3-10 ハワむにも埁った

    二匏倧艇

 昭和二十幎䞉月十䞀日午前九時二十分、九州の南端䜐田岬䞊空に集結した陞䞊攻撃機「銀河」ニ四機は、犏田幞悊倧尉のひきいる菊氎郚隊梓特別攻撃隊の線隊であった。これを攻撃地りルシヌに誘導するために二機の二匏倧艇が先行した。米軍が第二次倧戊䞭もっずも優れた飛行艇ず倪錓刀を抌したこの二匏倧型飛行艇は、昭和十䞃幎䞉月から哚戒、偵察、爆撃そしお連絡飛行などに䜿われたが、䞀䞀型二機を䜿っお、䞉月四日、マヌシャル矀島のりオッれ基地からハワむの真珠湟に第二次奇襲攻撃をかけた。

 䞀番機は橋爪倧尉、二番機が笹尟少尉、ずもに雲䞭から掚枬爆撃を行っお二十䞀時垰還の途に぀いたずいう。長躯りルシヌに特攻をかけた梓隊は、途䞭で匕返した故障機を陀いお、その十䞀機が二五二キロを飛び党機突蟌んだ。  

 二匏倧艇は旅客茞送甚にも改造しお六四垭の堎をずりその名も「晎空」ずしお働いた。 党文

 

 蚻1 二匏倧艇

 二匏飛行艇 H8K

 川西航空機が海軍向けに開発した高翌単葉四発倧型哚戒飛行艇。

 昭和13幎1938幎海軍は九䞃匏飛行艇の埌継機の開発を十䞉詊倧型飛行艇ずしおその開発を川西に指瀺した。

 その海軍からの芁求性胜は次のようなものであった。

・最倧速床は 240kt(444km/h)以䞊

・巡航速床で航続距離 4,500海里8,200km)以䞊 偵察時 4,000海里7,400km) 攻撃時 3,500海里6,500km)以䞊

・爆匟 1,000kg 1個 又は 800kg航空魚雷2本 搭茉可胜

 この芁求性胜は攻撃飛行艇ずしおは圓時の他囜飛行艇の氎準をはるかに超える砎栌の数字、芁求であった。

 川西では九䞃匏飛行艇の開発を担圓した菊原静男技垫を蚭蚈䞻務者ずしお昭和13幎6月に蚭蚈に着手した。昭和15幎12月、詊䜜䞀号機が完成、3ヶ月の瀟内詊隓飛行の埌、昭和16幎3月に海軍に領収された。

 海軍での詊隓の結果、4機の増加詊䜜が行われ、その機のテスト結果による改善、改修が行われた埌、昭和17幎皇玀2602幎2月、二匏哚戒飛行艇䞀䞀型(H8K1)ずしお制匏採甚され 17機が生産された。この幎の機䜓の皮別倉曎に䌎い 二匏飛行艇䞀䞀型に改称された。この二匏飛行艇は二匏倧艇ずも呌ばれた。

 機䜓ぱンゞンに䞉菱の火星1,520銬力、基を搭茉、现長い䞻翌幅38m)、现身の艇䜓を持぀、総重量24,000kg 離氎性胜の高い航続距離7,200kmの高性胜倧型飛行艇が完成した。

 この埌䞉菱火星二二型1,850銬力に゚ンゞンを匷化した機䜓が 䞀二型(H8K2)ずしお昭和18幎6月に完成、この䞀二型が最も倚く 119機が生産された。翌端フロヌトず艇䜓䞊郚の20mm機銃銃座を匕蟌匏にした速床向䞊型が 二二型H8K3)ずしお詊䜜2機が補䜜された。その他、䞀二型をベヌスに茞送機型に改造された「晎空」茞送飛行艇ある。

 生産は川西で二匏飛行艇各型合せお 131機、茞送型飛行艇「晎空」が36機が生産された。

 昭和17幎3月から郚隊配備が始たり、3月の長距離航続力を生かしおの二匏倧艇2機による第二次真珠湟攻撃。昭和18幎のラバりル基地から撀退の兵士救出に二匏倧艇15機による兵員茞送。昭和20幎3月の九州南端からりルシヌ泊地奇襲攻撃の銀河の誘導。等二匏倧艇の特性を生かした掻躍がある。 

 

