3-4 ベンガル湾の星

   一式戦「隼」

 昭和十七年五月二十二日午後二時三十分、英国機ブレニム中型爆撃機(註3)に攻撃をかけた空のエース加藤建夫中佐(註2)は、愛機であるキ-43一式戦闘機「隼」(註1)とともにベンガル湾の波間に消えた。

 これを確認した近藤、伊藤両曹長によると、アキャップ西北方九0キロ、アレサンヨウ西方一0キロの点に、撃墜したブレニムのあとを追うように右翼から火を吹き大きく反転のあと垂直に海中に突入したという。

 有名な加藤隼戦闘隊の軍歌はこの飛行六四戦隊の隊歌であった。

 十二年十二月、中島飛行機の小山悌技師がチーフとなり太田稔、糸川英夫氏などの協力のもとに翌年一月には早くも試作一号機ができあがった。

 だが明野において行なった実験審査では、猛烈な不評をくった。九七戦に比して空戦性能が良くないというのが主な理由で”不採用”の結論が生れた。増加試作機とあわせて一三機の「隼」をかかえた製作スタッフは深深とタメ息をはいたことであろう。

 この時、飛行実験部員の一人今川一策氏たちがこの機体の特性を生かして進攻性戦闘機の価値をあらためて示して昭和十六年にようやく制式採用をみたといわれる。

 四月には早くも広東で加藤隼戦闘隊が生れ、十二月の開戦劈頭には、その長距離進攻性を利用してマレー半島の上陸作戦に向う山下兵団の洋上援護を行い、各種のエピソードを生んだ。

 以後マレー、ジャワ、ビルマと戦いの翼を伸ばしたが多くの戦記にも見られるような戦果をあげた。だが「隼」のもつ低速と武装の弱体は、パイロットの技量低下とともに受身になり、三型までの改造を行なったが、四式戦「疾風」の出現を見て一段後退の型となった。

 戦いが沖縄に移ると、特攻機として二五0キロの爆弾をかかえて南海へ出撃して行った若い隊員の物語は、高木俊朗氏の筆になる「知覧」(朝日新聞社刊)によく描かれている。

 ともあれ名戦闘機九七戦につぐ引込み脚をもつ、わが国では画期的な一式戦「隼」は、加藤隼戦闘隊の隊歌とともに今もなお忘れられてはいない。 (全文)

 

 註1) キ-43 一式戦闘機「隼」

 一式戦闘機(キ43)「隼」

 中島飛行機が陸軍向けに製作した全金属製、低翼単葉単発単座戦闘機。機体愛称「隼」。

 昭和12年(1937年)12月、陸軍は九七式戦闘機の後継機をキ43として中島に対し一社特命でその試作を命じた。

 陸軍の要求は・最大速度 500km/h以上 ・上昇力、高度 5,000mまで5分以内 ・行動半径800km以上 ・運動性は九七戦と同等以上 ・武装 固定機銃 2挺 ・引込脚を採用 というものであった。

 昭和12年度の陸軍航空兵器研究方針において単座戦闘機は機関銃搭載型と機関砲搭載型の二種が定義されていた。昭和13年度の航空兵器研究方針ではこれを発展させた区分として 軽単座戦闘機(軽戦):格闘戦性能を重視 機関銃を装備 と 重単座戦闘機(重戦):速度を重視 機関砲を装備 と定義されていた。これに基ずき 軽戦として開発が進められたのがキ43、重戦として開発したのが キ44である。

 昭和13年(1938年)、中島では小山悌技師を設計主務者として昭和14年(1938年)末の完成を目指して開発が開始された。陸軍の要求を満たすには1,000馬力級のエンジンが必要となりまだ開発中の自社エンジン ハ二五 970hpを選定、機体構造は九七戦を踏襲して昭和13年12月に試作一号機を完成させた。

 昭和14年1月から試作機の陸軍の審査が立川で開始された。審査の結果、航続距離は九七戦より増大したものも最大速度は要求の500km/hに及ばず、運動性は九七戦より劣り、改修した増加試作機も製作し、1年半にわたり種々の改修が加えられたが採用は見送られ、不採用となった。

 この結果を見て陸軍では、より強力なエンジンに換装して高速化を図った性能向上型キ43-Ⅱの開発を進めることが決定された。これを受けて中島ではキ43の再設計を開始した。

