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いまは小泉八雲でしょう。
NHKの朝ドラです。
「らんまん」「あんぱん」の続きです。
『怪談・骨董』(河出文庫 2024年)読んだ。
しかも新本で。どーだ。
古本ばかり買っているおれではないのである。
エキゾチズムに正当な権威・地位を与えましょう。
亡霊もなにごとかではある。
モダン思想で無意味と断じるのは、早とちりである。
村一番のモボだと言われたおれが言うんだから間違いない。
参照文献↓
https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%e6%b4%92%e8%90%bd%e7%94%b7&&mid=8788119AD800180F89898788119AD800180F8989&FORM=VAMGZC
毛唐のエキゾチズムに玩弄される前に日本人自身が哀惜すべきだろうと柳田國男らは思ったことでしょう。
ラフカディオ・ハーンは、庶民、小さきもの・零細なものに愛情をそそいだ。日本の諺―一寸の虫にも五分の魂―が好きだった。虫、昆虫ら。ファーブルの『昆虫記』はもちろん愛読していた。
草ひばりを飼っていた。女中の不注意で死なせてしまう。
愛しているなら自分で餌をあげればいいじゃないか。
漱石も鈴木三重吉から貰った文鳥を家の者の不注意で死なせていて家人を怒っていたな。
草ひばりというのは初めて知った。
コオロギの弟みたいなもので、フィリリリと鳴くらしい。
おれはたぶん聴いたことがない。惜しい。
ついでに北杜夫の『どくとるマンボウ昆虫記』(新潮文庫 1977年)も読んでしまいました。これは例によって兄またはその息子の形見分け。
ついでにだな、小泉八雲また買った。
『小泉八雲集』(新潮文庫 上田和夫訳 初版1975年)。
令和7年、68刷。
こいつはなんとスピン紐のしおりが付いておる。
いまどきありがたいもんじゃ。
河出文庫版と重複はあるが、なに、かまうもんか。
どうせ憶えちゃいないしよ。

家族3人揃ったので、久しぶりのドライブ。
伊野ー佐川道の駅ー山越えで須崎ー高速使わず窪川道の駅ー佐賀道の駅。これで100キロ。もう帰ろうよ。
セイタカアワダチソウの群落があった。
「畑?」
「そうだよ。勅使河原流の生け花で使われているね」
耕作放置畑で生えまくっておった。
■この世はもうすぐおしまいだ
そんなことはどうでもいい。
近年わがノートパソコンが超どんくさくなっている。
家人がむやみにあちこちアクセスしてしるとおもったら、
とたんに怪しくまった。
カメラの画像が取り込めなくなっておる。
カメラに接続したら、
「カードが不良です」という警告が出た。
カメラが半分以上使えなくなっている!
(詳細は略)
性悪のウイルスが感染しまくっておる、んじゃなかろうか。
Windows11に買い替えなさいとのことでしょうか。
マイクロソフトの陰謀か?
パソコンまた買うのか?
おしまいだ。おれのAIハイカラ生活も。
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↑なんだ長いアドレスは。
野坂昭如の「マリリン・モンロー・ノー・リターン」のつもりだった。おさがしください。
ジョルジュ・バタイユの『青空』(天沢退二郎訳 晶文社 1968年)読んだ。
兄の書庫じまいで貰ってきた形見分けである。
『マダム・エドワルダ』『眼球譚』『無神学大全 内的体験』『有罪者 無神学大全』は、なぜか家にあったから読んだかもしれん。とにかくあたしは村中で一番モボだと言われていたもんだからよ。新奇なものが好きじゃった。
・・・読んだかどうか、まったく記憶にない。
たいてい読んでないな。 ↑だめだこりゃ
荒地は好みだ。
セリーヌの『夜の果ての旅』やヘンリー・ミラーも好きだった。「荒地」派の詩もね。
希望は何処で贖えばいいのか、みんな探しあぐねていた。
そういう時代だった。
で、希望は見つかったのか?
はてさて。
バタイユも荒地の中で閉じ込められてもがいていた。
そこだけは信じられる。
いかさま前二者と違い解放感もしくは痛快感はまったくない。
まったくインテリつう奴は。
まあ、彼らが苦虫を嚙まなかったら、その役、だれがやる?
だれかが担わにゃいかん。
どうかね、ひとつあなたが。
あまたのテロリストや犯罪者はいまだに彷徨しているじゃないか。荒野を。
ハマス、プーチン、トランプその他習さんや日本の有象無象もお仲間だ。仲間なのにいがみあう。これはありがちなこと。
「国民の団結」、これが頼みの綱だ。
ここにも圧し潰されるやつがあまたいるだろう。
センチメンタリズムは嫌いじゃない。
バタイユのそれは胸苦しく、やや嫌いのほうに振れる。
この書は1935年の作。スペイン内戦の前夜だ。
袖触れ合うも他生の縁だから、ジョージ・オーウェルの『カタロニア賛歌』も読もうか。
《おれの錯乱はまだ終ってはいないのだ。》
《下りは、たいした難儀をせずに、正しい道を見つけた。森の中を曲りくねって走っている非常に短い道だった。》

