最近のコインシデンスと気に掛かること
自分が意識しているせいだろうか。
最近、というか昨日、KSという名前をやたら何度も聞いた。
仕事場で、KSさんですねと電話で話している声。
そういえば、二列向こうの彼もKSという名前だ。
自分に掛かって来た電話の相手もKSさん。
やばい、KSさんにとり憑かれている。
それなのに、肝心なKSさんからはなんの返事もない。
そういうものなのだ。
今日は雨なのに出掛けなければならない。
チャリに乗れないから、歩いていかなければならない。
どのくらい掛かるか、30分?
そういえば、ぜんぜん関係ないけど、
かかるって、言葉の漢字、いろいろあってどれを使ったらいいのか迷う。
それらを羅列してみると・・・
掛かる、架かる、係る、懸る、罹る、繋る、斯かる
などがあるらしい。
単純に上着を衣文掛けに掛けるには掛けるを使うのが適当だろうが、
電話を掛けるも、上着を掛けるの掛けると同じ掛けるというのを使うのだろうか?
なんか違うような気がする。
なぜなら、電話をえもんかけに掛けるように受話器に掛けたら、電話は掛からない。
それって、「電話を掛けたら、電話が切れた」ってことにならないだろうか?
まあ、どうでもいい話だが、
文字を打ち込んで文章を作っていると、ときどき、こうした矛盾を感じることがある。
でも、いちいちそれらを気にしていたら、文章を書けなくなるから、流しているのだが、
そういうときはなるべく漢字を使わないようにしている。
ひらがなの方が余計なことを考えないで済む。
あ!
そろそろ出掛ける準備をしなければ!
またしても”掛ける”
この漢字、どうでもいいけど、なんか気になるんだよね。
至福の時
どうでもいいことだけど
僕は”よっちゃんの酢漬けいか”が大好き
今まさにコーラを飲みながら、よっちゃんの酢漬けいかを食べている。
それが私の至福の時
(ずいぶんと陳腐な人生だな・・・)
今日は、早く寝よう。
順番、見ていれば分かること
順番を間違えて、さっき春シオンを口に入れてしまったから、
これからヴィパサナをすると、たぶんそのまま眠くなってしまうだろう。
その前に今日の日記を書こうと思ったが、
べつに今日あったことは日記に書くまでもないと思って、こっちに書いている。
べつにこっちとあっちとなんらかの区別をしているわけでもないのだが
こっちには多少、訳のわからないことを書いて、
あっちには後から読み返したときに何をしていたか分かるように
自分ではしているつもりだけど、ぜんぜんそうなってないかも。
つまり今ぼくは、タイミングを見計らっている。
眠くなるのと、瞑想するのと、今日や明日のことを思い煩っているのと
どれをどう選択するのか
自分で見極めている。
バッハを聞いている。
ちょっと眠くなってきた。
人よ、汝の大いなる罪を悲しめ BWV622 というパイプオルガンの曲だ。
これをリピートで聞いていると心が落ち着いてくる。
目を瞑ってみると、見えてくる。
聖フランシスの目が。
耳の聞こえないダルメシアンの目が。
今日のキーワードは”アート”
ぼくは最高の武器を持っていると言われた。
別の人から、ぼくは勘がいいと言われた。
そして、虫ですらアートしているのを見た。
今日、土曜日に行けなかったスタジオ代を払いにチャリをこいでいるとき思った。
そうだ、今まで描いたドローイングをちゃんとスキャンして
絵のブログにUPしよう。
誰がなんて言うかわからないし、
そもそも誰も見てくれないかもしれないが、
一応、サーバーにセーブしておこうと思った。
どこにある、だれのサーバーだか知らないが・・
そうしたら、ツイッターで「世界の三大ゲイは誰?」なんてのがきたから
答えているうちに、GAY=爽になってしまった。
お笑いを見ているのとおんなじ。
そうしたら、ボウイとミック・ジャガーのデュエットをyoutubeで見つけて、
また更に笑い転げてしまった。
だいぶ眠くなってきた。
これから目を瞑って、
明日、また、目を覚ますまで
何十時間もあったらいいのに
検察審査会っていうのは、選挙権がある人が抽選で選ばれる
裁判員と同じで、誰がなるかわからない
誰でもなり得る、市民としての義務であり権利
そういうことになっている
OZが起訴されたようで、世論が二分しているようだが
僕は、OZが正義ぶっているのが、はじめからどうも嫌いだから
そうなって当然だと思った。
ここだけの話だが
昨日、竹で、OZがいいって言う奴がいて、
それが真理でもあるかのようにしゃべっていた。
OZ教ってやつで、
ひところのショーコー、ショーコーと類は同じではないかと感じた。
ショーコーが政治家になれば、首相になれば世界は変わると信じている信者。
同じような狂信性を感じた。
検察批判、体制批判、アメリカ批判は今、OZ信者を狂信的にさせているみたいだ。
こんなこと書くと、誰かが批判してくるかな。
それともいつものように、だれもなんのコメントもよこさないのかな。
最初に言っておくが、政治的な議論なんてぜんぜんしたくない。
どちらが正しくて、どちらが間違ってるなんて言い張ってもしょうがないことだから。
今日はこのくらいにしておこう。
眠くなってきた。
生きること?