 昭和15年(1940年)夏、英米関係が悪化、陸軍は南進計画を立案、これを支援する遠距離戦闘機が必要となった。不採用となっていたキ43の長距離性能を生かせ、と飛行実験部の今川一策大佐の進言もあり、一転してキ43に一定の改修を施した機体を制式採用することを決定した。昭和15年11月、遠(距離)戦(闘機)仕様書 ・蝶型戦闘フラップの装備 ・定速回転プロペラの装備 ・爆弾型落下タンクの装備 ・武装12.7mm機関砲化 ・行動半径の1,000km以上化 ・エンジンはハ二五 を採用 が中島に示された。昭和16年3月、改修機が完成、直ちに試験が行われ、昭和16年(1941年 皇紀2601年)5月、一式戦闘機として制式採用された。機体は正式決定を待たず中島で生産が開始され、量産一号機は昭和16年4月に完成、6月時点で約40機を完成させていた。

 昭和16年6月、量産機は先ず飛行第五九戦隊に配備され初の実戦部隊となった。昭和16年12月、飛行第六四戦隊に32機、飛行第五九戦隊に21機の53機がマレー攻略戦に投入された。

 中島で一式戦闘機(キ43)の量産が開始された頃、エンジンを強化した性能向上型の試作も開始された。「ハ二五」エンジンの性能向上型「ハ一一五」エンジンが昭和16年末に完成、このエンジンを搭載した試作一号機が昭和17年(1942年)2月に完成した。評価試験を経て、昭和17年6月に 一式戦闘機二型(キ43-Ⅱ)として制式採用され、同時に従来型は 一式戦闘機一型(キ43-Ⅰ)となった。

 昭和17年3月、主要新聞社紙上で一式戦の存在と「隼」という愛称が発表され一式戦「隼」と広く知られることとなった。

 二型(キ43-Ⅱ)はエンジン重量が増したことから機体重量も増し、このため機体強度も図られた。射撃照準器は望遠鏡式から光像式となり、操縦席後方へ防弾装甲板も装備された。

 二型(キ43-Ⅱ)は昭和17年11月から量産が開始され、昭和18年(1943年)1月より部隊配備されていった。

 昭和18年度 航空兵器研究方針では「軽戦」と「重戦」との区分が廃止され、これをまとめて近距離戦闘機「近戦」となった。

 昭和18年12月、陸軍は二型(キ43-Ⅱ)の「近戦」に基ずく更なる性能向上を要求した。要求内容の主眼は速度の向上であり、中島ではこの要求に対応するするため「ハ一一五」エンジンへの水メタノール噴射装置の実用化に取り掛かった。

 昭和19年(1944年)、試作一号機が完成、水メタノール噴射装置付き「ハ一一五」エンジンは「ハ一一五-Ⅱ」エンジンとして制式採用され、このエンジン搭載型は、昭和19年12月、一式戦闘機三型(キ43-Ⅲ)として制式採用された。三型(キ43-Ⅲ)の中島での生産は試作機3機のみで量産は立川飛行機に移された。

 一式戦闘機の生産は中島飛行機と立川飛行機、陸軍航空工廠で行われ、一型(キ43-Ⅰ) 二型(キ43-Ⅱ) 三型(キ43-Ⅲ)の総生産機数は 5,751機。

 

 一式戦闘機(キ43) 各型

・一式戦闘機一型甲(キ43-Ⅰ甲) エンジン:中島ハ25 空冷複列星型14気筒 970hp x1

                      武装:7.7mm機銃x2

・一式戦闘機一型乙(キ43-Ⅰ乙) 武装:7.7mm機銃x1(右) 12.7mm機関砲x1(左)

・一式戦闘機一型丙(キ43-Ⅰ丙) 武装:12.7mm機関砲x2

         一型(キ43-Ⅰ)の製作機数は中島飛行機で716機

・一式戦闘機二型(キ43-Ⅱ)前期型 エンジン:中島ハ115 空冷複列星型14気筒1,150hp x1

                       武装:12.7mm機関砲x2

・一式戦闘機二型(キ43-Ⅱ)中期型 環状多管式油冷却器を撤去し

                        エアインテークを大型化、形状変更

・一式戦闘機二型(キ43-Ⅱ) 後期型 カウリングの形状変更

       二型(キ43-Ⅱ)の製作機数は中島飛行機で 2,492機

                          立川飛行機、航空工廠で    機

・一式戦闘機三型(キ43-Ⅲ) エンジン:中島ハ115-Ⅱ 空冷複列星型14気筒 1,230hp x1

                         水メタノール噴射装置付

       三型(キ43-Ⅲ)の製作機数は中島飛行機 試作機3機 立川飛行機で1,153機

       一型~三型までの製作機数  中島飛行機:3,187機 立川飛行機: 2,308機

                          陸軍航空工廠 256機 合計 5,751機

 

 一式戦闘機一型(キ43-Ⅰ) 諸元

 エンジン:中島 ハ二五 空冷複列星型14気筒 970hp x1(プロペラ:可変2趐)

