悪性リンパ腫になった僕のはなし

悪性リンパ腫になった僕のはなし

〜いち患者の、ある入院の話〜
  悪性リンパ腫
  ホジキンリンパ腫
  AYA世代を通り過ぎ

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かな〜り、久し振りの投稿ですみません。
有難いことに仕事で忙しく、忙しくさせていただいています(笑)
仕事と自分の身体のための休養と、バランスの難しいところです。



最近、どんなものなのかなぁ〜と思うことがあり、ブログに上げてみました。


治療中からなのですが、寝起きに右手の強張りがあるんです。(しばらくするの治るのですが)

それに加えて、最近起きた時に左の足首や甲に痛みを感じるようになってきたんですよねぇ。(こちらは結構長く続きます)


これが病気や治療(今はしていません)による影響なのか
ただの自分の不摂生や老化!?なのか(笑)

分からんなぁ〜と思いながら過ごしています。



皆さんにも、このように感じることありますか?


何かに似ているこの感覚。

 

私にとってそれは「合格発表」に似ている気がした。

 

 

合格・不合格という尺度で測るものではないと思っているし

 

仮に通過出来なかったとしても、それは不合格ということでは決してない。

 

でも、このドキドキは一体何に一番近い感覚なのかと考えてみると

 

しっくりくるのは「合格発表」であった。

 

きっと、それぞれの方に、それぞれの感じ方があるのだと思う。

 

 

 

 

有難いことに現在は、【寛解】の言葉をいただき

 

最初は1ヶ月後、その後は3ヶ月ごとに経過観察の検査を受けている。

 

 

自分では特別意識している訳ではない、と思っているのだが

 

検査の1週間くらい前から何だか行動力が落ちてきて(もともと出不精でぐうたらなのだがw)

 

心の奥底では不安や緊張を感じているのだなぁと気付かされたりもする。

 

 

私の場合、初発の治療で寛解した、その3ヶ月後の検査で【再発】が確認されたこともあり

 

「行ける!」よりも先に「駄目かも…」と頭によぎってしまうのかもしれない。

 

 

 

 

再発後にも有難いことに治療の道はまだまだあり

 

主治医をはじめとする医療従事者の方々、職場の方々、そして家族に本当に支えられ

 

分子標的薬での治療の後、自家移植へと進めることが出来た。

 

 

 

 

自家移植をしたのが昨年の3月1日。(覚えやすい日で良かったw)

 

その後PET-CTの検査を受け、【寛解】の言葉をいただいたのが、その年の4月の終わり。

 

 

 

それから3ヶ月ごとの合格発表を経験しながら、先日の通院でも特に変わったところはなく

 

【寛解】状態という言葉をいただくことができた。

 

 

 

1回1回の検査の積み重ねで、私は無事に2年生へと進級することが出来た。

 

支えてくださる周りの方々、そして自分の身体に感謝・感謝である。

 

本当に本当にありがとうございます。

 

 

 

何だか柄にもない書き方のブログとなってしまったが

 

たまには、こんな日があっても良いですよね。

 

 

 

 

「休みの日に、職場を開けていただくことはできませんか?」

 

 

 

こうもちかけた私に対し、上司は首を縦に振ってくださった。

 

完全なる私のわがままなのに、大切な休日の時間を割いてくださった。

 

本当に頭が下がるばかり。

 

自宅のベッドの関係で、物理的には上司が住む方角に足を向けてしまうのだが

 

精神的には足を向けて眠れない思いでいっぱいである。

 

 

 

 

そして、週末にガランとした職場で仕事を始めさせていただいた私。

 

溜まった仕事を何とか進めていかなければという思いや

 

お付き合いくださる上司への申し訳なさから

 

少しでも早く終わらせなければという焦りを感じながらも

 

「仕事はかどる〜♪」なんて、恩を仇で返すような思いが浮かんでしまうようなダメな私。

 

 

 

しかし、いろいろな思いはありながらも

 

私に貸された命題が【なるべく早く仕事を終える】ということには変わりなかった。

 

 

 

 

実際、職場で仕事ができる時間を効率的に進めるため、平日の間に自宅で考えをまとめたり

 

