放課後の校門前は、昼下がりの日差しがとてもまぶしかった。
私は少し離れた場所に置かれた十数本の竹ぼうきと、プラスチック製の大きなちり取り、大きなビニール袋をぼんやりと眺めながら、手持無沙汰に立ち尽くしていた。
私のすぐ近くでは、仲良しグループの女子たちが楽しそうにおしゃべりをしながら美化ボランティアが始まるのを待っている。
……やだな。
「ポツンと一人」が何人かいる状態は、まだいい。自分一人が突っ立っていても何も不自然じゃないからだ。だけど、すでにグループの形成された場に、たった一人、新規で飛び込むのは大嫌いだ。こんな風に、おしゃべりに興じるグループの横で「ポツンと一人」の私がものすごく強調されてしまう。だからといって、気を使ったリア充グループに話しかけられるのも困るのだけど。
今日は年に数度の美化ボランティア。各クラスから有志数人が出席して学校周辺の掃除をする。いつもは別の人が出ているのだけど、今日はその人が休みだったので、「代わりに出てくれない?」と先生に頼まれ、断ることもできずに出てきてしまった。こういうとき、強く自己主張できない自分の気の弱さが嫌になる。
さっさと始まればいいのに。
私は軽くため息をついた。
さっき、チラッと佐竹の姿が見えて、話しかけようかと一瞬だけ迷った。だけど、知り合いを見つけていそいそと近づくなんて、なんだか迷子になった子犬が優しくしてくれそうな人を探してすり寄っていくみたいに思えて、結局、「ただの知り合いですから。話しかけたりして、噂になったら恥ずかしいし……」みたいな態度を取ることしかできなかった。
いや、まあ佐竹が美化ボランティアに毎回参加していることは知ってたのよね。前に佐竹から話を聞いたことがあったし。だからといって、「佐竹と一緒にボランティア♪」なんて浮かれた気持ちはカケラもなくて、ただただ面倒だな、という思いしかなくて。
……と、せっかく美化ボランティアに出席したのに、活動が始まる前から心を濁しまくっている私。つくづく、かわいくないと思う。
「では、時間になったから作業を始めまーす。今日、皆さんに掃除してもらうのは、学校のフェンス沿いの道路です。通行する自転車、歩行者の邪魔にならないよう、十分注意して作業してください。よろしくお願いしまーす」
生徒会の人の案内があって、ようやく作業が始まった。私も竹ぼうきとちり取りを受け取って……、さて、どこに行けばいいんだろう? 私以外の人はもう何度も参加しているのか、慣れた様子で自分たちの持ち場を決めて掃除を始めている。私が割り込んだら、縄張りを横取りすることになっちゃうだろうか。キョロキョロしていると、佐竹が一人で横道へ入っていくのが見えた。佐竹なら、縄張りに割り込むことになっても何も言わないだろう。そう思って、私は彼の後をついていった。
その道路は普段から人通りが少ないせいか、落ち葉やタバコの吸殻、ペットボトル、空き缶など、たくさんのゴミが落ちていた。佐竹は慣れた手つきでビニール袋をセットし、掃除を始めようとしている。
「……もしかしてここ、ずっと一人でやってるの?」
思わず聞いてしまった。だってこれ、一人で担当する量じゃないよ。ほかの場所なんて、ここの半分以下の落ち葉しかないのに5人も6人も集まって、ノンビリ雑談しながら掃除してるのに。目立たないからといって、こんなにたくさんのゴミが放置されてる場所が学校のすぐ近くにあって、佐竹以外、誰も見向きもしないなんて。
「あー、まあね。こっちは作業量が多いから、あまり人気がないんだ」
「そっか」
淡々と、ごく当たり前のことのように佐竹は答える。
私も素っ気なくうなずく(こういうところもカワイクナイ、と自覚はある)と、佐竹と一緒に作業に取り掛かった。だけど、内心は全然穏やかじゃなかった。
誰も見向きもしない場所で、たった一人、黙々と作業してる佐竹。おしゃべりしながら掃除したつもりになっているヤツらはみんな、佐竹の爪の垢を煎じて飲めばいい。――なんて言ったら、佐竹のほうが嫌がるかな。
だけどコイツ、前からこうなんだよね。ただ几帳面なだけかもしれないけど、部室の本を片づけてたり、掃除してたり。本人は誰にも気づかれてないと思ってるのかもしれないけど、実は私はずっと前から知ってたんだ。
そんなことを思いながら、黙々と手を動かす。うう……なんだか気まずい。いやまあ、普段から部室でひと言も話をしないで本を読んでるだけってことも多いから、黙って作業をするのは別にいいんだけど。いつもの部室とは違う、開放空間で二人きりになって黙っているのはなんだか勝手が違った。
「……あのさ」
沈黙に耐えきれなくなって、私は不意に尋ねていた。
「こないだの作品のことなんだけど」
と、口に出した後で、しまった、と思った。この質問は、しないでおくつもりだったから。これを聞いてしまったら、まるで自分がヤキモチを妬いていると思われそうだったから。だけど、口に出してしまった以上、最後まで聞いてしまわないと、この場の空気が持たない。
「佐竹は、ああいうグイグイ系の女の子が好きなの?」
「へぁっ!?」
……なんだその気の抜けたウルトラマンみたいな声。そんなに予想外の質問だったのかな。
それはさておき。私としては、どうしても気になっていた。佐竹が初めて書いた恋愛もので、主人公がおとなしい、地味系の男子。多分、モデルは佐竹本人じゃないかって気がする。そこにグイグイと、誰がどう見ても主人公のことを好きだよね、と思わずにいられないような絡み方をする、かわいくて、クラスでも人気者タイプの女の子。
私とは、全然違うタイプの女の子。
私には、逆立ちしてもマネできない絡み方。
もしも佐竹が、こういう積極的な女の子が好きなんだ、って知ってしまったら、なんだかショックを受けそうだから。
自分でも、どうしてショックを受けるのか、ハッキリしない。別に佐竹がどんな子を好きになってもいいと思う。だけど……どうしても気になるというか……。
佐竹が答える。
「……嫌いじゃないけど、好きってわけでもないかな」
「どうして?」
「振り回されて、疲れそうだからね」
「じゃあ、どうしてヒロインにしたの?」
「……書きやすかったから、かな」
自己主張の強いキャラクターを主人公やヒロインにすると、物語を進めたいとき、そのキャラクターに「これがしたい!」と言わせたり、そのように行動させればいい。だから、とても書きやすかったのだという。
「そっか」
そう答えた私の声が、自分でもハッキリと分かるぐらい「安心した」ってトーンになっていた。
その後しばらく、私たちは無言で作業を続けた。私たちの竹ぼうきの音以外では、時折、フェンスの向こうから運動部の掛け声が響いてくるぐらい。とても静かだった。
あまりに静かだと、どうしても「二人きり」ということを意識してしまう。学園系の恋愛ゲームで、イベントとして出てきそうなシチュエーションだ。しかもさっきから、落ち葉を拾うとかビニール袋を縛るとか、ふとした瞬間に何度か手が触れそうになって、もうまさにこれってその手のイベントに出てくるシチュエーションそのものじゃない! だけど、佐竹が真面目に掃除をしている横で、私だけがそんな雑念まみれになっていると思うと少し申し訳なくて、真面目さを取り繕おうとすると、どうしても表情が硬くなってしまう。
そんなことを考えていたら、突然の風で、地面に置いたままのビニール袋が飛ばされそうになった。
「あっ!」
私が手を伸ばす。一瞬遅れて、佐竹の手が伸びてくる。私の手の上から、佐竹の手が覆いかぶさるようにビニール袋を押さえつける。
ピタリと重なった佐竹の手は、大きくて、温かくて。やっぱり男なんだな、と思って。
「あっ!」
反射的に、袋から手を離す。そのせいで袋は風で飛んでしまうけど、そんなことはもうどうでもよくて。
「あっ、いや、えっと、その、ゴメン」
「えっ、あ、うん、別に気にしなくても――」
しどろもどろになって、そっぽを向いてしまう。ああ、ダメだ。私に恋愛ゲームのイベントは向いてない。ほんのちょっと手が触れただけでこんなに取り乱してたら、イベント進行どころじゃないってば。
だけど、佐竹もこんなに取り乱してるってことは、それなりに私のことを意識してくれてるんだろうか。いや、単に女慣れしてなくて慌ててるだけの可能性のほうが高いかな。
掃除どころじゃなくなってしまったまま、気が付けば終了時間が近づいていた。
「そ、そろそろ終わりにしよっか」
「あ、うん、そだね」
気まずさを振り払うように、私は落ち葉でいっぱいになったビニール袋の口を縛った。佐竹は片手で自分と私の分の竹ぼうきを抱え、もう片方の手にビニール袋をぶら下げて歩きだす。私も袋を持って佐竹の後を追った。佐竹は軽々と運んでいるように見えたけど、この袋、意外と重たい。ちょっとヨタつきながら追いかけたけど、あっという間に距離が離れていった。
……と、思ったら、自分のビニール袋を片づけた佐竹が戻ってきた。
「袋、持つよ」
私の手の上から佐竹の手が再び重なってビニール袋を力強くつかみ、私は重みから解放される。
「あ、ありがと」
佐竹はそのままスタスタと歩いて行ってしまったので、表情は分からない。私はただ、その後ろ姿を見つめることしかできなかった。
なんだよ、もう。佐竹のくせに、一人ですっかり主人公やっちゃうなんて。さっき握られた手の温もりを感じてしまったら、こんなの、どうしても意識しちゃうじゃないか。
今日、ボランティアに参加したのは代理出席であって、まだ次も参加すると決めたわけじゃない。
決めたわけじゃない、はずなんだけど。
多分、次も参加しちゃうんだろうな、という予感が、私の中に大きく芽生えていた。
放課後、校門前の道路は昼下がりの陽光に照らされて、ひどくまぶしかった。
ボクたちの目の前には十数本の竹ぼうきと、プラスチック製の大きなちり取り、大きなビニール袋が重ねて置かれている。
これから始まるのは、年に数度の美化ボランティア。各クラスから代表で数人が出席し、学校周辺の落ち葉掃きをする。
参加の動機は人それぞれだ。内申点を稼ぐため積極的に参加する人もいれば、友達同士で遊び感覚で参加する人たちもいる。また、ボクのように、ほとんどの同級生が練習の厳しい運動部に入っているため、「ヒマそうだから」という身もふたもない理由で選ばれた人もいる。友達同士で参加した人たちは楽しそうに雑談していたが、ボクの周囲に気軽に話しかけられるような人は一人もおらず、ボクはただ手持ち無沙汰に作業が始まるのを待っていた。
