彫きぬ雑記帳

彫きぬ雑記帳

山口県山口市の刺青処、日本伝統肌絵芸術の彫きぬこと衣笠新太郎のブログ
仕事の話し、趣味の話し、また旅の仕事の出来事などを書きます

オフシャルHP http://www.horikinu.jp
こちらも一度、御覧下さい。



 
近くの長寿寺では先週の5日夕刻から
荒高さまを祀るささやかな秋祭りがあり
そこの掲示板に、坂村真民の詩の一部が描かれてあった

坂村真民とは日本の仏教詩人で本名は昂(たかし)
一遍上人を敬愛し「癒やしの詩人」と言われている

その掲示板に書かれていた言葉は、、、
《昇った日は沈まねばならぬ
咲いた花は散らねばならぬ
生まれたものは死なねばならぬ
これは自然の法則である
だから悲しむことはない
大切なのは、その刻々を
どう生かして来たかにある》

見て読んで、当たり前の事なのだけど
人間は浅ましい生き物であり
若い頃は考えもしなく、老いて先が見えてきた頃に
『あゝ、、俺はどういう生き方をしてきたんだろう』
などと思う。。。

それでも直ぐに現実に戻り、
明日の仕事の段取りなどを考えてしまう
いったい僕は、、いつまで仕事を続けるのだろうか

。。。まぁ、そのうちに
閻魔さまとの対面をすることになり
浄玻璃の鏡の前で悪行善行が写し出される
そりゃあ悪行の方が多いだろうから、、( ̄  ̄ノ)
鬼どもに攻め寄せられて、、、針の山かな??

🐶とっつあん、、、地獄へ。。。💧
🐱善悪半々だから阿弥陀さまの元へと逆送されるわよ

針の山だけは登りたくない🙂‍↕️💧
僕の曾祖父は、天保生まれで
代々続いた安芸郡栃原地域の大庄屋の当主でした

明治という元号になった九月、
家を継いでいた曾祖父は37才、曾祖母は24才

明治5年の太政官令が発令されてからは
庄屋制度がなくなり郷長、戸長となったといいます

この幕末期の曾祖父の業務は知る由もないが
大庄屋は、たくさんの業務を抱えていたというのを
ネットや文献で調べてみました
けっこうな仕事量で、大変さがわかりました


① 役所からの布達を村人へ諭告及び役所との対応

② 年貢の徴収と納庫

③ 軽微な警察的事務(村の治安)

④ 訴訟及び不動産売買や質入れ、金銭貸借などの証書の奥書(保証人)

⑤ 村諸帳簿の整備及び保管

⑥ 風紀の取締

⑦勧業(村産業の振興)

⑧救血(困り人の救済)

⑨邪宗門の取締等々

⑩巡検、宗門改め等の廻村役人の対応


その他、村預かりの流人の監督管理 等々、
その業務は数限りありません

現在でいえば、村長、警察官、税務官、保健所長、公証人、商工会議長などなど多岐に渡り、なまじの侍よりも大変な御役目でした

苗字帯刀を許された身分なので
蔵には刀剣専用の長持が二棹も有ったとか、、、
しかし其れ等は
昭和二十年の敗戦時、GHPの接収で無くなりました
こういうのには土地の警察も積極的に協力したとか
ケーサツはいつの世でも、権力者のイヌですね。。

曾祖父は廃刀令の後にも遠出には帯刀していたとか
なにせ大田舎ですから(^ ^)

🐶敷地内には剣術道場も有りました
🐱村々対抗の野試合では常に勝ち残りました

でも、祖父から父、父から僕と伝え聞いているもので
流儀は何かは父が失念していました🙄?


