、横隔膜の機能、CO2の体内での役割、腹式呼吸の効用等が紹介されました。

 

ディスコン協会では新型コロナ対策のガイドラインをHPで紹介しているので参照してもらいたいと要望がなされました。

 

高齢者の父親との施設での面会の困難さの現状について紹介されました。

 

外出自粛による家庭での妻との生活の大変さの報告がなされました。

 

男がずっと在宅することに対する妻のストレスの大きさと妻からの注文の多さについての紹介の後、妻のストレスを少しでも少なくするために要支援認定1を受け、支援施設の利用ができることで妻が安心して旅行等に出かけられるようにしたことの報告がありました。

 

要支援認定1が定期チェックで取り消されたが、市から同等の支援を受けられる仕組みがあることが報告されました。

 

*コロナ時代に人との触れ合いの大切さを実感して、できるだけ外出することの必要性を実感したとの報告がありました。

 

*7月からスポーツジムが再開し、それがストレス発散の場となっているとの報告がありました。

 

*9月から神戸市で非接触でのフレイル予防の取り組みが3か月間でスタートしているとの情報提供がありました。

 

*高齢者はマイナス思考にならずにポジティブに若い人との付き合いを増やすことが必要であり、そのためにもパソコンやスマホも使えるようになった方がよいとの提言がありました。

 

健康が一番と実感しており、体を動かして元気になることが必要との報告がありました。

 

*ボランティア活動もコロナで活動が止まっていたが、活動再開に向けた動きも出てき始めているとの報告がありました。

 

*コロナ対策のためにできた自宅時間をパソコン、スマホの同時買い替え対応に振り替えたことで充実しているとの報告がありました。

 

楽しくて活発だった「ふれあい広場」の写真を掲載します。

  

 

  

以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仁徳天皇から女帝推古天皇までのさまざまな物語が敗者たちへの共感を持って語られる下巻のご紹介です。

 

 仁徳天皇は民を栄えさせた「聖帝(ひじりのみかど)」の治世と呼ばれる政ごとを行ったが、大后のイハイノヒメは大変嫉妬深く天皇が呼び寄せた美人は生国に逃げ帰ったり、呼び出しを断って呼び出しに行った天皇の弟と夫婦になって殺されたりした。

この天皇には六人の子供がおり、そのうち三名が後に天下を治める。

 

 履中天皇は弟のスミノエノナカツミコに宮殿に火を放たれて暗殺されそうになるがアチノアタヒに救われ、そのナカツミコをやはり弟のミヅハワケに殺させた。

そのミヅハワケが反正天皇となり、その弟が十九代允恭天皇となる。

允恭天皇は病気のために帝位を継ぐことを断ったが、朝鮮からもたらされた薬で回復して天皇となり、九名の子供のうち二人が天皇となった。子のうちのカルノミコは実の妹のカルノオオイラツメと恋に落ち、二人は自ら命を絶った。

子のうちのアナホノミコは安康天皇となり、弟のオホハツセノミコの結婚相手としてオホクサカの妹を呼び寄せようとしたが、遣わしたミノオミに騙されてオホクサカを殺してその妻を自分の妻とした。連れ子のマヨワが床下に居ることを知らずにその妻にオホクサカを殺したことを話したので、マヨワはこの天皇を殺してツブラオホミの家に逃げた。

兄の天皇の死を知ったオオハツセは頼りにならない二人の兄を殺してツブラオホミの屋敷を囲んだ。ツブラオホミは娘のカラヒメを差し出した後、マヨワを刺殺して自分も首を切った。

 

 オホハツセは雄略天皇となり、安康天皇が後継にしたがっていた履中天皇の長男のイチノヘノオシハを殺した上、無礼なやり方で埋葬したが、イチノヘノオシハの子供のオケノミコとヲケノミコは播磨に逃げて牛馬の世話をして働いた。

雄略天皇は物見遊山の途中に見つけたアカヰコという乙女にいずれ呼び寄せると言って八十年もほっておいて、その事を言いに来た彼女に妻にはせずに歌を贈り貢物を渡して帰らせた。天皇が葛城山ではヒトコトヌシノオホカミ(言葉の呪力を具現化した神)に出会い、豊楽(とよのあかり)では粗相をした采女の必死に詠んだ長い言い訳の歌の献上で彼女を殺さずに許してやった。

