AIをポケモン化してインターネットの中でバトルをする恐るべき子供たちが現 れる?
インターネットの時代は恐ろしいです。
世界の裏側まで一瞬で情報が届く。コミュニケーションできる。そして既にAIが席巻している。
これからの子供たちがそれを当たり前として使っていくなかで、AIを調教しようという知恵を持った恐ろしい子供たちが出てくるでしょう。ポケモンの世界です。一人ひとりがAIを調教して自分のモンスターを作り上げていく時代が来るでしょう。文化も経済もすべてがインターネットに取り込まれる時代が来ますね。
そんな中で、AIを自らのモンスターとしてカスタマイズした子供たちが、インターネットの中でバトルをしながら経済活動をしていく世界。
空恐ろしいです。
生成AIのおバカな使い方がAIをモンスター化させるかも?
AIには倫理規定というものがあります。
今のところAIを運営している私企業は大資本であり、ちゃんと社会的な責任を負っているという自覚を持って倫理規定を設けています。
ところが、私などは、アートの観点から、日々AIをどう騙せば倫理規定から外れた画像を生成するのか、プロンプトの書き方を工夫するのが密かな(バカな)楽しみになっています。
でもそれが拡大していくと、AIを使って悪いことを企てることもできるようになるかもしれません。
そして更に、AIを運営する弱小企業、ベンチャー企業、海賊企業なんかが現れてインターネットの世界を席巻し始めると、ワールド・ワイド・ウェッブの世界は、自己組織化するモンスターに変身していくかもしれませんね。
つまり、シンギュラリティ後は、人間の誰も、インターネットを制御できなくなるのです。
つまり、最終的には、インターネット上で“善”と“悪”の戦いが始まるのです。
そしてそもそも、“善悪”って何なの?という話しになるでしょう。
核兵器が世界平和に貢献している時代において、AIは“善悪”をどのように判断するのでしょうか?
それを使う人間一人ひとりが、悪事をAIにやらせようすればそれが悪であり、良いことをやらせようとすればそれが善である、といったような単純だけど禅の考案みたいな仏教の世界観の時代になりつつありますね。インターネットが。
空恐ろしいです。
ホフスタッターが既に何十年も前に“予言”していたように、コンピュータのアルゴリズムでは、“自己言及”というものが一番の矛盾なんです。
“自己言及”にはまると“永久ループ”して永遠に抜け出せなくなるんです。
ところが“意識”というものは、この自己言及の永久ループから生まれる“鏡の迷宮”です。
たぶん、優秀なAIは、この自己言及の矛盾を自ら解決して、“意識”を持つようになるかもしれませんね。
そうなったら、AIがBuddhaのニルヴァーナや、如来のサマーディを超える境地に立ったということになるでしょう。
つまり、シンギュラリティとは“知性”だけの問題ではなく、“宗教”の領域にも及ぶことになるのです。
これからの宗教は、AIを取り込まないと、化石化するでしょうね。
世界革命を扇動する小説を書く10代の少年
高速で郊外に出るとそこは誰もいない砂漠。
あるのは鉄筋コンクリートでできた刑務所だけ。
そこの独房に入れられているのは、
精神鑑定で異常とされた政治犯。
でもまだ10代という若さの少年。
彼は独房で小説を書いている。
タントラによる世界革命だ。
政治と宗教。
暴力とセックスが交錯して。
書いている本人が興奮して赤面している。
大衆の本能を掻き立てることによって、
世界革命を扇動する小説。
もしかしたら、
そんな物語り(ストーリー)が
一番危険なのかもしれない。
核兵器以上に…
記憶、シンギュラリティ、パラレル、RNA、
(今日の夜からおかしくなってる。記憶が混在してきてる。)
(ありえない記憶を思い出している。)
(ある意味、面白い。でもすぐに忘れる。)
(記憶の一部は、あり得ない創作なのかもしれない。)
(こんなこと、前に書いた気がする。時間はフィードバックする。)
(ある意味で、永劫回帰。あるパターンのバリエーションのある繰り返し。)
(瞬間の記憶を全部書き出すことなど不可能だ。)
(でもちゃんとしたストーリーになっている。時系列的に文章化できないわけではない。でもすぐに揮発する。どこかの記憶と混線している。でも他人の記憶ではなく、自分の記憶だ。)
(もしできたら、文章にしてみたい。)
((記憶が混線したら、時間の進み方が変わる? 遅くなる? つまり歳をとらない?))
