若者よ体を鍛えておけ

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ひえ~暑いっす。
命にかかわる暑さ、なんだそうです。
なんのこれしきの暑さ、あたしどもは心頭滅却すれば火もまた涼しと言うのである。やせ我慢ではないんである。
艱難、これすべて試練、修行である。
暑いの寒いの言っている暇はないのである。

 

若者よ体を鍛えておけ。
きゃーバイ菌だらけよ、ファブリーズ、?
無菌状態で生き物が今まで生きてきたわけではない。
O-157よ来るなら来い、どっからでもかかって来い、温暖化も来い、食料危機も来い、どっからでもござんなれ、受けて立とう、これが敷島の大和魂の見せ所である。

 

暑いの寒いの逃げ回ってどーする。
受けて立つ心を宣言しなさい。
原子力にも負けず温暖化にも負けない鍛え上げた大和男子(おのこ)の心意気を今こそ発揚するべきである。

来るものは来る。
その前に鍛え上げておけ若者よ。
うそ寒いなよなよした脆弱をうちすてよ。
 冬よ 
 僕に来い、僕に来い
 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
と高村光太郎は言った。

 

芋虫可愛いや

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↑ほらな、いいやろ?可愛いやろが。
蝶々は芋虫より芳しという通りです。
蝶はいいけど芋虫は・・・・とかいうやつはじつにけしからん。
いるんだよねえ、羽が生える前はいいんだけどと言うやつが。

 

動き出すやつ、足を持つやつ、羽根を持つやつ、こいつらが静けさをやぶった。
捕食者やホモサピエンスがやぶったって罪を問われない。

 

生きるってことはそういうことだからだ。

智恵の始まりは、知ることではなく、無視の力である。

 

生命に倫理はいるのか?

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目の前の食い物を喰らって生きてきた。
ウナギであれマグロであれクジラであれマンモスであれ、無くなったらしょうがないけど、とりあえず食いつぶしてきた。
新生代第四期に死者を弔うという観念=倫理=宗教が初めて生まれた。獲物を予祝する、まあ言葉は悪いが呪うまでにはすぐだったろうが、弔うまでにいたるのはごく最近のことだろう。キリスト教ではあっさり食物とされたが、仏教は生きとし生けるものの生命を尊いものとされた。
(↑このへんリサーチ不足ですから無学を叱られるかも)

 

労働には倫理がいる。
いいものを届ける、という倫理が。
昨今はどうなっているのか知りませんが、職人はそうしてした。
日本のブランド力は彼らによっている。
昨今はどうなっているか知りませんが。

 

倫理道徳、民百姓・熊さん八つぁんらにとってもっとも縁遠い高級な倫理が、じつは日々の倫理道徳になっていた。「灰色の労働を燃」やす(宮沢賢治)のはかれらだった。

そこにあるものを貪り喰らうのが生命の道徳であるのか。
あたしども仏の道を探求するものには、不信。
不信であることをもっとかき集めたいとおもうものである。
諸君らも、もっと不信を蒐集してもらいたい。
どこかで、誰かが、集積せんことには、どうにもならない。
お坊ちゃまはあてにはなりません。
ですからあたしもあてになりません。
(続く)

 

咳がとまらん

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自分の見立てでは、悪性とはおもえない。
これは鼻炎だな、きっと。
鼻水が出る。
痰がたんと出る。
いまのアレルゲンがなんであるかは知らん。
稲、かな。
痰を電子顕微鏡で見たら分かるかもしれん。

 

『微生物の狩人』(ポール・ド・クライフ 岩波文庫)では、顕微鏡下でうごめく病原体など新しい生物を発見する話を紹介している。
望遠鏡は確かに新しい天体を発見した。
おれは顕微鏡の方がはるかにすばらしい新世界だとおもう。
微視力は、細かいようだが人間の生活には有益だったろう。
パストゥール、コッホ、野口英雄など、蚊の体の中にまでに人間の眼が侵入できたのは、革命的な出来事だった。
なにしろ病気は祟りで祈祷師にお祓いをお願いするしか治療法がなかったんだからねえ。