この天皇の子の清寧天皇には皇后もなく子もなかったので、次の天皇を探していたところ、イチノヘノオシハの妹のイヒトヨノミコが、播磨に逃げていたオケとヲケが新築祝いの宴席で舞を舞ったことから王子であることが判明したので二人を呼び寄せて天下を治めさせた。

二人は位につくことを譲り合ったが、ヲケが顕宗天皇となり、父を殺したオオハツセの御陵をオケに壊すよう命じた。オケはオホハツセが従父であり天皇であったことから、御陵の隅を少しだけ掘って仇を辱めるとともに報復の思いを後の世に示すこととした。この天皇は早世し、オケが仁賢天皇として即位した。

 

 この天皇には七名の子供がおり、ワカサザキが武烈天皇となり、タシカラノイラツメが次の継体天皇の皇后となる。武烈天皇には後継者がおらず、応神天皇から五代隔てた孫のヲホドノミコトを継体天皇とした。

 

この後、三十三代推古天皇まで七名の係累が記されるが、蘇我馬子に殺される祟峻天皇の記述は実にそっけないものである。

以上

 神武天皇に始まる天皇や権力と対立しながら滅んでいく姿を描く中巻の要約をご紹介します。

 

 神武天皇は日向の高千穂宮から天下を治めるために宇佐を経て筑紫に行き、安芸、吉備を平定し、船で紀の国に渡り、熊野を経て吉野、大和の畝傍の橿原に宮を開いて天下を治めた。

神武天皇がまだ日向にいる時にイケスヨリヒメとの間にカムヌナカハミミノミコト(綏靖天皇)を含む三人の子供を設けたが、神武天皇が死んだあと母違いの兄がイケスヨリヒメを妻としてこの子どもたちを殺そうとする。しかし、イケスヨリヒメの知らせでこの兄を殺して末弟が天皇となった。その子が三代安寧天皇である。

 

 そして祟神天皇までの系図と亡くなった歳、御陵の場所が記される。

祟神天皇こそが国を統治した最初の天皇であると宣言し、初代から八代までは創作であるとしている。その子の垂神天皇はサホビメとの間にホムチワケノミコをもうけたが、サホビメの兄のサホビコが妹をそそのかして天皇を殺そうとしたのでこれを殺した話が挿入され、口を利かないホムチワケが出雲の大神を拝んでものを言うようになる逸話が語られる。

 その子の景行天皇は多くの子供を作ったが、そのうちのオホウスノミコトに美濃に居る美女を呼びに行かせるが、息子がその美女を自分のものにしたので、弟のヲウスに兄を諭すように言いつけるとヲウスは兄を惨殺した。

 

 このヲウスこそがヤマトタケルであり、天皇が息子の荒々しい性格を恐れて西のクマソタケルを殺しに行かせた時に彼がタケルの名を授かるエピソードが記される。

ヤマトタケルが出雲を平定して戻ると、天皇はすぐに東の十二国を平定するように命じる。そして、ヤマトタケルがその国々を平定して死んでいく姿が生き生きと語られる。

 

 景行天皇の子、成務天皇はタケウチノスクネを大臣に任命して国を治め、子供は一人あったが、次の天皇にはヤマトタケルの息子が天皇となる。

その仲哀天皇は神功皇后に降りた神のお告げで新羅平定に乗り出すが途中で亡くなり、皇后が平定して後に筑紫に戻った際に応神天皇が生まれた。そして大和に戻る際の幾多の敵の反乱を治める経過が語られる。

 応神天皇には二十六名の子供がいたが、ウヂノワキを次の天皇にしたいと思い、オホサザキとオホヤマモリにその事を告げた。

オホサザキは応神天皇が美しいので呼び寄せた娘カミナガヒメを見て自分に譲ってほしいとタケウチノスクネを通じてお願いして認められる。天皇が亡くなり、オホサザキはウヂノワキに天下を譲ったものの、オホヤマモリが反乱を起こす。

しかし協力してこれを鎮めて後、二人は天皇の位を譲り合って、ウヂノワキが早くに亡くなったので、オホサザキが仁徳天皇となった。

以上

 古典は古典として、原文のまま読むべきだし、読めないなら読めるように勉強することがことの筋目だと信じていた内田樹氏もこの翻訳本について「池澤さんは1300年という途方もない時間の隔たりを超えて、太安万侶の呼吸に同期するという知性の冒険的な企てを鮮やかに実践して見せてくれた。」と高く評価しています。