いや、顔見知りが一人もいなかったわけではない。ボクから少し離れた場所で、同じようにポツンと一人、手持無沙汰にしているサトミの姿を、ボクは集合場所に集まってすぐに見つけていた。ただ、サトミがボクのほうをチラッと見ただけで、そのまま無言で立ち尽くしていたので、ボクも何となく気が引けてしまい、微妙な距離感を保ったままになってしまったのだ。
「では、時間になったから作業を始めまーす。今日、皆さんに掃除してもらうのは、学校のフェンス沿いの道路です。通行する自転車、歩行者の邪魔にならないよう、十分注意して作業してください。よろしくお願いしまーす」
生徒会の人が声を掛け、竹ぼうきとちり取りを配り始めた。誰がどこを清掃するのか、特に決まりはない。人気が高いのは落ち葉が少なく、作業の楽な表通りだが、そっちはどうせ友達同士で参加しているにぎやかグループがさっさと占拠してしまうだろう。だからボクはいつものように、人通りの少ない校舎横の道路を目指した。
運動部の掛け声がグラウンドのほうから響いてくる以外、物音はない。人通りが少ないおかげで、道路沿いには落ち葉だけじゃなく、タバコの吸殻やペットボトル、空き缶など、多種多様なゴミがたくさん溜まっていた。
「さて……やるか……」
何枚も持ってきたビニール袋のうち、1枚は空き缶などの「不燃ごみ」用に。もう1枚は落ち葉や吸殻などの「燃やせるごみ」用に。風で袋が飛ばされないよう、いくつかのごみを拾って袋に入れ、街路樹の根元に置いておく。何度も同じ場所で掃除をしているボクにとって、慣れ親しんだ手順だった。
だから、後ろから、
「えっ、もしかしてここ、ずっと一人でやってるの?」
と声を掛けられたときは、少し驚いた。
後ろにいたのはサトミだった。初めて参加した彼女は勝手が分からず、ボクについてきたのだろうと思った。
「あー、まあね。こっちは作業量が多いから、あまり人気がないんだ」
「そっか」
サトミはそう言うと、さっそく竹ぼうきで落ち葉を掃き集め始めた。
いつも一人で作業している場所だから、サトミが手伝ってくれるのはありがたかった。落ち葉を掃き、ちり取りで集め、ビニール袋に入れる。落ち葉を掃き、ちり取りで集め、ビニール袋に入れる。同じ作業を淡々と繰り返すだけだが、二人でやるといつもよりずっと進捗が早い。
「……あのさ」
しばらくして、不意にサトミが話しかけてきた。
「こないだの作品のことなんだけど」
心臓が一度、大きく飛び跳ねる。見栄を張って「サトミの好きそうな話」と言ってはみたものの、恋愛ものを書いたのは初めてだったから、あまり自信はなかったのだ。サトミから「初めて書いたにしては、上出来かな。面白かった」という感想だけはもらったものの、それから数日、ボクが家の都合で部活を休んだり、サトミが学校を休んだりすることが重なって、きちんと感想を聞く機会がなく、今日になってしまったのだ。
「佐竹は、ああいうグイグイ系の女の子が好きなの?」
「へぁっ!?」
予想外の質問に変な声が出てしまう。
「ああいうグイグイ系の女の子」というのが、この前書いた恋愛もののヒロインを指しているのは明らかだった。
そりゃまあ好きか嫌いかで言ったら、自分に好意を寄せてくれる女子が嫌いなわけはない。自分から積極的に話しかけるのが苦手なボクにとって、女子のほうから積極的に話しかけてくれるのもうれしいポイントの一つだと思う。だけど、それが自分の好みのタイプなのかと聞かれてしまうと、答えに困る。
「……嫌いじゃないけど、好きってわけでもないかな」
「どうして?」
「振り回されて、疲れそうだからね」
「じゃあ、どうしてヒロインにしたの?」
「……書きやすかったから、かな」
それは正直なボクの感想だった。最初は、ボクが普段、ゲームで推しているキャラのように、「おとなしくて、守ってあげたくなるようなタイプ」の女の子をヒロインとしてストーリーを考えてみた。しかし、そういった受け身型のヒロインを動かすためには、たとえば「文化祭」や「運動会」のように、物語の中心となるイベント、そして主人公から「一緒にやろう」といった働きかけが必要になる。しかし、ボク自身がそんなイベントに対して積極的に取り組んだ経験がないのに、どう声を掛けたらヒロインを動かすことができるのか、全然想像がつかなかったのだ。
そこで、推しとは正反対の「活発で主人公にグイグイ迫ってくるタイプ」のヒロインを設定してみた。すると、ヒロインが「私はこう思う!」「私はこれがしたい!」と、自分の感情や要望をズバズバと表現できる。彼女を中心にイベントが進み、ドタバタに巻き込まれた主人公の男の子が「やれやれ……」なんて言いながら、一緒に物語を進めていく。そのほうが、ずっと書きやすかったのだ。
「そっか」
なんとなく、安心した口調のように感じるのはなぜだろう。
まあ、現実には、都合よく自分のことを好きになって、積極的に話しかけてくれるようなヒロインなんているわけがない。だからこそ逆に、アニメやゲームに出てくるキャラクターをテンプレートにして、リアリティ度外視の「いかにもラブコメ」な話を考えることができたのだ。だけど、もう少し気合いを入れて執筆するのなら、どこかのアニメやゲームに出てきそうなキャラクターにとらわれず、もっと造形に深みを持たせないといけないだろうし、その辺はボクがまだまだ全然できてないところでもあった。課題山積、ってわけだ。
そんなことを話しながら二人で作業を進めていて、ふと、ボクは気が付いた。
あ、いま、ボクらは完全に二人っきりだ。
フェンスの向こうから、運動部の掛け声は響いている。少し先の表通りでは、仲良しグループが楽しそうにおしゃべりをしながら、緩慢に竹ぼうきを動かしている。だけど、元から人通りの少ないこの路地に入ってくる人は一人もいない。普段から部室で二人きりになることは多いのだけど、校舎の外という開放空間で二人きりになるのは、なんだかとても特別な感じがした。
二人っきりで掃除だなんて、なんだかまるで恋愛ゲームかアニメのイベントみたいじゃないか。
そういえばさっきから、袋からこぼれた落ち葉を拾おうとしたり、いっぱいになったビニール袋の口を縛ろうとして、ふとサトミとボクの手が触れそうになる瞬間が何度もあった。これまではずっと掃除に集中していたからほとんど意識してこなかったのだけど、二人きりだということを意識すると、途端にこのシチュエーションが気になってきてしまう。
サトミはこの状況を、一体、どう感じているのだろう。
チラリと彼女を見るが、あまり感情の起伏を感じさせない横顔からは、彼女が何を考えているかうかがい知ることができない。
……まあ、そんなもんだよね。彼女にとってきょうは、誰かと交代したかハズレくじを引いたかでたまたま参加しただけ。見ず知らずの他クラスの人と作業するよりは、顔見知りのボクと一緒のほうが気兼ねしなくてよかった、というところだろう。アニメやゲームじゃあるまいし、たまたま二人きりで一緒に掃除をしたからといって、特別なイベントなんて起こるわけがない。
そんなことを考えていたら、いきなり強い風が吹いてきた。ひと昔かふた昔前のラブコメなら、この風でサトミのスカートがめくれ上がって「キャア」なんて言う場面かもしれないけど、そんなことが起きるはずはない。現実はせいぜい、空のビニール袋が飛ばされそうになるぐらいだ。
「「あっ!」」
ボクは反射的に手を伸ばして袋を押さえようとする。
すぐ近くにいたサトミも、同じように手を伸ばして袋を押さえようとする。
その結果。
二人の手がビニール袋の上で、ピタリと重なってしまう。というか、サトミの手ごとビニール袋を押さえつけた形になって、彼女の手をすっぽりと包み込んでしまう。
意図せず触れた彼女の手は、小さくて、柔らかくて、少しヒンヤリとして。
「「あっ!」」
もう一度、ボクたちは同じ声を出すけれど、今度は何かに弾かれたように、袋から――お互いの手から――パッと自分の手を放して。
おかげでビニール袋は風で飛んでしまったのだけど、いまのボクにとって、そんなことよりもサトミの手の感触のほうがずっとずっと大事なことで。
「あっ、いや、えっと、その、ゴメン」
「えっ、あ、うん、別に気にしなくても――」
二人そろってしどろもどろになりながら、そっぽを向く。うん、アニメやゲームで主人公とヒロインがこんな動きをしていて、それを見た時はいかにもわざとらしく感じたりしたけど、自分の身に起こってみると、たしかに恥ずかしくてまともに相手の顔を見ることができないな、と思う。
もし「ラブコメの神様」みたいなものがこの世界に存在するのだとしたら、いま、この瞬間に何かの意図をもってボクたちに働きかけてきたんじゃないか。そうでなかったら、こんなマンガみたいな出来事が現実で起こるわけがないじゃないか。
うん。これは掃除の延長線上で発生したハプニングだ。手をつなごうと思えばつなげないこともない、だけど実際に手をつなぐことはなかった関係から、たまたま一度、状況が動いたというだけなのだ。いわば事故みたいなもので、これをもって二人の関係が何か進展するわけではないはずだし、積極的に進展させるほどの勇気は、やっぱりまだボクにはない。
そうこうしているうちに、作業終了の時間が近づいてきた。
まだ路地全体の掃除は終わっていない。でも、妙な気まずさを抱えたまま時間ぎりぎりまで続けるほど、ボクもサトミも掃除に情熱を注ぐことはもうできなかった。
「そ、そろそろ終わりにしよっか」
「あ、うん、そだね」
散らかった袋を集め直し、落ち葉でいっぱいになった袋をぶら下げて歩きだす。お互いの歩幅が違うから、路地を出るころ、ボクたちは自然とバラバラになっていた。
何も考えずにビニール袋を指定の場所まで持っていった後で、サトミが重そうに袋を持ってついてくることに気づき、ふとボクは罪悪感に駆られた。
女の子に重い物を持たせて、見向きもせずに一人だけさっさと出ていっちゃうなんて、いまどき、よほどの鈍感系主人公でもやらないぞ。ずいぶんカッコ悪くないか、いまのボク。
そう思うと、居ても立ってもいられなくなった。
「……袋、持つよ」
「あ、ありがと」
