お相撲

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秋場所、日馬富士優勝。
白鵬、稀勢の里、鶴竜休場で、ここで彼が優勝出来なければ横綱のブランド力、底をうってたところだ。
国産横綱待望どころではない。


今場所は高安、照ノ富士、碧山とか休場が多かったし、サポーターしている力士も多かった。
わしが現役張っていて柳橋あたりで浮名を流していた時分は、包帯とかサポーターしとるのは恥だとしておったもんでごんす。
そういえば、八百長が問題になってからというもの、見ていて、ガチンコが多くなったような気がする。
舞の海さんは、体重が重くなってきて負荷が増えたと苦々しく言っていた。
石浦は負け越すわ、宇良は4日目から休場だ。


栃煌山は負け越したがまあいい。幕下に転げ落ちた高知の英雄豊ノ島はどうなるんじゃろう。ブログは10年更新ないぞ。
相撲巧者と言われていたのに。あっさり引退してマスコミの片隅にへばりつく真似をしないところがえらい。あの人ならできるんだろうけどね。


日馬富士はモンゴルで、グルジアとかブラジルとか他国出身も多い。
土俵に出たとき、声援がなにもないこともあるだろう。

 

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厚い文庫本読んだ

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講談社学術文庫『自死の日本史』(2011年 モーリス・パンゲ 竹内信夫訳)。
700ページもある。1冊1900円もする文庫本は悶絶級すごい。
おれが買うわけない。が、うちにあった。
誰かが忘れて行ったんだろう。


なにかというと腹を切る日本のサムライたちを、自殺を禁止したキリスト教と対比して、わりあい肯定的に述べた日本文化紹介書。「先刻ご存知の日本人」向けに書いたものではないが、資料・エピソード集として、よくもこれほど書きあげてくれたもんだとおもう。
神話・上代から近松の心中物、赤穂浪士、一揆、攘夷のさむらい等明治維新前後のテロ、北村透谷、藤村操、戦時の玉砕・「生きて虜囚の辱めを受けず」等々の自決から太宰治、三島由紀夫まで。


これをどう思うか!? の詰問ではない。
愚かしくはあっても責任の取り方、身の決し方に(異邦人らしい)同情をこめている。
「俺が悪いんじゃない」のヒトラーの自殺と比べて日本の軍部首脳の自決ははるかに貴い、などの言い方は、おいおい、そりゃあんまり軽すぎる身の決し方だろと思うのだが、パンゲには貴く見える。


『表徴の帝国』で有名なロラン・バルトを日本に呼んだのはパンゲさんだったらしい。ミシェル・フーコーも僚友の由。
そういえばパンゲも「記号の帝国」と日本を呼んでいた。
『菊と刀』もそうだけど、アーネスト・サトーやビゴー、ラフカディオ・ハーンなど外国人の日本論はたいそうおもしろい。
気にもとめないことを、あんたにはそう見えるのか?それはびっくり、と目覚めさせてくれる。不思議と無理やり感はあんまりを伴なわない。おれたちは批評に晒されることにあんまり馴れていないからね。
へんにハリネズミみたいに防衛することがよくあるけどね。
  他人を批判するのはまったく下手だけどね。(笑いごとじゃない)
  批判の流儀とか作法を心得ないとほんとに三流国になってしまいます。  
  自己愛主義者も同様にお気をつけて。


【おまけ】
自殺といったらバックミュージックはこれでしょう。
SUICIDE  https://www.youtube.com/watch?v=yajONzURQcg

別に聞きに行かなくてもいいです。

いいですが、同世代人はいやでも聞いておいた方がよろしい。
与世山寛氏から頂いた1977年の"Ghost Rider"のコピーテープを愛聴していた。
You Tubeでは視聴回数が少なすぎるが、ベストワークと言う方もいた。
Suicide makes me want to keep living? のコメントもありました。
マッシブ・アタック(既出)の源流ではないでしょうか。
上記の"A Way of Life"(1988)が現代に近い、のは当たり前。
できたら両方聴いてほしいです。
終末のロックンロールを。
涙なくして聴けませんよ。

 

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ダンケルク

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仕事が流れてしまったのでシネコンへ行った。
発券機であいかわらずまごついている。
数ある中からダンケルクというのを観た。
クリストファー・ノーランが何を見せたかったのかちと分からん。
反戦の意思があるでもなく、善悪正邪でもなく、ドキュメンタリーでもない。
「やるときはやる。同胞を見捨てることはしない」は美しいが、敵を一人殺しては大喜びせざるを得ない戦争そのものをどう揚棄するのかまでは視線が届いていない。「生き抜け!」と言うはおろか、玉砕ノススメを宣伝しまくっていたわしら帝国軍人への批判はしかと受け取った。


