2019/6/17 明治大学野球部、38年振り大学日本一!~明治ラグビー部の大学日本一に続く快挙 | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

昨日(6/17)、第68回全日本大学野球選手権大会の決勝が行われ、

明治大学が、佛教大学を6-1で破り、明治が38年振り6度目の大学日本一の座に就いた。

明治の大学日本一は、1981(昭和56)年春、「御大」と称された、名将・島岡吉郎監督が率いていた時以来の快挙である。

 

 

明治は、今年(2019年)春、東京六大学野球の春季リーグの優勝の立役者である、

エースで主将の森下暢仁投手が中心となり、見事に38年振りの大学日本一の栄光を掴み取ったが、

明治らしい、ソツの無い攻撃と、森下の危なげない投球により、佛教大を寄せ付けず、快勝での日本一達成となった。

 

<第68回全日本大学野球選手権…明治が危なげなく決勝へ勝ち進む>

 

 

 

 

2019(令和元)年春の東京六大学野球で、5シーズン振りの優勝を達成した明治は、

第68回全日本大学野球選手権大会へと出場した。

ちなみに、全日本大学野球選手権大会は、全国の大学野球リーグの優勝校が出場権を得て、

神宮球場で一堂に会し(※東京ドームで行われる試合も有り)、大学日本一を決める大会であるが、大学野球選手権が行われるのは春のみであり、

秋は、もう少し小さい規模で、明治神宮大会というのが行われるが、こちらは、全国の大学リーグの優勝校ではなく、

地区ごとの代表校が、大会に出場する(東京六大学野球と、東都大学野球の優勝校は、無条件で出場)。

 

 

従って、春の大学野球選手権こそが、大学野球にとって、最も重要な大会とも言えるであろうが、

その大学野球選手権に、3年振りに出場した明治は、エース・森下暢仁の快投もあり、

明治は、福井工業大を9-2、東洋大を3-0、東農大北海道を5-1で破り、危なげない戦いぶりで、決勝へと進出した。

 

<佛教大が、劇的な逆転勝ちの連続で、初の決勝進出!!>

 

 

一方、京滋大学野球リーグで、2季連続54度目の優勝を達成した佛教大は、

悲願の大学日本一を目指し、神宮球場へと乗り込んで来た。

東京六大学や東都にとって、神宮は自分達の庭のようなものであると思われるが、

地方の大学リーグの所属校にとっては、神宮球場は、日本一をかけて乗り込む、憧れの舞台なのである。

 

 

 

その佛教大であるが、八戸学院大に4-3で逆転サヨナラ勝ち(9回裏に4点取って大逆転勝ち)、東北福祉大に4-3でサヨナラ勝ち(0-3のビハインドから、終盤3回で逆転勝ち)、東海大に6-4で逆転勝利(0-3の3点ビハインドから、終盤に逆転勝ち)と、劇的な逆転勝ちの連続で、見事に、初の決勝の舞台へと勝ち上がって来た。

まさに「ミラクル佛教大」と言って良い、素晴らしい戦いぶりであるが、佛教大は初の大学日本一をかけて、東京六大学の覇者・明治に挑戦する事となった。

 

<大学野球選手権の決勝に出れば、負けない明治…全て、島岡御大の時代に、過去5度の日本一!!>

 

 

明治は、最後に大学日本一になったのは、1981(昭和56)年春の事であり、それ以来、38年も大学日本一の座から遠ざかっていた。

しかし、明治は過去5度、大学日本一に輝いており、しかも、5度決勝に進出し、5度とも勝利している。

つまり、明治は大学選手権の決勝にまで進めば、絶対に負けないという事である。

その明治の、過去5度の大学日本一になった、決勝戦での結果は、下記の通りである。

 

1954(昭和29)年 第3回 決勝 明治7-1立命館

1955(昭和30)年 第4回 決勝 明治1-0日大

1978(昭和53)年 第27回 決勝 明治5-0専修

1980(昭和55)年 第29回 決勝 明治8-1駒澤

1981(昭和56)年 第30回 決勝 明治8-2近畿

 

 

上記の、明治の過去5度の大学日本一は、全て、「御大」と称された島岡吉郎監督によって、成し遂げられた。

つまり、明治は島岡御大の時代以降は、一度も大学日本一になっていない。

明治は、最後に大学日本一になった、1981(昭和56)年春以来の大学選手権の決勝に辿り着いたが、果たして、島岡御大以来の大学日本一達成は成るであろうか!?

 

<明治大学、エース・森下暢仁の1失点完投勝利で、6-1で佛教大を撃破!!明治は悲願の38年振り大学日本一!!>

 

 

 

 

その第68回全日本大学野球選手権の決勝は、3回表に3点を先取した明治が、終始、試合を優位に進めた。

背番号「10」を背負い、主将の重責も担う、エース・森下暢仁は、抜群の投球を見せ、佛教大打線に、全く付け入る隙を与えなかった。

明治は、9回表にも決定的な3点を追加し、結局、森下は9回裏に1点は失ったものの、佛教大を7安打1失点に抑え込み、

見事に、エース・森下暢仁の完投勝利で、明治が佛教大を6-1で破り、38年振りの大学日本一を達成した。

 

 

 

 

 

大学日本一が決まり、マウンド上に明治ナインの歓喜の輪が出来たが、

試合後、明治を38年振りの日本一に導いた善波達也監督、そして、MVPと最優秀投手の2冠に輝いた、森下暢仁などの胴上げが行われた。

なお、この日(6/17)、神宮球場には、38年前の大学日本一の時のメンバー、平田勝男(現・阪神タイガース二軍監督)も居り、38年前のチームメイト・善波達也の晴れ姿を見届けた。

