ナマステー
HOWL GUITARSのhiroggyです。
前年のブログに続きイントロ文で、インド一人旅の中で起きた事などを面白おかしく文章に表してみようと思います。旅の供に持って行った小説が村上春樹氏の小説だったので、ちょっとハルキノベル風旅行記にトライしています(笑)
最初の滞在地、ゴアでのアレコレ。
楽器説明文と写真だけ見たい人はサーとスクロールダウンしちゃって下さいヾ( ´ー`)
インド旅行記 (8) ゴア編 「音楽に国境はない」
火曜日、インド滞在4日めの朝。昨夜寝る前にバルコニーに干しておいた下着類はからっからに乾いていた。今日の天気も素晴らしい快晴で、肌に痛いくらいの太陽光を浴びながら寝起きの一服をする。近くに生えている大きな木には色鮮やかな小鳥がとまっていて、すばしっこく木の幹を走り回るリスもいる。理想的なインドの朝の風景だ。チェックアウトの時間は11時だったので、余裕をもって熱いシャワーを全身に思う存分浴びる。ちょっと値は張ったけど (といっても一泊2000円くらい) この 「ギターゲストハウス」 はとてもいい宿だった。僕のゴアでのビーチライフを快適にしてくれたのはこのゲストハウスが結構大きいと思う。
冷蔵庫の中でよく冷えたスミノフヴォッカ、アブダビで買った1カートン分のラッキーストライクをリュックサックに詰め込んだ。あらかじめスペースは用意していたのでうまく収まったがやはりヴォッカのボトルは予想以上に重い。予想外の荷物は太鼓売りから買った小さい太鼓だ。リュックサックの上に括り付けてみたりしたがうまく固定されない。ブランケットで丸めるように包みストラップで止めてみる。なんとか運べそうだ。
部屋の鍵を渡してチェックアウトをする。一階のポールさん一家の部屋ではみんな揃ってランチをしていた。
「ゴアのビーチは楽しめたみたいだね。このあとはどこに行くんだい?」
食事を済ましたポールさんは手と口の周りを水桶に入った水で洗いながら僕に尋ねる。
「ハンピ村に行こうと思ってるよ。あの村に凄く興味があるんだ。ちなみにハンピまでのバスチケットはパナジまで行かなきゃ買えないんだよね?」
僕はガイドブックに書いてあった情報を思い出して聞いてみた。ハンピ村までは夜行バスで行くことになる。まずはここカンドリムからカラングートのバスロータリーまで行ってバスに乗って、さらに大きなバスターミナルがあるゴアの州都パナジ市に行かなければなのだ。そこで今夜の夜行バスチケットを買うことが今日の第一ミッション。
「ハンピか、あそこは神聖な村でとても静かでいいよ!そうだ、これからちょうどパナジに用があって行くから、バイクで乗っけて行ってあげるよ!」
「マジで!?ありがとう!」
昨日のバイカーおじちゃんに次いでラッキーなライディング。ポールさんのご好意に甘えて僕はちゃっちゃとポールさんのHONDA製の原付バイクの後ろにまたがった。
「オーケー。いくよ」
しっかりとフルフェイスのヘルメットをかぶったポールさん。バイクが走り始めて30秒で道の真ん中に鎮座しているユルめの牛糞の上を豪快に走り抜けた。僕は自分の足にビチグソが飛び跳ねて付いてないかとても心配になった。
ポールさんとのパナジまでの道中の会話は叫ぶような大声で行われた。バイクのエンジン音、風の音、そしてポールさんはフルフェイスのヘルメット。
Pさん 「日本で何やってるのー!?」
僕 「ギター売ってる!!だからギターゲストハウスに泊まろうって決めた!!」
Pさん 「マジー?!おれギター大好きなんだ!!そんな上手くないけどギターひけるんだぜ!」
僕 「そうだと思ったよ!」
