ジョルジュ・バタイユの『青空』(天沢退二郎訳 晶文社 1968年)読んだ。
兄の書庫じまいで貰ってきた形見分けである。
『マダム・エドワルダ』『眼球譚』『無神学大全 内的体験』『有罪者 無神学大全』は、なぜか家にあったから読んだかもしれん。とにかくあたしは村中で一番モボだと言われていたもんだからよ。新奇なものが好きじゃった。
・・・読んだかどうか、まったく記憶にない。
たいてい読んでないな。 ↑だめだこりゃ
荒地は好みだ。
セリーヌの『夜の果ての旅』やヘンリー・ミラーも好きだった。「荒地」派の詩もね。
希望は何処で贖えばいいのか、みんな探しあぐねていた。
そういう時代だった。
で、希望は見つかったのか?
はてさて。
バタイユも荒地の中で閉じ込められてもがいていた。
そこだけは信じられる。
いかさま前二者と違い解放感もしくは痛快感はまったくない。
まったくインテリつう奴は。
まあ、彼らが苦虫を嚙まなかったら、その役、だれがやる?
だれかが担わにゃいかん。
どうかね、ひとつあなたが。
あまたのテロリストや犯罪者はいまだに彷徨しているじゃないか。荒野を。
ハマス、プーチン、トランプその他習さんや日本の有象無象もお仲間だ。仲間なのにいがみあう。これはありがちなこと。
「国民の団結」、これが頼みの綱だ。
ここにも圧し潰されるやつがあまたいるだろう。
センチメンタリズムは嫌いじゃない。
バタイユのそれは胸苦しく、やや嫌いのほうに振れる。
この書は1935年の作。スペイン内戦の前夜だ。
袖触れ合うも他生の縁だから、ジョージ・オーウェルの『カタロニア賛歌』も読もうか。
《おれの錯乱はまだ終ってはいないのだ。》
《下りは、たいした難儀をせずに、正しい道を見つけた。森の中を曲りくねって走っている非常に短い道だった。》