 乗員:1名

・全幅: 11.43m ・全長: 8.83m ・全高: 3.27m ・自重: 1,590kg ・全備重量: 2,580kg

・最大速度: 495km/h ・航続距離: 1,000km

・武装: ・7.7mm機銃x2(甲型) ・7.7mm機銃x1 12.7mm機砲x1(乙型) ・12.7mm機砲x2(丙型)

       (主翼構造上、翼内機銃(砲)は装着出来ず)

      爆弾 60kg x2 (翼下)

 

 一式戦闘機二型(キ43-Ⅱ) 諸元

 エンジン:中島ハ一一五 空冷複列星型14気筒 1,150hp(離昇) x1(プロペラ:可変3趐)

 乗員:1名

・全幅: 10.84m ・全長: 8.92m ・全高: 3.09m ・自重: 1,975kg ・全備重量: 2,590kg

・最大速度: 515km/h(前期型) 536km/h(中期型) 548km/h(後期型)

・航続距離: 1,600km

・武装: 12.7mm機砲 x2 爆弾 30kg~250kg x2 又はタ弾 x2 (翼下)

 

 一式戦闘機三型(キ43-Ⅲ) 諸元

 エンジン:中島 ハ一一五-Ⅱ 空冷複列星型14気筒 1,230hp x1(プロペラ:定速3趐)

 乗員:1名

・全幅: 10.84m ・全長: 8.92m ・全高: 3.27m ・自重: 1,729kg ・全備重量: 2,925kg

・最大速度: 555km/h ・上昇限度: 11,400m ・航続距離: 1,360km

・武装: 12.7mm機関砲x2 爆弾 30kg~250kg x2(翼下)

 

 「ハ二五(25)」 エンジン

 中島飛行機が開発した空冷複列星型14気筒エンジン

 陸軍制式名称:ハ二五 九九式九五0馬力 海軍名称:「栄」一二型 統合名称:ハ35-12

 搭載機種: 一式戦闘機一型(キ43-Ⅰ)

 諸元

・タイプ: 空冷複列星型14気筒

・内径 x 行程: 130mm x 150mm

・排気量: 27,900cc

・径(直径) x 長さ: 1,150mm x 1,313mm

・過給機: 遠心式スーパーチャージャー1段1速

・離昇馬力: 990hp/2,550rpm

・公称馬力: 950hp/2,500rpm

 

 「ハ一一五(115)」エンジン

 中島飛行機が開発した空冷複列星型14気筒エンジン。ハ25エンジンの性能向上型。

 陸軍制式名称:ハ一一五 二式一一五0馬力 統合名称:ハ35-23

 搭載機種: 一式戦闘機二型(キ43-Ⅱ)

 諸元

・タイプ: 空冷複列星型14気筒

・内径 x 行程: 130mm x 150mm

・排気量: 27,900cc

・径(直径) x 長さ: 1,150mm x 1,470mm

・過給機: 遠心式スーパーチャージャー1段2速

・離昇馬力: 1,130hp/2,750rpm

・公称馬力: 一速全開 1,100hp/2,700rpm

        二速全開   980hp/2,700rpm

 

 「ハ一一五-Ⅱ(115-Ⅱ)」エンジン

 中島飛行機が開発した空冷複列星型14気筒エンジン。ハ115エンジンの性能向上型

 陸軍制式名称: ハ一一五-Ⅱ 一一五0馬力 統合名称:ハ35-32

 搭載機種: 一式戦闘機三型(キ43-Ⅲ)

 諸元

・タイプ: 空冷複列星型14気筒

・内径 x 行程: 130mm x 150mm

・排気量: 27,900cc

・径(直径) x 長さ: 1,150mm x 1,470mm

・過給機: 遠心式スーパーチャージャー1段2速

・離昇馬力: 1,150hp/2,500rpm

・公称馬力: 一速全開 1,230hp/2,700rpm

        二速全開   990hp/2,700rpm

・水メタノール噴射装置付

 

 註2) 加藤建夫中佐

 加藤建夫 (明治36年(1903年)~昭和17年(1942年)5月22日)

 明治36年(1903年) 北海道上川郡旭川村(旭川市)に生れる

 大正7年(1918年) 仙台陸軍幼年学校 入学

 大正14年(1925年) 陸軍士官学校 第37期 卒業

 大正15年(1926年) 飛行第六連隊付 航空兵少尉

 昭和元年(1926年) 所沢飛行学校 第23期 操縦学生として入校

 昭和2年(1927年) 所沢飛行学校 卒業

 昭和3年(1928年) 所沢飛行学校 教官

             明野飛行学校教官 飛行第五連隊中隊長 を歴任

 昭和12年(1937年) 飛行第二大隊中隊長として北支に出動 航空兵大尉

 昭和14年(1939年) 陸軍大学 専科 卒業 陸軍航空本部 部員

 昭和16年(1941年) 飛行第六四戦隊 線隊長

 昭和17年(1942年) 陸軍中佐

       5月22日 英機、ブリストル ブレニム爆撃機を追って被弾、ベンガル湾上に自爆

              戦死後、2階級特進で少将 

 