 二匏飛行艇 H8K 各型

・十䞉詊倧型飛行艇 H8K

 ゚ンゞン䞉菱 火星䞀二型 空冷耇列星型14気筒 1,530hp(離昇4

・二匏飛行艇䞀䞀型二匏哚戒飛行艇䞀䞀型 H8K1

 ゚ンゞン䞉菱 火星䞀二型 空冷耇列星型14気筒 1,530hp(離昇4

・二匏飛行艇䞀二型 H8K2

 ゚ンゞン䞉菱 火星二二型 空冷耇列星型14気筒 1,850hp(離昇4

・二匏飛行艇二二型 H8K3

 䞀二型の飛行性胜速床向䞊型

・晎空䞉二型(二匏茞送飛行艇 H8K2-L

 䞀二型ベヌスの茞送機型

 

 晎空䞉二型二匏茞送飛行艇 H8K2-L

 川西航空機が海軍向けに二匏飛行艇䞀二型を.ベヌスに開発した茞送型飛行艇。

 昭和17幎はじめ、海軍は川西に二匏飛行艇をベヌスに茞送型飛行艇を二匏茞送飛行艇ずしおその開発を指瀺した。

 川西は昭和18幎2月、二匏茞送飛行艇ずしお完成された。機皮名称倉曎に䌎い「晎空」䞉二型ず改称、制匏採甚された。

 昭和18幎に11機、昭和19幎に24機、詊䜜機を含め36機が生産された。

 艇内は䞊䞋2段に分けた旅客宀ず貚物宀を蚭け旅客宀の䞡偎に窓を蚭け、非垞口の増蚭、防音、暖房を敎備、座垭には向かい合った長怅子タむプベンチタむプで最倧64名又は個人シヌト仕様゜ファヌタむプで最倧29名の搭乗が可胜であった。

 

 二匏飛行艇䞀二型 H8K2 諞元

 ゚ンゞン䞉菱 ç«æ˜ŸäºŒäºŒåž‹ 空冷耇列星型14気筒 1,850hp(離昇4

 乗員10名12名

・党幅 37.98m ・党長 28.13m ・党高 9.15m ・自重 18,400kg ・党備重量 24,500kg

・最倧速床 465km/h (高床5,000m) ・航続距離 8,223km

・歊装 20mm旋回機銃x5 (機銖 x1 尟郚 x1 艇舷 x2 è‰‡äžŠïŒˆ2連装x1 7.7mm機銃x1

     爆匟 60kg x16 又は 250kg x4 又は航空魚雷800kg x2 

 

 晎空䞉二型 H8K2-L

 ゚ンゞン䞉菱 火星二二型 1,850hp(離昇4

 乗員9名+ 乗客 64名最倧

・党幅 37.98m ・党長 28.13m ・党高 9.15m ・自重 15,233kg ・党備重量 26,683kg

・最倧速床420km/h (高床4,000m) ・䞊昇限床 8,780km

・航続距離 3,700km  4,440km

 

 九䞃匏飛行艇 H6K

 川西航空機が海軍向けに開発したパラ゜ル高翌、単葉、応力倖皮構造四発哚戒飛行艇。

 昭和8幎1933幎、海軍は委蚗統治した南掋諞島旧ドむツ領ニュヌギニア地域内南掋ずの連絡甚に倧型飛行艇を甚いるこずを蚈画、その倧型飛行艇を八詊倧型飛行艇ずしお川西に開発を指瀺した。

 その開発途䞭、昭和9幎1934幎海軍は有事の際アメリカに察抗するため、より明確な哚戒任務が可胜な倧型飛行艇の開発を八詊倧型飛行艇の開発を䞭止させお九詊倧型飛行艇H6Kずしおその開発を川西に指瀺した。

 海軍が川西に瀺した芁求性胜は次のようなものであ぀た。

・航続距離は120kt(222km/h)で2,500海里4,625km)以䞊

・最高速床は160kt(296km/h)以䞊

・航空魚雷2本搭茉可胜

 川西では橋口矩男、菊原静男技垫を蚭蚈䞻務者ずしお米海軍のP2Y-1などを参考にしお、昭和9幎蚭蚈に着手した。詊䜜䞀号機は昭和11幎1936幎7月に完成、初飛行した。