タイムマシーンで昔に行けるなら、曾祖父を見てみたい
こんな曾孫では合わせる顔がないのでソッと傍から、、、

🐶見付けられてボコボコにされますね♬爆笑
😸にゃはははははは 大爆笑






最近は週に一度、月に四度通ってくれています
この調子で頑張ってください (*^^*)

🐶近ごろ、金さまは西の空をぼんやりと、、、
🐱と言っておられました 笑

ん? おまえ達、電話でもしたんか
言葉が通じんやろう(`・ω・´)???
😸にゃんにゃん♬ 🐶わんわん♬

というのはウソで、二日前に電話したら
『最近天気が悪く雨降り続いてて イヤねぇ
気温も思いきり下がる日もあるし。。。』

ということだけでした
詳しい内容は記事には書けません

🐱🐶最近はよく口止めされますね うん🙂‍↕️



富山市八尾(やつお)地区で毎年行われる《おわら風の盆》
ずいぶん昔から一度は見に行きたいと思っていたが
毎年9月1日から3日までなので昨日終わりました
今年は猛暑が長く、初日の日は35度あったとか、、、


このおわら風の盆には正確な文献はありませんが、
『越中婦負郡志』によると元禄15年(1702年)3月に八尾の町衆が加賀藩から
町建御墨付(まちだておすみつき)を取り戻した際のお祝いとして
三日三晩の無礼講で歌舞音曲を楽しんだのが起源とされています




越中おわら節や哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなど
哀切感に満ちた旋律の曲にのり、
11の町の道筋で、無言の踊り手たちが踊りを披露し
勇壮な男踊りや、艶やかで優雅な女踊りと、
夫婦踊りなどは浄瑠璃の道行(みちゆき)の風情があります

🐶道行って、なんか日本人だけの情緒やねぇ
🐱近ごろの人には理解できるかなぁ。。。

YouTubeの動画も沢山出ていますが、、、
時間の長い物は観る人も疲れると思うので
石川さゆりさんの《風の盆恋歌》の歌を載せます
おはら風の盆の踊りの様子が少しうかがえます



🐶とっつあんはこんな歌詞の経験はありませんw
🐱若い頃は硬派でオクテな若殿だったからねぇ
🐶オクテほどアレなんだけど。。。笑
😸まっwww 🥲?





先月は初代忠吉(改め藤原忠廣)の嫡男である二代目の
近江大掾藤原忠廣を少し紹介をしましたが、、、
今日は、初代から数えて八代目の忠吉を紹介します

八代目肥前國忠吉は佐賀藩士古川与兵衛道弘の次男で、享和元年の生まれ
本名を舜一郎といい、母は六代忠吉の娘でした

病弱で子のなかった七代忠廣の養子となって
家督を継いだのは若干、満十五歳でした
しかし、優れた素質は一門の後援もあって開花し
一門の宗家の責務を全うしていくのです

殖産興業に熱心であった名君鍋島斉正の側近くには、
八代忠吉の実弟で和歌、絵画等に精通した文化人古川松根が仕えており、

斉正の反射炉造営や鉄製大炮の製造を軸とする国防事業に
八代目忠吉は鉄のスペシャリストとして参加し、
作刀以外でも大いに力を発揮したのでした

忠吉自身も
剣、軍学、古実、俳諧、茶道、立花の諸芸を得意とし、
また洋書から得た知識を鍛錬に活用するなど進取の気概の持ち主でした

鍋島侯より任官を勧められても辞退するなど
鍛鉄一筋の人でもあったことがわかります

 

晩年の安政の作とみられるこの脇差は、
刃長一尺五寸丁度で、反り六分と深めにつき
重ね頗る厚く、元先の身幅も変わらず鋒が大きく延びた姿

鎬地には両チリの棒樋が丸止めに彫られています
特筆するのは今日作られたかの健全さで鎺元に生刃まで残り、
松葉先の重ねは不動明王の剣先の様に張っています



その為、手にすると頼もしい重味が伝わります

小板目鍛えの地鉄は良く詰んで小粒の地沸が厚く付き
弾力感のある小糠肌となり、直刃の刃文は小沸深く
刃中は葉を交えた沸の小足が入り匂で澄み冴えて
焼の深い帽子は小丸に返る