明日から仕事だと思うと、気が滅入って落ち込む。
しかたない。
仕事が好きな人もいるし、生きがいの人もいるだろう。
そこまでいかなくても、仕事をそれほど苦痛に感じない人もいるだろう。
僕の場合は違う。
とっても仕事が苦痛なのだ。
じゃあ、どんな仕事だったらいいかって聞かれると
そうだな、今までやった中で楽しかったのは掃除の仕事が一番よかったかな。
でも、それじゃあ給料が安くて生きていけない。
宝石のセールスも今思えば楽しかったかもしれないが、
拘束される時間が長すぎた。
車で北は北海道から南は瀬戸内海まで行ったけど
出張に行くと、一週間も拘束される。
だいたい、拘束時間の長い仕事はきつい。
自由な、一人だけの時間がないと、僕の場合はおかしくなりそうになる。
旋盤や印刷工もやったが、
まるで機械になったような作業だった。
身体が痛くなる。それに、忙しすぎる。
もっとゆっくりやれたらいい仕事なのだが、
それじゃあ会社の生産性が落ちるからだめなのだろう。
チャップリンのモダンタイムズみたいに
自分が機械を動かしているのか、機会が自分を動かしているのかわからなくなった。
編集や出版もやったが、やっぱり、僕は怠け者なのだろう。
”仕事”っていうのが嫌いなのだ。
誰かに使われている、ノルマがある、自由にできなってことが嫌なのだ。
じゃあ何がしたいかって聞かれると、
別になにもしなくたっていいじゃないかって思えてくる。
生命があるんだから、生きている。
ただそれだけで、いいんじゃないかって。
今日気付いたこと
とってもあたり前のことだけど
闇があって光があること
光があって闇があること
そして、闇と光しかないこと
に気付いた
それからもう一つ
こっちの方が新しく気付いたことなんだけど
反感と共感っていうこと
それはアートに関すること
初めから反感をもって見れば
どんなアートも気持ち悪く見える
醜さだけに目が、意識がいってしまう
逆に共感をもって見れば
そのアートが表現しようとしていることを100%汲み取ることができる
共感が100%を超えると
アーティストが表現しようとした以上の感動を得ることができる
アートは受ける側にも責任があるってこと
そして、大抵は
突出したものは初め、反感だけによって評価されるってこと
突出した才能は、揶揄され、貶められ、反感によって迎えられる
大衆が慣れてくると、だんだん受け入れられていく
でも、日本の場合は、突出したものは奇異なものとして笑い物、村八分にされる
排除され、既存のもの以外の価値を認めようとしない
だから、日本にアートは生まれない
技術は生まれても、創造や独創は生まれない
今の日本のアートの状況は、とっても貧困だ
程度が低い
大衆に迎合することだけを考えているアートはアートじゃない
独創よりもクオリティーだけを追求しているアートはアートじゃない
権威の”レベル”っていうものを競っているようなアートはアートじゃない
技術やテクノロジーを誇示しているようなアートはアートじゃない
コンセプトを凝らしているアートはアートじゃない
アートはもっと純粋で単純なものだ
それなのに尽きない謎が秘められている
それがアートだ
言葉では表現できないもの
簡単には論理では分析できないもの
感情であり、命であり、エネルギーであるもの
それがアートだ
ただアートは、個人によってのみ生みだされるもの
そして、個人の感覚によってのみ評価されるもの
だから、日本のアートの状況が貧困なのは
アートィストが生まれない、逆に、殺すような状況だからだ
そしてアーティストを評価する個人の強さがない
誰もがみんな人の目を気にして周りに合わせようとしている
だから、アートじゃなくて大衆芸能しか産まれない
音楽産業、アート市場の大量生産用商品しか生産されない
最後には?
まだまだ
まだまだだ
あのときもそうだった
一年たってないから
ぜんぜんわからない
乗り越えると
虚脱し
なにか自分を追い込みたくなって
勉強をはじめた
だから
あと一、二年
辛抱しなければならない
なんか
未だに勉強してる
それもだんだんハードになっていく
”自己実現”なんてどこにある言葉?
どこにも実現すべき自己なんてない
殻を脱ぎ捨てて、脱ぎ捨てて
最後には無になる?
