気づきの情調
人の「注意・忠告・アドバイス」が今の自分を作っているような気がする。そのくらい他人の声や反応にデリケートだと自覚している。だからといって、打たれ弱くて言われた相手を恨んでいるかと言えば、そういったことはなく、行動を修正することはあっても、拒絶することはないと思う。人によっては、苦手なものや人を避けるような行動パターンをとる人もいるが、私の場合、嫌いなものや人に対して素直な自分の人格を隠し、他の人格を演じるようにして対処する傾向にあった。図解 やさしくわかる認知行動療法/ナツメ社¥1,620Amazon.co.jp同じ悩みでも他人が悩んでいることにはアイデアが浮かんできたりするものだ。年を取ると日々に変化がなく、同じパターンの行動や思考をとりがちだが、後ろ向きな時間を有意義に使うノウハウは「存在するし得られる」と思っている。頑張っても成果が出ない場合、ボトルネックになっているものって、実はそんなところに隠されているんじゃないだろうか。本人が気づけなければ、他人に指摘してもらうしかないが、時代的に人とのふれ合いが減る一方だし、相手の真意を汲み取れないレベルの自分にも気づけない場合だってある。つまり、アドバイス通り動いていない自分がいる可能性を認め、自分自身を振り返る機会が必要だと思う。生き生きと生きていないとなんだか気持ちが悪い。あくまで個人的な印象ではあるが、大人になったつもりで、たまに仮面を被ることで対人問題を処理する人がいるが、冒頭で述べた通り、人のふり見て我がふり直せと戒めることにする。叱られる力 聞く力 2 (文春新書)/文藝春秋¥864Amazon.co.jp自分を支えているアドバイスというのもあると思う。それだけ影響力はあるものだし、これは10年以上経った今でも反省してる失敗談なのだが、私も何気なく言った冗談で人を傷つけたことがある。言った方はそんなつもりがなくても、言われた方は真に受け指摘されたと感じる場合もある。しばしば他人のアドバイスはミスリードさせることがあり、言われた人を縛ってしまうものでもある。今の自分を支えているものが他人から得たものだけだとあまりにも危うい。人生をやり直すときに自分を支えてくれるものかと問うても大げさでない。自分を支えているものが明日なくなってしまってもおかしくないのだ。一つでも多いことが望ましいことには違いないが、数を争うものではなく、存在に気づき日々意識することで充足感を得られる、他人と同じものはない唯一無二のものでもある。見つめ直してみると、それほど特別なものではないかもしれない。支え支えられ、バランス感覚を取り戻したい。