 また、京極夏彦氏は古事記について、「神様のネーミングなんか、一種の発明ですね。固有名詞なのでやまとことばなんだけれども、当てる漢字にも意味があるわけです。先行する文化をただ真似するのではなく、応用し発展させて自家薬籠中のものにしていくスタイルが、すでにある」とし、「稗田阿礼の記憶を元に太安万侶が記述したものとされ、語る/記すという二つの行為が<古事記>を成立させており、これは記憶と記録と言い換えることもでき、柳田國男なんかが拘泥した主観/客観というテーゼにも置き換えられます。」といっています。

そんな古事記の上巻は天地のはじまりから、イザナキとイザナミの国生み・神生み、スサノヲとアマテラスの対立など、神々が生まれ大地が作られ、人間社会が構築されて天皇による統一を待つまでが描かれています。

その内容をかいつまんでご紹介します。

 

 

 高天の原(たかまのはら)に最初に生まれたのは姿も何もない三名の神であり、その後に七代(ななよ)の神が生まれ、七代の神の最後がイザナキとイザナミである。天の神はこの二人にまだ漂ったままの国を固めて国土とするように命じ、二人は天の浮橋に立って天の沼矛を掻き回して淤能碁呂島(オノゴロシマ)を作り、そこに降りて国生み、神生みを行う。

 

 イザナキが死んだイザナミを追って黄泉の国まで行くが、私を見ないでというイザナミの依頼を破ったイザナキは逃げ帰ることとなる。イザナキが禊として左目を洗った時に生まれたのがアマテラスで鼻を洗った時に生まれたのがスサノヲである。スサノヲは父イザナキに国を出て行けと言われて姉のアマテラスに挨拶に行く。そこでスサノヲの腰に帯びていた十拳の剣(とつかのつるぎ)から福岡宗像の沖ノ島の奥津宮、中津宮、辺津宮に祭る三神が生まれた。

 

 スサノヲのアマテラスに対する乱暴沙汰が止まないのでアマテラスは天の岩屋戸に隠れる話につながる。追放されたスサノヲは出雲の国に降り立った。この地で八俣のオロチを退治してクシナダヒメを救って一緒に住み、「八雲立つ出雲八重垣・・」の歌を詠んだ。スサノヲの孫の一人がオホクニヌシである。オホクニヌシは因幡の白兎に妻にしようと思ったヤガミヒメはあなたのものになると言われるが、それに怒った八十名の兄弟の神に殺されそうになり、スサノヲのところを訪ねた。そこで出会ったスサノヲの娘のスセリビメと恋に落ち、スサノヲが与える試練を乗り越えて、スサノヲの祝福を受けてスセリビメを正妻として出雲で国を開いた。

 

 アマテラスは葦原中国(あしはらのなかつくに)は自分の子供が治める国だと定めて、神々を使わしてオホクニヌシに国譲りを求めた。何人もの神が失敗する中、建御雷(タケミカヅチ)の神がオホクニヌシの二人の子供との勝負に勝って、平和裏に国譲りが完了し、アマテラスは孫のホノニニギをこの国を治めさせるため下界に降ろした。ホノニニギは岬で美しいコノハナサクヤビメに出会って妻としようとしたが、彼女の父親が醜い姉のイワナガヒメも添えてきたのを送り返したので、それ以後の天皇の命は木の花のように儚いものとなるようになった。

 

 この二人の間に生まれたのが、ウミサチビコとヤマサチビコで、弟のヤマサチが兄のウミサチの釣り針を無くし、探している時に海の神の娘であるトヨタマビメと出会い、三年を海で暮らして後に釣り針を見つけてもらって兄に釣り針を返しに戻り、兄を自分に仕わせるようになる。ヤマサチとトヨタマビメの間に生まれた子がトヨタマビメの妹との間にもうけた子が初代神武天皇である。

 