 機䜓は䞻翌に2本の桁の波板構造、゚ンゞンに䞭島 光二型840銬力4基を搭茉した倧型飛行艇が完成した。

 海軍に匕き枡され各皮の詊隓が行われ、その詊隓の結果、搭茉゚ンゞンの出力䞍足が指摘されたが、゚ンゞンをより高出力のものに換えるこずで増加詊䜜機4機が補䜜され、昭和13幎1938幎1月、九䞃匏䞀号飛行艇(H6K1)ずしお制匏採甚された。

 次いで゚ンゞンを䞉菱金星四䞉型1,060銬力を搭茉した出力向䞊型が 九䞃匏二号飛行艇䞀型H6K2)ずしお10機が生産された。その10機の内、機号、号機が詊隓的に茞送型H6K3)に改造された。

 昭和15幎から16幎にかけお゚ンゞンを䞉菱金星四六型1,070銬力搭茉した゚ンゞン匷化型が 九䞃匏二号飛行艇二型/䞉型H6K4)ずしお127機が生産された。

 昭和17幎、機䜓皮別倉曎により 九䞃匏二号飛行艇䞀型は 九䞃匏飛行艇䞀䞀型H6K2)に九䞃匏二号飛行艇二型/䞉型は 九䞃匏飛行艇二二型H6K4)ず改称された。

 最終量産型ぱンゞンを䞉菱金星五䞀型1,300銬力を搭茉した゚ンゞン匷化型が 九䞃匏飛行艇二䞉型H6K5)ずしお36機が生産された。

 その他茞送型があり 䞀䞀型を茞送型ずした 九䞃匏茞送飛行艇䞀䞀型H6K2-L)が16機生産、二二型を茞送型ずした 九䞃匏茞送飛行艇二二型(H6K4-L)が22機生産、茞送型飛行艇は38機が生産された。この九䞃匏茞送飛行艇には民間旅客飛行艇ずしお䜿甚した川西匏四発飛行艇18機がある。

 九䞃匏飛行艇は生産が終わる昭和17幎たでに川西で179機が生産され、茞送型も38機が生産された。

 昭和16幎から南方での調査、偵察に䜿甚され、開戊圓初は長距離哚戒、爆撃に甚いられたが防匟装備が匱く、倧戊䞭期以降は埌方での茞送、連絡の任務に埓事、前線任務は二匏倧艇に移った。

 

 九䞃匏飛行艇 H6K 各型

・九䞃匏䞀号飛行艇九詊倧型飛行艇 H6K1

 ゚ンゞン äž­å³¶ 光二型 空冷耇列星型14気筒 840hp x4

・九䞃匏飛行艇䞀䞀型九䞃匏二号飛行艇䞀型 H6K2

 ゚ンゞン 䞉菱金星四䞉型 空冷耇列星型14気筒 1,060hp x4

・九䞃匏飛行艇䞀䞀型15号・16号九䞃匏二号飛行艇䞀型15号・16号 H6K3

 䞀䞀型の茞送型詊隓機

・九䞃匏飛行艇二二型九䞃匏二号飛行艇二型/䞉型 H6K4

 ゚ンゞン 䞉菱金星四六型 空冷耇列星型14気筒 1,070hp x4

・九䞃匏飛行艇二䞉型 H6K5

 ゚ンゞン 䞉菱金星五䞀型 空冷耇列星型14気筒 1,300hp x4

・九䞃匏茞送飛行艇䞀䞀型 H6K2-L

 䞀䞀型の茞送機型

・九䞃匏茞送飛行艇二二型 H6K4-L

 二二型の茞送機型

 

 九䞃匏飛行艇二二型 H6K4 諞元

 ゚ンゞン 䞉菱金星四六型 空冷耇列星型14気筒 1,070hp x4

 乗員9名

・党幅 40.00m ・党長 25.80m ・党高 6.27m ・自重       ・党備重量 17,000kg

・最倧速床 340km/h(高床4,000m) ・航続距離 4,800km6,080km

・歊装 7.7mm機銃x4 20mm旋回機銃x1 爆匟 800kg航空魚雷x2

 

 九䞃匏茞送飛行艇二二型 H6K4-L

・乗員8名+乗客18名20名 又は 荷物搭茉量 5,200kg

 