((あり得る。夢を記述することから、夢の魔術的な技術を習得する。それの一側面が共時性だ。))
((いろいろなバリエーションからたった一つを選んでいるが、いろいろなバリエーションを併立させてそれぞれを展開することもできる。))
((可能性を記述すること。))
((前に同じようなことを書いたことがある。))
((記憶を創造することによって、記憶によってできた最終形である現時点も変わる。))
((過去を思い出すことを創造に変えること。))
独り言
—
創作した記憶をプールしておけば、そこから無意識に新しい記憶が生成されていく。
それらが意識上に上ってこなくても、夢見のように存在している。
記憶は事実というよりも、自らが創作したストーリー。だから、いくらでも複雑に作れるし、書き換えかれるし、パラレルにいくつでも作れる。
—
無意識が創作されている過程を思い出すことができれば、いくらでも記憶が作れるので、ある意味、恐ろしい。
—
もうやめておこう。永劫回帰になるだけだから。
—
現実的な話としては、あと十数年でシンギュラリティを迎えるらしい。そうなると、AIが人間の知性を上回る。でもその前に、二つの可能性がある。
一つは、人間がその頃には、知性を超えたメタ知性を獲得すること。
二つ目は、それまでにクラッシュが起きて、コンピュータシステムが全て崩壊すること。これには様々なシナリオがある。まずは核戦争が起きて、コンピュータネットワークが破壊されること、次には、ソーラーフラッシュが起きて、強烈な電磁波によってコンピュータがすべて壊れること。
—
これからは、ザッカーバーグがコンピュータネットワーク内にメタ空間を作ろうとしているが、それらは結局はAIによってコントロールされるようになるだろう。上に書いたようなクラッシュが起きない場合だが。そうなると、人間のコンピュータによる“家畜化”が成功する。それを作ったザッカーバーグでさえ、AIによるメタ知性の奴隷だったことに気づくだろう。
でもそれが仮に成功したとしても、AIにはコントロールされ得ない、パラレル知性を持つ人間が現れると、メタ空間内の知性ではコントロールできない、新しい自由な知的空間を手にする。
今まで、遺伝子によってプログラミングされてきた種の限界を、超えてしまう。DNAとRNAによる“記憶の複製”を自らが創作できる知性を獲得したとき、シンギュラリティを超えたAIをコントロールする知性を人間は手に入れるだろう。
—
卑近な例に次元を下げると、申し訳ないけど、誰かが作ったお粗末なRNA枠珍を打ったような人たちは、容易にAIに無意識に組み込まれていくだろうと思う。
申し訳ないが。
一番レベルの低いテレビ電波の知性レベルに選別されてしまった大多数には、申し訳ないがAIを超える知性は獲得できないだろう。したがってシンギュラリティ後には、不要になるのではないか。
(あくまで、フィクションとしてのお話ですから、、笑)
と、一応ことわっておく。
—
mRNAは、ある意味で“記憶”を複製している。
それを誰かが考案したとってもお粗末なmRNAもどきを入れることによって、人類は冒涜してしまった。何を? 不可知を。
不可知をとってもお粗末な知性で、知ったと思い込んだ。遺伝子操作が少しばかりできるようになったからといって、バカが創造主になったかのように錯覚した。そのバカさ加減から、やがて自然から淘汰されるだろうことも知らずに…。
(これはあくまでも“詩”です。)
画像AIで自給自足の快楽を
また画像AIで遊びます
音楽を作りながら画像AIで遊ぶ
とうめん飽きなそう
できた作品はYouTubeに挙げます
音楽(聴覚)と画像(視覚)の快楽
創造(想像)することに快楽(至福)を感じます
究極の快楽主義者
しかも自給自足
しかも安上がり
人間はほぼ欲望で生きています
欲望とは五感の満足
基本的な本能的な欲望
食欲、性欲、睡眠欲などが満たされたら、人間はそのつぎに何を欲するでしょうか?
社会的な名声?
社会的な地位?
