ウラジミール・ゼレンコ博士の死去に関する声明文
2022年6月30日
(テキサス州ダラス発) - 私達の創設者であるウラジミール・"ゼブ"・ゼレンコ博士の逝去は、計り知れない悲しみをもって発表されました。
ゼレンコ博士は、医師であり、科学者であり、医療権運動の活動家として、何百万人もの人々の人生に触れてきました。
博士の医師としての役割によって救われた人もいれば、博士の言葉によって勇気づけられた人もいます。
彼の「ゼレンコ・プロトコル」は何百万人もの命を救い、ノーベル賞候補となり、米国大統領をはじめとする著名な世界的リーダーから賞賛を浴びました。
社会主義奴隷制度で生まれ、米国に移住したゼレンコ博士は、アメリカンドリームの体現者だった。
貧しい移民の子供達が、医師として、そしてビジネスマンとして成功したのだ。
しかし、ゼレンコ博士は医師以上の存在であった。
活動家として、実業家として、深い信仰心を持ち、家族への愛に溢れ、会社にたゆまぬインスピレーションを与えた人物でもあった。
しかし、恐らく最も重要なのは、ゼレンコ博士が、私達の友人であったということです。
ゼレンコ博士は、権力に対して、或いは自分が深く関心を寄せる問題に対して、真実を語る事を決して恐れないダイナミックな行動派であったことは、世界中が知っている。
ゼレンコ博士は、繊細なユーモアと深い知性の持ち主であった。
彼が、疲弊し、無能になった体制に対して言葉を投げかける度に、彼とそのチームは十数回の軽快な笑いに包まれました。
そして、どんな暗闇の中でも、いつも元気でいた。
既に「ゼレンコ・ラボの今後はどうなるのか」という質問も寄せられています。
私達はリーダー、友人、そしてインスピレーションを失ったが、その答えは簡単だ。
闘い続けることです。
これは、ゼレンコ博士が望んでいたことであるだけでなく、彼が私達に伝えた事でもあります。
そして、それこそが、私達が、これから行う事なのです。
私達は、博士の遺志を継いで戦うのです。
8 人の子供達と数十人の従業員を支える会社の為に、そして、私達の忠実な顧客と友人の為に、私達は戦います。
Zelenko Labsは、高品質の製品を提供し続け、Z-Freedom財団を設立してゼレンコ博士の遺産を守り、私達の愛するZevにとって最も重要な原因を支援します。
ゼレンコ博士の「生命の書」の章は閉じられましたが、彼の遺産はまだ書き残されていません。
私達と一緒に、次のパワフルでインパクトのある章を書く為に、ゼレンコ博士の主な使命である、アメリカ人ひとりひとりがより健康で、より幸せで、より情報に基いた人生を送る事ができるよう支援する事に協力してください。
この崇高なビジョンを私達の心の中で生き生きとさせ、この偉大な国の正に布の中に織り込んで行く為に、ご協力をお願いします。
私達は、これからの数日、数ヶ月、数年の間、皆さんと肩を並べることを楽しみにしています。
ウラジミール・"ゼブ"・ゼレンコ博士の訃報
過去2年間、世界中で何百万人もの命を救う事になったコビッド19の治療法を発見・実施したウラジミール・ゼレンコ博士が、癌との長い闘いの末に亡くなりました。 48歳だった。
1973年に、ウクライナのキエフで生まれたゼブさんの家族は1977年に米国に移住し、NYのブルックリン、シープスヘッド・ベイに定住した。
ホフストラ大学で化学を専攻し、優秀な成績で学士号を取得しました。
その後、Buffalo School of Medicineに進学し、2000年に医学博士号を取得した。
Zevは、後にCovid-19の大流行が始まる2020年に、NY州モンローで家庭医を開業していた。
批判的思考と科学的手法の両方を巧みに組み合わせ、神と患者の両方への愛からその応用を形にした医師として、ゼブは政治家や公衆衛生当局が規定の治療経路に落ち着くのを黙って待つことに満足しなかった。
人々が死んでいくのだ。
彼は、直ぐに治療法の模索を始めた。
そして、その治療法として、ヒドロキシクロロキン(HCQ)、亜鉛、アジスロマイシン、その他様々な薬物、特にステロイドを組み合わせ、「ゼレンコプロトコル」として知られる治療法を発見したのである。
このプロトコルの鍵は、ウイルスが暴走して本格的な呼吸器疾患になる前に、細胞レベルの内部で治療する為の非常に早い段階での介入にあった。
ゼレンコ博士が亡くなるまでに、約7,500人の患者の治療を監督し、死亡した患者は僅か3人であった。
ゼレンコ・プロトコルの使用は世界中に広まった。
ゼレンコ博士は、画期的な治療法と患者の為の率直な主張が評価され、他の勇気ある医師と共にノーベル賞候補となったが、殆どの場合、一般的な正統派に大胆に対抗した事で検閲と非難に曝される事になった。