見た目では絶対に年上だと思ってたポールさんは、実は僕と同じ歳ということが判明。そんな共通点もあってかそのあとも絶えることなく僕たちは叫び合いながらギター談義・オン・ザ・バイクをした。ポールさんは何か言うたびに横を向いたり後ろを向いて叫ぶもんだから僕は彼が前方不注意で事故らないかヒヤヒヤだった。ポールさんはエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、スティーヴ・ヴァイとかが大好きだと言っていた。僕も誰が好きか聞かれたので 「ロバート・フリップだ!」 と言うと即答で 「知らねー!!」 と返ってきた。ポールさんいわくインドではウェスタン・カルチャー発祥のエレキギターとかの流通はまだメジャーではないらしく、大都会のムンバイやデリーに行かなきゃ売っていないらしい。いつかアメリカ製のギブソンとかフェンダーを買うのが夢だと言う。僕は自分がいかに恵まれているかを強く感じた。普段は日本の東京で、楽器店にいて、世界中のギターキッズが憧れるメイド・イン・アメリカのギターを扱い、さらにはポールさんが好きなレジェンド達が愛用した同じスペックのヴィンテージギターだって手に取る機会が日常にある。僕はラッキーだ。
パナジに着いて、ポールさんの知り合いがいるという旅行代理店の前でバイクを降りた。もしポールさんが東京に来るような機会があれば、と思い、僕はポールさんのメモ帳に自分の楽器店名とホームページアドレスを書き残した。音楽に国境はない。僕はギターが好きでよかった。そして固い握手をして別れた。
「僕たちはもっとたくさん話が出来るね、また会えたらその時に!ばいばい」
と言ってポールさんはバイクに乗って去っていった。
次項に続く→ ←前項に戻る それでは本題の楽器紹介です。
今回ご紹介するオレンジーナなアンプくんは
Orange 1969年製 MATAMP OR-100 Head [Super Rare!!] レアなOrange 1969年製 MATAMP OR-100 Headが入荷致しました。
派手なカヴァリングとポップなコントロールレイアウトが人気の英国製アンプ「Orange」。
HIWATTやSound Cityと並び、頑丈で高出力なアンプを数多く製造しており、70年代のOrange OR120は最も有名なフラッグシップモデルです。
そのOR120の原型である Orange MATAMP OR-100の入荷です。
< Orangeの歴史とMATAMPの誕生まで >
Orangeはイギリス・ロンドンのウェストエンドで1968年にクリフォード・クーパーにより創立されました。最初は地下にレコーディングスタジオとして営業をはじめますが、すぐに一階部分でクーパー氏所有の機材を売る楽器店を開きます。当時ではまだ珍しかった "セカンドハンド・ミュージック・ショップ" つまり中古楽器専門店として事業を展開し、当時のロンドンで売れ始めていたミュージシャン達 (Eric Clapton, Paul Kossoff, Peter Green, Marc Bolanなど) の溜まり場となり、知名度を上げていきます。
しかし中古楽器だけではストック不足ですぐに経営難になると見据えたクーパー氏は、自身の楽器店 「Orange Music」 のオリジナルブランドアンプの製造を決意します。そして68年の秋、ロンドンから程遠いウェストヨースシャー州ハダーズフィールドでアンプ技師をしているマット・マシアス氏にアンプの製造を依頼します。マット氏はすでに自身のアンプブランドとしてMATAMP (30Wのギターアンプなど) を持っていましたが、あまりにもクリーンでHi-Fiすぎて当時のギタリスト達には好みに合わなかったそうです。そこでOrange Musicのクーパー氏と共同で現存のMATAMPを元にしたニューデザインのアンプを開発します。それには現在も愛され続けているOrangeならではのサイケデリックな書体のブランドロゴ、ヴィヴィッドなカヴァリングが含まれています。Orangeアンプの原型、「Orange MATAMP」 の誕生です。よく誤解されがちですが、Orange MATAMPは決して会社とかではなく、Orange Musicが当時のギターリスト達に照準をあててアンプを製造するにあたってMATAMPとコラボレーションして出来上がったひとつのブランド名です。
そしてマット氏はプロトタイプアンプをロンドンに持ち込み、当時ブルースロックバンドで絶大な人気を誇っていたFleetwood MacのPeter Greenによって使用されました。Peter Greenはそのアンプを気に入りOrangeはFleetwood Macと初のエンドース契約を結び、Fleetwood Macは68年末からのアメリカツアーにアンプ、キャビネット、PA機器などのフルライナップを揃えてツアーを回りました。
