時系列が少し違うと思うけど思い起こしながら書くため少し不正確。
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2歳までの私は、感じることと思考が一致していた。
そのころのわたしの思考は、物理的現実の外界と接する肌表面にあった。
現実と接地する肌が痛いと感じれば痛いと思い、家の雰囲気が怖いと肌全体で感じれば怖いと思考した。
肌表面から入ってくる感覚的現実の情報は直接内臓に伝わり、
外から入ってきた現実の痛みは臓腑に落ちて全身の細胞に爆発的に広がり、
わたしに泣くなどの発作的感情表現や嘔吐という身体化に変換された。
それは少しずつ、痛みに満ちる現実の中で生きるには不向きだと気づき始めた。
肌表面で感じ思考するには、痛みに満ちる現実への接地面が多すぎて、
痛みの濁流に飲まれて正気を保っていられなくなる恐れを感じた。
わたしが生れ落ちた現実は痛みに満ち、接地面の多い肌表面と
ダイレクトに臓腑で感じるには消耗が激しすぎた。
わたしは少しずつ、思考部分を肌表面から、他の人がやっているように頭と脳部分に移行し始めた。
少しずつ訓練をして、頭の中で自分の声を聞くことができるようになったのは5歳のときだった。
全身の肌表面から臓腑に落ちる形で感じる身体的現実感覚を切り離し、
ごく限られた頭頂の一部分だけで思考するのみの形で現実と接することで、
わたしの内面的思考のスペースは広がった気がした。
現実と感覚的に密着するのではなく、感覚から切り離された思考のみの感覚的空白のスペースを
自分の中に作ってそこに身を置くことで、痛みに満ちた現実に縛られていたわたしは
機械的思考に安住し、内面世界の自由度が広がった気がした
わたしは5歳のときに、主観、痛みに満ちたわたしがわたしであることから別れを告げて、
わたしを他者化する完全な客観への移行を果たした。
5歳のとき自分の声を頭の中で聞くことができるようになり、
http://ameblo.jp/httpamebloo/entry-10603707378.html
自分がほとんどの時間乖離して、感覚や感情とは無関係な表情や言動をとり、
無意識のうちに別人格的なキャラクターを作って、
現実と乖離的間接的に対峙していることに段々と気がついていった。
・・・
「それ」が始まったのも5歳のときだった。
夜、気がつくと、投げ捨てられた人形みたいに、布団に入って身じろぎもせず仰臥しながら
瞬きもせず夜の闇を見つめているわたしに気がつく。
夜、初めて起動した機械のように、今ここにいるわたしに初めて気がついて、わたしは瞬きをする。
そして、今、ここにいる以前の記憶がまったくないことに気がついて、焦る。
一生懸命、今ここにいる前に私がどこにいたのか、脳を振り絞るように思い出す。
ぼんやり、親に満面の笑顔を向けておやすみなさいをいっていた気がする。
その前の昼の記憶は、親に罵倒されてる間は無表情無感覚の「モノ」と化していたけれど
それ以外は極力満面の笑顔で元気に飛び回ってた気がする。
「昼のわたし」の記憶を、「夜のわたし」は映画のように頭の中でプレイバックした。
「昼間のわたし」でありながら「夜のわたし」でもあるように。
「昼間のわたし」はあんなに満面の笑顔で元気に飛び回っているのに、
その言動に付随する感情がまったくないことを私は知っていた。
「家にも親にも何も問題がないように、何も問題のない普通のいい子みたいにいつも笑顔で元気よく」
しないといけないことを私は親の無意識のメッセージを読み取って知っている。
親に直接そういわれたことはないけれど、わたしは肌感覚で読み取った現実の雰囲気から
すでにこの家のルールと親からの沈黙のメッセージを知っている。
私はすべて知っている。
でも、「昼のわたし」が眠りについた今、「夜のわたし」が目覚め、「昼のわたし」
が眠らせていたモノが浮上してきた。
親の無意識のメッセージを無意識に身体化して忠実に従って言動化していたことの
矛盾、親の利己的欲望に犠牲にされている私の人生、自分自身への背信、裏切り、苦痛。
「昼のわたし」が眠りについたとき、「夜のわたし」は目覚め、
「昼のわたし」が眠らせていた苦痛と思考が覚醒し、夜、わたしにすべて襲い掛かってくる。
こんなこと、普通ではない。
そして普通ではないことは、親に許されない、認められない。
すでに自分の苦痛を親や他者に訴えることを諦め、助けを求める無意味さを学んでいたわたしは、
布団の中で腹をつつかれた芋虫みたいに四肢を縮めて、
目を閉じ両耳を両手でふさいで、襲い掛かってくる苦痛に声も漏らさず耐えた。
そのときの感覚http://ameblo.jp/httpamebloo/entry-10922878154.html
正直、それが何が原因なのかは、わからない。
ただ、頭の中で自分の声を聞いて思考できるようになった、
保育園に行き始めた5歳のときから始まったことは確かだ。