 

一家に一台電子顕微鏡を!
鉱物の結晶とか昆虫の複眼とかを小学生でも見られる環境を。
高エネルギーを使わなくても分子レベルまで見られるものを。
文科省さまよろしくお願いします。

 

長雨通信

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■あわれすいか
先の長雨でプランターのスイカがわやになった。
根腐れをおこしたもよう。
要するに溺れ死んだことになる。
なんで水分吸収をシャットアウトしなかったのか?
せっかく10センチぐらい成長していたのに。
中身はブヨブヨになっていた。

 

■なめくじさん
下のは例によってわがなめくじ長屋にあらわれるなめくじさんの痕。
こんなの舐めて体にいいのか心配になります。

うんちも残されております。

■被害甚大
これほどの災害になろうとは数日前には思いもせなんだ。
冷夏や旱魃、大飢饉は幾多も経験してきたわしぢゃが、
これしきの雨で直接死をもたらすのは想定外ぢゃった。
糧食尽きて死ぬ前に、死ぬ、
そんなこともある。あるんだなあ。
病死とか事故死があるんだから当たり前か。
飢え死にだったらなんとか仇を討ってやろうと思うんだが、
相手が自然だったらいきなり無力になってしまいます。

 

こちら高知です!

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ただいま雨は止んでおりますが、

同僚は、天にこれほど水があったのかと呆れておりました。

72時間で1500ミリ降った所は何か所もあり、

うちから4キロほどの所の避難指示(緊急)はまだ解かれておりません。
避難勧告・避難準備は数知れず。
高知自動車道は立川(たぢかわ)で橋が流され上り線通行止め。
 ↑たじかわと言わずにたぢかわと書くのは県人らしくてかわいい
通信障害で観測データが取れなくなってもいる。
せっかくの七夕がねえ。
織姫と彦星さん、せめてメールでもと思ってたんでしょうが。

 

西日本は大雨洪水・土砂災害・川の氾濫・浸水の警報は出しっぱなし。
広島は呉の20メートルはあろう木造の橋が流されてしまった。
恨みます。
田んぼの様子を見に行って行方不明の方は今回も複数人いる。
田の様子が気にならない農民はいない。
「耕す者は食わず、織る者は着ず」の昔からの伝統だった。
かれらは「土地柄だから」「自然災害だからしょうがない」と言う。

 

「統計を取り始めて初めて」とか「数十年に一度」とか「これまで経験したことがなかったような」の警報は近年多発している。
これが数年に一度とか例年通りになったら、かれらも、地球温暖化とか人工の災害だと言い出すであろう。
梅雨がないとされていた北海道にも今年は梅雨前線が停滞し、
旭川あたりで水害となった。

 

みんな狂っている 2

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わけの分からないものばかり描きおって、
なんで花鳥風月をアートにしないんだよ!
近代によってかき乱された精神の風景がこれなんだよ、
と彼らは言う。

 

するてえと君らは近代の残照を描けばそれでいいとでも思っているのか?

 

絵師、画家にそれ以上の仕事があるのか?
精神の痕を追う、これだけでおれたちはへとへとになるんだよ。
たとえ心情の痙攣にすぎないと言われようとだな、
まさしくそれが現代なのだ。
と彼らは応える。

 

作家たちはみんなへとへとになって現代につき従っている。
なにかを表現することは、衆にすぐれた偉大な事業を為していると彼らは思いたがる。

 

あたしは大いに同情する。つまりシンパシーを感じる。
あたしは同情するに吝嗇ではないのである。

 