肥前刀の伝統を守り、国防事業にも尽力した八代忠吉の力作であり
登録証は昭和二十六年東京都発行です
もちろん、特別保存刀剣の証書が付いています
(が、、これ見よがしに載せません➰🙃)




🐱そう言えば、、ブログを書き始めた頃にも
《五字忠吉》の記事があったわね

🐶次郎長親分の刀も五字忠吉です
《親の譲りの五字忠吉》は有名な台詞ですね

次郎長親分のはもう少し長いと思うが。。。
倅ケンイチローにいずれは譲る、、、
🐱🐶《親の譲りの五字忠吉》になりますね♬




まぁ。。。。。当たり障りのない
こんな事を書いてりゃ良いのかもしれない

🐱殿さまの心の奥、、お察しいたします
🐶八月も過ぎましたんで、、お気持ちも。。
うん🙂‍↕️
最近、仕事を終えて帰宅してからは
よく本📕を読むようになりました

🐶昭和60年の闇ばかり読んでます
🐱昔から納得のいかない事がある様です、、、

、、、僕の気持ちは、僕の心の奥にある
でも、それは言わないでおきたい
それで良いと思っているのだ、、、

そんな事より仕事が終わっての写真が
最近よく撮り忘れてしまいます💬



裏側も進み、完成まであとひと息です

写真は投稿する為だけではなく
次の仕事を進める為の記憶になります

🐱🐶上↑の写真は先々週のものですw
なんとも言えない暑さが続き、
降雨も少ない山口地方の今年の夏☀️です

それでも夏は花火の季節
夜空に上がる大きな花火も爽快だけど
庭にバケツを用意して小さな手持ちの花火もやっぱり楽しい
いろんな花火があるが
花火は、なんと言っても線香花火に尽きると思う




最初は蕾が大きく膨らんで牡丹の様に明るく燃える
しばらくすると勢いが増してきて
松葉が散るように橙色の閃光広がっていく
やがて勢いを無くして柳になり、、散り菊へと。。

最後の赤玉から弱々しいチカチカした光りがして
そうしてやがて玉が落ちて消える。。。

🐶今のとっつあんみたいですねw
🐱まだ散り菊の状態よ! (^ ^)


敵の杭州城へ潜入するため夜間単身で水中深く潜り
城内の水門(湧金門)を怪力で破って侵入する
勇ましい張順の水門破りの図柄です


🐶それより昨日、大した事なくてよかったね
🐱亀戸のご自宅では大事なく瓦も無事でした
でも棚の中の食器が数枚ほど、、、

ワシが知ったのは朝8時やった 😳えっ❗️
すぐさま電話を 📞 ( ´。`*) 大丈夫かなぁ。。

『だいぶ揺れたか?』

『携帯の緊急速報の音に驚いたわ❗️
短い間だけど結構に揺れたわよ◎。◎-💦
昼は大雨、夜地震だもんねぇ、、もうイヤよ^^』

聞けば亀戸天神も無事な様だった

🐶とっつあんも明日は我が身ですよぅ
😸慌てふためいて転けない様にね➰🤸‍♀️あっ

お前たち、逃げ足は速いからな(^ ^)




美濃国関の刀匠、兼光初代の作でございます


倒幕を決意した西郷隆盛は鉄扇仕込みの村正の短刀を常に身に付けていたという
(現代の鑑定では村正は偽物とされている🙃)

その鉄扇の親骨に漢詩が彫られていました
匕首腰間鳴粛々北風起
平生壮士心可以照寒水

(匕首腰間に鳴り、粛々として北風起る
平生壮士の心、以て寒水を照す可し)

