※このシリーズは、僕たち夫婦が過去に取り組んだ妊活・不妊治療の記録を、時間が経った今、振り返って綴っているものです。
「人工授精です」と言われた日
先生から、「今回は人工授精もやってみましょう」と言われたとき。
僕は、ちょっと不思議な気持ちになりました。
「いよいよ次の段階に進んだ」
「治療が本格化した」
そう思う反面、心の中に引っかかるものがあったんです。
タイミング法は“アドバイス”の延長だった
これまでのタイミング法は、先生の指示に沿ってタイミングを合わせるというもので、どちらかというと「今まで自己流でやっていた妊活を、プロが手助けしてくれるようになった」という感覚でした。
いわば、“治療”というより“アドバイス”。
でも、人工授精と聞いたときは違いました。
病院がもっと踏み込んだ行動をしてくれる、まさに医療的介入を受けているという実感が、ぐっと強くなったんです。
「うまくいかなかったんだな」と思ってしまった
そこでふと湧いてきたのが、
「自力では、やっぱりうまくいかなかったんだな」
という、なんとも言えない感情でした。
別に誰かに責められたわけでもないし、失敗だと決まったわけでもないのに、
どこか「申し訳ない」ような、「力不足だった」ような、そんな気持ちになっていました。
これは言葉にするのが難しい感覚で、でも確かに僕の中にあった実感です。
妻の受け止め方は、少し違っていた
後からその気持ちを妻に話してみたところ、妻の反応は少し違っていました。
「私は婦人科に来た時点で、もう治療されてる感覚だったよ。
今回の人工授精は、その延長線上にあるだけって感じかな」
なるほどな、と思いました。
妻はずっと身体の検査や薬の処方、日々の体調管理を通して、最初から「治療されている」ことを強く感じていたんだと思います。
でも僕は、精子検査以外では病院に直接関わる場面も少なくて、「夫としてサポートしている」側にとどまっていたのかもしれません。
やっと「自分ごと」になったという気付き
人工授精の話を聞いたときに、「向き合わなければ」と強く思ったのは、
きっとそれまでの僕が、どこかで“他人ごと”のように妊活を見ていた部分があったからなんだと、あとから気づきました。
妻の身体のことを心配していたし、気遣っていたつもりでも、
自分が“当事者”として真正面から受け止めていたかと言えば…正直、少し甘かったのかもしれません。
そのことにも、申し訳なさがじんわりとありました。
でも、ここからだと思った
気持ちは揺れたけれど、決して後ろ向きではなくて、
「これでようやく、自分もちゃんと向き合っていける気がする」
そんな感覚がありました。
人工授精は次のステップ。
でも、僕にとっては“妊活が本当に始まった”と感じた分岐点だったのかもしれません。