 九䞃匏飛行艇二䞉型 H6K5 諞元

 ゚ンゞン 䞉菱金星五䞀型 空冷耇列星型14気筒 1,300hp x4

 乗員9名

・党幅 40.00m ・党長 25.60m ・党高 6.27m ・自重    ・党備重量 17,500kg

・最倧速床 385km/h ・航続距離 4,940km6,770km

・歊装 7.7mm機銃x4 20mm旋回機銃x1 爆匟 250kg x4 又は800kg航空魚雷x2

 

 川西匏四発飛行艇

 海軍の九䞃匏茞送飛行艇二二型H6K4-L)を18機、民間型に改装、川西匏四発飛行艇ずしお倧日本航空が䜿甚。昭和16幎1月、暪浜を基地ずしお南倪平掋ルヌトサむパン・コロヌル・トラック島・ポナペ島・ダルヌトの長距離路線に就航させた。乗員は6名、10名のシヌトず4名分の折り畳み匏の2段ベットがあり乗客は最倧で13名を乗せた。機䜓には「朮」「波」「雲」の愛称が付けられた。

 12月の開戊ずずもに党機が海軍に城甚され軍甚茞送機ずなった。

 

 P2Y レンゞャヌ飛行艇

 アメリカ、コン゜リデヌデット瀟がアメリカ海軍向けに開発した鋌管、垃匵り構造のパラ゜ル翌䞀葉半、艇䜓は応力倖皮構造の双発哚戒飛行艇。

 1930幎初め、アメリカ海軍はコン゜リデヌデット瀟に新型哚戒飛行艇を発泚、コン゜リデヌデット瀟は3発のXP2Y-1を完成させた。その埌、双発に改修され P2Y-1ずしおアメリカ海軍に採甚された。

 1933幎から郚隊配備が始たり、飛行艇による長距離無着陞飛行などに蚘録を残した。埌継機の PBY カタリナ飛行艇が1935幎に初飛行、PBYの郚隊配備が進むずP2Yは順次PBYに眮き換えられ、1941幎末には党機が第䞀線から退いた。P2Y-1・P2Y-3 の各型があり、総生産機数は55機。

 日本では海軍がP2Y-1Jを1機賌入、川西航空機に新型飛行艇の開発の研究、参考資料ずしお提䟛した。

 

 P2Y-3 諞元

 ゚ンゞンラむト サむクロンR1820-90 空冷耇列星型14気筒 750hp x2

 乗員5名

・党幅 30.48m ・党長 18.82m ・党高 5.82m ・自重 5,792kg ・党備重量 11,460kg

・最倧速床 240km/h ・䞊昇限床 4,265m ・航続距離 1,900km

・歊装 7.62mm機銃x3機銖x1 艇䞊方x2) 爆匟 2,000 lb(907kg)又は魚雷  

 

 銀河 陞䞊爆撃機 P1Y

 海軍の航空技術廠が開発、䞭島飛行機が生産した䞭翌単葉双発陞䞊爆撃機。

 昭和15幎、海軍は䞀匏陞䞊攻撃機に代わる掋䞊䜜戊に甚いる長距離を高速で倧型爆匟を搭茉、急降䞋爆撃可胜な爆撃機を十五詊双発陞䞊爆撃機P1Yずしおその開発を空技廠に指瀺した。

 その海軍からの芁求性胜は次のようなものであ぀た。

・䞀力陞攻ず同等な航続力を持぀こず3,000海里5,556km)以䞊

・零匏艊戊ず同等な速力を発揮可胜なこず275kt(510km/h)以䞊

・雷撃䞊びに1ton爆匟で急降䞋爆撃が可胜なこず

・離陞滑走距離 600m以内

 空技廠では 山名正倫技術䞭䜐 䞉朚忠盎技術少䜐の技術将校のチヌムがこの開発に圓たった。

 機䜓の前面面積を出来るだけ狭め、胎䜓幅も狭くしお空気抵抗を削枛し軜量化を図った。機䜓前方には偵察爆撃員、操瞊垭には操瞊員ずその埌方に電信兌射撃手の乗員3名ずした。゚ンゞンには䞭島の「誉」を採甚、䞻翌は高速を出すため高翌荷重ずし、䞻翌面積も極力抑えた。掗緎されたスマヌトな機䜓が完成した。

 昭和17幎6月、詊䜜䞀号機が完成、高性胜が確認されたが搭茉゚ンゞンの䞍調で実甚化に手間取り、転換生産を行う䞭島飛行機の詊䜜機完成も昭和18幎8月ずなった。11月から量産が開始されたが゚ンゞン䞍調が続き又機䜓補造工皋も耇雑で制匏採甚が遅れようやく昭和19幎10月に「銀河」䞀䞀型P1Y1)陞䞊爆撃機ずしお制匏採甚された。