5歳のときすでに対人恐怖に陥っていたわたしは、保育園に行く前日、
見知らぬ他人の中に入っていくことを考えるとパニック的恐怖に襲われ、
毎夜、全身を雑巾のように絞られるような苦痛に襲われ、
翌日、決まってストレスからくる嘔吐と下痢を繰り返した。
5歳のときに起こった「対人恐怖」が、他者に対峙する「わたし」を私に客観的に見せ、
自分で自分を客観的に見ることの情報量に感覚と頭がオーバーヒートしたのかもしれない。
ただ、それは5歳のあるとき、主観的感覚から切り離された客観的機械的思考の空白地帯が私の中に生まれ、
「昼のわたし」が眠った「夜のわたし」が目覚めたときから始まり、それから毎晩続いた。
・・
「それ」を言葉にすることはきわめて難しく、胡散臭く、精神異常的で、正直したくないけど、試みてみる。
「それ」は、決まって、夜だった。
わたしがひとりになり、親の期待通りの人形を演じる「昼のわたし」でいることから、
感覚と思考が「解放」される夜の時間だった。
夜、布団の中に仰臥して、瞬きもせず闇を見つめているひとりの私に気がつくことから始まる。
気がついてしまわなけれないいのだ。
昼のわたしがそうしていたように、何も感じず何も考えないのに、
親がそう期待しているからという理由だけで、表情も言動もただの操り人形に徹して、
ただ動かされる機械人形になりきっていればいいのだ。
なのに、夜、わたしは、人形だった昼間のわたしから、目覚めてしまう。
それが毎夜の私の悪夢であり、苦行であり、地獄だった。
「それ」がどういう感覚、どういう苦痛だったか。
言葉にするのは至難だ。
私は、押し寄せてくる苦痛の津波に呑まれ沈むまいと、
必死に「苦痛」という空気や水のように私のすべてを浸し呑み込む濁流を
イメージ言語化することで固体化し、それらから必死に逃れようとた。
「感覚」というものが空気や水のようにすべてを浸すものならば、
言葉だけがそれらを客体化し、苦痛の津波の感覚の中で、私がしがみつける唯一のポールになった。
この癖は今でもあるけど、苦痛が激しいほど私はそれを言語化することで
それを対外排出し客体化しようという(できるのかは知らないけど)強迫観念がある。
「それ」は、一言で言うと、「自己不在感」の津波だった。
昼間、わたしが表情も言動も、細胞のひとつひとつからすべてを親の無意識が奏でる演奏に合わせて、
私の無意識がわたしを踊る操り人形にしていた。
夜、昼間の私が人形だったことに、夜のわたしが気づく。
でぐるぐる巻きにされている操り人形である自分に気づいた操り人形。
夜、「今、ここにいるわたし」に目覚める人形。
圧倒的な苦痛が襲ってきた。
それは身体的な苦痛だった。
細胞のひとつひとつが絞り上げられるような痛み。
全身を、巨大な誰かの手に、雑巾のように絞られているかのような身体の痛みに私は縮こまった。
そして、精神的、イメージ的、抽象的(形而上的?)な苦痛が襲ってくる。
いない、わたしがいない、という苦痛(そのときのわたしはそう言語化した)。
誰かに体中の臓器を全部、ごっそり抜き取られたかのような空っぽ感、
それでいて、風船のように空気しか詰まっていないように思える私の身体を、
痛みという空気だけが満たしているような感覚。
そのときのわたしが言語化しイメージを定着した形のままに言葉にすると、
そのときの私はこう感じていた。
私は映画のスクリーン。
昼間は親の無意識の要求という名の映写機が私という空白のスクリーンに映し出されることによって
私の言動は決定していた。
夜、親の無意識の要求がこめられた視線という縛りがなくなって、操り人形の私を動かしていた、
私をぐるぐる巻きにして動かしていた親の操り糸が切れた。
夜の私は今は、誰にも動かされなくなった操り人形であり、誰の眼差しにも映写されない空白のスクリーンだ。
わたしはわたしの空白感の身体的精神的苦痛の凄まじさに身悶えした。
胎児のように四肢を縮め、両手で頭を押さえ、目を強く瞑った。
この姿勢(自分で自分の身体感覚をできるだけ確認する姿勢)が唯一、
どんどん透明に空白になって、透明な空気しか詰まっていない「わたし」を、
風船のようにどこかに飛ばされないように「今ここ」に留め、正気(らしきもの)を保つものだった。
胎児のように四肢を縮め、両手で強く頭もしくは両耳を押さえ、歯を食いしばり、目を強く瞑る。
四肢(内臓)を感じ、頭を感じ、顔を感じるこのポーズをわたしは毎晩とって正気(らしきもの)を保った。
わたしの中に様々なイメージが本流のように押し寄せた。
誰にも動かされないから動きようがない糸の切れた操り人形。
誰もいない道端にゴミのように打ち捨てられたボロボロの映画のスクリーン。
夜、誰も映し出さず、真っ白で、空白で、誰の目にも映し出されない、
ただ空白の闇を映し出しているだけの透明な鏡。
夜、わたしは、どこにもいないわたしに目覚める。
夜、わたしは、闇に解けて消えていくように、誰でもないわたしに目覚める。
わたしは誰?