夜中、木の下で
夜中、大木の下で
風に枝が揺れるのを見つめる
黒い枝
黒い空
ぼくは幽霊
雨がぽつぽつ降ってきて
行くところがない
行くところがない
誰もぼくのことを知らない
ぼくもぼくのことを知らない
もっと若いとき
ぼくは今よりぼくのことを知っていた
だんだんわからなくなってきた
だんだんわからなくなってきた
風が吹いて木の枝を揺らす
まるで黒い腕のようだ
夜の闇が
ぼくを呼んでいる
一緒に不可知の世界に行こうよ
言葉の通じない
明日のない世界
いいよ、行っても
この世に天才なんていないし
自分ひとりだけで充分だ
誰もいらない
必要ない
あの闇以外なにも
この闇以外なにも
オヤジの引っ越し
昨日とってもリアルな夢を見た。
起きてすぐのときは覚えていたのに
もうほとんど忘れてしまった。
列車に乗ってどこかへ行く夢。
その列車の形が変わっていた。
空気抵抗が少なくなるように角が丸くなっている。
現代的なかんじだが、おもちゃのようでもある。
普通の車両に比べて少し小さい。
駅での乗り換えのことや、車内でのことを詳細に覚えていたのに
すっかり忘れてしまった。
きょうはひどい土砂降りだった。
オヤジの引っ越しをした。
夕方には終わるだろうと思っていたのに、とんでもなかった。
ケアプランの担当者会議
主治医との打ち合わせ
足りないものなどを近くのダイエーまで買い出しに行って
夕飯も喰わないで、なんだかんだやっているうちに
帰ってきたのは9時過ぎ。
遅くなってしまった。
まったく家族というものは・・・
なんていうか、久しぶりの家族全員の顔合わせで
一つ車に乗り込んで行ったのだが・・・
なんだか話もちぐはぐだし
車もフロントが曇って前が見えず
土砂降りで
なんだか最悪だった。
歳をとって、身体も心もいかれてきても、
もっとスマートに
ぼくの場合は
もっと世捨て人っぽく
家族とは自立して
生きていけるようになりたいものだと思った。
今日思ったこと
よく見たら、春シオンがもう咲いていない
もの影を探したら、いくつか咲いていた
そのうちの一つを採って
夢の世界に行こうと思う
本当は太陽が輝いている健康な野原で
昼寝をしたいのだが
ぼくの今いるところは
暗くてジメジメしている地下道の奥で
誰もいない廃墟
懐中電灯を照らしてようやく辺りが見える
昼も夜も区別できない
本当は今日の昼はとっても忙しくて
歯医者に行ってから帰るはずが
予約日を一日間違えていて
昨日だった
歯医者のある洞窟の上に
崩れかかった廃墟のビルがあって
そこで営業しているラーメン屋がある
路地に生えている草を炒めて食べさせる
肉はどこかの犬かネズミだろう
ラーメン屋のオヤジは怖い
間違った頼み方をすると機嫌を損ねる
なにも作らずに出ていけと言う
今日は的確に最小限の言葉で注文したから
オヤジはちゃんと食べ物を作って出してきた
そのラーメン屋の更に上に昇ると
廃墟の本屋がある
ボロボロの本が山積みになっていて
腐りかけている本など誰も見向きもしないのに
女性の店員が店番をしている
そこで本を2冊買う
一つはとっても汚くて
もう一つは、読んでみたらそれほど面白くなかった
超常現象について書かれている
超常現象を起こす秘密について書かれている
でもどうやって実践していいのか分からない
ぼくとしては理論はとりあえずはどうでもいい
実践できるやり方が書いてあってほしいのだが
そのやり方となると
とってもお粗末なことしか書いてない
つまりはその本の著者に弟子入りしろということらしい
ぼくはそんなにヒマじゃない
インスタントに成果を上げたいから
薬物が流行る
もともとは
どこかの医者か化学者が作ったはずのものが
巷の頭の悪いチンピラまがいが売りさばいている
一度作り方が分かれば
法を犯す勇気があれば
どんなバカでも創造できる
コロンブスの卵
脳内の仕組みは
お偉い脳科学者じゃなくても
誰の頭でも
現に体験している
それを理論化するほど無意味なことはない
理論は実践を伴わない
机上の空論だ
トートロジーだ
甲状腺が痛みだした
今度は文字じゃなく
ヴィジュアルで表現しなければならない
やり方も考えてある
まず線を引く
そして空間に分ける
そして空間に色を塗る
今まで、そういう描き方をしてこなかった
そういう描き方をするには時間がかかる
場所もいる
道具もいる
だからそれができるときを待っている
5年後か10年後か分からない
意外ともっと早く来るかもしれない
早く来てほしいと思った
愛し合う?
なにも隠すことなんてない
だってなにもすることなんてないんだから
昨日は終わり
明日はまだ始まっていない
だったら夜になるまで待つまでもない
太陽が沈まないうちに
愛することだってできる
愛することだってできるはず
そうだろ?
太陽が沈んでしまったら寂しいよ
夜が怖いよ
だって明日が来ないかもしれないから
なにもすることなんてないのに
明日が来ないともう
愛し合えない
愛し合えないから
そんことないよね?
明日、太陽が昇らないことなんてないよね?
約束しよう
愛し合うって
必ず愛し合うって