松本清張は1909年小倉市(現・北九州市小倉北区)生れで給仕、印刷工など種々の職を経て朝日新聞西部本社に入社。41歳で懸賞小説に応募、入選した『西郷札』が直木賞候補となり、1953年、『或る「小倉日記」伝』で芥川賞受賞。1958年の『点と線』は推理小説界に“社会派”の新風を生み、生涯を通じて旺盛な創作活動を展開し、その守備範囲は古代から現代まで多岐に亘っています。1992年没。
その松本清張がユニークな史眼と大胆な発想を活かして、歴史の隠れた真実を鮮やかに発掘しようと学者や作家と大いに語り合っているのが、本書です。
・「三世紀に存在したヒミコの国 ヤマタイ国」:ヤマタイ国論争の争点、原始国家のあけぼの-倭国の動乱、倭と東アジアのダイナミズム、倭の外交-帯方郡をめぐって、検察官「一大率」の謎、女王ヒミコの謎、ヤマタイ国はどこか、について清張が二人の歴史学者と一人の考古学者と論争し、ヤマタイ国の場所に関して清張は九州説を取っています。
・「新国家建設に苦闘した皇太子 聖徳太子」:歴史学者と清張が聖徳太子の実像について論争しています。
・「皇位を賭けた古代の大争乱 壬申の乱」:梅原猛と清張が古代史上最大の動乱である壬申の乱の意味合いについて語り合っています。天武天皇から神権的な天皇制になったとしています。
・「国家的大事業の陰の政治劇 大仏開眼」:歴史学者と清張が東大寺の大仏建立の持つ意味合いを論じています。
・「鎌倉期彫刻を完成した仏師 運慶」:歴史学者と清張が運慶の生涯とライバル快慶との関係性を論じています。
・「乱世を生きのびた教養人武将 細川幽斎」:清張が明智光秀の娘ガラシャを息子の嫁に持つ細川藤孝(幽斎)についてその生き方を語っています。
・「天下取りを狂わせた大事件 本能寺の変」:歴史学者と清張が本能寺の変が起こったことの意味合いについて論じています。
・「天下人にまで成り上がった男 豊臣秀吉」:海音寺潮五郎と清張が豊臣秀吉の人気の秘密や栄達への道のりなどについて語り合っています。
・「黄金をめぐる栄華と悲惨 佐渡金山」:津村節子と清張が黄金の花咲く島の佐渡金山の地獄の実像について語り合っています。
・「大岡裁きで知られる名奉行 大岡越前守」:歴史学者と清張が大岡越前守の実像と大岡裁きの実績や創作などについて論議しています。
・「人と金を動かした政治改革者 田沼意次」:テレビドラマの脚本家と清張が悪徳政治家の烙印を押されている田沼意次の実像について語り合っています。
・「全国測量図を作った地理学者 伊能忠敬」:地理学者と清張が五十六歳から測量を初めて四万三千キロを歩いて伊能図を完成させた男について語り合っています。
・「天保の改革に挫折した老中 水野忠邦」:歴史学者と清張が優秀な官僚で偏に幕府の財政を救済しようと改革を推し進めて失脚していく老中の姿を語り合っています。
歴史好きの方は是非一読ください。
以上