『0.5ミリ』を撮った高知市在住の映画監督安藤桃子さん(奥田瑛二の娘さん)が高知市で映画館を作るらしい。
市内は愛宕劇場独りで頑張ってたもんだ。
映画はテレビで見るより映画館で見たほうがよほどいいと思うんだけど、なにかと吝嗇になったんだよねえ。
こっちのほうがよっぽど「あわれ」だぞ。

 

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お茶っぴき

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台風18号襲来で、市民の平和と安全を守れとの仰せがあった。
安息日たる日曜日、朝8時から待機しておった。
いざという時は道路封鎖せねばならぬ。
夜7時までずっと待機。出発は遂に訪れず(島尾敏雄)。
出動命令は発せられず、腕がなると豪語していた隊員諸君は全員むなしく復員するのであった。
これはこれで疲れる。

 

忙中閑あり

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閑じゃないんだけどね、本をちょびっと読んで、「座頭市喧嘩旅」をちょびっと見て、大相撲をちょびっと見る。
まあだらだらとやる。
申し訳ないほどの非生産感があたしら若旦那衆の喜びである。
(↑シャキッとせーよ)


今日の石浦×勢戦、あたしは勢の腕が先に落ちたと見えたが、軍配は勢。
物言いつかなかった。
ビデオ見たが、どうも勢が落ちたのが先に見える。
石浦はいちゃもん言うでなくさっさと引き下がる。
勢はおおもうけ。
ああいうときは、双方負けの態勢だと思うんだろうな。
勝ち負けがすべてである勝負の世界で、双方が負けと納得するのは、さすが相撲業界。
さすが日本の国技(?)である。


「座頭市喧嘩旅」は1963年だそうな。
勝新太郎も若い。
テレビの座頭市シリーズ(勝新太郎監督)はもっと歳食っていたけど、あれもよかった。
時代は時代劇だねえ。
あっしらは時代に追いまくられて押しひしがれてまいりました。
♪意地で支える 夢ひとつ(「唐獅子牡丹」)もシャボン玉だった。
なにがWindows10だよ。MS-DOS返せよー。


北勝富士はほくとふじ、阿武咲は、なんとおおのしょう、と読むんだって。
読めねーよ。
二人とも21歳、今日の対戦は阿武咲が勝った。
あたしは、青森出身とのことで宝富士と彼をなんとなく応援してます。
意味ないんすけど、青森が好きなんすねえ。
  太宰治の生地とあってはあっしらの聖地でござんす。

 

困ったことに

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おれがDOS、せいぜいWindows95で十分といっているのに、なんでおまえが高級すぎるWindows10をおれに強制するんだよ!
人にはそれぞれ分というものがあるだろうが。
未開人があわてふためくのを見るのがよほど好きなんだな。この先進国野郎が。


プリンターのドライバーをオンラインでダウンロードしたが、「インストールを完了しました」のサインは出るもののプリンターは使えなかった。
以前もそんなことがあった。キヤノンのに新ドライバーをダウンロードしようとして、旧ドライバーをアンインストールした上でやってみたが、ダメであった。つくづくキャノンのソフト開発はクソだなと思う。
ま、おれは思い通り行かなかったらすぐクソ!と言うんだけどね。幼児だから。


今日の現場は某中学校で、16日の体育祭の練習に忙しかった。
吹奏楽部が張り切っていた。
ガーシュインのジャスっぽいものをやっているやつもいた。
中坊、楽しそうだなあ。
おれが中学生の頃はもっと暗かったぞ。
「これチューバ?」
「ユーフォニアムといいます。かわいいでしょ?」
「きみにはかなわないよ」
「ぎゃははは」
おじいさん、女子中学生をナンパしております。

中学生時代か。
いいなあ。

 

わーいパソコン買った

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あ?珍しくない?
驚天動地のビッグニュースが?
そーか、先日書いたな。
今朝飯を食ったかもきのうのことも忘れるからねえ。
これは皆さまもいっしょ。(違っていたらごめんなさい、てへへ)

MS-DOSを返せよー、せめてWindows95にしてくれ。
おれは進化には縁が遠いんだよー。
みんなおれの頭の上を超高速ですっ飛んでいくんだよー。
残されたわしらをあわれとおぼし召すでもなく。
進歩するのはいいよ。歩いていさえすれば進歩はするもんだ。
歩みののろいものにも思いを致してもらいたいものだよ。
人間は歴史的存在であるよりまず空間的存在でなかったのか。

あなたのやりたいことを先どってやってます、と設計者は言う。
おれのやりたいことはおれが設計施工したいんだよ。
そんなわけでどんどんシステムがブラックボックス化する。
「おまえ如きはたんなる消費者であれ」「システムの上で創造者を気取ればいいじゃろ」って。
うんまあ、お世話になります。

