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悪性リンパ腫になった僕のはなし

〜いち患者の、ある入院の話〜
  悪性リンパ腫
  ホジキンリンパ腫
  AYA世代を通り過ぎ

自分の病気が分かったその日、午後の仕事に間に合うよう病院から出勤し

 

仕事が一区切りついたところで、直属の上司と管理職にお時間をいただいた。

 

 

 

上司や管理職の前では、数時間前に医師から聞いた病気のこと、治療のこと

 

気を付けていくべきことなどを、我がことながら冷静に伝えていたように思う。

 

 

 

そして最後に、週末から1週間程度の入院治療が必要なこと

 

その後は通院治療になるので働きながら治療ができそうなこと

 

自分自身は治療の間も可能な限り働き続けたいことを伝えた。

 

 

 

 

きっと上司も管理職も、そうそうあるケースではないので戸惑い

 

どう対応すべきか悩まれたと思う。

 

 

 

しかし、当の私は

 

「だって、今日お医者さんがそう言ってたもん!」

 

「治療しながら働けるって言ってたもん!!」

 

と心の中で、やけに強気にそう呟いていた。

 

 

 

 

組織としてのリスクマネジメントの観点からも、まとまった休みをとって

 

まずは治療に専念するようにと勧めることもできたと思う。

 

 

 

それでも、いくつかの質問をされた後

 

仕事をすることが、私自身が治療をしていくことへの力や張りになるのならと

 

私の意向を最大限汲んでくださり

 

とりあえず仕事をしながら治療を進めていく方針を認めてくださった。

 

 

このように決断してくださったこと、当時も今も本当に感謝している。

 

(私の場合はですよ)

 

 

 

 

 

当時、自分が何らかの病気の疑いがあることや病気の診断のため検査を受け続けていること

 

(結果として、がんだったのだが)を、私は職場の最低限の人にしか伝えていなかった。

 

 

 

そのため告知を受け、入院治療に入る時も、職場の同僚には

 

「ちょっと家庭の事情で1週間ほどお休みをいただきま〜す」

 

と軽い感じで伝えただけであった。

 

 

 

そして、私の目算では、1週間ほどの入院が無事に過ぎれば

 

体調管理には気を付けていくものの、以前と変わらぬよう仕事ができるものと思っていた。

 

 

 

 

 

しかし、しかしである。

 

私のこのお気楽な見通しの甘さにより、1週間ではなく

 

1ヶ月半近くも何も告げずに職場からドロンしてしまうことになったのであった…

 

 

(つづく)

 

 

 

病気になってから私は、「魔の手紙」を出し続けたことがある。

 

 

「魔の手紙を出し続けたことがある」

 

 

 

 

何とも物々しい書き方をしてしまったが、実際はこういうことである。

 

 

 

 

ブログの中の時空が飛び過ぎてしまって大変申し訳ないのだが

 

時は告知を受けた2016年6月下旬に戻る。

 

 

 

「あなたはホジキンリンパ腫ですよ」と医師に伝えられた時に私が自ら医師に確認したことは

 

「通院で治療できますか?」

 

「仕事をしながら治療できますか?」

 

ということだけだったように思う。(覚えている限りですが(^_^;))

 

 

 

告知をしてくださった医師は

 

「最初の1週間は入院治療となりますが、その後は通院治療になると思います」

 

「体調にもよりますが、今は仕事をしながら治療をされる方も多いですよ」

 

と伝えてくださった。

 

 

 

 

その後は、以前のブログにも少し書いたのだが

 

その週どうしても外せない仕事のあった私は

 

初回治療の入院時期を少し延ばしてもらう相談をし

 

マルク(骨髄穿刺)の検査説明を受けて診察室を後にした。

 

 

 

 

 

ファーストマルクで尻を波打たさせるという醜態をさらしてしまった私は

 

真っ白な灰になり、ポカンと開けた口から魂が飛び出しつつあった…

 

 

 

のだが、今やらなきゃいけないことがある!

 

と何とか私を取り戻して職場に一本の電話を入れた。

 

 

 

その時電話で職場の上司に伝えたことは、午後から仕事に向かえそうなことと

 

その日の仕事が一区切りついたら管理職含めて、自分の病気のことと今後の働き方について

 

相談させてほしいということであったように思う。

 

 

 

(つづく)

 

 

 

可愛い心電図計入りポシェットを相棒とした入院生活が始まった

 

その日の夜のことであったと思う。

 

 

 

 

夕食を完食した私は、物音などから同じ部屋の患者さんの動向をカーテン越しに確かめ

 

洗面所が空いている時に歯磨きに立った。

 

 

 

洗面台の前に立ち、病院の食事ってこんな感じなんだなぁ〜なんて

 