準備をしたりしていた。

 

そして、週末の職場では、準備し、溜めてきたものを一気にスパークさせるが如く

 

書類に目を通し、パソコンを打ち続けた。(なんて思っているのは、自分だけ〜〜w)

 

 

 

まずは、自分が進めなければならない仕事。

 

出来るビジネスマン(勝手な妄想)が如く、パソコンのエンターキーをパーン!と打ち鳴らす。

 

 

 

その後は、仕事の確認や依頼のための文書を作り。

 

 

同じことを伝えるにも、同じことをお願いするにも

 

自分の考え方や伝え方一つを意識できるだけで、相手が受け止める印象は変わってくる。

 

しかし、「仕事を進めなければ!」「なるべく早く終わらせなければ!」

 

ということが至上命題だと盲信していた私に

 

我がことながら残念ながら、受け止める相手の気持ちを慮る余裕はなかった…

 

 

 

仕事内容の確認や関係者への連絡・調整の依頼、検討事案の提起などを一覧にして

 

プリントアウトしたものを、何の事前連絡もなく、直接の仕事仲間や関係者の机上に

 

ぺぺぺっと置いていった。

 

 

 

 

 

 

そして、週が明ける。

 

 

休日明けでスッキリした方もいれば

 

仕事へのモチベーションを徐々に上げていこうとされている方もいる。

 

 

いろいろな思いをもって出勤された月曜の朝に、身に覚えのない置き手紙。

 

気分スッキリの方にとっても、モチベーション低下気味の方にとっても

 

この置き手紙が気分を落とすことはあっても、上げるものではなかったことは確かであろう。

 

 

それも、置き手紙の差出人が、よくわからない理由で突如姿を消している人間…

 

気持ちの悪さこの上なしであったことと思う。

 

 

 

 

 

本当に、見通しの甘かった自分。

 

 

今振り返ると、自分の病気のことや治療のことなどを受け止めていたつもりであったが

 

この時期の私は、どこか自分事として考えられていなかったように思う。

 

 

より正確にいうと、がんという病気やがん治療というものがやってきた時に

 

自分の今や今後について考える知識や材料、情報を私自身が持ち得ていなかったのだ。

 

 

具体的な治療経過や治療を進めていく上で起こり得ること、自分の仕事と病気や治療との関係性

 

その上での仕事への影響や働き方などには、ほとんど考えが及んでおらず

 

周りにご迷惑をおかけし、「魔の置き手紙」を出し続けることになってしまったのだ。

 

 

 

 

病気の告知や治療中の生活、その後の経過などに関して

 

有難いことに失敗や反省をほとんど感じることなく過ごせているのであるが

 

ほぼ唯一であり、かつ最大の失敗・反省が、この「魔の置き手紙」を始めとする

 

私の仕事に関する考え方や対応であった。

 

(仕事との向き合い方は、現在進行形で難しさを感じているかも〜ですね…

                       なかなか精進できませんw)

 

 

 

 

「魔の置き手紙」なんて仰々しいタイトルを付けておきながら

 

 一向に出て来ないではないか!

 

 誇大タイトルではないか!!!!

 

と至極まっとうなご意見をいただきそうなものだが、話をもう少し先に進めるw

 

 

 

 

私が受けたABVD療法は、2週間に一度の間隔で抗がん剤の投与が行われた。

 

 

そのため、次のクールまで出勤できないとなると

 

1週間仕事を休む予定が、+2週間で3週間に延びてしまい、私は少なからず焦っていた。

 

 

 

職場の大半の方には、家庭の事情で休むとしか伝えていないし

 

1週間で戻る予定でいたので、仕事の引き継ぎや依頼など何もしていなかったからだ。

 

 

 

 

当時の私は、ある部署の主任を任されていた。

 

自分自身が直接携わる仕事だけでなく

 

部署のメンバーや他部署の方々との連絡・調整なども必要としていた。

 

 

私の職場は大変恵まれていて、よく分からず職場からドロンしている私の仕事を

 

詳しい事情を聞くこともなく、周りの方々が分担してくださった。

 

 

 

「困った時は、お互い様」なんて言葉もあり

 