Windowsはどんどこ進化している、らしい。
進歩に対する意趣返しは人道に反することでありますから、あたしはヒューマニストとして、そんな馬鹿げたことはいたしませんが、有頂天になることだけはよそう、と、人に隠れてひっそりと思っていこうとひねくれております。
Windows10に触って何時間も経ちませんが、慣れるとけっこうなものだと思えそうです。
それより、アメブロのエディターが使いづらくってよー。

 

海辺の生と死

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島尾ミホの『海辺の生と死』(中公文庫)を読んだ。
うっとりと読んだ。
加計呂麻島にたまに訪れる沖縄芝居の役者衆、支那手妻の曲芸師、講釈師などの旅芸人。
たんに異国ではなくニライカナイからの使者のように受け止めている。
あたしも覚えがある。
紙芝居やアイスキャンデー売り、置き薬屋、小屋掛けの芝居など、どこからか現れどこかへ消えて行った。

南島の娘っ子にとって、島津藩の役人とかヤマトの小役人とかの嫁もしくは妾になることは、とんでもないステータスだった(と柳田國男は言っていた、と思う)。
卑種か貴種かは関係ない。<まれびと>を珍重するのは田舎人の流儀だ。
流浪の珍客、商人や芸人が持ち来る<異国>はまぶしかった。
彼らは聖と卑俗の両義性を持っていたと言える。

新聞、ラジオ、テレビ、本もそれに等しい。
おちゃらけでもなんでも、異国情緒が満載だった。
不倫疑惑だとかをニュースにするのは衰弱したエキゾティシズムだ。
異国は遠いに限る。

島尾ミホは、加計呂麻島に赴任した特攻艇「震洋」部隊の隊長・島尾敏雄にそのように接する。結婚したミホは夫に「隊長さま」の面影を追い求める。
『死の棘』は敏雄からの観測だった。ミホの狂い=<むすぼれ>を、解こうともせず離れもせず付き合っていた。天体観測のように。

ジャック・ラカンの「男は女に向かい、女は狂気に向かう」をまた思い出したわい。
男は恋に飽き、その時女は狂いに近づく。
おれはミホさんがとても尊い神女にみえてしょうがなかった。

 

パソコン新調

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そーゆーわけでパソコン新調の仕儀となりました。

今度はノート型です。NECの。

IBMのシンクパッドのデザインには遥か及びませんが。

「こちらは処理速度が幾分遅くなります。グーグルアース? ちょっと重いですね。」

「かまわぬ。」

 

隈本オヤジ氏から頂いた初代のMS-DOS機NECキューハチ以来、7、8台目になりましょうか。自分で買ったのはWindows95機、同Meのシンクパッド、今回のWindows10機の3台のみ。被害日記さんからの緊急支援に頼っておりました。お世話になっております。

 

どうせこれが終(つい)のパソコン雪五尺。

久しぶりに写真をアップできるかと思ったが、うまくいかない。

しばしラッセルが続きます。

 

 

徘徊老人にお恵みを

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あの町この村、あの道この橋、懐かしいものを渉猟するのである。

言葉や映像は、滅び去るものを遺すのでなかったら意味が無い。

モダニスト方は、それはさておき進歩してください。

世の中、基本的に退歩はない。

あるとしたら、一度目は悲劇、二度目は喜劇、のようなものだ。

 

わたしども新・日本浪曼派は、反動とか守旧とか言われれば、ちょっと違う。

過去は速やかに過ぎ去り、浪曼は未来にしかありえない。でしょ?

書斎革命派よ、書を捨てて街を徘徊せよ。

下等な俗に屈せよと言うんじゃない。

ちゃんと自立して徘徊せよと言うのである。

 

徘徊は彷徨(さまよ)うことに似ているが、同じではない。

徘徊は理念抜きであちこち首を突っ込むが、彷徨はあるものを求めてさすらう。

徘徊は奇(く)しき因縁だけが導きの糸なのである。

 

徘徊老人は、なぜ自分がここを歩いているのか分からない。

導きの糸を解していないからだ。

解していないが、どっちの道でもよかったんじゃなく、この道を、ただひとつのこの道を選択した。

 

徘徊といえど、それがどんなに宿命的なことか知るべきである。

ボケ老人の徘徊は、おのれの宿命の道をたどっているのである。

だから、ここは寛容の眼でもってあたたかく見ていてもらいたい。

徘徊老人は、宿命の残り香を追ってさすらっている。

たとえそこが深海や宇宙だったにしろ、歴史と現代をサーチしているのである。

これを困った徘徊とされるのは、まことに困った理解なのである。

 

ああ、徘徊したい。

あの路地、あのあぜ道、あの谷あの山道、古いものを見出したいのではない。

そこに付加したのである。

つまり、更新するのだ。

 

徘徊せよ、老人。

しあわせや恨みを安っぽく薄めるな。

現行生きていることを手放してはならない。

隠居ができない現代は最大の不幸な時代とも言える。

不幸を享受できない老人は、すまんがどいていてほしい。

                      (文責・アルコール)