2019/1/12 明治大学ラグビー部、22年振り大学日本一!! | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

<明治大学ラグビー部、22年振り大学日本一!!>

 

 

昨日(1/12)、第55回全国大学ラグビー選手権大会決勝、明治大学-天理大学の試合が行われ、

明治が22-17で天理を破り、22年振り13度目の大学日本一を達成した。

 

 

今年度(2018年度)の全国大学ラグビー選手権は、

昨年度(2017年度)まで、全国大学ラグビー選手権9連覇(2009~2017年度)を果たしていた帝京大学が、

準決勝で天理大に7-29で敗れるという大波乱が起こった。

従って、無敵の帝京大の10連覇達成の夢は、ここで破れてしまっていた。

 

 

一方、対抗戦3位(5勝2敗で、慶応と同率3位)で大学選手権に臨んでいた明治は、

立命館大学を50-19、東海大学を18-15で破ると、

対抗戦の早明戦では27-31で敗れていた早稲田を、今度は全く同じスコアの31-27で破り、リベンジに成功。

こうして、明治は昨年度(2017年度)に続いて、決勝に進出した。

 

そして、明治VS天理の顔合わせとなった決勝は、

まずは前半3分に天理が島根一麿のトライで5-0と先制したが、

前半7分、明治が山崎洋之のトライで、すぐに5-5の同点に追い付いた。

 

その後、明治は前半22分に高橋汰地のトライと、山沢京平のゴールキックで12-5と逆転に成功し、

12-5と明治がリードしたまま、前半が終了した。

 

後半に入ると、明治は後半16分に山沢京平がペナルティーゴールを決め、15-5、

後半22分には武井日向のトライと、山沢京平のゴールが決まり、22-5と大きくリードを広げた。

 

しかし、そこから天理が猛反撃に転じ、

後半29分に島根一麿のトライで10-22、

後半35分にはシオサイア・フィフィタのトライとゴールキックが決まり17-22と、天理は激しい追い上げを見せた。

 

 

(2019年1月12日、明治大学ラグビー部22年振りの大学日本一に導き、胴上げされる田中澄憲監督

 

しかし、その後は明治が天理の反撃を凌ぎ切って、22-17でノーサイド、

結局、明治が22-17で天理を破り、見事に22年振りの大学日本一を達成したのである。

そして、明治の田中澄憲監督は、就任1年目で、母校の明治を大学日本一に導いた。

 

<明治の象徴、名将・北島忠治監督>

 

(1929(昭和4)年~1996(平成8)年の67年間にわたり、明治大学ラグビー部を率いた、北島忠治監督

 

かつて、明治大学ラグビー部は、名将・北島忠治監督の下、黄金時代を築いた。

1901(明治34)年2月23日生まれの北島忠治は、1926(大正15)~1928(昭和3)年にかけて、

明治大学ラグビー部のスクラムセンター(現・フッカー)として活躍した後、

1929(昭和4)年に、北島忠治は明治大学ラグビー部の監督に就任。

 

(1929(昭和4)年、明治大学ラグビー部監督に就任した当時の、北島忠治

 

以後、北島忠治監督は、死去する1996(平成8)年まで、明治大学ラグビー部の監督を67年間の長きにわたりに務め、

その間、明治を対抗戦優勝23回、大学日本一11回、日本一1回に導いた。

 

 

北島忠治監督の教えは、あまりにも有名な「前へ」という言葉に集約されるが、

明治大学ラグビー部の十訓として、下記の10箇条が定められているという。

  • 1、監督・委員の命を守れ
  • 2、技術に走らず精神力に生きよ
  • 3、団結して敵に当たれ
  • 4、躊躇せず突進せよ
  • 5、ゴールラインに真っ直ぐ走れ
  • 6、勇猛果敢たれ
  • 7、最後まであきらめるな
  • 8、低いプレーをせよ
  • 9、全速力でプレーせよ
  • 10、身を殺してボールを生かせ
北島監督は、「重戦車FWDを核にして、縦を衝く」という指導方針を、一貫して貫き通したが、
それが、伝統の明治ラグビーの強さの源泉となっていた。
 
 
北島監督は、その生涯を明治大学ラグビー部のために捧げたが、
北島忠治こそ、まさに明治の象徴のような人物だったと言って良いであろう。
 
<伝統の早明戦…早稲田VS明治の激闘の歴史>
 
ところで、明治大学ラグビー部宿命のライバルといえば、勿論、早稲田大学ラグビー部である。
明治ラグビー部が、重戦車FWDを核とした「前へ」の戦法を特徴として、「縦の明治」と称されたに対し、
早稲田ラグビー部は、軽量FWD、BK中心の展開ラグビーの戦術を得意とし、「横の早稲田」と言われた。
 
 
この全く対照的な両校の対決、ラグビーの早明戦は、野球の早慶戦と並び、
日本の学生スポーツを代表する、宿敵同士のライバル対決となっている。
 
ラグビーの早明戦は、1923(大正12)年12月24日、早稲田大学の戸塚グラウンドで、歴史的な初対戦が行われたが、
第1回早明戦は、早稲田が明治を41-3で破った。
それ以来、早明戦は毎年行われるようになったが、1927(昭和2)年までは、早稲田が明治に5連勝した。
 