↑時候の挨拶
なるほど彼岸か。
既出です。あたしたちはシーレ―と呼んでました。
浜の人はシレイと言ったと今日の高知新聞の読者投稿欄にありました。死人花と呼んだ地方もあるらしい。
死者を想う花をあつらえたのは先人の智恵と申せましょう。
数世代前は救荒食として有難がったもんじゃ。
ほんの数世代前には、食う物に困っていた。
それを忘れてもらっては困る。
ほんとにみなさま忘れたふりをするのが上手いからねえ。
あたし?
ふりじゃないもん。
認知症だもん。
過ぎたものはみな美しい。
ほいたらね。
NHKの朝ドラ「あんぱん」が終わってしまった。
主人公の顔が強すぎる。
もっと弱っちいのにしてほしかった。
次は小泉八雲の「ばけばけ」。
またも好きな人だ。
30年前、車で松江の旧八雲邸から出雲大社まで行った。
それはそれは遠かった。
良きこともなく過ぎた。
網戸にとまっていた。
巾12センチほど。立派です。
アゲハ蝶の幼虫はおいらのユズの若葉を貪り食らっていた。
おかげで上部は坊主になってしまった。
サナギは見当たらない。
鳥に食われたろう。
なるほど、そこいらを見てみればドラマはあふれておる。
いわんや人間をや。
動植物を見て人間にも思いを致す。
お閑の方はぜひ試みていただきたい。
あたしはなにしろ忙しい。
きょうなんざ1時から酒飲んでます。

宇佐漁港で上のナイフ。折りたたみ式です。
フィッシュナイフと刻印されているからよく来ている釣り人のものかと思われます。お心当たりの方、ご連絡ください。着払いにてお送りいたします。
車に置きっぱなしですのでスピード違反かなんかで捕まったとき、「これはなんだ」とか銃刀法で逮捕されることはないでしょうか。
あたしたちは武器=ナイフな砂浜の砂に埋めました(song by 石原裕次郎「錆びたナイフ」)。「ぼくはたたかわないにっぽんじんです いのちだけはおたすけを」(鮎川信夫「ある冬のはじめに」)。
たたかわないと決めたら、なんとこの世は極楽だ。とさ。
おめでとうございます。

↑写真は宇佐漁港から横浪スカイラインに入る橋を望む。
よく見えませんが、ここから150円払ってバイクで走りまわったものであります。走り屋仲間から「ヨコナミの青い流れ星」と言われたものだ。沿道の娘っ子どもの願い事を言う暇もなく走り抜けるからねえ。素晴らしい暴走族時代。(←うそつけ)
歴史とはつまるところ思い出である、とは小林秀雄であるが、その伝で言えば、人生とはつまるところ思い出、ではないか。
生きてあることにあっぷあっぷしているのが人生だと思っていたが、来し方にしか人生はないのかもしれません。
「しれません」じゃなく、まさしくそうじゃないのか。
いやまあ、豊かな人生とは金の多寡だとおれなんかは思っておるんだが、俗きわまりない人生観ではある、のかも。
だそうでございますよ。
やんなっちゃいますね。
異常気象とか言ってまして、
そのうちなんとかなるとお考えなんでしょうね。
観測史上最大の雨とか猛暑日連続○○日とか、はしゃいでらっしゃいます。そういえば10年以上前2013年、高知県江川崎で41度の記録を打ち立てまして、どーだ日本一、と浮かれてましたな。
お目出度いことであります。
あんたはどうか知らないが、猛暑でえらく迷惑しておるのだ。
エアコンぶん回しで電気代がかさんでしょうがない。
熱中症もあちことで。
野菜も高いしよ。
だれが責任取ってくれるんでしょうか。
おめえだよ!おめえが責任取ってくれよ。
結局うやむやかよ。
まったく、うやむやが好きだからなあ。
わしら庶民は翻弄されて滅びるだけさ。
■日々是好日
日勤の日は朝5時15分に起きることにしておりますが、今日、目が覚めるとやけに明るい。6時前だよ。目覚ましセットしてなかった。朝飯代わりにバナナ一本食って慌てて家を出た。ケータイ忘れた。いつもの2番電車になんとか乗り込んだ。
腹が痛くなった。
仕事場までもちそうにない。
文殊通の電停にトイレがあるんで下車して駆け込んだ。
ロックを掛ける暇もあればこそ、ちびりながらズボンを降ろした。
3番電車にのりこんだ。
悪いことは重なります。
遅れることを仕事場に連絡しようにもケータイがない。
腹をこわしたのはなんなのか、はっきりしません。
作り置きの焼きそばかワサビもつれの豆菓子か。
まあこんな日もあります。
各位諸兄にも、たぶんあります。
今までなくとも、これからは?
幸あらんことを。
(お食事中の方にはウンが着きます、かならず)
ちょっと遅いんじゃあるまいか。
昨年のことがあるし、実になるかどうか期待ができない。
でもまあ、花が咲いただけでも、めでたくはある。
みかんの花が 咲いている
思い出の道 丘の道
はるかに見える 青い海
お船が遠く かすんでる
「みかんの花咲く丘」
お母さんが送ってくれた故郷のみかん。
故旧忘れうべきや。
岩波文庫の「日本唱歌集」「日本童謡集」にはなかった。
童謡・唱歌はナショナリズムの宝庫だ、
と吉本隆明さんも言っていた(?)。
けれど、この二冊はまことにいい。
ぜひ枕頭にお置きください。
たまには、血塗られたナショナリズムというのにも思いを致す、
これがあなたに残された仕事であります。
もうひと刷毛塗り足らないという殊勝な方も、
いないとはかぎりません。