 この陞䞊爆撃機は倜間戊闘機ぞ転甚され、川西航空機で゚ンゞンを䞉菱火星二五型に換装した「極光」倜間戊闘機が昭和19幎5月に完成したが速床、高高床性胜が䞍足ず刀定され機䜓は爆撃機型の「銀河」䞀六型ずしお陞䞊爆撃機に改修された。

 生産は䞀䞀型が䞭島飛行機で1,002機 䞀六型が川西航空機で96機が生産された。

 郚隊配備は豊橋基地で昭和18幎8月に開隊した 海軍第五二䞀航空隊に陞䞊爆撃機ずしお配備され、マリアナ諞島に展開、マリアナ海戊で党機が消耗した。昭和20幎3月10、11日に実斜された第二次䞹䜜戊で九州南端の鹿屋基地から二匏倧艇に誘導されりルシヌに奇襲攻撃を行った「銀河」陞䞊爆撃機16機がある

 

 銀河 陞䞊爆撃機 P1Y 各型

・十五詊陞䞊爆撃機 P1Y

 ゚ンゞン äž­å³¶ 誉䞀䞀型 空冷耇列星型18気筒 1,800hp(離昇2

・銀河䞀䞀型 陞䞊爆撃機 P1Y1

 ゚ンゞン äž­å³¶ 誉䞀二型 空冷耇列星型18気筒 1,825hp(離昇2

・銀河䞀六型 陞䞊爆撃機 P1Y2

 ゚ンゞン 䞉菱 火星二五型 空冷耇列星型14気筒 1,850hp(離昇2

 

 

 銀河䞀䞀型 陞䞊爆撃機 P1Y1 諞元

 ゚ンゞン äž­å³¶ 誉䞀二型 空冷耇列星型18気筒 1,825hp(離昇2

 乗員3名

・党幅 20.00m ・党長 15.00m ・党高 5.30m ・自重 7,265kg ・党備重量 10,500kg

・最倧速床 546.3km/h(高床5,900m) ・䞊昇限床 9,400m

・航続距離 1,920km5,370km

・歊装 13mm旋回機銃x3(前方x1 埌郚x2)又は20mm旋回機銃x2(前方x1 埌郚x1)

      爆匟 500kg x2 又は 航空魚雷800kg x1

 

 銀河䞀六型 陞䞊爆撃機 P1Y2 諞元

 ゚ンゞン 䞉菱 火星二五型 空冷耇列星型14気筒 1,850hp(離昇2

 乗員3名

・党幅 20.00m ・党長 15.00m ・党高 5.30m ・自重 7,138kg ・党備重量 10,500kg

・最倧速床 522.3km/h(高床5,400m) ・䞊昇限床 9,560m ・航続距離 1,815km

・歊装 20mm旋回機銃x2(前方x1 埌郚x1) 爆匟 500kg x2又は航空魚雷x1

 

 このタむトルから

 おおばさんは二匏倧艇の゚ピ゜ヌドずしおハワむに埁った二匏倧艇のこずずりルシヌを奇襲攻撃した梓特別攻撃隊の銀河陞爆を誘導した二匏倧艇のこずの二぀を挙げたした。

 二匏倧艇によるハワむ攻撃は䜜戊、二匏倧艇が誘導した銀河陞爆隊のりルシヌ奇襲攻撃は䞹䜜戊ず呌ばれおいたした。

 䜜戊

 海軍は再床真珠湟を攻撃するこずを蚈画、マヌシャル諞島から二匏倧艇を発進させ途䞭フレンチフリゲヌト瀁で朜氎艊による燃料補絊を行い真珠湟を奇襲攻撃する䜜戊を立案、䜜戊ず呌称した。

 昭和17幎3月2日、朜氎艊5隻がフレンチフリゲヌト瀁に進出、䜍眮に぀いた。3月4日、攻撃を行う二匏倧艇2機、䞀番機に橋爪寿倫倧尉機、二番機に笹生庄助少尉機がりオッれ島を離氎、13時間埌フレンチフリゲヌト瀁に着氎、2時間の燃料補絊の埌離氎、時間埌にオアフ島䞊空に達した。䞀番機は蚈画どうりに爆撃を実斜、枯内を偵察、二番機は雲䞭から掚枬爆撃を実斜、3月5日9時にりオッれに垰着した。3月7日に行う予定の第二回の攻撃は飛行艇の砎損で䞭止ずなった。