そう言って、サトミからビニール袋を受け取る。そのとき、また二人の手が重なった。
ほんの一瞬だけ袋と一緒に、サトミの手を握る。ズシリとした落ち葉の重みと引き換えに、サトミの手が離れていく。
うん。いまはまだ、これでいい。
ボクたちにとって、これは掃除であって、まだ手をつなぐわけじゃない。
傾き始めた陽光の下、黄金色に染まり始めた街並みを眺めながら、ボクは一人、静かな満足感を味わっていた。
だけど――。もしも、これが別の場面だったら。
そう、たとえば古本屋巡りだったり、部活の帰り道だったり。これからもきっと、二人きりの場面はあるだろう。そんなときに手をつなぐ場面を想像すると、ボクの心臓は軽い痛みを伴いながら、不確かなステップを踏み出すのだった。
ああもう、今日のアレは一体何だったんだ。
私は帰宅してから、もう何回目になるか分からないため息をつくと、イライラと指先で机を叩いた。
きっかけは、
「女子ってさ、誕生日プレゼントにどんなものをもらったらうれしいと思う?」
という佐竹の質問だった。
えっ、いきなり何? 私の誕生日は来月だけど、佐竹に教えたことはなかったはず。ってか、いきなりそんなことを尋ねてくるなんて。地味で鈍感で、恋愛とはまるで縁のなさそうな、あの佐竹が。
……と、思ったら、
「あんまり話したことのない同級生なんだけど、まあいわゆる陽キャっていうか、クラスの人気者ってタイプかな。誕生日プレゼントを渡して、仲良くなるきっかけにできたらと思って」
ああなるほど。私じゃなくて、同じクラスの子に誕生日プレゼントを渡したかったのね。危ない危ない。「えっ、誕生日プレゼントって、私のために?」と変に浮かれた様子を見せて、「いや、お前のためじゃないから」なんて言い返されたりしたら、恥ずかしさのあまり今夜は布団を頭からかぶって、朝までずっと足をジタバタさせてしまったかもしれない。
まあそれはさておき、プレゼントで気を引こうなんて、ずいぶん古典的な手段じゃない。
「……たとえば、どんなものをプレゼントしようと思ってるの?」
「おしゃれなマグカップとか、キーホルダーなんてどうかな? カップなら毎日使えると思うし、キーホルダーだったらカバンにつけてもらったり――」
うわあ最悪だ。クラスで人気の女の子に、誕生日プレゼントと言ってマグカップを差し出す佐竹。その姿を想像しただけで、もういたたまれない気持ちが込み上げてくる。
私は佐竹と一緒のクラスになったことがないから、ハッキリと彼の普段の教室内での様子を知っているわけじゃない。だけど、だいたい想像はつく。
あまり(いや、多分まったく)話したこともない地味な同級生が、「〇〇さん、誕生日おめでとう」なんて言っていきなりプレゼントを差し出してきたら、恋愛ゲームだったら「ありがとう、覚えててくれたんだ♪」なんて言って、好感度アップ。もしかしたら、ほんのり顔を赤らめたりするかもしれないけど、現実はせいぜい「ありがとー」と軽く受け取られるか、「……はぁ?」と冷たくあしらわれて、気まずい空気が流れるのがオチだ。
私だったら、せっかく佐竹が選んでくれたんだし、マグカップは部室に置いて、部活中の飲み物を入れるのに使うかもしれない。キーホルダーだったら、大きさにもよるとは思うけど、通学カバンの端っこにぶら下げてあげるかもしれない。まあほら、せっかくの誕生日プレゼントだし、捨てるのももったいないしね。
それはさておき、佐竹がクラス内で氷結地獄みたいな空気にさらされるのは、私には直接関係ないといえばないんだけど、同じ部の仲間としては、やっぱりかわいそうだと思う。だから私は、駅前の商店街にいくつかある洋菓子店の中でも、ちょっといいお店の名前を挙げた。この町で生まれ育った子供なら、誕生日にその店のケーキを買ってもらうことがすごくうれしい、自分が特別な存在なんだって確信できるような店。もちろん、アンリなんとかとか、ピエールなんとかなんていう世界的高級ブランドのパティスリーに比べたらずっと地味なんだけど。
でも正直に言って、なんだか面白くない。非モテ界隈で同志だと思っていた佐竹が、リア充方向へ一歩踏み出そうとするのも面白くないし、その相手が同じクラスの人気者(というぐらいなんだから、きっと私なんかよりずっとかわいい子なんだろう)だというのも面白くない。あーもうモヤモヤする。
しかし、そんな私のモヤモヤを無視して佐竹はとんでもない追い打ちを放ってきた。
「男女が手をつなぐ時って、どんな流れが自然だと思う?」
「はあ!?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまう。ちょっと待て。誕生日プレゼントを渡すのはまあいいとして、そこから一気に手をつなぐ関係にまで進展するって、どんな状況だ。え、何それ。ちょっと理解が追いつかないんだけど。
「たとえばほら、一緒に出かけて、信号待ちのときに何げなくスッと手をつなぐとか。荷物を持っているときに手を差し出すとか……」
佐竹は無自覚に言ってるのかもしれないが、そんなシチュエーション、私との間にこれまで何十回あったと思ってるんだ。いや別に佐竹と手をつなぎたいっていうわけじゃないけど、普段、そんなそぶりも見せない佐竹に「何げなくスッと手をつなぐ」なんて恋愛上級者のスキルが使えるわけがないだろう。いや、知らんけど。知らんけど!
でも、なんか腹が立つから、
「……まあ、それで言うなら、寒い日に手を包み込むようにつないでくれたり、恋人つなぎしたまま、コートのポケットに手を入れさせてくれたりしたらキュンとするかも」
と、言い返してやった。これ、しばらく前にプレイした恋愛ゲームで、主人公の女の子と攻略対象の男の子の間に発生したイベント。初見時、私は「キュンを超えてズドン」とか「キュンを超えてドカン」とでも言いたくなるような感情爆発に直面し、リアルに心臓のあたりを押さえて「ふぬぐぅ……」といううめきを漏らしてしまったシチュエーションだ。もし実際にそんな事態に遭遇してしまったら……、いや、やめておこう。あまりにあり得なさ過ぎて、考えるのがむなしくなる。ま、佐竹には逆立ちしたって真似できないでしょ。
「それはもしかして、自分の経験から?」
……この鈍感坊やは何てことを言いやがるんだ。私がリアルで男子と手をつないだのなんて、幼稚園のころか、小学校の入学式が最後だっての。いますぐこの鈍感無神経男を黙らせたい。ああ神様、私の寿命1年と引き換えに、ほんの1秒でいいから私の目にメドゥーサの魔力を付与してください。この目の前の男を石にさせてください。そんな思いを込めてにらみつけてやった。
もういい。お前なんか、氷結地獄に落ちてしまえ。私は軽くため息をついて言った。
「どう考えても、告白が先でしょ。プレゼント渡して友達になったからって、いきなり手をつなぐとかあり得ないし」
フンだ。ほとんど話したこともないクラスの人気者に、いきなり誕生日プレゼントを渡して告白して当たって砕けてしまえ。砕け散った後の破片ぐらいは拾ってやるかもしれないけど、クラス内でどうしようもないくらいいたたまれない空気になったって、もう知らないから。
そんな私の言葉に、佐竹はやたらと晴れ晴れした顔で、
「ありがとう。参考にしてみるよ。じゃあね」
えっ、参考にするの!? 本気で!? って、部室に来たばっかりなのに、もう帰っちゃうの!? ああもう、何が何だか分かんないんだけど!!
一人きりになった部室。私は持っていた本を乱暴に閉じて、八つ当たりすることしかできなかった。
で、帰宅してからもずっとイライラしてたわけなんだけど。
そもそも佐竹が誰を好きになろうと、私には関係のない話だ。それなのに、どうしてこんなにモヤモヤしてるんだろう。冷静に考えると、ずいぶんおかしな話だ。
え、まさか嫉妬? いやいやないない、それはない。嫉妬というのはそもそも「自分の愛する者の愛情が、他者に向けられることを恨んだり、憎んだりする」感情だよ。この「自分の愛する者」っていう大前提の部分が、完全に不成立だからね、うん。数学で言うなら、前提条件がまったく整っていないおかげで証明のしようがないのと一緒だよ。
だけど、さっきからずっと、佐竹と顔も知らない女の子が手をつないで楽しそうに話をしている映像が脳内をチラチラして、感情が処理しきれずに「あーもう!」「あーもう!」とつぶやいてしまう。
そんな矢先、スマホが「ピロリン♪」と鳴ってメッセージの着信を告げた。発信者は……「佐竹」!?
「サトミが好きそうな話を書いてみた。明日、部室で渡そうかと思ったけど、これを自分の目の前で読まれるのは恥ずかしすぎるから、ファイルで送ることにした」
そんなメッセージと合わせて、文書ファイルが送られてきた。
ファイルを開く。これは、恋愛小説!?
地味な主人公に、やたらと親しげな態度で接してくるヒロイン。いわゆる「グイグイ系ヒロイン」だね。この手の作品は、どうして彼女がこんな冴えない主人公に好意を寄せるのか、そこをきちんと掘り下げておかないと、男子にとって都合いいだけの展開になっちゃうから要注意なんだけど……って、彼女に誕生日プレゼント? ケーキ屋さんのマカロンセットって、今日、佐竹が話してたのは、もしかしてこれのことだったの!?
相変わらず、佐竹流のこまやかな心理描写で、主人公の気持ちの動きが描かれてる。そのおかげで、主人公がただ振り回されてるわけじゃなくて、ヒロインや同級生のことを気づかって積極的に行動する「いい奴」だってことが分かる。今後の展開次第ではあると思うけど、これなら、ヒロインがグイグイいっても許されるかもしれない。
……で、主人公とヒロインが一緒に買い物に出かけて、「重たいよね。ボクが持つよ」なんて言いながらヒロインの荷物を持つと、ヒロインが「ありがとう」と言って、主人公の手に自分の手を重ねるようにつないで、二人で一つの荷物を持つ。
うーん……。多少、都合のいいところはあると思うけど、素人が初めて書いた恋愛小説なら、十分に合格点なんじゃないだろうか。
どうせなら佐竹も、この主人公の爪の垢を煎じて飲めばいいのに。
というか、これだけ丁寧に主人公の心理描写ができるんだったら、自分の台詞ももう少し丁寧に言えよ!「(主人公が)あんまり話したことのない同級生」って、主語を省くな! おかげで今日一日、ずっとモヤモヤし続けちゃったじゃないか! あーもう!