 

<島岡御大の「人間力野球」を受け継ぐ男、善波達也…1981(昭和56)年春の優勝メンバーの一人。そして、明治野球部のユニフォームに30年振りに「猪(イノシシ)のワッペンが復活>

 

 

 

先程も述べたが、明治の善波達也監督は、1981(昭和56)年春の優勝時には、明治野球部のメンバーの一人であった。

そして、善波達也2008(平成20)年以来、明治野球部の監督を務め、それ以来、明治大学野球部を、東京六大学野球のリーグ優勝9回、明治神宮大会の優勝2回(2011年秋、2016年秋)、準優勝2回(2013年秋、2014年秋)、大学野球選手権の優勝1回(2019年春)に導き、

まさに、平成末期~令和にかけて、明治野球部の黄金時代を築き上げていると言って良い。

善波監督の、卓越した指導力は、高い評価を受けているが、善波監督は、かつて自らも薫陶を受けた、島岡吉郎監督「人間力野球」の継承者を自任している。

 

 

 

 

ちなみに、明治野球部は、今年(2019年)から、島岡監督時代以来、30年振りに、ユニフォームに「猪(イノシシ)のワッペン」を復活させたが、

伝統のワッペン復活とともに、明治を象徴する「猪突猛進」を体現し、リーグ優勝⇒日本一を達成したのは、誠に見事であった。

 

<2019(令和元)年の明治の東京六大学野球の明治優勝…隙の無い「全員野球」で栄光を掴む!!>

 

 

 

明治は、今年(2019年)の東京六大学野球で、「勝ち点5」の完全優勝で、5季振りの頂点に立ったが、

明治は初戦に立教に敗れた後、何とそこから10連勝するという、圧倒的な強さを見せた。

明治は、エースの森下暢仁こそ、抜群の力量を持っているが、それ以外の個々の選手の能力は、それほどでも無いと、私は思っていた。

しかし、いざ試合となると、明治は全員で一致結束し、一つ一つのプレーをキッチリこなし、いつの間にか試合を優位に進め、最後には勝利を掴むという、まさに学生野球のお手本のような野球をやっていた。

それに引き換え、法政は長打力の有る選手は多いが、言ってしまえば、全員がホームランを狙い、何も考えず、ただブリブリ振り回すだけの、大味な野球終始した(ように、私は見えた)。

故に、法政は明治の「全員野球」の前に屈してしまったわけである。

野球は、まさにチームプレーこそが大事であるというのを、明治の優勝が図らずも証明した形となった。

 

<島岡吉郎の「人間力野球」とは…。全員一丸で勝利を目指し、強者に立ち向かう「全員野球」である!!~そして、社会に通用する人材を育てるモットーである>

 

 

 

かつて、私は当ブログで、島岡吉郎監督の生涯について、「前編」「後編」にわたり、記事を書いたので、ここでは敢えて繰り返さないが、

37年の長きにわたり、島岡監督は明治野球部を率いて、星野仙一をはじめ、数多くの教え子達を、世に送り出した。

とにかく、島岡監督は、自らも合宿所に住み込み、生涯の全てを明治野球部のために捧げた人である。

 

 

 

島岡監督は、明治大学野球部に数々の栄光をもたらし、明治大学を象徴する人物となったが、

島岡が掲げた「人間力野球」のモットーは、先程も述べた通り、現代の善波達也監督にも、しっかりと受け継がれていると言って良い。

明治の野球とは、全員一丸となって、強者を倒す事、更に、選手個々の「人間力」を高め、社会に通用する人材を作るという事も、島岡は目指していた。

例えば、誰もが嫌がる合宿所のトイレ掃除は、必ず最上級生(4年生)が行な、部内の和を保つように気遣ったという事や、4年間、ベンチに入れなかった控え選手に至るまで、4年間、野球部で最後まで頑張った者については、必ず就職の世話もするなど、とにかく、島岡は自分がやれる限りの事は、誠心誠意、やり尽くした人であった。

私は、島岡監督の事績を知る度に、この方は本当に凄い方だと思うのである。そして、尊敬の念を新たにしている。

 

<2019年1月22日には、明治大学ラグビー部も、22年振り大学日本一!!2019年は「明治イヤー」か!?…そして、明治大学のもう一人の偉人・北島忠治について>

 

 

 

 

そして、今年(2019年)1月12日には、明治大学ラグビー部も、長年の低迷を乗り越え、

22年振りに、大学日本一という栄光を掴んでいるが、

期せずして、今年(2019年)は、明治大学のラグビー部と野球部は、両方とも、久々の大学日本一の座に就くという、記念すべき年となった。

まさに、今年は「明治大学イヤー」であると言っても良いのではないだろうか。

 

 

 

 

そして、1929(昭和4)~1996(平成8)年まで、67年間の長きにわたり、明治大学ラグビー部を率いた、北島忠治監督の偉大なる生涯についても、私は、明治ラグビー部が22年振りに大学日本一になった時に描かせて頂いたが、

北島忠治もまた、明治ラグビー部に全てを捧げた、偉大なる人物であった。

島岡吉郎北島忠治という、まさに「偉人」とも言うべき人物により、明治大学の野球部とラグビー部は、素晴らしい伝統を築き上げて来たが、このような偉大な人物を2人も輩出した明治大学というのは、本当に凄い大学であると、私は思っている。

法政大学OBの私から見て、それは非常に羨ましいのと同時に、敬意を捧げる次第である。

 

最後に、改めて、こう述べさせて頂きたい。

 

「明治大学の皆さん、(ラグビーも野球も)大学日本一、おめでとうございます!!」