神武天皇に始まる天皇や権力と対立しながら滅んでいく姿を描く中巻、仁徳天皇から女帝推古天皇までのさまざまな物語が敗者たちへの共感を持って語られる下巻をお楽しみに。

以上

岡本隆司氏の「東アジアの論理」の中国編に続いて韓国・北朝鮮編の要旨を掲載します。

併せて独裁制と立憲制についての記述もご紹介します。

 

<韓国・北朝鮮>

朝鮮半島では14世紀から20世紀初めまで五百年に渡り朱子学が体制教学であり、儒教は法を蔑視するため、律令はやむなく用いた補助物に過ぎないのである。我々の考えような「法治」ではないため、政治でも訴訟でも最も重要なのは周囲の関係者が「なるほど」と思える判断・判決を示すことなのである。法律の条文はそれを支えるものに過ぎず、決して情理に優越しないし、ましてや最終的なよりどころではあり得ないのである。仏像盗難判決、慰安婦問題、徴用工訴訟もすべてこの構図で説明ができるのである。


・五百年以上続いた朝鮮王朝は東アジアで最も長持ちした王朝政権であるが、実際に有した権力は多くは弱体であった。19世紀末になり日本を含む列強との外交が政局に大きな影響を及ぼし、党争・政争が激化したことにより、20世紀はじめの大韓帝国の時代には元首の専制体制が成立し、植民地を経て軍事力と結びついて南北の独裁政権につながるのである。トップの専制と政治家の党争が不可分の関連を有するのは歴史的な遺制ともいえ、南北ともに元首の権力が強大なのも、敵対党派を否定する北の一党独裁も、党争の激しい南の左右対立もここに由来する。


・司馬遼太郎によれば、朝鮮半島にとって歴史的に「日本など、えたいが知れない」存在で、「片鱗も華ではなく、”蛮夷”であり続けた」。そんなイデオロギーの「フィルターを通してしか隣国を見られなくなった」から韓国人は「いまも日本のことを倭奴(ウェノム)と蔑称し続けている」という。


・朱子学の経典解釈を批判し、区別・差別を否定する陽明学は庶民の学問でもあり、現実の具体的な出来事をも差別なく重視するのもであり、近世の日本にも大きな影響を与え、大塩平八郎、吉田松陰などを生んだが、朝鮮王朝は陽明学を蛇蝎の如く嫌い、排斥すべき異端だとみなした。半島と列島の現存する意識の著しい隔絶はそこに要因がある。


・「少女像」設置は日韓合意に対する反対行動であり、韓国政府に向けた批判でもあり、韓国の野党もそれに乗じて政府への攻撃を強めており、対外関係を利用した政争なのである。そして韓国の言う「誠意をもって謝ってほしい」という声は相手に対して自らは悪くない、上位にいるという感覚であり、それは儒教の基本コンセプトである中華意識から来ている。2016年の朴大統領を退陣に追いやったデモは大衆を動員した政争以外の何物でもないのに、これを「名誉革命」と手放しで自賛するのもそうした自尊意識、美しい自画像の典型である。


・韓国に最も深くかかわる相手国の日本と米国に対して「反日」「反米」となるのは、「中華」意識に由来し、軽蔑する相手だから強大な時は心ならずも妥協、利用し、弱くなれば騙しても約束を違えてもかまわないと考えているのである。ただ北朝鮮は同じ民族であり中華の片割れであるので融和的であり、中国はオリジナルの中華であり、経済・軍事的に強大であるので尊重するのである。


・14世紀からの朝鮮王朝は紀元前1千年より前の儒教=中華文明の起点に位置する箕子(キシ)朝鮮を継承して成立しているが、史実として信憑性がない壇君(ダンクン)朝鮮が始祖として教えているのは、中国への従属を嫌悪して独立を希求するために箕子朝鮮を捨てざるを得なかったからである。


・北朝鮮、韓国共に「倭夷」「島夷」を日本罵倒に使っており、これらは卑小醜悪狡猾な存在であることを表しており、儒教的・中華的な措辞である。


・正義が備わっている存在である正当な自らの政権である以上、道義的に誤っている右派や日本の言い分はどうあっても正さねばならず、そのためには条約や外交のような些末なことは意に介さないのが文在寅政権であり、正統を自任すればこそ、そのイデオロギーを正統と認める北朝鮮との融和・一体化を目指す立場を崩さないのである。