プロトタイプとして造られたアンプには6550/KT-88パワー管を2本使用して100Wの出力を出していましたが、正式なOrange MATAMPとしてはEL34が4本で100Wとなりました。
69年に店頭で販売を開始して一年も経たないうちに、Orange MATAMPの人気は爆発的に上がりました。100Wモデルに加え200Wモデルも発表され、200WのOrange MATAMPはLed ZeppelinのJimmy Page氏に愛用されるようになります。かなり多くのバックオーダーを抱え、今までのマット氏の工房では手に負えず、70年に新しく大きな工場へと生産の場を変えます。しかし、クーパー氏は当時のギターリストが欲しがっているのはもっともっと歪むアンプだと見据えて、Orange MATAMPの製造は68年~70年の短い期間で終焉を迎えます。その後Orangeはさらにルックスをポップ化した "Pics & Text" のデザインにし、より歪む回路に変更し、72年にORシリーズを販売開始してOrange Ampを更に有名にしました。
さて、この個体に話を戻します。
この個体は1969年に製造された一台で、EL34を4本使用した100Wヘッドアンプです。
そのキャビネット大きさからは考えられない重さで、かなり頑丈な造りをしています。
中のパーツには英国製高級トランスとして名高いPartridge製トランスを使用しています。
レイアウトや使用しているパーツなど、同じ英国製アンプのHIWATTやSound Cityとも共通点が多いのも興味深いポイントです。
それではお写真を公開です。
フロントです。サイケデリックなOrangeロゴに実直なMATAMPのロゴの組み合わせ。
コントロールパネル左側です。左から INPUT 1,2 / DEPTH (プリセットベーストーン) / DRIVE (プリセットゲイン) / BASS / TREBLE
コントロールパネル右側です。左から BOOST (実はプレゼンス) / VOLUME / ECHO (エフェクトループ) / 電源スイッチ
top viewです。オリジナルハンドルにオリジナルのオレンジカヴァリング。
back viewです。レトロなポップカラーです。
バックパネル左側です。電源ソケットはインレットに交換されています。オリジナルのヴォルテージセレクター。
中央のモデルネーム、シリアルナンバーのプリントです。
バックパネル右側です。オリジナルのインピーダンスセレクターにスピーカーアウトジャック。
バックパネルを外した状態です。これは重いはずだ。と頷いてしまう。
シャーシを取り外した状態のキャビネットです。
取り外したシャーシです。EL34管を4本使用。全てパートリッジトランスで統一されています。ゴツいですね。
オリジナルのパートリッジ製パワートランスです。とてもデカイです。
オリジナルのパートリッジ製アウトプットトランスです。とってもデカイです。
オリジナルのパートリッジ製チョークトランスです。フィルタリングキャップの上にもシリアルナンバーが書かれています。
シャーシ内部の画像です。高品質なイギリス製のパーツが使用されています。
シャーシ左側の画像です。sound cityと共に60年代からエフェクトループを搭載している点は先進的です。
シャーシ右側の画像です。2つのロータリースイッチの裏側が確認できます。
特注オーダーのツアーケースが付属致します。
なかなか市場に出てこないOrange Ampの原型、60年代 Orange MATAMP。
100Wの出力で圧倒的なパワーをもった爆音アンプです。
DRIVEのゲインセレクターの使い方で大音量で図太いクリーンサウンドから芯があり抜けの良いドライヴサウンドまで出ます。
当時のイギリス製高品質パーツがふんだんに使われています。
お探しの方はこの機会に是非!
hiroggy
HOWL GUITARS