ゴホン。……うん、まあなんだ。いろいろ考えちゃったけど、これは感想であって、まだ嫉妬じゃない。そういうことにしておこう。
で、そうそう、感想だ。とりあえず返信しとかないと。
あー、なんか気持ちの整理がつかなくてメッセージがまとまらない。どうしよう。書いては消し、消しては書いてを繰り返して、10分ぐらい悩んだ結果、
「初めて書いたにしては、上出来かな。面白かった」
で送信。我ながらそっけない感想だな。さすがにちょっと雑すぎるかな。
「今日はちょっと疲れてるから、もう寝るね」
「また明日、きちんと感想言うから」
「おやすみ」
と、立て続けに送ってスマホを置いてから、ふと気づいた。
これまで私、佐竹とメッセージのやり取りするのは部活の連絡とか作品の送受信ぐらいで、「おはよう」とか「おやすみ」なんて一度も送ったことがなかった。なんてこった、これじゃあまるでリア充カップルみたいじゃないか。
「ああああああ……」
送信を取り消そうとした瞬間、メッセージの横に「既読」の文字が現れる。しまった、もう手遅れだ。
「あ」
「うん」
「おやすみ」
たったそれだけの返信なんだけど、スマホ越しに佐竹の顔が浮かんで見えて、妙に体が熱くなった。
ああもう、今日はもうダメだ。このままさっさと寝てしまおう。私はスマホをサイレントモードにすると、頭まですっぽり布団をかぶったのだった。
「ちゃっす」
いつものように部室のドアを開けると、ボクはあいさつをする。文芸部の部室には誰もいないことも多いが、何て言うか、部室に入るときのあいさつは、部活を始めるうえでのけじめみたいなものだった。
「ちゃっす」
だから、あいさつが返ってきたときは、ちょっとうれしい。自分一人で黙々と本を読むだけの時間を送るよりも、「部活を始める感」が強まる気がするからだ。
「早いね」
「まあね」
問いかけとも言えないようなボクの言葉に、サトミは本に視点を固定したまま答える。これはまあ、いつものことで、多少愛想がないとは思うけれど、別に機嫌が悪いってわけじゃないし、気にしない。そもそも愛想の無さで言えば、ボクだって似たようなものだ。だけど、今日に限って言えば、彼女が部室に出てくれていたのがありがたかった。
「ちょうど良かった。ちょっと相談したいことがあったんだ」
「……何?」
「女子ってさ、誕生日プレゼントにどんなものをもらったらうれしいと思う?」
いま書いている恋愛ものの1シーン。主人公が、思いを寄せる同級生の女子に誕生日プレゼントを渡して、それをきっかけに親密さを深めていくという場面で、ボクは完全に行き詰まっていた。生まれてこのかた母親以外の異性にプレゼントをしたことのないボクにとって、どんなものを贈れば女子が喜ぶのか、まったく想像もつかない。恋愛ゲームなら、相手の好みに応じて「花束」とか「新作ゲーム」なんて選択肢を選べるけれど、現実にはそんな選択肢は表示されない。それに、花束なんて学校に持ってくるわけにいかない。結果として、一番身近な異性であるサトミに相談するしかない、ということで、今日は部室にやってきたのだった。
「それは……、相手との関係とか、好みとか、条件によって全然違ってくると思うんだけど。プレゼントを渡す相手はどんな人?」
「(主人公が)あんまり話したことのない同級生なんだけど、まあいわゆる陽キャっていうか、クラスの人気者ってタイプかな。誕生日プレゼントを渡して、仲良くなるきっかけにできたらと思って」
サトミの顔が、ほんの少し険しくなった。眉間に軽くしわを寄せて、考え込んでいる。そんなに難しいことを聞いちゃったかな。
「……たとえば、どんなものをプレゼントしようと思ってるの?」
「それが全然思いつかないから困ってるんだよ」
「ちょっとした思いつきでも何でもいいから、言ってみてよ」
「おしゃれなマグカップとか、キーホルダーなんてどうかな? カップなら毎日使えると思うし、キーホルダーだったらカバンにつけてもらったり――」
「ちょっと待って。彼氏からのプレゼントならアリだけど、よっぽど自分の好みのストライクゾーンど真ん中に突き刺さるものでもない限り、あんまり話したことのない男子から渡されたカップを毎日使うっていうのはあり得ないかな。キーホルダーも『旅行のお土産かな』って思って、引き出しに放り込んで終わりだと思う」
うわあ辛辣。だけど確かに、言われてみればそうかもしれない。って、もしかしてこれ、サトミ自身の体験なんだろうか。誰かから、全然好みじゃないプレゼントを手渡されたことがあるとか。まあ別にサトミが誰からプレゼントを受け取っていても、ボクには関係のないことなんだけど。関係のないことなんだけど。――なんだけど、でも、ちょっと微妙にモヤッとする。
「まあ私だったら、無難に小さなお菓子の詰め合わせとかがうれしいかな。もちろん、コンビニですぐ買えるような普段使いのものは論外。でも『いかにもアナタのために無理して買いました!』みたいな高級ブランドだと退く」
そう言ってサトミは駅前の商店街に昔からある洋菓子店の名前を出して、
「その店の焼き菓子のセットとか、マカロンなんかいいんじゃないの?」
おおお、なるほど……。非常にこれは説得力のある答えだ。わざわざ遠くのショッピングモールまで出かけてブランド品を買うっていうのは、確かにまだそんなに親しくない相手に対するプレゼントとしては重たすぎる。だから、作品の中でそういう店を出しておいて、そこで主人公がプレゼントを買う、という流れにすればいいのか。よし、これで一つ目の難関はクリアできた。
「ありがとう。じゃあさ、もう一つ聞きたいんだけど」
「……何?」
「男女が手をつなぐ時って、どんな流れが自然だと思う?」
これも、ボクにとって大きな難関だった。サトミとは何度も一緒に出かけているけど、手をつなぐどころか、指先に触れたことさえほとんどない。別にサトミと手をつなぎたいってわけじゃなくて、世界中のカップルたちは、いったいいつ、どんなきっかけで、手をつなぎ始めるのは、ボクには見当もつかなかったのだ。
「はあ!?」
サトミが素っ頓狂な声を出す。何に驚いてるんだ。男女が手をつなぐきっかけについて、ボクが話題に出すことがそんなに意外だっていうのか、失礼な。ボクだって、サトミが好きそうな恋愛小説ぐらい書くんだぞ。いや、書こうとしてるんだぞ。似合わないのは分かってるけど。そのおかげでドン詰まりの壁にブチ当たってこうして悩み苦しんでいるんだけど。それはもう、どうしようもないぐらい自業自得なんだけど。
「たとえばほら、一緒に出かけて、信号待ちのときに何げなくスッと手をつなぐとか。荷物を持っているときに手を差し出すとか……」
どっちも、恋愛ゲームの主人公がやってたことで、ボクには逆立ちしたって真似できないことなんだけど。
「……まあ、それで言うなら、寒い日に手を包み込むようにつないでくれたり、恋人つなぎしたまま、コートのポケットに手を入れさせてくれたりしたらキュンとするかも」
うわあ、なんだその恋愛上級者なシチュエーション。「恋人つなぎした手をコートのポケットに入れる」なんて、ボクには想像もつかないぞ。
「それはもしかして、自分の経験から?」
と尋ねたら、ものすごい目でにらまれた。怖い。これが「殺意の波動」ってヤツか。この視線だけで、2、3回ぐらいボクの息の根は止められてしまいそうな気がする。だけど、仕方がないじゃないか。こんな相談をできるのは、サトミしかいないんだから。
そう、これは相談であって、まだそれ以上じゃない。
ボクにとってサトミは、一番身近な異性ってだけじゃなくて、創作の相談とか感想とか、ある程度踏み込んだところまで話すことができて、きちんと答えを返してくれる、信頼できる仲間なんだ。だから、創作に行き詰まったとき、いつも相談する。頼りにしてる。
だから、そんなににらまないでほしい。
しばらく、気まずすぎる沈黙が流れ続けた後で、サトミは軽くため息をつくと、ボソッとつぶやいた。
「どう考えても、告白が先でしょ。プレゼント渡して友達になったからって、いきなり手をつなぐとかあり得ないし」
うん、まあそれはその通りだよね。だけど、そのあたりはストーリーの展開次第で、読者が納得できるようにもっていけばいいと思う。さすがにボクだって、誕生日プレゼントを渡した主人公が、いきなりヒロインと自然に手をつなぐような超展開があり得ないことぐらい分かってるから。
ボクはうんうん、とうなずくと、
「ありがとう。参考にしてみるよ」
まだ完全にストーリーの展開が決まったわけじゃないけれど、少なくとも、方向性は見えた気がする。よっし、今日はちょっと早めに帰って続きを書こう。ボクはついさっき置いたばかりのカバンを持ち上げ、「じゃあね」と言い残してさっさと部室を出た。
明日には新作を見せられるかな。今日のサトミは、いつもに比べると妙に不機嫌だった気がするけど、どこか具合でも悪かったんだろうか。明日は元気になってくれてたらいいんだけど。
そんなボクの背後で、バシンと乱暴に本を閉じる音が響いた。
「ちゃーっす」
私は聞こえるか聞こえないかぐらいの声であいさつをしながら、部室のドアを開けた。これは別に、大声禁止のルールがあるわけじゃなくて、地声が小さいだけなんだけど。
「ちゃっす」
ボソッとあいさつが返ってくる。佐竹だった。
部室にいるのは彼1人。いちおう、文芸部には全部で5人くらいの部員がいるはずなのだが、コミケやイベントに参加するときしか出てこない幽霊部員や、そもそも不登校で、学校そのものをずっと休んでいる人もいて、まともに出席してるのは私と佐竹ぐらいのものだった。
また二人きりか。そう思うと、複雑な気持ちになる。
別に私と佐竹は、付き合っているわけではない。ただ学年が一緒で、部活が一緒というだけだ。
たまに放課後、一緒に古本屋巡りをして、ファミレスでドリンクバーのジュースを飲みながらお互いの買った本についての意見交換をすることもある。それは赤の他人が見れば「制服デート」と言いたくなるようなイベントなのかもしれないけれど、当事者である私たちにしてみれば、そんな甘酸っぱい感情はカケラほども割り込んでおらず、ただ淡々と部活の一環で出かけているだけ。一緒に歩いていても手をつなぐなんてことはないし、そもそもそんな距離まで近づくことがない。
だからといって、佐竹のことが嫌いってわけじゃない。好きな本のジャンルは全然違うけれど、私の話をきちんと聞いたうえで自分の考えを述べてくれるし、創作の方向性にも「佐竹流」とでも言うような、なんとも言えない独自性がある。彼の書いた一人称視点の文章は、主人公の内省がきめ細やかで、「こんなことまで考えちゃうの!?」って思うことが少なくなくて、私には書けない文章を書く人だなあと、その点は素直に尊敬している。
ただまあ、それはあくまで同じ部の仲間としての尊敬であってそれ以上ではなく、ゲームで私たちのステータスを表示するなら、「部活の仲間」か、せいぜい「友達」ぐらいのものだろうと思う。
そんな私たちだが、最初からずっと二人で部活をやっていたわけではない。
1年のころは何人かの先輩がいて、年に何回かのことではあったけれど、いろんなテーマに基づいて本を読んで感想を語り合ったり、みんなで創作発表をしたりして、それなりに部活らしい雰囲気があった。だけど、その中心になっていた3年の先輩たちがみんな卒業してしまい、1人だけいた2年の先輩は2学期の途中から不登校になってしまった。結果、私たち1年生が進級して2年になり、新入部員として1年生が入ってきてくれたけれど、みんな部室に来たり来なかったりで、私と佐竹だけが二人で細々と部活を続けている、というわけなのだ。
私たちのどちらかにもう少し行動力があったら、何か新しい活動を考えて、始めることができたかもしれない。私たちのどちらかがもう少し不真面目だったら、部活抜きで二人で遊びにいったりしたかもしれない。だけど現実は、そんな青春系恋愛ゲームやラブコメみたいな展開にはならず、地味で真面目な二人は淡々と部室に足を運び、本を読んで、たまに古本屋巡りをする、代わり映えのない毎日を繰り返すだけなのだった。
読んでいる本は、いつもだいたい決まっている。私は恋愛系のラノベ。佐竹はやたらと分厚い、海外作家のスパイ小説。
だからこの前、古本屋巡りをしたとき、佐竹が恋愛小説を買っていたのは正直、驚きだった。
「へー、コイツもこんな本読むんだ」
と思った。
だけど、後になってその本を選んだ理由が、
「サトミがこういう本好きだって言ってたから」
って、なんだよそれ! もう! 不意打ちでそういうこと言って許されるのは乙女ゲームに出てくるキャラぐらいのもので、リアルで口にするものじゃないっての!