・「正義」、正しい義理が何より優先されるのは朝鮮王朝時代からの朱子学のテーゼであり、イデオロギーであったが、正義ファーストという考え方は半島では時空を越えて普遍的である。


・もともと数百年の間、中国に事えてきた属国の韓国はアメリカより中国に頼る方が慣れており、中国が大国になればなおさら当然である。今の危機は北朝鮮とアメリカの対立にほかならず、巻き込まれている自分たちのところにミサイルが落ちてくるなど想像もしておらず、北朝鮮と一体化してアメリカから離れれば北の脅威は消滅し、半島・民族の統一も実現できると考えている。

 

<徳治・人治・憲政>

・「徳治」のシステムは独裁・専制を生み易く、指導者・為政者の「善意」に従わないものには恣意的な法律と刑罰の行使を辞さない恐怖政治にさえ転化する。「徳」をイデオロギーに置き換えればいわゆる「人治」に等しく、共産主義国家のようなシステムとなる。その対極が「法治」ないしは立憲主義であり、主権者も官民も全てを法が縛り、秩序の最終的なよりどころとなる。この「法治」は「徳治」「人治」の弊害を矯めるために人間の善意・仁徳などを信用しないところから出発しており、人間不信の産物でもある。それは最上の制度なのではなく、最悪ではないシステムにすぎない


・いずれの組織・政体であれ、法と徳(モラル)の組み合わせで成り立っており、異なるのはどちらが前面に位置し主体をなしているかに過ぎない。いわゆる法治国家とは法が主となって国家社会全体を制するのであり、しょせんは強制と服従がその本質である。それをモラルに即した自発的な寄与に転化できるかに統治の成否がかかっているのである。


「憲政」とは凡庸な集団に法規範と相互の牽制を働かせる仕組みであり、はじめから最善を期したシステムではない。社会の大多数は凡人が占めているので、そのほうが長期的、総体的には弊害を減らせる確率が高くなり、最悪にだけはならないように独裁・集権を忌避する狙いがその核心にあるのである。善良有能な才人が独裁制で束縛の少ないリーダーとなり、善政を布けばベストな結果にはなるのだろうが、そんな人物は稀少であり、ベストな善政の確率は低く、独裁制はより多くのよりひどい悪政をもたらすのである。

以上

 これまでに二度ほど登場いただいた岡本隆司氏の最新著書の紹介です。

強権的な姿勢を強める習近平政権、慰安婦問題や徴用工判決で悪化する日韓関係。中国や韓国は同じ「漢字・儒教文化圏」に属すると言われるが、日本人にはわからないことだらけ。日本には日本の立場がある一方、両国にもそれぞれ固有の思考・論法があり、それを理解するには歴史をひもとくのが最善である。本書は、近年の時事的な話題を切り口に、歴史的アプローチから日本・中国・韓国の違いを知るためのヒントを示しています。

2回に分けてその主な主張をご紹介します。

まず、最初は中国に関する著者の記述をまとめてみました。是非ご確認ください。

併せて、岡本氏の著書をご紹介している過去のブログもぜひご確認ください。

(5/17掲載のPart11と7/26掲載のPart25のブログです。)

 

 


・「中国」とはかれら中国人自身にとって世界の中心である。中心は唯一無二、複数あっては中心でない。これは中華思想の伝統に由来するもので、現代も脈々と息づき、彼らのアイデンティティをなしている。その中心を中心と位置付ける周辺をかれらは「領土」といい、したがって中心と「領土」とは分かつことができないのである。


・清朝五代雍正帝の打ち出した「養廉銀」は、汚職の阻止と抱き合わせて、官僚の低俸給・地方財政の貧困などの制度上の欠陥を是正したものであるが、それほど周到な改革でも効果は永続しなかった。習近平による発足当初からの「反腐敗」キャンペーンは制度改革の伴わないものであり、権力闘争に堕しかねない。


・袁世凱は軍事力を掌握することで権力の座にのぼりつめ、1912年に仕えていた清朝政府を裏切って滅ぼし、新しい共和国の大統領に就任したばかりか、数年後ににはその共和制・大統領制を廃して、みずから皇帝に即位しようとして失敗、失意のうちに逝去した評判の悪い人物であるが、言論統制を強める習近平はこの「袁世凱」も検索できなくしているのである