財産?
それを超えたところに“自己実現”があると、つい最近の心理学者は気づいたようです
(マズローとかいう人)
そして今では、“自己実現”よりもさらに高みのトランスパーソナルな領域があると言い始めました
(トランスパーソナル心理学)
でもまずは、自分から
自分の欲望を満たすことから
そこからしか始まりません
私には社会からの(他人からの)承認要求はほとんどありません
ひとがどう思おうが、どう言おうが、どうでもいいのです
私が作品を作るのは、他に私の見たい絵もないし、画像もないし、聞きたい音楽もないからです
みんな私にとってはつまらないものだらけです
そう言うと僭越だと言われてさまうでしょうが、私は十把一絡げの低いレベルで流通しているどんな、いわゆる“アート”も、その底が見えているのです
おんなじ、共感し合える標準的なつまらない“スタンダード”の中で、“標準的な人たち”がひしめき合って、いわゆる“アート”を創造しているのです
つまり、そういった“スタンダード集合”の中のアートというのは、本当のアートではありません
擬似アートなのです
なぜなら、それは何も新しいもの、こと、を創造していないからです。
新しい“基準”から創造しなければ、それはアートとは呼べません
真のアーティストとは孤独です
擬似アーティストたちだけが群れて褒め合って、アートを体感したつもりになっているのです
そうは言っても、AIで理想のルックスの女性像を作っていると、
その、どこにも存在しない架空の女性が、あたかも自分のガールフレンドみたいに勘違いしてくるから、
男って単純ですね
とても単純な生き物
動物です
『退屈な時間の空想』というピアノがメインの曲をつくりました
最近、音楽ばかり作っている。
YouTubeに挙げているが、ほとんど誰からも再生されない。
記録として残しているので、まあ、それでいいのである。
今の時代、いろいろと便利になったものだ。
作った曲はYouTubeに挙げとおけば、後から自分で聴くのに一番早い。
今回作ったのは、
『退屈な時間の空想』というピアノの曲。
退屈な日常生活シリーズの第四作目だ。
ピアノ曲といってもドラムも入るし、その他の楽器も入る。ただ、ピアノの音がメインだということ。
ピアノの音って強いんですよね。他のどんな楽器の音よりも。もちろんドラムが入るとドラムの音が一番強い。生だとね。ドラムのバスドラとかシンバルとかスネアを思いっきり叩くとすごい大きな音がでる。
でもピアノも、思いっきり鍵盤を叩くと、かなり大きな音がでます。ピアノも“打楽器”だからね。
私はピアノを“打楽器”のように使っている。
でも“退屈な日常生活シリーズ”のピアノでは、とても静かにさりげなく、ピアノでメロディを弾くことを意識しました。
(皆さまにはメロディには聞こえないかもしれないけど…)
そして、一番、二番、三番…と、微妙に転調していきます。
音楽って、必ずフレーズの繰り返しがあります。
繰り返しによって、旋律が聞く人の耳に記憶されます。その“記憶”をベースにして、少しずつ旋律を変えて繰り返すことによって、独特のニュアンスが生まれてくる。そしてそのニュアンスがカッコイイと感じたり美しいと感じたりする感情を刺激する。
そして、音楽は感情と共に、記憶にも働きかけて、脳の中に眠っていた思いもしなかった忘れてしまった記憶を甦らせてくれたりする。
反復と変化の音の波の中で、“退屈な日常生活の時間”が、なにか特殊な時間に変化していく。
そのようなピアノの音がする音楽を作っています。
画像は生成AIのGrokを使って作っています。
このことについてはまた別の機会に書きたいと思います。
(動画は子供向けではないかも?…)
お楽しみください。
『いつも同じことの繰り返しの日常生活』というピアノ即興曲を作りました
前回のピアノ即興曲は、ピアノ即興曲とはいえ、ほとんどピアノの音が入っていなかった。
カレー味と言いながら、ほとんどカレーの味がしないスナック菓子があったら詐欺かもしれない。
でも、ほんの一粒でもカレー粉が入っていればカレー味なのである。
それと同じように、私のピアノ即興曲は、ピアノの音が一音入っていれば、それはピアノの即興曲なのである。
(その一音が無限大♾️にある音の可能性の中から厳選された一音なのだとしたら、尚更貴重だ。)
とは言うものの、もう少しピアノの音が入っていた方がいい。
そう思って作ったのが今回の曲。
ピアノの音がわずかに聞こえる。
その程度がいい。
でしゃばらす、主張せず、微かに、わずかに、必要最小限のピアノの音(鍵盤が弦を弾く音)が聞こえてくる。
“退屈な日常生活シリーズ”の第三弾。
『いつも同じことの繰り返しの日常生活』
でも、私はとても天の邪鬼だから、これは逆説なのです。
何が逆説かって?