私自身も誰かが困っている時には「お互い様だから」という思いをもっている。

 

 

だが、職場の皆さんの忙しさを知っている私は

 

ご自身の担当される仕事の上に追加の仕事がくることによる大変さを容易に想像できた。

 

 

職場の方々には、申し訳なさとともに感謝の気持ちばかりである。

 

 

 

 

周りの方々が仕事を分担してくださったのだが

 

それだけではどうしても回っていかない(私しか内容や状況を把握していなかった)

 

こともあった。

 

 

 

私の勝手な責任感なのだと思うが

 

休んでいながらも自分が何とかしなければという思いを強くもっていた。

 

 

しかし、主治医のI先生からは

 

「不特定多数の方が行き来するような場は、なるべく控えてくださいね」

 

と言われていたので、皆さんが仕事をしている時間や場へ向かうことは難しかった。

 

 

 

そこで、今抱えている仕事を何とかしなければと盲信的になっていた私は

 

相手の迷惑も顧みず、事情を知っている上司にこう相談をもちかけた。

 

 

 

 

「休みの日に、職場を開けていただくことはできませんか?」

 

 

 

(つづく)

 

 

 

職場の上司や管理職に自分の病気のことを伝えたのが月曜日。

 

初回の治療のために入院したのは、その週の金曜日。

 

 

この間も、入院の準備はしながらも、変わらず仕事を続けていた。

 

 

 

そして木曜日に「明日からちょっくら休みま〜す」と軽やかに告げ

 

翌日から初回治療のため入院生活に入った。

 

 

 

 

以前のブログにも少し書いたのだが

 

私が最初に受けたABVD療法は、第1クールから私の身体にはよく効いてくれ

 

素人の私が見ても、肺のレントゲン画像に写る白い腫瘍の大きさは小さくなっていた。

 

 

 

圧の強い私の歯磨きによって心電図の波を荒れ狂わせたことはあったが

(「がしがし磨く」の話参照)

 

薬による大きな副作用やアレルギー反応なども見られず

 

予定通り1週間で退院することになった。

 

 

 

 

退院するのが、入院から1週間と1日過ぎた土曜日。

 

 

 

「あぁ、来週からまた仕事に戻れるな〜」なんて考えながら

 

退院の前日に少しずつ荷物をまとめていると、主治医のI先生が私のベッドを訪れ

 

(私にとっては)思わぬ言葉を残していかれた。

 

 

 

 

 

「まだ治療を始めたばかりなので、家での様子も丁寧に診させてください」

 

 

「第2クールの治療が無事に終わるまで、お仕事は休んで

 

 なるべく外出せずに過ごしてくださいね」

 

 

 

 

 

抗がん剤の治療の副作用はいくつかあるが、その中の代表的なものに【骨髄抑制】がある。

 

 

【骨髄抑制】とは、骨髄が抗がん剤の影響を受けると血液細胞をつくる機能を低下し

 

 白血球・赤血球・血小板が減少してしまうこと。

 

 身体の抵抗力が弱くなって感染症を引き起こしやすくなったり

 

 貧血になりやすかったりする。

 

(国立がん研究センター「がん情報サービス」より)

 

 

 

 

 

初回の抗がん剤治療。

 

感染症にかかりやすくなっていく身体。

 

これまでは衛生面でも何か起きた時の対応のしやすさとしても、守られた病院という環境。

 

 

 

そこから出た時の患者の様子を心配し

 

少しでも安定して過ごしていくことを願うのは医師としては当然のこと。

 

先ほどは、思わぬ言葉と書いてしまったが

 

I先生からは至極当然の言葉を掛けていただいたのだ。

 

 

 

骨髄抑制を始めとする治療における副作用や、副作用に対する対策などについては

 

入院の際に担当看護師さんからちゃんと説明も受けていた。

 

 

 

私もちゃんと聞いて理解していたつもりであったのだが

 

ここでも見通しが甘く、生活のシミュレーションがもてていなかったのだ。

 

 

 

 

退院後、職場の上司には「来週から、またお願いします」と告げる予定が

 

「すみません。もう2週間お休みをいただきたいのですが…」

 

と、電話で伝えることになってしまった。

 

 

(つづく)