わたしはどこにいるの?
わたしの名前は何?
名前がない。名前がない。名前がない。わたしには名前がない。
いない。いない。いない。いない。わたしはどこにもいない。
たすけて。たすけて。たすけて。たすけて。
嘔吐のような何かがこみ上げてきたけれど、
誰かにごっそりと内臓を抜き取られたように透明で空白で空っぽで
存在しないわたしに吐き出せるものなど何もないに決まってる。
胃の内容物も、涙も、言葉も、声も、存在しないわたしの中には何もないんだから、
何も出てこないに決まってる。
わたしに吐き出せるものは存在を透明に凍りつかせる空白だけだ。
わたしはいつも涙ひとつ零さず、声ひとつ漏らさなかった。
わたしはそのときもう泣き方を忘れていた。
それは夜毎繰り返される、わたしの存在を空白化し漂白し不在化していく、不在者からのレイプみたいだった。
わたしは不在であることに苦しんでいたのに、「不在」であることは逆説的に、ものすごい苦痛だった。
「不在」は逆説的に、わたしを押しつぶして世界がのしかかってくるような痛みであり、
凄まじい静寂の音をたてていた。
苦痛のみが存在していた。
細胞のひとつひとつに針を刺されているような全身の痛みがわたしだった。
わたしであることは痛みであることだった。
わたしの名前は痛みだった。
わたしは「非在」という、張り裂けるような静寂の痛みに自我を侵食されていった。
それは毎晩繰り返し、いつも、映画のワンシーンのように、決まって起きる感覚だった。
でもたぶん、布団に入ってすぐ始まるものではなかったと思う。
そうだ確か、こういうことが始まって、夜、布団に入ってからわたしはやっと思考の余裕が生じたことに気づき、
布団に入ってからひとりで思考の余裕を感じることもできるようにもなったとき、
ひとりでいること、誰の眼差しの操り人形にもなれず、誰でもないわたしを見る者がわたししかいなくなったとき、
わたしの不在をわたしが見つめ、自己不在の絶対的孤絶の闇と静寂に飲み込まれるとき、
闇と静寂の音程が段々とわたしの中で水位を増し、それが段々と耐えられないほどの音量となって迫って来、
そして『異常感覚』の津波に飲み込まれる、そんなパターンだった。
そしてそれは、たぶん、絶対に言葉にできない感覚だと思う。
細胞のひとつひとつが雑巾のように絞られ、透明な絶叫を上げているように感じられ、
髪の毛の一本一本が頭皮に打ち込まれた極太の杭のように感じられすさまじく重く、
頭皮の下、脳の中、特に額の中を蛇のようなミミズのような何かが
生き物のようにのたくっているような感覚、
顔の中を通っている神経の一本一本が震えているように感じられ、
耳の中で張り詰めた静寂がガラスを引っかくような音をたててわたしの鼓膜は破れそうになり、
そしてイメージ。ある映像的音声的イメージが、繰り返しわたしに付きまとった。
「藁の束の中の一本の針」。
藁の束の中の一本の針、砂漠の砂の中の一本の針…
決して見つからないから安全なはずなのに絶対見つかってしまう…
それと同時にわたしは苦痛の濁流を固体化し客体化するために