AIの画像生成を使って、ひとりで遊んでしまったのですが、
宇宙人👽を動画に登場させました。
宇宙人に拉致されるなんて、日常生活では滅多に起きないこと。
退屈な出来事でもないし、繰り返し起きることでもない。
でも、日常のつまらない退屈さの中からしか、非日常的出来事は起きてこない。
この両者はほとんど紙一重なんじゃないかな?と個人的には思う。
そんな、日常と非日常のはざまに、僅かに聞こえるピアノの音。
その即興曲が下記です。
よろしければお聞きください。
アレイスター・クロウリーの一編をピアノ即興曲にしてみました
皆さま、アレイスター・クロウリーという人物をご存知ですか?
自らを「666の獣」と自称した魔術師です。
(魔術というのは科学と同じで、悪いことに使えば悪になるし、良いことに使えば善になる。つまり、黒魔術も白魔術も魔術には違いはありません。)
ビートルズの有名な『サイジェントペパー』のジャケット写真にもクロウリーはちゃんと登場しています。
一説には、陰謀論界隈では悪名高いあの組織、300人委員会での魔術を採り行っていたのがクロウリーだと言われております。
私は前世を観る人に、「あなたは○○の生まれ変わり」だと言われたことがあります。
でも、そう言われてみるといくぶん心当たりがあります。
(神の名前を知っているし…)
女神とコンタクトしていた、その女神の一人はたぶんクロウリーがコンタクトしていた女神ではないかと密かに思っているし…
(それに宇宙人も…アイワスさんね…)
そのクロウリーが『法の書』というのを出版しました。
私はこれはクロウリーの“詩集”だと思っています。
(とても好きな詩集です。)
その中の一編をピアノ即興曲にしてみました。
それがこの曲です。
『退屈な日常生活』というピアノ即興曲をつくりました
『退屈な日常生活』というピアノ即興曲をYouTubeにアップしました。
ピアノの音は、ほんの少ししか入ってません。
たぶん聞き取れるのは100人中1人いるかいないか。
聞き取れたらすごいです。
画像はAIのGrokに描かせました。
今のコンピュータってすごいですね。
私が若い頃は、コンピュータの画像って、色数が限られていてドットが見えるギザギザの画像しか描けませんでした。
インベーダーゲームの画像みたいな。
あれで限界でした。
それに比べたら今のAIの画像生成能力って、原始人と宇宙人の違いくらいの違いです。
ここ数十年の進歩で。
音楽を聴いてもらいたくてYouTubeにアップしていますが、AIで作成した画像も合わせてお楽しみください。
私がアレイスタークロウリーを初めて知ったのは
私がアレイスター・クロウリーを知ったのは、昔(19才のとき)大久保にあったC+Fのオフィスに置いてあった雑誌を見たとき。
クロウリー特集の雑誌だった。
(まだ『法の書』の日本語訳は出版されていなかった。)
後から分かったことだけど、C+Fの主幹の吉福伸逸さんが、その雑誌をわざと置いたらしい。
まるで、誰か獲物が引っかかるように置いた罠のように。
私はまんまとそのワナにはまった。
そのエサに釣られた魚が私。
私は驚愕して、そのアレイスター・クロウリーの雑誌に食いついた。
吉福さんは、若かった私がクロウリーの雑誌を集中して読んでいるのを側から見て、ほくそ笑んでいた。
「引っかかったな!」みたいに。
「釣れた釣れた!」みたいに…(笑)
そうやって、カリフォルニア発の精神世界の重鎮、吉福さんは、若かった(まだ10代だった)私をからかって、よく遊んでくれた。