 註3) 英国機 ブレニム中型爆撃機

 ブリストル ブレニム

 イギリス、ブリストル社が開発した全金属製、中翼単葉双発軽爆撃機。ブリストル社の高速旅客機 ブリストル142 を中翼にして爆撃機仕様としたもの。ブレニムはドイツの地名 ブリントハイム の英語読み。

 1935年、イギリス空軍はブリストル142をベースとした爆撃機の開発をブリストル社に指示した。試作機は1935年4月に完成した。イギリス空軍はこの機体を ブレニムMk1 として制式採用し150機の生産を発注した、

 最初の量産機のMk1 は、1936年末から部隊配備が開始され、1937年末には16個の飛行隊が配備された。1938年から海外にも送られ、第二次世界大戦時には大半のMk1が地中海・アフリカ方面に配備されていた。1939年、エンジンと武装を強化した MkⅣ を開発し、ヨーロッパ、地中海、アフリカ、アジアの各戦線に配備した。極東戦線で加藤建夫中佐搭乗の一式戦闘機「隼」を撃墜したことでも知られている。

 総生産機数は各型合わせて4,422機。

 

 ブリストル ブレニム MK1 諸元

 エンジン: ブリストル マーキュリーMk8 空冷星型9気筒 840hp x2

 乗員:3名

・全幅: 17.17m ・全長:12.12m ・全高: 2.99m ・自重: 5,670kg ・全備重量:

・最大速度: 418km/h ・航続距離: 1,810km

・武装: 7.7mm機銃x2 爆弾 454kg

 

 ブリストル ブレニム MkⅣ 諸元

 エンジン: ブリストル マーキュリーMk15 空冷星型9気筒 995hp x2

 乗員:3名

・全幅: 17.17m ・全長: 12.89m ・全高: 2.99m ・自重: 5,670kg ・全備重量:

・最大速度: 428km/h ・航続距離: 2,350km

・武装: 7.7mm機銃x5 爆弾 600kg

 

 このタイトルから

 この本、おおばヒコーキ史記では「隼」の実戦のことは「各種のエピソードを生んだ」「多くの戦記に見られるような戦果あげた」 と書かれているだけです。「隼」の実戦記はウイキペディア「一式戦闘機」目次「実戦」の中で詳しく書かれています。

 この空の戦い、飛行戦隊をもって行われました。46個の飛行戦隊をもって開戦、戦いが続きさらに増設、戦いが終えた時には92個の飛行戦隊にまで達していました。この92個の飛行戦隊の内、戦闘機隊は51戦隊を数えていました。多くの戦闘機隊が一式戦闘機で編成されていました。

 飛行分科 「戦闘機隊」のこと、飛行戦隊順に並べてみました。(空のカケラライブラリ 飛行戦隊データベース より)

 

 戦闘機隊

・飛行第一(1)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 一式戦 四式戦

 昭和13年7月 各務原にて編成

 展開 転戦: 満洲 採塩所ーノモンハンー孫家ーマレー ーパレンバンーレグ(ビルマ)-内地

 昭和17年5月 明野にて機種改変 (一式戦)

 展開 転戦: ハノイーラバウルーソロモン・ニューギニア

 昭和18年8月 明野にて機種改変 (四式戦)

 展開 転戦: クラーク(比島)-内地ーポーラックー台湾ー内地

 昭和20年8月 高萩にて終戦

 

・飛行第四(4)戦隊(偵察機隊から戦闘機隊)

 使用機種: 九四式偵察 九五式戦 九七式戦 九七式司偵 二式複戦

 昭和13年8月 芦屋にて編成 飛行第四聯隊を改編

 展開 転戦: 小月(山口県)ー台湾 屛東ー内地

 昭和20年8月 小月にて終戦

 

・飛行第五(5)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 二式複戦 五式戦

 昭和13年8月 立川にて編成

 展開 転戦: 柏ーマランー内地(小牧)

 昭和20年8月 清州にて終戦

 

・飛行第九(9)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九五式戦 九七式戦 二式単戦

 昭和13年7月 会寧にて編成 飛行第九聯隊を改編

 展開 転戦: 蒙古力ーノモンハンー会寧ー団山子

 昭和18年9月 東満 団山子にて機種改変(二式単戦)

