短編純愛小説第9話「ある夏の日」 | 春風ヒロの短編小説劇場

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 カキィン! という甲高い音に続いて、
「打ったぁ! 痛烈な打球が三遊間を抜ける、レフト鈴木君追いついたが二塁へ送球は間に合わない、山下君二塁打!」
という、興奮気味のアナウンスがラジオから流れてきた。
「ねーねー、アタシ思うんだけどさー、ラジオ放送の高校野球って、ときどき早口すぎてなに言ってるか聴き取れなくなるよねー」
「でも、それくらいのスピードでしゃべることができるんだから、アナウンサーってすごい職業だと思うよ」
 隣の部屋から聞こえてくるリョウコの声に、カズヤは淡々と答える。その手元では、刻みネギがリズミカルに量産されている。
「りょーこさん、もうすぐご飯なんだからお菓子はそろそろおしまいですよー」
「あーもう、分かってるわよぉ。カズピーまるでお母さんみたい」
「リョウコッ! お菓子ばっかり食べてたら虫歯になるわよッ!」
「お母さんのモノマネしなくていいからっ。しかも妙に似てるし」
「そりゃお義母さんとの付き合いも長いからね」
 そんなことを話しながら、カズヤは出来上がった刻みネギを小皿に盛りつけ、リョウコを呼んだ。
「さあさあ奥さん、そろそろテーブルにお皿を出すのくらい手伝ってもバチは当たらない時間ですよー」
 まな板の隣には、ネギのほかにも細かく刻んだ大葉やミョウガ、おろし生姜などの小皿が並んでいる。そして、コンロの大鍋の中では、グツグツと音を立てながらそうめんがクルクルと対流を続けていた。鍋が吹きこぼれないように火加減を調整しながら、カズヤはキッチンタイマーをチェックする。
「10……9……8……」
「カズピー、これ持って行くねー♪」
「うん、よろしく。6……5……」
「麦茶ー、コップー♪」
「4……3……2……」
「お箸を並べてー♪」
「1……ゼロッ!」
 キッチンタイマーが鳴る瞬間、片手でタイマーの停止ボタン、片手でコンロの火を止める。シンクに置いた大きめのザルに素早く鍋のそうめんを空け、流水にさらす。指先を包み込むやけどしそうなほどの熱さを、流水でやわらげながら素早く麺のぬめりを取る。麺を水道水と同じ温度まで冷やしたらボウルに移し、たっぷりの氷水を注ぐ。そうめんの出来上がりだ。
 あらかじめ作って冷やしておいた、蒸し鶏をたっぷり使ったサラダも冷蔵庫から取り出す。だし汁と柚子の果汁を合わせて作った特製ポン酢を添えて、食卓に運んだ。
 リョウコはすでに食器や薬味を並べ終えた食卓に着き、期待を込めた目でこちらを見ていた。カズヤはそうめんの入ったボウルとサラダの大皿を食卓に置き、少しだけ意地の悪い声で尋ねる。
「……ところでリョウコ、めんつゆは?」
「うにゃっ、ごめん忘れてたっ!」
「ハハハうっかりさんメ。罰として今日一日、リョーコたんと呼ぶぞ」
「いーやーだー。寒気がするからー」
 リョウコが冷蔵庫から出してきたガラスボトルには、「めんつゆ」と書いた大きな紙。過去に二度ほどリョウコが麦茶と間違えて飲んでしまったため、カズヤが貼り付けたのだ。
 ガラスの器になみなみとつゆを注ぎ、二人で一緒に手を合わせる。
「いただきます」

「やっぱり夏といえばこれだよねー。カズピーのそうめん食べると、『ああ夏だなあ』って実感するもの」
 ツルツルと音を立ててそうめんを吸い込みながら、リョウコは嬉しそうに言う。
 すだれをぶら下げた窓の外には、絵に描いたような青空と入道雲。軒先の風鈴が、時折、チリンと音を立てる。
「かれこれ十年近く、毎年ずっと食べてるからね」
「でも、今年は特別っ♪」
「……まあ結婚して初めてのそうめんだからねぇ」
「でも不思議よね。そうめんなんて乾麺を茹でるだけなのに、アタシが作ってもこんな風にならないもの。どうしてこんなに美味しくなるのかしら」
「愛だよ、愛」
「愛情だけならアタシも負けないはずなんだけどなー」
「オレの愛は料理への愛だからね」
「えー、奥さんへの愛は?」
「次元が違う。一キログラムの綿と、一キログラムの鉄の塊と、一キログラムの水。重さはどれも同じでも、体積も、用途もまったく違う。料理とリョウコへの愛情を比較するのは、綿を風呂に入れて水を布団に詰めようとするような愚劣な行為なのだよ」
「(ツルツルモグモグ)……ん、何か言った?」
「自分で投げた質問の答えくらい聞いとこうよ、ねえ!」
「やだ、カズピーの話メンドクサイから」
「ひどっ、何それひどいよ、ねえ!」
「うーるーさーいー」
 そんな心温まるやり取りを続けながら、二人で一つのボウルからそうめんを食べる。
 窓から風が吹き込み、風鈴がチリチリとせわしく鳴った。

 食べ終わった食器を片付け、風通しの良い和室に二人で寝転がる。吹き抜ける風が体の火照りを飛ばしていく。二人は指先だけを絡ませるように手をつなぎ、ノンビリと話す。
「ねぇ、カズピー、アタシ猫飼いたい」
「この前、猫より子供が先って言ってなかった?」
「両方がいいー」
「この社宅にいるうちは猫は無理だよ。ペット可物件に引っ越すか、戸建の家を買うまで待とうね」
「じゃあそれまで、カズピーが猫ね!」
「ハハハ、何だよそれ」
「いや、やっぱりアタシが猫! うにゃーっ!」
「ちょ、コラ、やめろってば、暑いから」
「にゃー、にゃー」
「あっ、こら、わき腹はやめっ、やめなさいアハハハハハ」
「にゃー、コチョコチョにゃー」
「アハハハハハハ」

 ――数分後、リョウコは笑いすぎて汗まみれになったカズヤにガッツリと叱られ、炎天下、謝罪のためのアイスクリームを買いに行かされることとなる。
 二人の夏は、まだ始まったばかりだ。


本作は某コミュニティサイトで投稿されたお題をもとに執筆したものです。
本作のお題は「雲、猫、ラジオ」でした。