すごい勢いでそれらを言語化し、苦痛に満ちた主観から隔離した思考的客観性の領域に必死に逃げ込んだ。
これはきっと精神分裂病の症状だと思った。
わたしは親の望んだ普通の子じゃないし、親が恐れた異常な子だし、
親がもっと恐れた正真正銘の精神異常、分裂病者なのだ、と。
現に、成長してから読んだ精神病理の本に、マルグリット・セシュエーという医者がルネという
分裂病の少女の医療過程を書いた『分裂病の少女の手記 ―心理療法による分裂病の回復過程』
という本があったけど、そこに書かれている分裂病者が陥るという「異常感覚」の描写に
わたしに重なる部分が多くあった。
そして、「藁の中の一本の針」という言葉もあった。
それから精神的苦痛のひとつに、様々な感情の奔流と、急激な攻撃感情と性的感覚だった。
子供でも、特に親に満たされない子供は2,3歳のときから自慰をするというから不思議ではないかもしれない。
わたしは存在を抜き取られ空白化されることへの闇雲で激烈な憎悪を意図的にかきたてた。
その憎悪と性的感覚だけがわたしを不在化する津波に抗う手段だった。
性的感覚とすさまじい攻撃感情。わたしは自分を汚いもののように感じ、罪悪感を覚えた。
そして、絶望、諦念、憎悪、悪意、怒り、殺意、無力、寂しさ、悲しみ、絶対の孤絶、
恐怖、嘲笑、罪悪感、自殺願望、存在への絶対の否定、不信、神への罵倒、被操作感、
被害者感、被迫害感、無意味感、人間の機械・物体感、無限の宇宙の中の一点のわたし、空白の紙、
何も映し出さない鏡、何も映し出さない映画のスクリーン、誰にも操られない操り人形…
ありとあらゆる負の感情と負のイメージの洗濯槽に放り込まれたようにもみくちゃにされた。
・・
そして問題は、そのときのわたしにそうした分裂病的な異常感覚の症状があることではなかった。
その時点でわたしは精神分裂病だと思考しているわたしだった。
そして、いろいろな苦痛をイメージに固体化するために思考領域で使用していた言語だった。
それは本当に5歳のわたしが思考し使用していた言語なのか?
それを思い出している今のわたしの思考が反映され記憶に侵入してしまった言語ではないのか?
わたしの解離性健忘と記憶の思い出しは以前にこういう経験があった。
(『写らない真実1、2』 http://ameblo.jp/httpamebloo/entry-10605593054.html
http://ameblo.jp/httpamebloo/entry-10605593943.html
『彼女の真実、私の嘘』http://ameblo.jp/httpamebloo/entry-10604706206.html )
『記憶を消す子供たち』の著者レノア・テアが言及したところでは、一時期トラウマ治療のために
心理分析の場に催眠療法が取り入れられたアメリカやイギリスでは、
被験者に誤まった記憶が移植され、被験者が無実の親や教師を訴えるという
「記憶違い症候群」「過誤記憶」という問題が表面化しているということだった。
その記憶がほんものであるか偽りであるか、主観しかない状態で、何が決めるのか?
