「魔の置き手紙」の話④ | 悪性リンパ腫になった僕のはなし

悪性リンパ腫になった僕のはなし

〜いち患者の、ある入院の話〜
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  ホジキンリンパ腫
  AYA世代を通り過ぎ

「魔の置き手紙」なんて仰々しいタイトルを付けておきながら

 

 一向に出て来ないではないか!

 

 誇大タイトルではないか!!!!

 

と至極まっとうなご意見をいただきそうなものだが、話をもう少し先に進めるw

 

 

 

 

私が受けたABVD療法は、2週間に一度の間隔で抗がん剤の投与が行われた。

 

 

そのため、次のクールまで出勤できないとなると

 

1週間仕事を休む予定が、+2週間で3週間に延びてしまい、私は少なからず焦っていた。

 

 

 

職場の大半の方には、家庭の事情で休むとしか伝えていないし

 

1週間で戻る予定でいたので、仕事の引き継ぎや依頼など何もしていなかったからだ。

 

 

 

 

当時の私は、ある部署の主任を任されていた。

 

自分自身が直接携わる仕事だけでなく

 

部署のメンバーや他部署の方々との連絡・調整なども必要としていた。

 

 

私の職場は大変恵まれていて、よく分からず職場からドロンしている私の仕事を

 

詳しい事情を聞くこともなく、周りの方々が分担してくださった。

 

 

 

「困った時は、お互い様」なんて言葉もあり

 

私自身も誰かが困っている時には「お互い様だから」という思いをもっている。

 

 

だが、職場の皆さんの忙しさを知っている私は

 

ご自身の担当される仕事の上に追加の仕事がくることによる大変さを容易に想像できた。

 

 

職場の方々には、申し訳なさとともに感謝の気持ちばかりである。

 

 

 

 

周りの方々が仕事を分担してくださったのだが

 

それだけではどうしても回っていかない(私しか内容や状況を把握していなかった)

 

こともあった。

 

 

 

私の勝手な責任感なのだと思うが

 

休んでいながらも自分が何とかしなければという思いを強くもっていた。

 

 

しかし、主治医のI先生からは

 

「不特定多数の方が行き来するような場は、なるべく控えてくださいね」

 

と言われていたので、皆さんが仕事をしている時間や場へ向かうことは難しかった。

 

 

 

そこで、今抱えている仕事を何とかしなければと盲信的になっていた私は

 

相手の迷惑も顧みず、事情を知っている上司にこう相談をもちかけた。

 

 

 

 

「休みの日に、職場を開けていただくことはできませんか?」

 

 

 

(つづく)