こういうとき、ゲームのヒロインだったら、ちょっと顔を赤くして、
「……覚えててくれたんだ。うれしい」
なんて言ったりするんだろうけど、現実の私は「あ、そ」ぐらいしか言い返せなくて。びっくりしたのを隠そうとして、無理やりジュースを飲み干してお代わりを注ぎにいくぐらいしかできなくて。
ああもう、心臓に悪い。たとえ相手がチビで地味な部活仲間でも、「乙女ゲームに出てくる、リアルで言われてみたい台詞ランキング」に入ってくるような台詞をしれっと言われたら、やっぱりドキッとしてしまう。
いやいやいやいや、ドキッとしてしまうってのは、そういう台詞を言われたからであってですね。別に佐竹に対してドキッとしたわけではないわけですよ。……と、脳内の誰かに対して言い訳をしておく。
さて、そんな私は現在、原稿用紙に向かって頭を抱えている。
新作の執筆にチャレンジしてみようと思ったものの、びっくりするほど筆が進まないのだ。
佐竹が新作を恋愛系にしてみようと話していたから、じゃあ自分は佐竹の好きそうなスパイアクションにチャレンジしてみようと思ったのだ。
だけど、これが全然、まったく、完璧に、書けない。
そもそも普段、まったく読んだことのないジャンルの作品なのだ。佐竹が好きなロバート・ラドラムやフレデリック・フォーサイスの作品を何冊か、頑張って読んではみたものの、私はこれを一体、どうしたらいいのだろう。
いやまあ確かに、面白いことは面白かったと思う。私が普段愛読している作品のような「トゥンク」も「てぇてぇ」もないけれど、なんていうか、ハリウッドのアクション映画を見てるみたいな面白さだった。
だけど、そこからが問題だった。まず、ラドラムもフォーサイスも、スケールが大きすぎて、とてもじゃないけど真似できない。どこからどう手をつけたらいいのか分からない。アクション映画を見た後でビデオカメラを渡されて、「じゃ、これで映画を撮ろう」って言われて、いきなり映画が撮れますか!?って話だよ。
というわけで、机に向かって1時間が経過した今も原稿用紙は真っ白なまま、私は一人、悩み続けているのだった。
「そういえば……」
佐竹が前に、話していたことがあったっけ。
「物語を作るときに、図を書くんだ」
って。
図と言っても、イラストやマンガを書くわけじゃない。たとえば登場人物の一人や、物語の1シーンなど、思い浮かんだものを真っ白な紙に書いて丸で囲み、そこから棒線を引っ張って関連する物事を記入する。
「主人公」→「言わせたい台詞」→「どういう状況で」→「関連するイベント」といった具合で、細胞分裂するアメーバとか、好き勝手に枝を伸ばす木のように図を描き、断片的な情報を書き込んでいく。そうすることで考えが整理され、「この場面とこの場面をつなげば、この展開に持っていける」というアイデアが浮かんでくるというのだ。
「やってみるかな……」
このまま何も思い浮かばず、真っ白な原稿用紙をにらんでうなり続けるぐらいなら、佐竹の言ってた方法でも試してみるほうがずっといい。
「主人公は探偵で……敵対する組織があって……」
思いつくまま、物語の設定を詰め込んでいく。少しずつ物語の輪郭が浮かんできて、パズルのパーツが一つひとつ組み合わさっていくように、展開がつながっていく。そして、全体の構成がちょっとずつ決まっていく。
このゼロから物語を生み出す瞬間が、物書きにとって、一番楽しい瞬間なんじゃないかと思う。
ただ本を読むだけなら、わざわざ文芸部に入らなくても、昼休みや放課後に図書室に入り浸っていればいい。だけど、こうして自分だけの物語を創作をして、誰かにその感想を述べてもらって、最終的に1冊の本にする。それが楽しい。だから私は、二人しか出席しなくても、文芸部をやめられないでいる。
よし。ある程度、話のイメージがまとまってきた。じゃあ書き始めよう。あっ、いきなり字を間違えた。続きの文章は「残雪に反射する太陽」……いや、なんかちょっと違うな。「残雪に照り映える陽の光を」「残雪に照り映える陽光を遮りながら」……うん、これだ。
しばらく夢中で文章を書き、消しゴムで消し、書き直すことを繰り返していたら、ふと、書き間違えた文字を塗りつぶした跡が目に入った。特に深い意味もなくグシャッと塗りつぶしただけなのに、なんだかハートマークのように見える。
ヤバい、これまで何も意識してなかったのに、「ハートマークを散りばめた手書き原稿」なんて考え出したら、突然、気になってきた。私の文字で埋め尽くした原稿用紙に佐竹が触れるなんて、なんだか紙面越しに、間接的に手をつないでるみたいじゃない?
って、いやいやいやいや、それはちょっと考えすぎ。原稿用紙なんてただの無機物であって、情報伝達のためのツールでしかない。手書き原稿にしたのは、そっちのほうが文筆に携わっている気分に入り込めるから好きっていうだけで、そこまで深い意味はない。あんまりあれこれ考えて、一人で妄想を繰り広げて妙な気分になってしまったら、最終的に恥ずかしすぎて布団に頭を突っ込み、足をジタバタさせるのがオチだ。
これは創作であって、まだ告白じゃない。
たまたまハートに見える塗りつぶし跡があるから何だって言うんだ。そんな恥ずかしいラブコメ展開はゲームや漫画の世界に任せておけばいい。今はただ、産声を上げそうな目の前の物語の第1話を書き上げることだけに集中すればいい。
そして、書き上がったらこう言って渡してやるんだ。
「佐竹が好きそうな話を書いてみた」
別に、「佐竹が好き」とは言ってない。「佐竹のために」とも言ってない。
繰り返すけど、これはあくまで創作であって、まだ告白なんかじゃないんだからっ!
「雪解けの街を一人の男が歩いていた。残雪に照り映える陽光を遮りながら、何かを探すようにゆっくりと。雪解け水を踏み続けた靴は、歩くたびにグジュグジュと音を立て、冷え切った男のつま先をさらに冷たくふやかしていた」
一体、この書き出しをボクは何回読み直せばいいのだろう。
答えなんか出るはずのない疑問。だけど、自分でも不思議なくらい、ボクはこの文章から目を離すことができずにいた。
だって、この短い文章だけで、いくつもの情景が想像できるじゃないか。
陽光が残雪を照らしているということは、この話の舞台が冬の終わりの朝だと分かる。靴がグジュグジュと音を立てて、つま先がふやけているということは、男がもう長い時間、歩き続けていることを意味している。彼は何を探しているのか? 彼はどうして、歩き続けているのか? そんな疑問と興味をかき立てるじゃないか。
ボクなら、こうは書けない。
ボクは一人称視点で話を書くことが多くて、まあそれはそれで主人公の内面に自分自身を投影しながら書けるから、結構踏み込んだところまで描写できるという利点はあるんだけど、第三者の視点からの情景描写は苦手。だから、こういう文章を書ける人を尊敬する。
うん。これは「尊敬」なんだ。同じ文芸部で、創作活動をしている仲間に対するリスペクトであって、これを書いたのがサトミだからという点はまったくもって考慮の範疇に入っていない。いや、うん、多少考慮しているところはあるにはあるのだけど、それはまあ、仕方ないというか、何と言うか。
だって、仕方ないじゃないか。
「佐竹が好きそうな話を書いてみた」
なんて言われて、原稿を手渡されてしまったら。
いや、もちろん、ボクの好きなロバート・ラドラムみたいに冒頭から一瞬たりと目が離せないような大事件が立て続けに起こって謎が謎を呼ぶ展開にはほど遠いし、フレデリック・フォーサイスのように舞台となる時代の国際情勢や組織の状況説明を、複数の登場人物の視点で描いているわけでもない。だけど、主人公の探偵が、楽器ケースに隠された麻薬を発見したことから犯罪組織の陰謀に巻き込まれ、謎を解きながら組織との対決を繰り広げるなんて、洋の東西を問わず似たような題材の物語はたくさん存在するかもしれないけれど、いかにも心躍るストーリーじゃないか。
確かに、ラドラムやフォーサイスのような大家の作品とこの原稿は、まさに月とすっぽんだ。だけど、こっちはプロでもなんでもない。ただの、どこにでもいる、一人の地味な女子高生だからね? ほんのちょっと本を読むのが好きで、部活で小説を書いているだけの素人だからね? それを「プロと比べてここはどうだ、こうだ」なんて言うのは、おこがましいってものじゃないか。
そんなわけで、ボクは「とても面白かった」と素直な感想を書いたところで、手が止まってしまったのだった。それには、
「佐竹が好きそうな話を書いてみた」
という彼女のひと言も影響していた。
あ、もちろん、
「佐竹が好き」
という部分だけを都合よく抜き出して拡大解釈してドギマギしているわけじゃない。サトミにそう言われたとき、ちょっとだけドキッとしたのは事実だったけど。でも、あくまでサトミの発言の主語は省略されている「(私が)」であって、述語は「書いてみた」。何を→「話を」、どんな?→「佐竹が好きそうな」という文脈の中で発せられただけの言葉なのだ。
それにサトミは、
「佐竹のために書いてみた」
なんて言ったわけじゃない。あくまでボクが好きそうな話を書いたというだけの話なのだ。勘違いしてはいけない。勘違いしてはいけないのだけれど……。
普段、もっとコミカルでライトな恋愛ものばかり読んでるサトミがこんなハードな話を書いて、しかも冒頭の数行でグッと心をわしづかみにしてくるなんて、想像もつかないじゃないか。ボクのために書いてくれたといっても過言じゃないって思ってしまうじゃないか。
あと、この原稿がいまどき珍しい400字詰め原稿用紙に手書きという、古風なスタイルで手渡されたことも、ボクの心をかき乱していた。
文豪の記念館で見る手書き原稿でも、推敲の跡があちこちに残っていると、そこから作者の迷いや試行錯誤が伝わってくるような気がする。それは、作品が生まれるまでの思考の道筋、作者の「思いの足跡」と言ってもいいような気がする。
消しゴムで消した跡や、誤字をぐしゃっと塗りつぶした跡――どことなくハートマークに似た形なのは、ラブコメ好きの女子高生らしいポイントなのかもしれない――などを見れば、サトミがどこでどんなふうに悩んだのかが伝わってくる。
そうでなくても、手書きの生原稿なのだ。サトミの手がここに触れて、シャーペンで一文字ずつ埋めていったのだ。そう考えたら、なんだかこの原稿用紙を挟んで、間接的にサトミの手に触れてるような気がしちゃうじゃないか。
……とまあ、いろいろ考えてしまって、肝心のストーリーに対する感想、評価のほうが置いてきぼりになってしまっているのだった。
ほかの人が書いた作品への批評の際、一番簡単な方法は、「同じテーマを、自分ならどう書くか」を述べることだ。
だけど「自分には書けない作品」に対して「自分ならどう書くか」を述べるなんていうのは、プロ野球中継を見ながら「自分ならここで代打を送る」とか「ここでピッチャーを交代させるなんて、監督は何を考えてるんだ」なんてボヤくオジサンみたいで、ボクはあんまり好きじゃない。じゃあ、どうすればいいのかというと……、どうすればいいんだろう?