しかし、北島忠治が現役選手として活躍していた1928(昭和3)年の早明戦で、
明治が11-3で、初めて早稲田に勝利すると、
翌1929(昭和4)年に北島忠治が明治の監督に就任して以降、明治が早稲田に3連勝(合計4連勝)した。
 
 
このように、早明戦は、その黎明期から激しい戦いを続けていたが、
それ以来、早明両校は、お互いを良きライバルとして認め合い、数々の名勝負を繰り広げる事となった。
その後も、毎年12月の第1日曜日に行われる早明戦は、日本のラグビー界をを代表する黄金カードとして、早明両校の学生やOBは勿論、
多くのラグビーファンからも、熱狂的な支持を集めた。
 
 
ちなみに、1923(大正12)年から、今日(2019年)に至るまでの、早明戦の通算対戦成績は、
対抗戦では早稲田54勝、明治38勝、2分となっているが、
大学選手権では、明治が8勝5敗(その内、決勝での対戦は明治の6勝4敗)と勝ち越している。
今年度(2018年度)は、明治は対抗戦での早明戦には27-31で敗れたが、
大学選手権の準決勝では、明治が31-27で早稲田に勝ち、リベンジを果たしたというのは、前述の通りである。
 
<早明戦は、明治の愛校心の発露の場!?>
 
このように、早明戦は、長きにわたり、熱く激しい戦いを繰り広げているのだが、
明治大学の、早稲田大学に対するライバル心というのは、相当なものであり、
ラグビーの早明戦で、明治が早稲田に勝つ事こそ、明治の学生やOBにとって、無上の喜びとなっているように思われる。
 
 
これは、野球の早慶戦とも、ちょっと性質が違うようにも見受けられるが、
明治は、第一志望の早稲田の入試に落ちて、仕方なく第二志望の明治に入ったというような学生も非常に多いと聞く。
その複雑な感情が、あの早明戦での、明治側の熱狂的な応援の一つの要因となっているように思えるのだが、どうであろうか。
 
(2013(平成25)年のラグビー早明戦で、国立競技場のスタンドを埋め尽くす、明治大学の学生、OBや明治ファンたち。ラグビー早明戦は、早稲田は勿論の事、とりわけ明治にとっては、特別な試合となっている)
 
しかし、近年の入試では、受験生からの明治に対する人気が非常に上がっており、
今後は、明治に入りたくて入ったという学生が、ますます増えて行くというのは確かであろう。
それに、たとえ明治が第一志望ではなかったとしても、
明治は大変素晴らしい大学なので、明治を大好きになって卒業して行く学生は非常に多いようである。
 
 
(東京・御茶ノ水に有る、明治大学リバティタワー
 
法政OBの私から見て、明治の人達の愛校心というのは、ちょっと羨ましいと思うが、
その明治の愛校心の最大の発露の場が、ラグビーの早明戦であると、私は思っている。
今回の明治の大学日本一も、明治の学生や、全国の明治OBによる、有名無形の後押しが有ってこそであるというのは、間違いない。
 
<明治大学ラグビー部、長い低迷を乗り越えての悲願の日本一!!>
 
明治大学ラグビー部北島忠治監督は、1996(平成8)年5月28日に死去。享年95歳)
 
話を明治大学ラグビー部に戻すと、
北島忠治監督が1996(平成8)年5月28日に、享年95歳で亡くなった後、
明治は、その弔い合戦とばかり、1996年度の大学ラグビー選手権で日本一となったが、
その日本一を最後に、明治は長い低迷期に入ってしまった。
 
明治は、対抗戦の優勝は1998年度が最後となってしまうなど、大学日本一は勿論、対抗戦優勝からも長く遠ざかり、
2007(平成19)年の早明戦では、明治は早稲田に7-71という歴史的大敗を喫するという屈辱も味わった。
 
(2012年度の関東大学ラグビー対抗戦で、明治大学吉田義人監督の下、14年振り優勝を達成)
 
その間、北島監督が亡くなって以降、明治ラグビー部の監督は、
金谷福身、田中充洋、境政義、藤田剛などが務めたが、
2012(平成24)年度、吉田義人監督の下、明治は14年振りに対抗戦優勝を果たし、
2015(平成27)年度にも、明治は丹羽政彦監督で、対抗戦で優勝するなど、近年の明治は、復活の兆しを見せていた。
 
(2017(平成29)年度の大学選手権決勝(2018年1月7日)、明治は帝京に20-21の1点差で惜敗し、大学日本一を逃す。帝京9年連続大学日本一を達成)
 
2017(平成29)年度、明治は19年振りに大学選手権の決勝に進出したが、
王者・帝京を、あと一歩まで追い詰めたものの、明治は惜しくも20-21の1点差で敗れ、日本一を逃した(帝京は9連覇達成)。
そして、昨日(1/12)、明治は昨年(2017年度)の悔しさを晴らし、遂に、22年振りの大学日本一の座に返り咲いたわけである。
 
このように、長い歴史と伝統に裏打ちされた明治大学ラグビー部であるが、
今回の大学日本一を機に、明治ラグビー部は真に復活し、これからも日本のラグビー界を牽引して頂きたいと、私は思っている。
 
法政OBの私からも、明治にエールを送るという意味と、明治の22年振りの大学日本一に祝意を表するという意味を込めて、今回の記事を書かせて頂いた次第である。