これを分かりやすく説明すれば、、、
腰に差した暗殺用の短刀が独りでに鳴り響き
あたりには物寂しく冷たい北風が吹き付ける
だが、そのような過酷な状況にあっても、
志ある壮士の普段どおりの熱く澄んだ心は、
すべてを凍てつかせる冷たい水面をも明るく照らし出すことができる

明の時代の詩人である李攀竜(りはんりょう)の詩集『滄溟集』に収められた五言絶句『渡易水贈伯承』です

中国の戦国時代末期の刺客荊軻(けいか)が、
燕の太子(燕太子丹)の命を受けて秦王の政(後の始皇帝)を暗殺しようとした時の情景を描いています

荊軻は暗殺に使うために鋭い匕首を天下に求め、
遂に趙人・徐夫人の匕首を百金を出して手に入れて
準備を整えた荊軻が易水のほとりから出発する際、
知人が喪服(白装束)を纏い見送る中、
荊軻の生還を期さない覚悟を詩に詠んだもの、、、という


随分と昔の中国大陸には偉人、豪傑が多く居たらしい
僕はこういう大陸の歴史には詳しくありませんが
いつ頃から今の中国人の様なのが増えたんだろう

まぁ、今でも人の道理、理屈が解る人もいるだろうが
なにせ中国人民共和国🇨🇳、共産国なのだ
そしてまた、狡賢くて侮れない国である

🐶中国という国も人も、いつから。。。
😸チャンコロにまで堕ちたのかしらw

大昔は日本のお手本だっのになぁ(*´ー`*)
今年6月24日南米ベネズエラでマグニチュード7、2と7、5の連続した地震が発生し
今月10日、その南のコロンビアでマグニチュード7、4の大地震が起きました

日本でも4月20日にマグニチュード7、5の三陸沖地震
そして7月28日に熊本でマグニチュード7、1の大地震があり
未だに停電断水が続いている地域があります

そうした中で今月の15日、
マグニチュード7、7の地震がインドネシアに発生をし、
。。。何やら太平洋を中心にした地図を見ると
地球の裏表で地震が頻繁に発生している気がする


そして山口県には菊川断層帯があります
この断層帯は、山口県西部から響灘にかけて分布する活断層帯です




最新活動は約8千5百年前以後、約2千1百年前以前で
平均的なずれの速度や活動間隔は得られていませんが
決して過去の資料として棚上げされてはいません

菊川断層帯は、
山口県西部の下関市から豊浦郡菊川町(現・下関市)を通り、
神田岬南岸を経て、沖合の響灘にかけて分布しています
長さは約44km以上で、概ね北西−南東方向に延びており、
左横ずれを主体とし、北東側隆起の逆断層成分を伴う断層です




山口県が公表した地震被害想定調査によると、
菊川断層による地震はマグニチュード7.0以上で
直下の下関市では最大震度7が想定され
下関市、山陽小野田市、美祢市、宇部市、長門市の5市にわたって震度6弱以上の揺れが広がり、
僕の住んでいる山口市も震度5弱以上の揺れが想定されています

これを聞くと今住んでいる借家の自宅は築50年以上の
木造モルタル住宅で、耐震性強化もしていません

💧🐶5強になったらお家が🏠🌱💦
🐱可なりのダメージが💧 コワい、、、


県内の建物被害は全壊・半壊合わせて約2万1千棟、
うち全壊が約4,600棟と想定されています

人的被害についても、
冬の昼12時・風速3m/sという比較的穏やかな条件でも
死傷者約1,900人(うち死者約200人)、
最悪条件では死傷者2,300人超という数字が出ています

さらに下関市周辺は沿岸部を中心に液状化の危険度も高いとされ、
上水道は断水率15%超、断水人口は22万人を超える想定です


こうも太平洋を中心にして地震が続くと、、
いつかは自分の住んでる地域にも起こるのかと
用心をしているこの令和8年です

🐱殿さまは寝る時、枕元に🔦と運動靴を備えています
🐶貴重品は何も有りませんwww
お財布👛の中は520円しか、、、😹