世界中の政治家や医療関係者は、その動機が何であれ、ゼレンコ・プロトコルとそのシンプルで低コストの治療法の有効性を軽視するか、完全に否定しようとした。
HCQ(後にイベルメクチン)を他の薬と併用した場合の効果を意図的に隠す為に、数多くの研究が行われた。
当時のNY州知事アンドリュー・クオモの様な政治家が、患者の治療にHCQを使用する事を禁止する措置をとった事もありました。
ソーシャルメディアのプラットフォームもゼレンコ博士を黙らせる努力に加わり、Twitterは2020年末にゼレンコ博士をプラットフォームから追放した事は有名な話である。
ヴォルテールが言った様に『確立された人間が間違っている問題で正しい事をするのは危険である』。
過去2年間、彼のプロトコルの有効性を裏付ける数多くの研究があったにも関らず、この治療法へのアクセスは依然として人口のかなりの部分に否定され、多くの医師からは単に無視されています。
それでもゼレンコ博士は、政府の規制を回避できる別の治療法を探した。
そして、HCQと同じような働きをする天然サプリメント「ケルセチン」が、細胞内で発生中のウイルスを亜鉛が攻撃するのを助けることを発見した。
しかし、ゼレンコ博士がよく言っていた様に「あったらいいなと思うような軍隊と一緒に戦争はしない」 と言っていた。
彼はケルセチンを発見し、それをHCQの50口径に対して22口径に例えて、最終的にZ-Stackサプリメントの開発に繋がったのです。
ゼレンコ博士は、過去1年半以上に渡って、mRNAワクチンの深刻な副作用と遺伝子コードの改変の両方を指摘し、率直な批判を続けてきた。
特に、インフォームド・コンセントが十分でなく、Covid-19による重篤な疾病の危険性が殆ど無い子供達への使用には批判的である。
彼は、ウェブベースのポッドキャスト・インタビューや、全国各地での多数のライブ出演を通じて、幅広く自分の意見を伝えてきました。
彼は日常的に、拍手による中断やスタンディングオベーションで迎えられてきました。
2018年初頭に診断され、100%末期の予後を告げられた珍しい形のがんについて、ゼレンコ博士は繰り返し「神からの贈り物だった」と言及した。
「私の癌は」
「コロナパンデミックに備えるものです」
「また、患者を治療する為に受ける」
「迫害や嘲笑に耐える事もできなかった」
「私は死を直視し、神と出会う準備を整えました」
「私はこの世で何も恐れない」
と、彼は言うでしょう。
深い信仰心を持つ彼は、神が自分に特別な使命を与え、その使命を果たす為に何百万人もの祈りが自分を生かしてくれたと、最後まで信じていた。
ゼレンコ博士は最近、彼の重要な仕事を継続する為に、新しいZフリーダム財団の設立を発表した。
又、2022年晩夏から初秋にかけて『Zelenko』というタイトルの回顧録を出版する事も発表しています。
彼の遺族は、妻のリナト、二人の子供達、シラとリバ、そして前の結婚との間の6人の子供達、レヴィ・イッツチョク、エステル・トヴァ、エタ・デボラ、ノクム・ドヴィド、シュムエル・ノソン・ヤコブ、メンアケム・メンデルです。
又、両親のアレックス(アーロン)とラリサ(レア)、弟のエフライム(チャニーと同居)。
第二次世界大戦中のカナダ空軍パイロット、ジョン・ギレスピー・マギーは、そのシンプルで美しい詩「High Flight」の中で、手を差し出して「神の顔に触れた」と述べています。
ウラジミール・"ゼブ"・ゼレンコという傑出した人物と、ほんの一瞬でも交わる機会に恵まれた人々にとって、この事例とこの魂は、神が地上での時間の間に多くの希望と多くの命を与えた人物の顔に触れる事を、最早待ちきれなかった事を知る感覚となるのである。
ゼブの追悼文は、Z Freedom Foundation(www.zfreedomfoundation.com)にて受け付けています。
※Gen
残念だなぁ・・・
また偉大な魂の人物が逝ってしまった。
偉大なリーダーの1人が逝ってしまった。
しかも・・・
その貫禄から余り観得ないが
未だ40代だった。
ゼレンコ博士からの情報によって
サプリの摂り方を刷新できた。
具体的な対処方法を発信してくれた
数少ない博士。
実際、今、健康を維持できているのは
ゼレンコ博士から出された情報のお陰様だ。
自分の様な、海の向こう側の者でも、
これだけ恩恵を受けているのだから
ゼレンコ博士の周囲の人達の哀しみは
計り知れない。
ゼレンコ博士の功績を讃え
強い感謝の念を贈りたい。
コビトの名医が明かす「本当のこと」|Dr. Zelenko(ゼブ・ゼレンコ)2021