
「でも、もう」って歌をつくった
なんだか“死”に取り憑かれている。
ギターで、弾き語りの歌を作った。
もう逢えない、お終いだ、という歌詞。
「でも、もう」という題の歌。
「どうか、忘れないで、ぼくが、あなたのそばに、いた、ことを」
とても単純な歌詞。
でも、単純な繰り返しの歌だけど、ギターを弾いてこの曲を歌うのは難しい。
単純な歌ほど、難しいんじゃないかな。
それにしても、この曲は、もう逢えないってこと。
たぶん僕が死ぬから。
だから、死に取り憑かれているんじゃないかと思ったりする。
この歌のリンクを貼っておく。
自己満足
関係ない独り言。歌の楽曲は言葉と音とリズム。私のはとても単純な歌詞。でも、単純な言葉の一言でも、メロディーをつけて歌にするとすごい感情を表現できる。たとえば「Yes」の一言とか「でも」の一言とか。だから面白い。でも、歌ができたら、一応ちゃんと聞こえるような音にしなきゃならなくなるから面倒だ。ギターを弾いて、歌を歌って、マイクで録音して、ちゃんとテンポを一定にして、チューニングして、できるだけいい音で弾いて、いい声で歌って、ギターがハウリングしたりしないように、その他いろいろ、ちゃんといい音で聞こえるように、いろいろなことをしなくればならないから面倒くさい。それをやるのが時間がかかる。でもそれをやらないと私が作った歌はこの世に存在しないのと同じことになってしまう。歌ができたと言っても、聞こえるようにしないと存在しないのも同じこと。絵の場合もそう。ちゃんと見えるように描かないと、できた絵が存在すらしないことになる。でも、絵にしても歌にしても、それを見たり聞いたりしない限りは、苦労して作ったとしても存在しないのと同じこと。どうせ自分しか見たり聞いたりしないのなら、それも数回しか今後見たり聞いたりしないのなら、わざわざ面倒なことをして、完成させなくてもいいのではないかと思ってしまう。でも、自分の完成させた歌や絵を見たり聞いたりしたいから、自分の歌とか絵を作ったりする。ほぼ100%自己満足の世界。
料理もそうだな。ただ栄養のために食べるなら、別に美味しく作る必要はない。苦労して料理しても食べるのは自分だけ。なんでわざわざそこまで美味しく作る必要があるのか自問自答しながら、自己満足のために自分の食べる料理を作る。
眠るのもそう。
なぜわざわざ眠らなければならないのか? 健康のためか? 眠いからか? 眠いという自己の欲求を満足させるために、わざわざ眠る必要があるのか? 眠るのも、自己満足を充すため。
すべてがそう。
自分が生きているということは、すべて自分の欲望を満足させるため。すなわち自己満足。
予期せぬこと
今日は、急に雷がなって冷たい雨(雪?)が降ってきて、外食してたら、鼻水🤧が垂れてきた。
ローストビーフを食べながら、ポケットティッシュをジーンズの後ろポケットから出して鼻水を何度も拭いながら、やっとローストビーフを平らげた。
なんだかおかしいな、なんでこんなに鼻水が垂れてくるのだろうと思いながら買い物をして帰ると、しばらくしてたぶん風邪をひいたのではないかと気づいた。
頭もボーとして、そのまま、最近手に入れた背もたれが後ろに倒れるリクライニングの椅子に座って椅子を揺らしていた。
なぜかこの椅子は揺らすといくらでも前後に揺れるのだ。
あんまり揺らすと、いつかこの椅子はバランスを崩して後ろにひっくり返るに違いないと思いながら、どのくらいまで揺らしていたら、倒れるのだろうと思いながら、限界に挑戦してみたい気持ちにもなってきて、かなり後ろまで揺らしていた。
すると、急に「バキッ」といって、背もたれを支えていた両脇の部品が折れて、後ろにひっくり返った。笑
やっぱりな、と思いつつ、実は部品が折れて背もたれが外れるとは思っていなかったので、しばらくひっくり返ったまま起き上がれず、どうなったのか考えていた。笑
やっとなんとか起き上がって、折れた(割れた?)部品を見て、なんだこれは、メーカーにクレームをつけてやるかと考えていたが、やめた。
実は、背もたれと座るところを繋いでいる肘掛けの部品が太腿にあたるので、私がノコギリを使って苦労して前日、切断したのだった。
そのために、座部と背もたれを繋いでいる肘掛けの構造の強度が落ちて、結局、私の体重を支えきることができなくなって、バキっと両方とも折れたのだった。
いつか後ろにもんどり打って倒れるな、と思っていた私の予感は別の意味で的中したわけだ。笑
いくら揺らしても椅子が後ろに倒れる構造にはなっていなかったが、プラスチックの部品が折れて、背もたれが外れて後ろにひっくり返ったのだ。笑
まぁ、“予期せぬこと”が起こることは、私にとっては愉快なことではある。笑
大阪万博も東京オリンピックの二の舞になるのか?