 展開 転戦: 安慶ー新郷ー漢口ー広東

 昭和20年8月 南京にて終戦

 

・飛行第一一(11)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 一式戦 四式戦

 昭和13年8月 ハルピンにて編成 飛行第一一聯隊を改編 

 展開 転戦:採塩所ーノモンハンー南京ー漢口ーハルピンーマレー ージャワーレグ(ビルマ)

 昭和17年7月 明野にて機種改変 (一式戦)

 展開 転戦:シンガポールーラバウルーニューギニアー内地

 昭和18年8月 明野にて機種改変 (一式戦二型)

 展開 転戦: 中支 武昌-内地

 昭和19年3月 福生にて機種改変 (四式戦)

 展開 転戦: 宣蘭ーポーラック(比島)-内地

 昭和20年8月 高萩にて終戦

 

・飛行第一七(17)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 三式戦 五式戦

 昭和19年2月 各務原にて編成

 展開 転戦:小牧ーマニラ(比島)-ネグロス島ー内地ー台湾 花蓮港

 昭和20年6月 花蓮港にて 五式戦 が配備される

 昭和20年8月 花蓮港にて復帰

 

・飛行第一八(18)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 三式戦 五式戦

 昭和19年2月 調布にて編成

 展開 転戦: 内地(帝都防空)-アンヘレス(比島) 比島にて全機損耗

 昭和20年8月 松戸にて復帰

 

・飛行第一九(19)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 三式戦

 昭和19年2月 明野にて編成

 展開 転戦:伊丹ー比島ーネグロス島ー内地(小牧)-台中ー花蓮港

 昭和20年8月 花蓮港にて復帰

 

・飛行第二0(20)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦 四式戦

 昭和18年12月 伊丹にて編成

 展開 転戦: 柏原(大阪)-千島ー台北ー一部 比島ー台湾 小港

 昭和20年2月 台湾にて機種改変 (一式戦三型)

 昭和20年6月 台湾にて機種改変 (四式戦)

 昭和20年8月 台湾 小港にて復帰

 

・飛行第二一(21)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 二式複戦

 昭和17年10月 ハノイにて独立第84中隊と飛行第1戦隊の一部をもって編成

 展開 転戦: パレンバンースマトラー台湾

 昭和20年8月 台湾 桃園にて復帰

 

・飛行第二二(22)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 二式単戦 四式戦

 昭和19年3月 福生にて編成

 展開 転戦: 漢口ー内地ー比島ー内地ー徐州ー京城

 昭和20年8月 晋州にて復帰

 

・飛行第二三(23)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦三型 二式単戦

 昭和19年10月 太田にて編成

 展開 転戦: 印旛ー硫黄島ー印旛

 昭和20年8月 印旛にて復帰

 

・飛行第二四(24)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 一式戦

 昭和13年9月 ハルピンにて飛行第11戦隊を母体として編成

 展開 転戦: ノモンハンー屛東ー比島ー内地

 昭和17年1月 明野にて機種改変 (一式戦)

 展開 転戦: 広東ーニューギニアー内地ー比島ー台湾 嘉義

 昭和20年8月 台湾 宣蘭にて復帰

 

・飛行第二五(25)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦 四式戦

 昭和17年10月 漢口にて独立飛行第10中隊を基幹として編成

 展開 転戦: 漢口ー南京ー運城ー新郷ー白螺磯ー上海ー南京ー北京ー朝鮮 水源

 昭和20年8月 水源にて復帰

 

・飛行第二六(26)戦隊(軽爆 戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 九七式軽爆 九九式襲撃機 一式戦 三式戦

 昭和17年10月 衙門屯にて編成

 展開 転戦: 襲撃機隊 ニューギニア

          戦闘機隊(一式戦二型) 内地ーパレンバンー比島ー内地

 昭和19年12月 機種改変 (一式戦三型)

 展開 転戦: シンガポールー台湾

 昭和20年8月 台湾 屛東にて復帰

 

・飛行第二九(29)戦隊(偵察隊 戦闘機隊 司偵隊)

 使用機種: 九七式司偵 九七式軽爆 九八式直協 九九式襲撃機          

         二式単戦 四式戦

 昭和14年7月 各務原にて編成

 展開 転戦: 会寧ーノモンハン

 昭和16年7月 第29独立飛行本部 独立飛行第66、第87中隊と改編

 展開 転戦: 中国戦線各地を転戦

 昭和19年2月 満州 海林にて飛行第29戦隊(戦闘機隊)に改編

 展開 転戦: 杏樹ー台中ー武昌

 昭和19年11月 機種改変 (四式戦)

 展開 転戦: 比島(クラーク)-台中

 昭和20年8月 台中にて復帰

 