あたしは彼らの虚しさを信じる。
「無限の前に腕を振る」(中原中也)ような彼らを。

写真はマン・レイ。下のは今回のとは違う作品。

昨日の実物はアイロンの底一面に釘が出ていた。

みんな狂っている

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ふらりと県立美術館へ行きました。
王様の美術館――フランス近代美術とシュルレアリスムの精華
作家名を書いておきます。
知らん名前もあります。
シャルル=フランソワ・ドービニー、シャルル=エミール・ジャック、ジャン=フランソワ・ラファエリ、ウジェーヌ・カリエール、里見勝三、藤田嗣治、ギュスターヴ・クールベ、ギュスターヴ・モロー、カロリュス=ヂュラン、ジャン・ポール・ローランス、ポール・セザンヌ、ジョルジュ・ブラック、フェルナン・レジェ、ウジェーヌ・アジェ、ナダール、ジャック=アンリ・ラルティーダ、アンドレ・ケルテス、マックス・エルンスト、アンドレ・マッソン、ミロ、タンギー、ダリ、ハンス・アルプ、ピカソ、クレー、オスカル・ドミンンゲス、ハンス・ベルメール、ポール・デルヴォー、マン・レイ、メレット・オッペンハイム、マグリット(ポスターの絵)、ロベルト・マッタ、ヴィフレド・ラム、ヴォルス、ジョン・アームストロング、ジョゼフ・コーネル、キリコ

 

なんか書こうと思ってましたが、名前を書くだけで疲れました。
まあたまには美術館へ足をはこぶのもいいかな。
外は大雨でした。

 

オカヤドカリ

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知ってた?
陸生のヤドカリがいるんだそうな。
海にいた貝がカタツムリとして陸に上がったように、
ヤドカリだって陸に上がったっていいんだよね。
エラ呼吸から肺呼吸になるのはそれほどたいそうな変革じゃなかったのかもしれない。
あたしは生物学上の一か八かの大勝負と思っていました。
陸が桃源郷でないことは、そのうち知るんでしょうが。

 

海で生命を得た生き物が、火星のような陸地にフロンティアとして上陸する。陸地へのロマンにしろ海洋から追い立てられたにしろだ、なんて素敵なドラマでしょう。
モンゴロイドが島影も見えないような海洋に漕ぎ出したようなものだ。幸せがあるかどうかも分からないのに漕ぎ出す。生命史はそんな不条理に立ち向かったのである。

 

なぜ貝のカタツムリがここにいるか。
なぜヤドカリが陸にいるか。
神様がここに生み落としたわけではない。
ある生き物が、ある他人が、ただそこにつっ立っている、
と思ったら大間違いである。

 

そんなわけで、ダーウィンの『種の起源』(岩波文庫)をだな、
読みかけたのである。
これが、長い。じつにどーも、、、、はかどらない。
ダーウィンが来た!の方がよほどわかりやすい。
次の版が出るのかどうか知らないが、青少年向けに、図版をたくさん入れていただきたいと切に思うものであります。

 

※上の写真は室戸で発見されたムラサキオカヤドカリ。
九州の一部と高知県の一部で見られるそうです。
天然記念物に指定されてますんで捕獲・採集はやめてください。

 

どーじゃ、ん? ありがたさに涙が出てきたぢゃろが。

 

みきさんの予知能力や他人の力をコントロールができる異能力がわかる。そこひの患者やあちこちの痛みに対する治癒能力も、イエスに負けず持っていた。
それとともに、他人の痛みを感受できる能力もだ。

 

「遠野物語」にもその手の異能の力は描かれている。
宗教の縁起だろう。
近代人が迷信として葬ってきたものだ。

 

つまり、救いをどこに求めようか?である。
近代人は、それを金銭に求めようとした。
<普遍性>を現今では貨幣にしか求めえないからである。

 

いずれ、夕焼け小焼けの赤とんぼのナショナリティも貨幣に両替されるでしょう。
GNPとかいう指数に換算されてしまう。

 

皆さまは、それが幸せへの接近度と思し召されるでしょう。
あたしは不信。
どこかに不幸せはないものか?と思ってしまう。
じつは、それどころではないんすけどね。