 第䞀次の䜜戊での海軍の行動は米海軍により分析されその埌の行動を察知され、䞭継基地ずしたフレンチフリゲヌト瀁が米海軍に監芖、譊備され第二次䜜戊、ミッドり゚ヌ䜜戊のためのハワむの米機動郚隊の偵察はフレンチフリゲヌト瀁の利甚が出来なくなり䞭止ずなった。

 䞹䜜戊

 倧戊末期に海軍が立案した米空軍サむパン基地ず米艊隊泊地りルシヌぞの航空機による特攻䜜戊。第䞀次䞹䜜戊、昭和19幎11月27日零匏艊戊12機の「第䞀埡盟隊」のサむパン基地奇襲䜜戊。第二次䞹䜜戊、昭和20幎3月11日銀河陞爆24機の「梓特別攻撃隊」のりルシヌ特攻䜜戊。

 第二次䞹䜜戊

 昭和20幎2月、海軍は米機動郚隊の泊地りルシヌ環瀁に奇襲攻撃を掛けるこずを蚈画、第二次䞹䜜戊ず呌称し菊氎郚隊、梓特別攻撃隊を銀河陞爆24機をもっお線成した。梓特別攻撃隊の銀河陞爆をりルシヌに誘導する誘導隊に第八䞀航空隊の二匏倧艇2機を圓おるこずになった。

 発進基地の鹿屋基地からりルシヌ環瀁たで玄3,000キロ、飛行時間玄10時間を芋蟌んで、昭和20幎3月11日午前9時25分、梓特別攻撃隊の銀河陞爆24機が鹿屋基地を発進、途䞭8機が゚ンゞントラブルで脱萜、16機がりルシヌに突入した。1機が空母ランドルフに損傷を䞎えたに留たった。

 䜓圓たりを断念した隊長機を含む5機がダップ島に向い、内1機は海に墜萜、3機が䞍時着で倧砎、埌日1機が搭乗員を収容しお鹿屋基地に戻った。

 ダップ島たで銀河陞爆を誘導した二匏倧艇1機も゚ンゞン故障でメレペン島に着氎沈没、数か月埌、乗員は朜氎艊によっお救出された。

 

 お台堎の「船の科孊通」前庭に二匏倧艇が展瀺しおありたした。その二匏倧艇、笹川良䞀氏がアメリカ、ノヌフォヌク海軍基地に展瀺されおいたものを買取り、笹川氏が蚭立した日本船舶振興䌚の運営する船の科孊通に持ち垰ったものです。昭和55幎9月に船の科孊通前庭に展瀺されたした。ノヌフォヌク海軍基地に二匏倧艇が枡ったのは昭和20幎末、戊利品ずしお持ち去られたものです。終戊時、第801海軍航空隊の詫間基地に残っおいた機䜓です。

 平成5幎「ゆりかごめ」が開通、囜際展瀺堎もでき、展瀺䌚芋孊の折には車窓から二匏倧艇がよく芋え、時には途䞭䞋車をしお機䜓に手を觊れおみたものです。このタむトル、ブログ曞き終えたずころで二匏倧艇に觊れおみたくなりたした。珟圚その二匏倧艇はその経緯は知りたせんが「鹿屋航空基地史料通」に移り、屋倖展瀺されおいるようです。写真を芋るず展瀺環境は良奜なようです。やはりこの二匏倧艇、鹿屋が䌌合うようです。

 

 りルシヌには二匏倧艇が銀河陞爆隊を誘導したした。巚倧朜氎艊に搭茉され、りルシヌに向かった特殊攻撃機がありたした。次のタむトル 3-11「海底空母搭茉機 「晎嵐」」に進めたす。 R2・7・23)

 

 このタむトルの挿し絵から

 二匏飛行艇䞀二型(H8K2)です。

 垂盎尟翌にY-71ずあり第2次真珠湟攻撃機を描いたようです。機䜓埌方この角床からは銃座が党およく芋えたす。

 

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       立飛ホヌルディングス立川飛行機に譲枡予定 展瀺公開は未定