※このシリーズは、僕たち夫婦が過去に取り組んだ妊活・不妊治療の記録を、時間が経った今、振り返って綴っているものです。


治療のスケジュールは予定通りにいかない

不妊治療は大変です。
生理周期はおおよそのスケジュールが立てやすいとはいえ、身体のことなので当然ずれることもあります。2〜3日早まったり遅れたりするだけで、当初立てていた予定は崩れてしまいます。

そうなると、病院に行くために会社を早退したり休んだりしなければならない場面が出てくるのです。

最初の2周期は偶然うまく回った

1周目は、たまたま通院日が妻の休みと重なり、特に支障なく進みました。
2周目は、スミ妻がちょうど長期休暇を取っていた時期で、こちらも問題なし。

でも、3周目に突入したら…?
「もし仕事の日に重なったらどうしよう」
そんな不安が、じわじわと日々を覆っていきました。

付き添いはできる限り

話し合いの結果、僕は仕事の合間を縫って、付き添えるときはすべて付き添うと決めました。
それでも2周目のときは、ほとんど一緒に行けなかったのが現実です。

「仕事を辞める」という選択の意味

不妊治療を受けるために仕事を辞める方がいる――そんな話を聞いたことはありました。
正直、以前は少し遠い世界の話のように感じていたのですが、実際に経験してみると、その気持ちが痛いほどわかります。

日程が読めない、調整も大変、そして治療は待ってくれない。
治療と仕事の両立は、想像以上に神経を使うものでした。

というわけで——
たくさん悩んで、たくさん歩いて、たくさんの間取りを描いた私たちでしたが、
最終的に選んだのは、建売住宅でした。

建売に決めたあとの率直な気持ち

思うところがないといえば嘘になります。
正直、注文住宅を考えていたあの時間は、とても楽しかったです。
土地を見つけては、マイホームデザイナーで間取りを何通りもつくって、
どこに収納を置くか、風の通り道はどうなるか、朝日が差し込むのはどの窓か。
あれこれ想像しながらつくった図面は、どれも“未来のわが家”の姿でした。

建築士さんとやりとりしてできあがった間取りにも、
それぞれの部屋にしっかり意味があって、暮らしのイメージが膨らむものでした。

それだけに、「この家ができるのは1年以上先」と言われたとき、
だんだんと現実とのギャップが大きくなっていきました。

外壁を選ぶ時間も、床の色を決める時間も、クロスのサンプルを見比べる時間も、
きっと私たちにとっては一生に一度の経験だったはずです。
そういう“家づくりの醍醐味”を味わえなかったのは、
やっぱり少しだけ、心のどこかで惜しい気持ちはあります。

それはそれとして

それでも、今はそれを上回る安心感があります。

注文住宅を選ばなかった一番の理由。
それは、「立地」でした。

建売住宅は、間取りも仕様も基本的には決まっていて、
自由度の高さは正直なところありません。
でも、今回の建売は、実家にも近く、生活圏も馴染みがあり、
子育てや仕事のことを考えてもベストな立地でした。

立地を最優先とした私たちにとって、
この建売住宅は「必要なものがすでに揃っている」選択肢だったのだと思います。

もちろん、住まいに“自分たちらしさ”を加えていく楽しみはこれから。
キッチンや収納をリフォームしたり、家具やカーテンを工夫したり、
小さな部分から「スミ家仕様」にしていくプロセスはきっと面白い。

だから、いまのところ後悔はありません。
自分たちにとって、いちばん良い選択ができたと思っています。

 

——それと、あの大量に描いた間取り図たち。
もしよければ誰か使ってくれませんか?笑

※このシリーズは、僕たち夫婦が過去に取り組んだ妊活・不妊治療の記録を、時間が経った今、振り返って綴っているものです。


「人工授精です」と言われた日

先生から、「今回は人工授精もやってみましょう」と言われたとき。
僕は、ちょっと不思議な気持ちになりました。

「いよいよ次の段階に進んだ」
「治療が本格化した」
そう思う反面、心の中に引っかかるものがあったんです。

タイミング法は“アドバイス”の延長だった

これまでのタイミング法は、先生の指示に沿ってタイミングを合わせるというもので、どちらかというと「今まで自己流でやっていた妊活を、プロが手助けしてくれるようになった」という感覚でした。

いわば、“治療”というより“アドバイス”。

でも、人工授精と聞いたときは違いました。
病院がもっと踏み込んだ行動をしてくれる、まさに医療的介入を受けているという実感が、ぐっと強くなったんです。

「うまくいかなかったんだな」と思ってしまった

そこでふと湧いてきたのが、

「自力では、やっぱりうまくいかなかったんだな」

という、なんとも言えない感情でした。
別に誰かに責められたわけでもないし、失敗だと決まったわけでもないのに、
どこか「申し訳ない」ような、「力不足だった」ような、そんな気持ちになっていました。

これは言葉にするのが難しい感覚で、でも確かに僕の中にあった実感です。

妻の受け止め方は、少し違っていた

後からその気持ちを妻に話してみたところ、妻の反応は少し違っていました。

「私は婦人科に来た時点で、もう治療されてる感覚だったよ。
今回の人工授精は、その延長線上にあるだけって感じかな」

なるほどな、と思いました。

妻はずっと身体の検査や薬の処方、日々の体調管理を通して、最初から「治療されている」ことを強く感じていたんだと思います。
でも僕は、精子検査以外では病院に直接関わる場面も少なくて、「夫としてサポートしている」側にとどまっていたのかもしれません。

やっと「自分ごと」になったという気付き

人工授精の話を聞いたときに、「向き合わなければ」と強く思ったのは、
きっとそれまでの僕が、どこかで“他人ごと”のように妊活を見ていた部分があったからなんだと、あとから気づきました。

妻の身体のことを心配していたし、気遣っていたつもりでも、
自分が“当事者”として真正面から受け止めていたかと言えば…正直、少し甘かったのかもしれません。

そのことにも、申し訳なさがじんわりとありました。

でも、ここからだと思った

気持ちは揺れたけれど、決して後ろ向きではなくて、
「これでようやく、自分もちゃんと向き合っていける気がする」
そんな感覚がありました。

人工授精は次のステップ。
でも、僕にとっては“妊活が本当に始まった”と感じた分岐点だったのかもしれません。