「とても面白かった」という感想を、どうしてそう感じたのか、「面白ポイント」を挙げて解説することはできる。だけど、似たような話がいくつもあるなかで、この話ならではのポイントは? オリジナリティは?「サトミが書いた話」というフィルターを取り払って、純粋に一つの作品としての感想を書こうと思えば思うほど、彼女への思いが足かせのようにボクの心を絡めとってしまうのだった。
好き、なのか?
ボクは、サトミのことを?
いやいやいやいや、一緒の部活だし、話も合うしね? だからまあちょっと意識はするけれど、それはあくまでリスペクトする仲間としてだしね?
彼女の書いた文章を何度も何度も読み返して、自分の感想を何度も何度も書き直して。さっきからもう本当に同じことを繰り返し続けているように思うけれど、これは推敲であって、まだ好きじゃない。
原稿用紙の上に散りばめられたいくつものハートマークみたいな塗りつぶし跡を見ながら、ボク自身もひたすら見つからない答えを探し続けるのだった。
本作はChatGPTの提供するお題に基づいて執筆したものです。
本作のお題は「雪解け、探偵、楽器」でした。
高校の文芸部といえば、数人の部員が部室や図書室に引きこもって本ばかり読んでいるだけの地味なクラブと思われるかもしれない。
まあ、おおむねそれは事実だと言って間違いないと、ボク自身も思う。放課後になると、自分の読みたい本を持参して部室で黙々と読書にふける。時間になったら帰宅する。ほぼ毎日、それだけを繰り返しているからだ。
よその学校では読書なんてそっちのけで、仲のいい部員同士が毎日お菓子を持ち寄り、キャッキャウフフとおしゃべりを楽しむような、ゆるふわ日常系マンガそのままの文芸部もあるらしい。しかし、ボクの学校の文芸部は代々、「人とかかわるよりも本を読んでいるほうが楽」という、言うなれば人とのコミュニケーションに若干(?)の難を抱えた人ばかりが集まってきた部で、部活中の雑談なんてもってのほかだった。
しかし、いつもいつもインドア活動ばかりしているわけではない。
たとえば文豪や著名な作家の記念館を訪ねて直筆の原稿や、作家が資料として集めた蔵書を見学するのも立派な活動の一つだし、同人誌を作ってコミケに参加する(書籍化できるだけの原稿を用意でき、さらに抽選に受かればの話だけど)のは一年の活動の集大成となる大イベントだ。
そこまで大きなものでなくても、たとえば今日みたいに町の古本屋を訪ねて、決められた予算で本を購入するというのも、文芸部の活動の一つなのだ。
わざわざ本を買わなくても、学校の図書室や自治体の図書館を利用すればいいと思うかもしれない。しかし残念ながら、そういった施設に置いてある本が、必ずしもボクたちのニーズに応えるものとは限らない。
何しろ日本国内では年間約7万点の書籍が刊行されている。1日当たりおよそ200冊だ。そのなかには、雑誌や自費出版(個人的にごくわずかな部数を作り、頒布する私家版の単行本は除く)も含まれるのだけれど、とにかく毎日、たくさんの本が生み出され、そして消えていく。そのなかには、それなりに売れ行きがよく、重版される本もあるのだけど、たいていの本は初版を売り切ったらそのまま絶版となり、消えていく。映画やアニメ化されるようなごく一部の話題作を除くと、そこそこ有名な賞を取った本でも、数年後には本屋の店頭で見つけることは難しくなり、十年もすればネット通販でさえ「在庫切れ」となってしまうことが珍しくない。
学校の図書室や町の図書館だって、限られた予算の中でどんな本を購入するか検討し、自分たちの方針に沿った本だけを収集するのだ。国内で流通する書籍の数からしたら、圧倒的に「買わない本」のほうが多いと言わざるを得ない。
そんなわけで、図書室に入っていない本、特に絶版になった本を手に入れたければ古本屋巡りをするしかない。もちろん、お目当ての本が見つかる保証なんてどこにもないわけで、母親を探してアルゼンチンへ、三千里を旅するマルコほどではないけれど、「本をたずねて何店舗」の旅をすることも珍しくはなかった。
まあ、ここまで長々とボクの部活動について説明してきたことには、それなりの理由があって。
実はボクは一人で古本屋巡りをしているのではない。すぐ隣には、同じ高校の制服を着た女子、サトミがいる。彼女は同じ学年、同じ部活。決して仲が悪いわけではないけれど、友達以上の関係ではなく。手をつなごうと思えばつなげないこともない、だけど実際に手をつなぐことは決してないし、ましてや肩が触れ合うような距離まで近づくことさえあり得ないという、絶妙な距離感を保った関係。つまりこれはボクたちにとってあくまで部活の一環で一緒に出かけているわけで、決して放課後の制服デートなどという甘美な関係ではない、ということを言いたかったのだ。
「文芸部の女子」といえば昔から「眼鏡をかけて、三つ編みのお下げ髪の美人」が定番だが、そんなのは二次元の世界にしかいない。現実の文芸部にやってくるのは、ボクの隣のサトミのような、ちょっと伸びてボサボサしてるおかっぱヘア、頬っぺたにはポツポツとニキビ跡が残る地味子ぐらいのものだ。
まあ、容姿に関して言えば、ボクだって人のことは言えない。身長は170センチに届かないチビだし、顔も冴えない。まあ、地味な二人が地味に連れ立って地味に古本屋巡りをしているってわけ。
サトミへの気持ち? 恋愛感情? それはない、と力強く断言することはできない。
いちおう、ボクにも好きな人はいる。某ゲームに登場する病弱な先輩で、肺結核のために早逝した明治の俳人の名前がモチーフになっている。ビジュアルも可愛いのだけど、それ以上に、はかなげな雰囲気が「この人を守ってあげないと」という気にさせるのだ。
とはいえ、二次元の世界の女の子にどれだけ恋をしたところで、現実には指一本触れることさえできない。そんなわけで、現実的かつ身近な異性として意識せざるを得ないのが、サトミなのだった。
部活の一環とはいえ、こうして二人きりで出かけたり、たまには好きな作家の作品について話し合ったりもする。そんな女子はほかにいない。一緒にいて楽しいと思える、たった一人の異性だった。
何軒かの店を回りお目当ての本を手に入れたボクたちは、ファミリーレストランに入り、ドリンクバーを注文した。ジュースを飲みながらお互いに購入した本をチェックするのも、いつものことだった。
この日、ボクが買ったのは15年から20年ぐらい前に流行した恋愛小説だった。男性作家の作品もあれば、女性作家のものもある。
「……佐竹がそんな本ばかり買うのは珍しいね」
ボクの手元のラインナップを見たサトミがボソッと感想をつぶやく。確かに、普段はフレデリック・フォーサイスやロバート・ラドラムといったハードなスパイ小説ばかり読んでいるボクが、普段なら絶対に手に取らない本ばかり選んでいる。
「今度のコミケに向けて、作品の参考になるかと思って。あと、前回の買い出しのときに、サトミがこういうの好きだって言ってたから、試しに読んでみようかなって」
「あ、そ」
サトミはぶっきらぼうにうなずくと手元のジュースを飲み干し、「お代わり取ってくる」と席を立った。おかっぱ頭の隙間からチラッと見えた耳が妙に赤くなっていたような気がしたけれど、まあ見間違いか、気のせいだろう。
ボクは手元の本を1冊、適当に取り上げて読み始めた。
冒頭、主人公の女子高生が携帯電話でメールを受信する場面から、物語が始まる。お気に入りの流行曲を着信メロディに設定しているとか、ゆるキャラのストラップを携帯にぶら下げているとか、メールを読み終わった主人公が「パタンと音を立てて携帯を閉じる」、なんていう描写がすでに時代がかっていて、どうしようもないほどの古臭さを感じた。
こういうところが、本の面白いところだとボクは思う。本は、その時代の空気を閉じ込めた一種のタイムカプセルのようなものなのだ。この主人公が生きていた平成の中ごろといえば、ボクたちにとっては生まれるよりもちょっと前の時代で、「ケータイ」といえばそれは二つ折りの携帯電話を意味した。ゆるキャラブームが始まったのもこのころだ。「最新式のケータイを使い、人気のゆるキャラのストラップをぶら下げている」という冒頭の場面だけで、当時の人たちなら主人公がどんな人物か推測できる仕組みになっているわけだ。
物語自体はよくある恋愛もので、主人公と同級生の男子がドタバタコメディを繰り広げながらも一緒に学校のイベントに取り組んだり、すれ違ったりしながら交流を深め、最終的に結ばれると思いきや、途中からもう一人のイケメンが二人の間に割り込んできて……と、テンポよく進んでいく。
「……面白い?」
向かいの席から尋ねられ、ボクは初めてサトミをほったらかしにして本を読みふけっていたことに気づいた。
「あ、うん、わりとね」
「あ、そ」
「サトミはどんな本を買ったの?」
彼女の持っていた本の表紙には、数人の男女が民族衣装や軍服、甲冑などを身につけてポーズを取っている。タイトルは……『仮装衣装デラックス――型紙つき製作ブック』?