孫文は中国でも台湾でも「中国革命の父」として敬意を払うべき特別な存在であるが、実際のところは革命において果たした役割はそれほどのものでもない。革命が成功したのは孫文の死後に彼を後継した国共双方の手によるものであり、自らの正当性を証だてるためには後継した孫文の存在こそが重要であり、敵対する勢力を貶めなくてはならないために特別な存在としたのである。


・言行不一致は中国のお家芸である。歴代皇帝始め、史上登場する人物たちは多かれ少なかれ、みな嘘つき、二枚舌である。というより、直情径行・一本気・誠実で生き残っていけるほど中国世界は甘くない。忠節・貞節を重んじ、正直者を称え憐れむ日本史のような文化もおよそ希薄である。


中国の経済構造の対外依存は18世紀から一貫した中国経済の内需の低さがもたらす体質であり、対外的な危機に陥るとそれが顕在化するのであり、19世紀のアヘン戦争も英中の貿易摩擦の帰結だったのである。現在の米中の貿易戦争も単なる経済問題ではなく、ハイテク・半導体の問題であり、中国経済の対外依存は世界全体の問題とみなくてはいけない。


中国人が自国の政府・通貨を信用しないのは、明代以来の態勢である。中国でのスマホ決裁の急激な普及もこのことによるものである。人民元を持ちたくない、他の有利なモノに置き換えたいと言う深層心理が合理的な価格水準を無視して投資を集中させるのである。民間が政府の通貨を信用していないから起こる事態であり、政府が民間経済全てを把握できていないことと表裏一体であり、だからこそ政府が正確な統計も取れないのである。


中国は16世紀以降究極の「小さな政府」であり、政権は民間の経済秩序には立ち入らなかった。しかし、19世紀に政府権力と民間社会の疎遠に乗じて列強による経済的侵略がなされ、その反省から政府は経済統制を志向し、毛沢東時代の計画経済はそれを極端にまで推し進めたものであった。これが惨憺たる結果となり、「改革開放」に転じて今の中国経済があるのであるが、政治権力を顧みない社会経済が活発になり、驚異的な経済成長の原動力となったものの、政治と経済の乖離、ひいては中国の瓦解という悪夢を再現するのではないかと政府は怖れている。


・中国習近平体制で検討されている「相続税の法制化」は中国の歴史的な格差・税制への挑戦であり、その帰趨は現政権の本質を見極めるよすがとなりうるものである。


・日本で使われた「中国崩壊」は戦時中の「暴支膺懲」の侮蔑的な言葉と同じく半ば予想、半ば願望であり、事情をよく知らない人が付和雷同しマスコミがそれを煽った情景は同じである。中国の崩壊論は鳴りをひそめたが、今度は文在寅政権の経済・外交政策の破綻の声が大きくなっているが、嫌韓感情の高まりと日中関係の好転による情緒的な変化に伴うものに過ぎない。


東アジアで「移民」の本場は中国をおいてほかにない。国内には「客家(ハッカ)」という移民がいる。生き延びるために故郷を捨ててきた人たちであり、トラブルも多発し大規模な騒乱を引き起こした。19世紀の太平天国の興亡もその典型である。たま、海外の華僑・チャイナタウンもその形成・存続は艱難の連続であった。

 

次回は、韓国・北朝鮮と独裁制と立憲制についての記述をご紹介します。お楽しみに!

以上
 

 

 

 貯めるだけの人、上手に使って楽しめる人、「定年後」の著者がお金と生き方・働き方の関係を問い直すのが本書だとしています。

人生100年時代、長生きはリスクでもあるのです。自分の老後資金で本当に足りるのか、こう考え始めると誰もが不安になるものです。あまり考えすぎるとせっかくの老後を楽しむことができなくなるものです。家計の管理と見直しのポイント、資産の運用の基本的考え方など、お金にまつわる課題について具体的な指針を示してくれます。さらには、本当にやりたいことに出費を惜しまずに人生を楽しむべきと提言しています。老後の資金が心配な人だけでなく、老後をより豊かにしたいと考えている人、必読の書です。

 