・飛行第三三(33)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 一式戦 二式単戦

 昭和13年8月 杏樹にて編成 飛行第16聯隊が前身

 展開 転戦: 平安鎮ーノモンハンー広東ーハノイーパレンバンービルマ マラビ

         -タイ ドムアンーニューギニアーシンガポールー比島ーパレンバン

 昭和20年6月 メダンにて復帰

 

・飛行第四七(47)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 二式単戦 四式戦

 昭和17年5月 柏にて編成 独立飛行第47中隊を改編

 展開 転戦: かわせみ部隊ービルマー内地

 昭和18年10月 成増にて独立飛行第47中隊を編入

 昭和20年7月 小月にて機種改変 (四式戦)

 昭和20年8月 小月にて復帰

 

・飛行第四八(48)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦

 昭和18年8月 牡丹江にて飛行第77戦隊と教導飛行第204戦隊を基幹として編成

 展開 転戦: 武昌ー中支 白螺城ー衝陽ー漢口ー南京(中国戦線を転戦)

 昭和20年8月 上海 泰県にて復帰

 

・飛行第五0(50)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 一式戦 四式戦

 昭和15年9月 台中にて編成

 展開 転戦: 比島(ビガン)-タイ ナウンサワンー内地

 昭和17年4月 所沢にて機種改変 (一式戦)

 展開 転戦: ビルマ マウビーサイゴンー台中

 昭和20年8月 台湾 嘉義にて復帰

 

・飛行第五一(51)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 四式戦

 昭和19年4月 小月にて編成

 展開 転戦: 比島 デルカメンー内地

 昭和20年8月 下館にて復帰

 

・飛行第五二(52)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦 四式戦

 昭和19年4月 防府にて編成

 展開 転戦: 比島 デルカメンーサラビヤー内地

 昭和20年8月 調布にて復帰

 

・飛行第五三(53)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 二式複戦

 昭和19年4月 所沢にて編成 夜間戦闘機隊

 展開: 松戸ー藤ヶ谷

 昭和20年8月 藤ヶ谷にて復帰

 

・飛行第五四(54)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 一式戦

 昭和16年7月 柏にて編成

 展開 転戦: 漢口ー白螺城ー南京ー千歳ー帯広

 昭和19年4月 第1中隊を独立飛行第24中隊に改編

 展開 転戦: ネグロス島ー内地(北海道)

 昭和20年8月 札幌にて復帰

 

・飛行第五五(55)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 三式戦

 昭和19年4月 大正にて編成

 展開 転戦: 小牧ー比島(クラーク)-マナブラ 全機損耗

         小牧残留部隊ー芦屋

 昭和20年3月 伊丹にて機種改変 (三式戦二型)

 昭和20年8月 伊丹にて復帰

 

・飛行第五六(56)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦 三式戦

 昭和19年4月 大正にて編成 中京地区の防空

 展開: 小牧ー芦屋ー伊丹

 昭和20年5月 伊丹にて機種改変 (三式戦二型)

 昭和20年8月 伊丹にて復帰

 

・飛行第五九(59)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 一式戦 三式戦 五式戦

 昭和13年7月 各務原にて編成 飛行第1聯隊より編成

 展開 転戦: 満州 延吉ー漢口ーノモンハンー広東ー内地

 昭和16年1月 立川にて機種改変 (一式戦)

 展開 転戦: マレー ークァランプールーパレンバンースマトラーバンドンーマラヤン

         -ジャワーニューギニアー内地

 昭和19年1月 明野にて機種改変 (三式戦)

 展開: 芦屋ー蓆田ー芦屋

 昭和20年8月 芦屋にて復帰

 

・飛行第六三(63)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦

 昭和13年8月 彰徳にて編成

 展開 転戦: 苫小牧ー北千島ーニューギニアーホランジア 全機損耗

 昭和19年7月 サルミにて復帰

 昭和20年8月 クラコールにて復帰

 

・飛行第六四(64)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦 二式単戦

 昭和13年8月 彰徳にて編成 飛行第二大隊を改編

 展開: 広東

 昭和16年9月 機種改変 (一式戦)

 展開 転戦: 南部仏印ーイポー ーカハンーパレンバンーチェンマイートングー ビルマ周辺

         -バンコクークラコール

 昭和20年8月 クラコールにて復帰

 

・飛行第六八(68)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 三式戦

 昭和16年7月 会寧にて編成

 展開: ハルピンー内地

 昭和17年12月 明野にて機種改変 (三式戦)

 展開 転戦: ラバウルーウエワクーサルミ 全機損耗

 昭和19年8月 サルミ(現地)にて復帰

 