「コスプレの衣装を作るためのテキスト。型紙の種類が豊富で人気だったけど、もう販売終了しててね。似たような本はもちろんあるけど、この本が美品で見つかることは滅多にないんだ」
「コスプレ、するの?」
「来年のコミケ出るんだったら、せっかくだしチャレンジしてみてもいいかなって」
「ふ、ふーん……」
女性のコスプレといえば、どうしても格闘ゲームやRPGの女性キャラのような、露出の多いものをイメージしてしまう。サトミがそんな衣装を着るところを見てみたいと思う反面、そんな姿の彼女が衆人環視の場に晒されるのは、何となく面白くない気がした。
「いや、佐竹が考えてるような服着るわけないでしょ。作るとしたらこういうのだよ」
彼女が開いて見せたのは、中世ヨーロッパの魔法使いが着ているようなケープマントのページだった。これなら肌の露出はほとんどないから安心だ……って、ちょっと待った。
「ボクがどんな服のことを考えてたって言うんだ」
「どうせ格ゲーのバトルスーツかRPGのビキニアーマーみたいなものを考えてたんでしょ。ほら、こういうの」
と、彼女が開いたページに描かれていた衣装のイラストが、まさにボクの想像ドンピシャリのもので、思わずのけぞってしまう。
「……スケベ」
反論できない。
多分、いや間違いなく、いま、ボクの顔は耳まで真っ赤になっている。
「……お代わり取ってくる」
ボクはぶっきらぼうに言うと、グラスを持って席を立った。
熱くなった顔が少しでも冷えるようにと、グラスいっぱいに氷を入れてジュースを注ぐ。オレンジの液体が氷の隙間を一瞬で埋めて、ふちからあふれそうになる。
こんなんじゃ、とてもじゃないけどフォーサイスやラドラムの作品世界じゃ生きていけないだろうな。せいぜいケータイにゆるキャラをぶら下げたヒロインが出てくる学園ラブコメで、主人公に翻弄されるその他大勢の一人がいいところだ、なんて思って苦笑する。
席に戻ろうとしたとき、サトミが真剣な表情でさっきの本を読んでいるのが見えた。開いているページは……ビキニアーマーのページじゃないか。
何やらブツブツつぶやいている。
「さすがにこれは……でもアイツが見たいって言うなら……」
アイツって誰のことだ、なんて思いつつ、無言でボクが席に戻ると、サトミはビクッと体を震わせて乱暴に本を閉じた。
「おいおい、部費で買ったばかりの本だろ。乱暴に扱うなよ」
「…………っ!」
真っ赤な顔でめっちゃ睨まれた。ついでに、テーブルの下で足を蹴られた。痛い。何すんだ。
「バーカ」
一体ボクが何をしたっていうんだ、チクショー。
痛みをこらえながらグラスを持ち上げようとする。足を蹴られた時の衝撃で、ジュースが少しこぼれていた。
高校生活の3年間って、長いようで短い。
何かをしても、何もしないままでも、気が付けば時間は過ぎ去ってしまって、卒業の日を迎えてしまう。
基本的には、いつもと変わらない日常の繰り返し。でも、このジュースみたいに、ちょっとしたきっかけでグラスのふちからあふれ出してしまうことだってある。ボクとサトミの関係だって、何もしなければこのまま、ジワジワと氷が溶けて薄まっていくだけ。そして卒業してから何年か後、タイムカプセルを開くみたいに自分の作った同人誌を眺めて、「ああ、そういえばこんなことがあったなあ」なんて思い出すぐらいの存在になるのだろう。
だけど、ほんのちょっとのきっかけがあれば、何かを変えることはできるはずだ。
もちろんその変化が、いまの微妙だけど穏やかで安定した関係から、好ましい方向へいくとは限らない。ただでさえコミュニケーションに難のある集団の中で、さらに関係がこじれてしまうなんて、想像するだけでも地獄だ。
「あんなこと言わなきゃよかった」
「あんなことやらなきゃよかった」
そんな後悔にさいなまれ、布団に頭からもぐり込んで足をバタバタさせる、恥の多い人生ばかりを送ってきたボクに。
「変える勇気」を持つことができるのだろうか。
こればかりは、何冊の本を読んでも答えを見つけることはできなかった。
でも、まあとりあえず一歩か、せめて半歩、踏み出してみるぐらいはしてもいいかもしれない。
そう、今日買った恋愛小説を題材にして、次の同人誌のテーマを決めてみるとか。
何なら、同じ題材を使ってそれぞれが執筆してみるのも面白いんじゃないだろうか。
その登場人物に、ケープマントを着た魔法使いが出てくるのも、ありなんじゃないかと思う。
本作はChatGPTの出したお題に基づいて執筆したものです。
本作のお題は「古本屋、タイムカプセル、コスプレ」でした。
放課後の部室棟。私は軽音部の部室で、窓際に置きっぱなしにしているお気に入りの丸椅子に座り、アコースティックギターをテキトーに弾き続けていた。いくつもの旋律の中から自分の求めている音を探し出し、メロディを組み立てていく。作曲は人によっていろんなスタイルがあると思うけれど、私はこのやり方が一番、自分に合っていると思っていた。
傾き始めた秋の太陽光が窓から差し込み、背中がポカポカと温かい。ちょっと前まで猛烈な残暑で、日焼けと戦っていたのが嘘のようだ。
「あのさー、『初恋はレモンの味』って言われて、どう思う?」
不意に佐倉が尋ねてくる。佐倉はさっきから部室の真ん中に置いてある机にノートを広げ、頭を抱えてうなり声を上げ続けていた。
私は弾いていたアコースティックギターの弦を手のひらで押さえつけて音を消した。
「……よくあるフレーズなんじゃない? 甘酸っぱいとか、サワヤカとか、そんなイメージなんじゃないの?」
「そう、ソレなのよ!」
私の返事に、佐倉は手に持ったシャーペンを私のほうにグイ!と突き出す。
「レモンの香りが、サワヤカなのは分かるのよ。だけどレモンって、どう考えても甘酸っぱくはないでしょ!?」
「あー……、なるほど、うん。まあ、確かに……」
普段、私たちが口にする「レモン」といえば、グミやキャンディなどのお菓子か、レモン果汁を使った炭酸飲料ぐらいだ。だからついつい、レモンといえば「甘酸っぱい」と思ってしまう。だけど、レストランで注文した唐揚げ定食なんかに添えてあるカットレモンをそのまま食べたり、ハンバーガーショップでレモンティーを頼んだ時に出される、ポーション入りのレモン汁をそのまま飲んだりしたら、酸っぱい果汁で舌の付け根がキュッと縮みあがり、口の中が唾液でいっぱいになることは簡単に想像できた。
「酸っぱいつながりだったら梅でも良くない?」
佐倉の発想は、ちょっとぶっ飛んだところがある。
「『初恋は梅の味』なら、かなりオリジナリティーあふれるフレーズになると思うんだけど」
「梅……梅かあ……。うん、まあ何て言うか……オリジナリティーにはあふれてるよね」
とは言ってみたものの、どう考えても、カッコ良くはない。一気に和のテイストが押し寄せてくる。高校生活最後の学園祭で披露するには、ちょっと個性的すぎる曲になってしまいそうだ。
「でも梅の味って、初恋って感じじゃなくない? 古い梅干しみたいにシワシワになっても味わい深い、いくつになっても変わらない、って方向ならイケそうだけど――」
私は思いついたことをそのまま言ってみる。
「あ、でもさ、梅って青梅の状態だと毒があるじゃん? それを砂糖やお酒に漬け込んで、じっくり時間をかけて育てていくことで、梅干しとか梅酒とか梅シロップができるじゃん? 恋もじっくり時間をかけて熟成すれば自分だけの味わいが出てくる、って方向性はどう?」
「あー……なるほど……ねぇ……」
私は曖昧にうなずきながら、窓の外に目をやった。少し離れたところにあるグラウンドでは、サッカー部が練習をしている。一人ひとりの顔をはっきりと判別できるわけではないが、身長や体格、髪型などで、だいたい誰がどこにいるかは分かる。私はしばらくサッカー部のメンバーの動きを目で追いかけ、クラスメイトの一人を見つけだした。
「あ、ツッキーだ。頑張ってるみたいだねー」
「ちょ、なんでいま築山の話が出てくるかなー! ってか、ここで築山の話をするなって言ったのはそっちじゃん!」
「そっか、ツッキーって梅干し大好きなんだっけ。そっかそっか」
顔を赤らめて抗議する佐倉を無視して、私はニヤニヤしながら一人うなずく。
佐倉が築山と付き合い始めたと聞かされたのは、しばらく前のことだった。
何日か立て続けに、付き合い始めたころ特有の浮かれポンチな悩みや、学校帰りの制服デートの話を聞かされ続けた私は、食あたりでも起こしそうな気分になり、「文化祭が終わるまでは、部室で築山の話をするの禁止!」と言い渡したのだった。
築山という男子はちょっと変わったところがある。まず何より、とにかく梅味のものが好きなのだ。昼食用に、毎日必ず梅干し入りの大きなおにぎりを持参しているし、愛用のおやつは小梅のカリカリ漬けか駄菓子の梅ジャムだし、この前の夏休み明けに「家族で沖縄旅行に行ってきたから」と言ってクラスで配っていたのは、「スッパイマン」という沖縄の干し梅のお菓子だった。
かと思うと、佐倉と付き合うよりもずっと前から、私たちがライブをやると言えば、ものすごくうれしそうに「行く行く!」と即答してくれるし、授業中、気分が悪くなった人がいれば、保健委員でもないのに率先して保健室へ連れていって、しかも「おかげでオレも授業サボれたからラッキー」とか、「だから、気分悪くなったりしたら、またいつでも言ってよ」なんてフザけたことを言ってこっちの気を軽くしてくれる心配りがあるし、この前の掃除の時間、私が手を滑らせてバケツの水をこぼしてしまった時には、誰より早く雑巾を持ってきて片づけを始めるし、ふとした時に見せる笑顔は、思わず胸が「トゥンク!」してしまうほどカッコよかったりするし。
3年生なんだから築山も当然、部活は引退している。しかし、「サッカー推薦で早々と進路を決めてしまったからヒマ」なんて言って、クラブ活動に自主参加して毎日後輩たちと一緒に走り回っているのだ。まさにいま、大学受験に向かって日々戦々恐々としている私たちからすれば、羨ましい限りの話だ。それでも、彼のことをやっかんだり、ねたんだりする人がいないのは、普段から積み重ねている人間関係や、彼自身の人柄の良さによるところが大きいのだろう。
「恋をするなら、梅の実みたいに――」
ふと、そんなフレーズが浮かんできた。同時に、指がギターの弦を勝手に弾き、いくつかの和音を奏でる。何かが自分の中で、ピタリとハマったような感覚があった。
「よっし、それでいこう!」
私は、いま浮かんできたメロディを取り逃がさないように、同じ和音を何度も繰り返して弾きながら言った。
「えっ!?」
「ほら、さっき佐倉が言ったじゃん。梅の実には毒もあるけど、じっくり育てていく。恋もじっくり時間をかけて熟成すれば自分だけの味わいが出てくるって。新曲、そのテーマでいこうよ。『恋をしたら梅の実みたい時間かけよう。酸いも甘いもあなた次第。あせらないで育てたいの、この気持ちを――』」
生まれたばかりの旋律を、即興の弾き語りで披露する。最初は梅干しを無理やり口にねじ込まれたような顔をしていた佐倉も、聞いているうちにインスピレーションが刺激されたのか、目を輝かせながらノートに歌詞を書きつけ始めた。
この調子なら、新曲が完成するまでそんなに時間はかからないだろう。
私はギターを弾きながら、もう一度、窓の外を見た。
グラウンドを走り回る築山の姿が否応なく目に入り、胸がズキンと痛くなった。
……どうして、佐倉だったんだろうな。
考えまいとしていた思いが、込み上げてくる。
この胸の苦しさに、お医者さんの診断書なんていらない。
恋わずらい。