夕食を振り返りながら歯磨きをしていると

 

スタッフステーションから慌てた様子で看護師さんがやって来た。

 

 

 

「大丈夫ですか?お変わりないですか?」

 

 

「…はい、大丈夫です」

 

 

 

歯磨きの手を止めて、そう答えると

 

私の様子を確認した看護師さんはスタッフステーションに戻っていった。

 

 

 

どうしたのかな〜?と思いながら歯磨きを再開すると

 

また看護師さんがスタッフステーションから飛んで来た。

 

 

 

「大丈夫ですか?」

 

「…大丈夫です」

 

 

 

デジャヴのようなやりとりを経て、また看護師さんは戻っていった。

 

 

 

またまた歯磨きを始めると

 

今度はスタッフステーションから看護師さんが顔を出し

 

(この時はスタッフステーションの目の前の部屋に入院していた)

 

「大丈夫ですね」と一声かけて業務に戻って行かれた。

 

 

 

 

 

ここまで来たら、お察しの方もいらっしゃるだろう。

 

そう、看護師さんのお手間をとらせてしまった原因は、私の歯磨きであった。

 

 

 

自分では全く意識していなかったのだが、私は歯磨きの圧が強いらしい。

 

がしがし磨くことの振動が身体にも伝わっていて、私が歯磨きをすると

 

スタッフステーションに置かれた私の心電図計モニターの中で

 

心電図の波が荒れ狂っていたとのことであった。

 

 

 

そのため、看護師さんが急変かと心配して、様子を見に来てくださったのである。

 

これまた、なんともお騒がせな私。

 

 

 

 

 

お騒がせしていることは自覚したものの、長年の習慣はすぐには変えらない…

 

私の歯磨きの圧は強いままであったが、翌朝からの看護師さん方の対応は変わった。

 

 

 

 

スタッフステーションから私の部屋を一瞥し

 

私が歯磨きしている姿を確認すると、また仕事に戻って行かれるようになった。

 

シフトにより担当の看護師さんが変わっても

 

私の歯磨きチェックの対応は変わらなかった。

 

 

 

 

看護さん方の細やかな配慮と仕事ぶりに感銘を受けつつ

 

ただでさえ多忙な看護師さんの業務の中に

 

私の歯磨き姿を確認するというひと仕事を入れてしまったこと

 

「あの人の歯磨きの圧は強い」という何ともおバカな情報を

 

看護師さんの間で申し送りさせてしまったことを、申し訳なく思っている。

 

 

 

ABVD療法の時も、再発後に受けた分子標的薬での治療の時も

 

基本通院治療で過ごしていたのだが、どちらの時も、最初のクールは1週間程度入院をした。

 

 

 

最初に薬を投与する時は、私の身体にどんな反応が現れるか分からないので

 

バイタルや体調の変化などがないか、丁寧に診てくださるための入院と理解している。

 

 

 

私の場合は、腫瘍の一部が肺(それも心臓の周辺)に認められ

 

使う薬剤が心臓に影響を与えるかもしれないため

 

入院初日から簡易心電図計を付けて過ごすこととなった。

 

 

 

 

 

「失礼しま〜す」と大部屋(この入院の時は四人一部屋の大部屋)の

 

私のベッドのカーテンを開け、看護師さんが入ってきた。

 

 

 

手には、スマホくらいの大きさの箱(縦8㎝×横7㎝程度であっただろうか)を持っており

 

その箱からはコードが繋がっていて、コードの先には500円玉を二回りほど大きくしたパッドが

 

付いていた。

 

 

 

「ちょっと横になってくださいねぇ〜」

 

そう告げると看護師さんは、ベッドに横になった私の胸にペペっとパッドを装着し

 

コードが繋がるスマホ大の箱を可愛いらしい布製の袋に入れた。

 

 

 

「ちょっとお手間になると思いますが、この袋を常に身に付けていてくださいね」

 

簡易心電図計の入った可愛らしい布製の袋には肩ひもが付いており

 

私はその肩ひもに腕を通して、たすき掛けにした。

 

 

 

こうして私のポシェット生活が始まったのである。

 

 

 

 

 

入院の相棒であるポシェットはどこへ行くにも、何をするにも一緒。

 

 

食事の時も一緒、トイレに行く時も一緒

 

院内のコンビニに飲み物やちょっとした甘いものを買いに行く時も一緒。

 

 

もちろんお風呂も一緒で、シャワーの前にナースコールで看護師さんをお呼びして

 

パッドを外してもらい、シャワー後はまたすぐにパッドを付けていただいた。

 

 

 

 

こうして私は、肌身離さず簡易心電図計を身に付けた生活を送り

 

心電図の波形に変化がないかスタッフステーションでは常にモニタリングしていただいていた。

 

 

(つづく)