・飛行第七0(70)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 二式単戦 二式複戦 四式戦

 昭和16年3月 杏樹にて編成

 展開: 満州重要都市の防空

 昭和19年7月 内地 松戸 東部地区の防空

 昭和20年6月 四式戦を配備

 昭和20年8月 杏樹にて復帰

 

・飛行第七一(71)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦 四式戦

 昭和19年7月 亀山にて編成

 展開 転戦: 雁ノ巣ー比島 デルカメンーネグロス島 マナブラー内地

 昭和20年8月 防府にて復帰

 

・飛行第七二(72)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦 四式戦

 昭和19年5月 北伊勢にて編成

 展開 転戦: 比島 バンパンーアぺリ 全機損耗

 昭和20年5月 現地にて復帰

 

・飛行第七三(73)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦 四式戦

 昭和19年5月 柏原にて編成

 展開 転戦: 所沢ールソン島 マバラカットー全機損耗ー地上部隊 オロラ

 昭和20年5月 オロラにて現地復帰

 

・飛行第七七(77)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 一式戦

 昭和13年7月 南京にて編成

 展開 転戦: 南昌ー満州 龍鎮ータイ ランバンーチチハル

 昭和17年10月 チチハルにて機種改変 (一式戦二型)

 展開 転戦: ニューギニアーホランジア 全機損耗

 昭和19年8月 ホランジアにて現地復帰

 

・飛行第七八(78)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 三式戦

 昭和17年3月 杏樹にて編成

 展開: 満州 孫家ー内地

 昭和18年4月 明野にて機種改変 (三式戦)

 展開 転戦: ラバウルーホランジアーウェワクーホランジアーサルミ 全機損耗

 昭和19年8月 サルミにて現地復帰

 

・飛行第八五(85)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 一式戦 二式単戦 四式戦

 昭和16年3月 満州 孫家にて 飛行第1戦隊と第64戦隊の人員を基幹として編成

 展開: 八面通ー海浪

 昭和17年末 機種改変 (二式単戦)

 展開 転戦: 広東ー漢口ー南京ー京城

 昭和20年8月 京城にて復帰

 

・飛行第八七(87)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 二式単戦

 昭和13年3月 ハルピンにて編成

 昭和17年末 団山子(満州)にて機種改変(二式単戦)

 展開 転戦: 柏ーゲルンバン(パレンバン防空)-スマトラ島ーダンジュンバド

 昭和20年8月 ダンジュンバドにて編成

 

・飛行第一0一(101)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦三型 四式戦

 昭和19年11月 北伊勢にて編成 第101,102,103戦隊からなる第100飛行団の一つ

 展開: 都城東ー隈之城(熊本県)-成増ー高萩

 昭和20年8月 高萩にて復帰

 

・飛行第一0二(102)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦三型 四式戦

 昭和19年9月 北伊勢にて編成 第101,102,103戦隊からなる第100飛行団の一つ

 展開: 都城西ー成増

 昭和20年8月 成増にて復帰

 

・飛行第一0三(103)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦三型 四式戦

 昭和19年11月 北伊勢にて編成 第101,102,103戦隊からなる第100飛行団の一つ

 展開: 隈庄ー知覧ー徳之島ー都成ー成増

 昭和20年8月 由良にて復帰 

 

・飛行第一0四(104)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 四式戦

 昭和19年9月 小月にて編成

 展開: 奉天(満州)-鞍山

 昭和20年8月 鞍山にて復帰

 

飛行第一0五(105)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 三式戦

 昭和19年7月 台中にて編成

 展開: 石垣島ー宣蘭

 昭和20年8月 宣蘭にて復帰

 

・飛行第一一一(111)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 五式戦

 昭和20年7月 明野教導師団から名称改め、飛行第111戦隊となる

 展開: 小牧

 昭和20年8月 小牧にて復帰

 

・飛行第一一二(112)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 四式戦 五式戦

 昭和20年7月 常陸教導飛行師団から名称を改め、飛行第112戦隊となる

          陸軍最後の飛行戦隊

 展開: 新田

 昭和20年8月 新田にて復帰

 

・飛行第一四四(144)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 三式戦

 昭和16年7月 豊岡にて編成

 昭和16年11月 飛行第244戦隊に改編

 昭和16年11月 調布にて復帰

 

・飛行第二00(200)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 四式戦

 昭和19年10月 明野にて編成

 展開 転戦: 比島 全機損耗

 昭和20年5月 明野にて復帰

 

・飛行第二0四(204)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 一式戦

 昭和17年4月 白城子(満州)で教導飛行第204戦隊を編成

 昭和18年9月 機種改変 (一式戦二型)

 展開 転戦: ビルマーラングーンー比島ー内地

 昭和18年12月 機種改変 (一式戦三型)