今セクハラで問題になっているなんとかというお笑い芸能人(私はまったく興味ないから知らないけど、すごい人気があるらしい)が大阪万博のアンバサダー(何それ?)になっているらしい。
大阪万博、すべてが裏目に出ている。
こういうイベントは、強行するとろくな結果にならない。
場合によっては悲劇的結果になる場合があるから、あらかじめ言っておく。
東京オリンピックを思い出してもらいたい。
召地が決まったとき、阿部元首相などが狂乱して喜んだ。
福島はアンダーコントロールだと言って…。(その割には、処理水(汚染水?)を海上投棄することになったし、阿部さんは殺された。)
東京オリンピックでインバウンド需要が増え、日本は好景気になるはずだった。(高度成長期の夢を見てたんだな。冷静になって考えもせずに…。)
外国人観光客が押し寄せるので、ホテルが足りなくなると言って、お金を借りて旅館や宿泊所を新築した人たちはその後どうなったのだろうか?
それよりもあの国立競技場。
結局、あの競技場に観客が入ることはなかった。
そして、コロナで外国人は誰も来なかった。
目論見は見事に裏目に出た。
誰も未来を予想できなかったわけだ。
大阪万博も強行したら、必ず東京オリンピックの二の舞になることをあらかじめ言っておく。
大阪がとても悲惨なことになるかもしれない。
これ以上詳しいことは言えない。
風評被害を流していると言われかねないから。
(でも、冷静になって現状を見れば、今日本は万博などのお祭り騒ぎをやって浮かれ騒いでいる場合ではないことは誰の目にも分かるはずだ。)
能登半島で地震があった。
これを教訓として、日本は南海トラフ地震(その他)に備えるべきだろう。
そうなったとき、日本の財政は持ち堪えられるのか?
救援体制を強化するために今のうちに予算を増額する必要があるのではないか?
なんでも予備費で処理して、
なんでも、後手後手の対応では、いくら無能な政府だとはいえ、許せなくなる限界というものがあるということを言っておく。
2024年正月早々、一億総白痴化の予兆?
2024年、正月。
NHKがニュースで、デマに気をつけてください、今回の地震が人工地震だとネットで流している人がいますが、人工地震ではありません、と言っていました。
このような時代になって、逆の意味でも気をつけたいと思います。
「長いものには巻かれろ」という諺が日本にはあります。
「欲しがりません勝つまでは」とか「和をもって尊しとなす」とか。
NHKニュースで言っていることだけが真実だということがまかり通るようになると、逆に危険ではないでしょうか?
権威が市民の情報を検閲するようになると、逆に何が真実なのか分からなくなります。
ただお上の流す“大本営発表”のニュースだけが真実だとなると、暗黒の中世に逆戻りです。
正月早々、テレビだけを見て「一億総白痴化」される日本人の未来が危ぶまれます。