 著者の楠木新(くすのき あらた)氏は1954年に神戸に生まれ、京都大学法学部を卒業後、生命保険会社に入社し、人事、労務、経営企画、支社長などを経験し、勤務と並行して「働く意味」をテーマに取材・執筆・講演に取り組んでいます。2015年に定年退職。現在、神戸松蔭女学院大学教授。会社の人事や経理、裏側などに関する著作や定年準備や定年後に関する多くの著作があります。

 

 

 30年後の未来は見通せない。かなり先のことを考えて不安を抱く前に、まずは現在の家計をきちんと押さえることが大切。充実した定年後の生活を送っている人には何年も先のことを考えながら生活している人はいない。先が見えないことや不確実なことを楽しむくらいの姿勢も大切であると言います。
変化があっても何とかやっていけるという心持ちになると、自分の時間を生み出すためにお金を使ったり、人と人との人間関係の繋がりにお金を投じる大切さに気付くのです。
つまり、新たなスキルを獲得したり、人間関係を広げたり、新たな物品を手に入れたり、趣味にお金を投じて人生を豊かにしたりすることを考えるべきだと言います。


 財産増減一括表を半年に一度作成して、自分の資産の状況を時系列でとらえることが大切だと言います。
それは、固定費の見直しをすることにつながります。固定費は、社会保険関連、自動車関連費(車検・保険)、住宅関連費(管理組合費・修積み・保険)、各種会費(新聞・雑誌・放送料)、保険関連費、通信関連費などです。

 

 投資は基本的に投機と同じく「美人コンテスト」であり、限定的な稼ぎしか期待すべきでない。家計のポートフォリオが大切。
6か月程度の生活資金として使える現金か普通預金を用意しておくべきとも言います。

 

 65歳から74歳までの前期高齢者と75歳以降の後期高齢者とではライフステージが異なる。70代後半から新たなことに取り組むのは簡単ではないのです。

 

 不安を払拭するためだけにお金のことを考えていたのでは、せっかく手に入れた貴重な贈り物であるセカンドライフで「人生を楽しむため」のお金の使い方ができずに、苦労してためたお金を使わないまま死んでしまうリスクがあることを肝に銘じるべきです。
お金は本来交換価値が本質であり、お金を人間関係作りや自らの感動や楽しみに変換させることが大切である。
お金がないことは命を失うような出来事だと思ってしまいがちだが、現実的には目の前に刃物を突き付けられているわけではなく、そう思っているのは自分自身なのであると説きます。
貯めたお金を活きたものにするためには、お金を貯めるための我慢や他人との比較、自分に対する評価を気にし過ぎるのではなく、未来に目を転じる必要があるとも言います。


 少額でもお金からもらえるエネルギーや喜びもある。自分の趣味や行動をお金にならないかを考えてみることも面白いと言います。
若い人のために使うお金も「世代をつなぐ」ためには有効であるとも説いています。
会社員時代はパック旅行で、何も考えなくてもルートどうりに行けば安全に何とか目的地に到着し、お金も特に心配する必要はない。定年後は自分で地図を見ながら計画を立て、どういうルートをどういう交通機関で目的地に向かうのかも自分で決めねばならず、持ち合わせのお金も考慮しながら進む必要がある。旅が終わった後の満足度は持ち合わせのお金に左右されるのではなく、一度きりの人生に対して自分が納得できるかどうかという自己評価に基づいて決まるのであると説いています。

以上

 

 

 人はどう生きればよいのか?それを指示すために、14のテーマについて著者の中村元氏がごく当たり前に、飾らず、高ぶらず、根元から、綿密に、行き届いていて、穏やかに、明快すぎるほど、惜しみなく、節度を持って語られ、語りつくされるのが本書である。

 

 著者の中村元氏は、1912年に松江に生まれ、東京大学インド哲学梵文学科を卒業し、母校の教授として研究に従事。1977年、文化勲章受章。その間、スタンフォード大、ハーヴァード大等の客員教授、英王立アジア協会名誉教授、東京大学名誉教授、東方学院院長、比較思想学会名誉会長、日本学士会員等に任ぜられ、1999年に逝去されています。「インド思想史」「比較思想論」「図解仏教語辞典」「聖徳太子」「自己の探求」など数多くの著書があります。

 

 