 昭和19年2月 飛行第204戦隊に改称

 展開 転戦: サイゴンー台北

 昭和20年8月 花蓮港にて復帰

 

・飛行第二四四(244)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 三式戦 五式戦

 昭和16年11月 調布にて飛行第144戦隊(九七式戦)を改称

 昭和17年4月 防空部隊として調布にて飛行第244戦隊となる

 昭和20年8月 八日市にて復帰

 

・飛行第二四六(246)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 一式戦 二式単戦 四式戦

 昭和17年6月 加古川にて飛行第13戦隊を基幹として編成

 昭和18年4月 機種改変 (一式戦二型)

 展開: 台湾ー内地

 昭和19年   機種改変 (二式単戦)

 展開 転戦: 比島ー内地

 昭和20年1月 機種改変 (四式戦)

 昭和20年8月 加古川にて復帰

 

・飛行第二四八(248)戦隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦

 昭和17年8月 小月の飛行第4戦隊を基幹として雁ノ巣にて編成

 展開 転戦: ニューギニアーホランジア 全機損耗

 昭和19年4月 ホランジアにて現地復帰

 

・独立飛行第一0(10)中隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九五式戦 九七式戦 一式戦

 昭和12年9月 屛東にて飛行第8聯隊より編成

 展開 転戦: 中国戦線各地を転戦(昭和12年末~昭和16年末

         昭和16年12月 香港飛行場を襲撃

 昭和17年10月 漢口にて復帰

 

・独立飛行第一五(15)中隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦 三式戦

 昭和12年10月 台中にて編成

 展開 転戦: 沖縄戦に投入

 

・独立飛行第二三(23)中隊(戦闘機隊)

 使用機種: 三式戦

 昭和19年1月 大刀洗にて台湾防空のため編成

 昭和20年9月 花蓮港にて復帰

 

・独立飛行第二四(24)中隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦 三式戦

 昭和19年3月 広東にて飛行第54戦隊第一中隊を基幹として編成

 展開 転戦: パレンバンー比島ースマトラ島ーダンジュンバドー台北

 昭和20年8月 宣蘭にて終戦

 

・独立飛行第二五(25)中隊(戦闘機隊)

 使用機種: 二式複戦

 昭和19年8月 鞍山にて南満防空のため編成

 昭和20年8月 満州にて終戦

 

・独立飛行第四七(47)中隊(戦闘機隊)

 使用機種: 一式戦 二式単戦(胴体に山鹿流の陣太鼓のマークを画く)

 昭和16年9月 福生にて編成

 展開 転戦: サイゴンー仏印、マレー、ビルマの南方作戦

 昭和17年4月 本土防衛のため調布に帰還

 昭和18年10月 柏原にて復帰

 

・独立飛行第七一(71)中隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九九式軍偵 一式戦

 昭和16年7月 海林にて飛行第83戦隊第一中隊より編成

 展開 転戦: マレー半島ービルマ

 昭和17年12月 明野にて戦闘機隊に改編

 展開 転戦: 北部スマトラーマレー ー台湾

 昭和20年8月 台湾にて終戦

 

・独立飛行第八四(84)中隊(戦闘機隊)

 使用機種: 九七式戦 一式戦

 昭和14年7月 広東にて編成

 展開: サイゴン

 昭和17年2月 内地にて機種改変(二式複戦)

 展開 転戦: マニラ防空ー広東ーハノイ

 昭和17年10月 ハノイにて解隊

 

 この飛行戦隊「戦闘機隊」一覧では 飛行第59戦隊に一式戦が配備されたのは昭和16年1月、立川 となっています。飛行第64戦隊に一式戦が配備されたのは昭和16年9月、広東、となっています。

 

 一式戦「隼」:航続距離の長さ、操縦性の良さ、搭載エンジンの高い信頼性をもって、大戦初期から終戦まで、その活躍期間の長さだけでも陸軍を代表する名戦闘機。と評価されています。

 次は「軽戦」キ43と同時期に開発された「重戦」キ44のこと、タイトル3-5)「太鼓のマークの戦闘機 二式戦鐘馗」に進めます。 (R2・4・3)

 

 このタイトルの挿し絵から

 上の絵: 一式戦闘機二型(キ43-Ⅱ) を描いています。

 尾翼のマークは飛行第54戦隊です。描き加えてみました。

 胴体側面の点検作業口、その位置に四角に囲んでみました。前線基地が移動する際、この点検口内に機体整備班員を乗せて移動したと聞いています。

 下の絵: ブリストル ブレニムMkⅣ 軽爆撃機です。

 武装は7.7mm機銃が前後上下に計5挺、胴体上部の銃塔は7.7mm連装機銃、なぜか強力に見えます。