ましてやわたしがこの記憶を思い出すまでに読んだ本や思考や感情が
どれだけ記憶に影響しても不思議ではなかった。
わたしにはわからないけど、とりあえずレノア・テアがいっていた、
時間が経過するほどに細部が食い違ったり忘却されること、などの記憶の変化に注意を払って、
わたしの記憶がほんものかどうかという判断は一時保留することにした。
わたしが欲しいのは、刺激的な自己物語ではなかった。
正確な情報に基づく正確な自己であり、正確な判断だった。
正確性を外れたところから人の狂気は始まるのだから。
わたしはもう捩れた悪夢に落ち込んだような狂気は十分味わっていた。
わたしがほしいのは正確な現実判断に基づいた正気だった。
その記憶がほんとうかうそかはわからないし、また判断を保留している中でも、
一度蓋の開いた記憶はどんどん溢れていた。
わたしは思い出していった。5歳のときの夜の記憶。
わたしのある部分が眠り、ある部分が目覚めたことで始まった、夢のような記憶。
5歳のその時点で、津波のように押し寄せてくる苦痛に全身と精神を洗われながら、
その感覚からを必死に逃れ言語化客体化しようとしながら、
わたしがそのような語彙を知っているのは変だ、と思っていた。
自分で自分がわけがわからなくて怖くさえあった。
でも頭の中で思考の意識を凝らせば、言葉はすでに用意されていたもののようにそこにあるのを見つけられた。
・・
「それ」が起こったのは何がきっかけだったか。
「それ」はどれくらい続いたのか。
たった一晩のことだっただろうか。
夜毎わたしに訪れる異常感覚にも慣れてき始めた。
いつものように「あれ」が来たら、雪山で遭難している凍えかけた人のようにできるだけ四肢を縮めて
身体を引き寄せ、頭皮の感覚から注意をそらすためと、轟く静寂の音から耳を守るために
頭か両耳を両手で強く押さえたり、額の下から何かの生き物がのたくってるような感覚が
皮膚を食い破って出てくるのを抑えるかのように、額の中央を人差し指で抑えたり
手の甲を押し当てたり目を強く瞑って感覚を分散するなど、いろいろな対処法もわかってき始めた。
わたしは苦痛の津波に呑まれた痛みでしかなかった。
わたしの名前は痛みに呑み込まれてしまった。
わたしは不在の痛みの津波に抗う誰か、何者かでありたかった。
わたしが何者かであるためには記憶が必要だった。記憶がほしい。
でもわたしは生まれて5年しかたっておらず、新生児のようにアイデンティティなどないに等しかった。
わたしのアイデンティティは書き込みのない紙のように真っ白だ。
だからこれほど、白い苦痛、空白の苦痛、不在の苦痛がわたしの中で燃え上がるのだ。
いや、そんなことない、とわたしの内的感覚がその思考を打ち消した。
わたしは生まれてくる前、どこにいたのだろう。どこかにいたはずだ。
先天的にわたしが持ってるこれらの言葉のあるところ。
思い出そう。わたしは知っているはずだ。
いや、わたしは何もわからない。わたしは何も知らない…知らない…知らない…
いや、わたしは知っていなくてはならない。
知っていなくては親に罰せられる。わたしはすべてを知っていなければならない。
わたしは知っているはず。知っているはず。
わたしは知っている。すべてを知っている…知っている…知っている…
感情も欲望も干渉できない領域で…思考する機械の空白の領域で…
感情の奔流にもみくちゃになると同時に、
わたしが丸ごと全部流されないように(流されたら正気を失うと感じた)
もう何が現実で何が(悪)夢で、何が正気で何が狂気かもわからないこの状況で、
頭の中で淡々と思考する声が聞こえるこの機械的領域だけが
わたしに残された唯一のわずかな正気の領域だと思えて、そこに必死にしがみつき、
足を踏ん張って踏みとどまった。声に、言葉に。
わたしは、あらゆる負の感情の洗濯槽に放り込まれてもみくちゃにされているような感覚の津波に
翻弄されていながら、それでもしぶとくそれらから一定の距離を保って
絶対領域ともいえる「客観的機械的思考」にしがみついていた。
わたしは記憶がほしかった。
わたしが生れ落ちてきたこの地獄の現世には、何もなかった。わたしには何もなかった。
わたしは親もなく、家族もなく、自己もなく、存在も名前も奪われて今、ここにいた。
わたしは波に弄ばれる流木と同じだった。
ここは、あまりに寂しすぎた。
わたしを誰でもないものにするくらい、ここには何もなかった。
わたしはわたしを誰かにする記憶を喉から手が出るほど求めた。
ここに生まれて5年しかたっていない、経験値など皆無の5歳のわたしの
アイデンティティを確かめるための記憶を、無謀にも、求めた。
求めずにはいられなかった、記憶を。
苦痛の津波はどんどん嵩を増し、細胞のひとつひとつが沸騰しているような感覚になり、
わたしが武装として掻き立てた憎悪も性的感覚も頭の中で迸しらせ続けた言葉の奔流も届かなくなり、
割れるような乱雑な静寂の音がだんだん一定化して
激しい耳鳴りのような痛みの音がわたしの全身を満たし、
髪の毛の一本一本が頭皮に打ち込まれた釘のように感じられ、
額の皮の下で、蛇かミミズのような何かが生き物のようにのたくっている感覚が気持ち悪くて
他の感覚に注意をずらすために頭を強く抑えていた両手の中で、
頭皮の下でのたくっていた感覚が額の中央に集約し始め、
鋭い一本の木のようにわたしの額の中央で屹立した。
下腹部から空気の塊のような空白がせりあがってきて、
わたしは諦め、「それ」がわたしを飲み込むのを無抵抗に受け入れ、わたしは落ちた。