 哲学と宗教はそんなに厳密に区別されるものではない。いかに科学が発達しても人間が人間としてどう生きるかということは、自分自身の問題として考えなければならないとしています。
 自然界に完全に同じものがないのは、それをつくりだす原因の複合体が違うからである。一つの花をつくりだすのにも無数の原因が加わっており、めいめいの花も違っている。極限では時間と空間の規定を受けることから、その占めている時点と空間点が同じではあり得ず、現象世界では同じものはあり得ないという神秘があるのであるというのです。

 

 宇宙における一切のものが、一切のものに対して、何らかの意味で原因となっている。仏教では邪魔をしないということも一つの原因であると考え、いかなる微細なものも宇宙を背負っていると考えるとしています。
 目に見える可視的な経験界では人は代置されうるものであり、個人というものは幾人かの定員のうちのひとりであるが、目に見えない世界にまで思いを馳せると、それぞれの個人が絶対に独自の無限の過去を背負っており、その人はただひとりしかいない。そこで、人間の個性も一人ひとり違ってくるため、個々人の尊厳と言うことが理論づけられる。「唯我独尊」もそのことだと説いています。
また、価値は、「真」「善」「美」の主要な三つをそれぞれみな適当に活かしして調和がとれているところに意味があり、それを構造的に把捉する必要があるとも言います。


 生き甲斐に共通して言えることは、他人を害うことであってはならず、反社会的なものであってはならないということであり、自分の利も他人の利もともに実現されうるようなものが願わしい。そして、人類全体に通じる生き甲斐から、共同体の一員としての生き甲斐もあり、「生き甲斐」は重層的あるいは構造的なものであるとしています。
そして、他人の生命から切り離された自分の生命というものは存在せず、自分の生命と他人の生命はしっかりと結びついており、自分の生命を傷つけることは、また他人の生命を傷つけることでもあり、他人の生命を害することはしてはいけないことであり、自殺ということに対してはネガティブな態度が必要なのであるとしています。


 を有限的な概念で規定することは困難であるが、心を無視することはあってはならず、心というものはどこまでも身体に即したものであり、その身体というものは社会的関連の中に生きているものであり、もっといえば宇宙的関連の中にあるということが言えるといいます。
そして、現実社会において、性による職種の違いはある程度残り、それにより人類の男性的な面と女性的な面とが伝えられ、保持され、発展させられるということが可能である。もし完全に無くなったならば、もはや人間ではなくて、単なる物体に過ぎないということになるともいいます。


 仏教の場合には異端者を憎むという思想が無く、異端者は教団からは除かれるが、それ以上罰が及ぶということがないといいます。
愛という概念はどこまでも抽象的なものであり、人間には対立があり、隔てがあり、それを越えようとするところに愛があるのである。日常生活における愛、恋愛における愛、宗教的な愛に至るまで、すべて共通のものがある。絶対的な愛は人間の中に現れるものであり、世界創造者としての神の愛ではないとも言います。
 東洋の思想において、老ということは日常生活において尊重され尊敬された。日本では中央政府の大臣を「老中」、総理大臣を「大老」、藩の大臣は「家老」と呼ばれた。また、知性というものは老齢になってもますます光り輝くものであることをブッダは説いているとしています。
さらに、というものは生きている間に自分の死を経験することはできないため、客観化することができない。そして、生きているということは、死をそこに含んでいるものである。また、ブッダは死後の世界についての問いに答えておらず、答えうる範囲の事柄ではなく、知識の範囲を超えているとしている。我々の生死は思考を超えた、あるいは経験を超えた領域のものに支配されていると説いています。

 

 キリスト教やヒンドゥー教では神が世界を創ったとするが、仏教では世界創造者としての神は認めていない。神をも超えたもっと貴いものを考えている。あえて言うなら、「慈悲の心」であると言います。
そして、神という概念は非常に曖昧であり、民族によってその言葉の意味内容は異なる。人々が神のようなものを想定するに至ったのは、何かしら高次なものを人々が見出し、それに頼ろうとした個々の人間を超えた動きの結果であると言います。
人の心は正しく統御されれば尊く、すばらしく、頼りになるものであるが、悪い方向に使われるとこんなに始末に悪いものはないとも言います。
さらに、「自然環境」とは単に人間を取り除いた残りの領域と言うだけでなく、人間がそれに依存している領域という意味が内含されている。西洋思想では人間とは対立するものとしているが、東洋思想では決して別のものではないと考えるとしています。

以上