私だって築山のこと、ずっと前から好きだったんだよな。佐倉と付き合い始めるよりずっとずっと前から、あいつのこと、好きだったんだよな。
それは、誰にも言うことのできない、私一人が抱え続けなきゃいけない問題だった。
胸の痛みをごまかすように、私はギターを鳴らし続けた。
どうせなら、とびきり甘いラブソングを作ってやる。
「シロップに漬けこんだ梅に砂糖をジャリジャリまぶしつけて、その上からさらに蜂蜜をブチまけた」って言いたくなるくらい甘い甘いラブソングにしてやる。
親友を応援するという建前で。
目いっぱい、私自身の気持ちも込めて。
本作は知人からのリクエストに基づいて執筆したものです。
本作のお題は「診断書、レモン、梅」でした。
僕は目立たない。
どれくらい目立たないかと言えば、出席確認をするため、先生が出席番号順に名前を呼んでいるときに、返事をしても一度で気づいてもらったことがないとか、授業中、出席番号順に指名される場合を除いて、先生に「この問題を解いてみろ」と指名されたことがないとか、休み時間に自分の席で本を読んでいたら、いきなりクラスメイトが僕の机の上に腰を下ろし、そのままほかのクラスメイトと雑談を始めて、授業が始まるまで誰一人僕に気づかなかったとか、そんなエピソードは枚挙にいとまがないほどだ。
僕はモブなのだ。「mob」はもともと「群衆」や「暴徒」を意味する英単語だが、日本では物語に関連する主要なキャラクター以外のその他大勢を指す。
つまり僕は、学園もののアニメの中で、背景に描かれるクラスメイトの一人。もしくは、主人公やヒロインとすれ違いざまに「おはよう」とたった一言、あいさつを交わすだけの存在。「佐藤大輔」という名前はあるが、自己主張せず、波風を立てず、ただ淡々と無色透明の存在のまま毎日を過ごしていく。それが僕だった。
その日、僕は少しだけ寝坊をして、家を出るのがいつもより10分ほど遅くなった。
家から学校までは、自転車で30分。のんびりと、呼吸が乱れないくらいのスピードで走れば、それくらいの時間で学校に到着する。
しかし20分で学校へ行くとなると、いつもの1・5倍のスピードが必要だ。立ちこぎで全体重をかけてペダルを踏み、ほぼずっと休みなく走り続けなくてはならない。
普段から目立たない僕のことだから、もしかしたら、欠席したり遅刻したりしても、誰も気づかないかもしれない。それでも遅刻するのは、なんとなく嫌だった。
必死の思いで通学路を走破し、始業チャイムが鳴る数十秒前に自転車置き場に滑り込んで、教室まで一気に階段を駆け上がる。息を切らしながら席についたところで、チャイムが鳴った。
「間一髪だったね」
隣の席の戸村さんが、ニコニコと笑いながら話しかけてきた。
「えっ」
目立たない僕に。目の前にいても気づかれないくらい透明な存在の僕に。
話しかけてきた。
驚きのあまり、息を切らしていたことさえ忘れてしまう。
家族以外の人から話しかけられたことなんて、一体、何年ぶりだろう。あまりの衝撃に、うまく言葉が出てこない。
「えっ、あっ、いや、その……」
ものすごい挙動不審になる。そんな僕を眺めていた戸村さんは、おもむろに手を伸ばしてきて、
「顔に、ゴミついてるよ」
と、僕の頬に貼りついていた葉っぱの切れ端を摘まみ取った。
「うわー、佐藤君の顔、汗でベタベタだー。よかったらタオル使う?」
「あっ、いや、あのっ、あるから! ハンカチ!」
あたふたと取り乱しながらポケットのハンカチを取り出そうとするが、慌てすぎてうまく取り出せない。
「遠慮しなくていいよ。はい」
むぎゅ、と顔にタオルが有無を言わさず押しつけられる。顔全体に柔らかい感触、そして洗剤と柔軟剤のいい匂いが鼻腔から肺いっぱいに広がる。戸村さんはそのままむぎゅむぎゅとタオルを押しつけ、容赦なく僕の顔の汗を拭き取った。
「あっ、タ、タオル、汚れたから、洗って返すよ!」
「えー、ダメだよー。そしたら私が今日、部活で使うタオルがなくなっちゃうじゃない」
戸村さんはニヒヒ、と笑いながら、クルクルとタオルを畳み直してカバンに片づける。
僕は差し出しかけた手のやり場に困りながら、「あ……」とつぶやいて戸村さんのほうを見ることしかできず、しばらく硬直したままだった。
もう、一体何なんだ。
僕にはあいさつの習慣がない。
いや、正確に言うと、「家の外では、あいさつの習慣がない」。
家族とは普通にあいさつをするのだ。でも、一歩、家の外に出ると、僕は誰からも認識されない空気のような存在になってしまうから、あいさつをしても気づいてもらえない。幼稚園に入園したころから、同級生だけでなく、保育士の先生からもあいさつを返してもらえないことが続くと、さすがに自分からあいさつをしようという気持ちなんてなくなってしまう。
「おはよー」
だからこの日も、教室に入ったところで戸村さんがあいさつしたのは、僕の横を歩いていた緑山さんか、すぐ後から教室に入ってきた茂手木さんに向けられたものだろうと思っていた。
何も考えず自分の席に座り、ボンヤリと前を見つめて授業の始まりを待とうとしていた僕の横で、
「むー」
戸村さんが頬をふくらませている。どうしたんだろう。何か気になることでもあったのかな。なんてことを考えていたら、突然、わき腹に電流が走った。
「ふやあっ!」
想定外の刺激に、ものすごい声が出てしまう。
「電流が走った」と言っても、本物の電流じゃない。無防備なわき腹を、戸村さんに突っつかれたのだ。
軽く唇を突き出して、こっちをにらんでいる戸村さん。なんだろう、怨念みたいなものを感じる。
戸村さんは無言のまま、執拗に僕のわき腹をつついてきた。
「あっ、ちょ、ふぇっ、やめっ、やめてっ」
そのたびに、妙な声が出てしまう。
「……おはようって言ったよ」
何度かのわき腹ツンツン攻撃の後、戸村さんは恨めしそうに言った。その時初めて、僕は、先ほどの戸村さんの「おはよー」が、僕に向けられていたことを自覚したのだった。
「えっ、あ、その、ごめん。僕へのあいさつだと思わなくて。その……おはよう」
「よろしい」
戸村さんは、そう言ってニッコリ笑う。
その笑顔が、僕にはすごくまぶしくて。
それは、ちょうどいい感じに窓から差し込んできた朝の光が、戸村さんを照らし出したせいだけではなくて。
僕の心臓が一度、大きく飛び跳ねた。
無色透明、空気のような存在だったはずの僕の世界に、鮮やかな色彩が一つ、生まれた瞬間だった。
本作は知人からのリクエストに基づいて執筆したものです。
本作のお題は「間一髪、笑う、怨念」でした。
僕は、この景色を知っている。
初めて訪れた場所であるにも関わらず、なぜか僕はそのことを確信していた。
紀伊半島南部、和歌山県のある岬。太平洋に面したその場所は、特に観光の名物になる何かがあるわけでもなく、特段、景色がいいわけでもない。最寄りの町からも離れていて、物好きな釣り人が遠路はるばる訪れるぐらいしかないはずの場所だった。
どこまでも広がる海。そして、半円状に世界を包み込む青空。どこを見渡しても、一隻の船、一機の飛行機さえ視界に入らない。僕は間近にあった岩の上に腰を下ろし、じっと海を眺め続けた。
いまの僕を誰かが見たら、どんなふうに思うのだろう。
小さなリュックサックに詰め込めるだけの荷物とお気に入りの楽器を携えて、旅を続ける詩人。
孤独な旅を続けながら自分探しをしている若者。
……なんてバカバカしい。誰がどう見ても、どこにでもいる二十代の若者が、春休みを利用して一人でドライブ旅行をしているだけにしか見えないだろう。
そして、それこそがいまの僕を表す最適な言葉だった。
そもそも、僕はどうしてそんな辺鄙な場所を訪れたのか。その理由は、正直に言って僕自身にもよく分からない。強いて言語化するなら、「呼ばれたような気がした」とでも言うべきだろうか。
誰に、あるいは何に呼ばれたのか。まったく曖昧なまま、僕は不意に国道をそれ、岬へ降りてゆく脇道を突き進んでいた。程なく道路は小さな駐車場(とも言えないような、二、三台分の車を停められるスペースがあるだけの広場)に突き当たって途切れる。僕はそこで車を降り、コンクリート舗装の遊歩道を海に向かって歩き始めた。
この道を歩く人を捕食しようとでもするかのように、道端から草の茎が勢いよく伸び広がり、道幅はひどく狭い。夏になれば、両側から伸びた草に飲み込まれ、道そのものがなくなってしまうのではないかと思えた。
草をかき分けてたどり着いた岬は、黒々とした岩がひたすら波に洗われているだけの場所だった。取り立てて特筆すべきもののない、ただ空と海が広がっているだけの場所だった。
それなのに僕は、「ああ、この景色を知っている」と思ったのだ。
決して「この場所を知っている」というわけではない。そりゃそうだ。初めて訪れた場所なのだから。
じゃあ、なぜ「この景色を知っている」と思ったのか。
僕は岩に腰を下ろし、「あの雲、おんなのこの後ろ姿みたいに見えるな……」とか、「あの一カ所だけ波が泡だっている海面は、岩礁が隠れているのかな……」などと、取り留めのないことを考えながら、「この景色」のことを思い出そうとした。
「――ああそうか、『スティル・ライフ』だ」
不意にその情景が浮かんできた。
何年も前に読んだ、池澤夏樹の小説。主人公は「定点観測」として、雨崎という場所を毎年訪れる。ある冬、主人公は雪の降る中でじっと座って海を見る。そして、こう語るのだ。
「雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた」
僕はこの雨崎海岸のことを、勝手なイメージで、太平洋に面した茫漠とした景色の広がる場所のように思っていたのだ。
雨崎のモデルになった場所は、三浦半島の海岸だと言われている。本文の中でも、対岸の火力発電所が見えることは示唆されている。だけど僕にとっての「雨崎」は、いま、目の前に広がっている海のように、どこまでも広く、「無限」という言葉がぴったりくるような景色の場所だったのだ。
たっぷり一時間ぐらい、その場所にいただろうか。
春の穏やかな太陽に照らされ続けた顔は、ほんのりと日焼けして熱を帯びていた。
映画やアニメなら、こういった場所に一人でたたずむ主人公にヒロインが話しかけてきたり、神や悪魔のような超常的存在が現れたり、自分の心の中から現れた「もう一人の自分」と出会ったりして、物語が進んでいくのかもしれない。しかし現実は、岩の間を走り回るフナムシやカニ以外、僕の視界に入る生き物はなく、ただただ静かに時間が流れていくだけだった。
現実なんて、そんなものだ。
僕はこの世界を生きる何十億人のうちのたった一人に過ぎない。アニメやドラマの主人公にはならない。この太平洋からすくい上げたバケツ一杯の海水みたいなもので、大学やサークル、アルバイト先といった「入れ物」に入っている間は一個の存在として認識されるけれど、広い世界に紛れてしまえば、没個性な「その他大勢」の一人でしかない。
だけど、それでいい。
『スティル・ライフ』は、こんな文章から始まる。
「この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている」
そう。世界は世界としてそこにあり、僕は僕としてここにいる。
そのことに、意味はないのかもしれない。しかし、僕という存在が「ここにある」ことには意義があるのだ。
僕は深くうなずくと立ち上がり、駐車場へ戻る道を歩き始めた。
不思議な満足感を胸いっぱいに感じながら。
本作は知人からのリクエストによって執筆したものです。
本作のお題は「青空、海、おんなのこ」でした。