小説家の思考ってどんな?
最近ハリウッド映画を凌いで、邦画が大ヒットし興業収入を稼いでいるそうです。その背景には、シネコンなどの劇場が増えたことや、映画ファンドによる制作費の資金調達の変化、TV局とタイアップした映画づくりなど、日本映画の製作の仕組みが変わったということももちろんあると思います。でも、そうした仕組みだけでは無いような気がします。なんとなくですが、面白い小説が増えてきたように思います。なぜでしょうね?
先般のブログで、左脳と右脳の話をしましたが、最近すごく興味があるのが小説家のものの見方や考え方です。なんで、あんなに面白くて奇抜な発想ができるんだろう?、どうしてそうしたものの見方ができるんだろう?と・・・。
わたしには、友人にも親戚にも小説家がいないので、そういう方々はどんな生活をして、普段はどんな会話やどんな思考をするのか、皆目検討がつきません。あの綿密なストーリーには左脳的なロジカルな思考もあるのではと思ったりもしますが、でも、その綿密なストーリーは、実は右脳的な発想でひらめくのか、どっちなんでしょうか?
小説家になるのに専門学校に通っていればOKというものでもないし、こうやってブログを書いていて、つくづくエッセーぽっく書くことの難しさを痛感しています。
最近、重松清さんの「流星ワゴン」という小説を読んで、今の自分を振り返るにはとっても良い小説です。ちょっと泣けました。でも、あんな素敵な小説の発想はどこからくるのだろうか?
ブランドと日本の文化
どうも、日本の企業は「ブランド戦略」というとカタカナや英語による横文字を使い、外国人のモデルを使った広告が好きのようです。なぜでしょうね?ここは日本で、日本という国はとても多くの文化を持ち、長い歴史の中で培われた伝統や価値観を持った国なのにと思うがあります。メガバンクのCMや広告を見てください、ここはアメリカでしたっけ?と思うくらい広告にも銀行名にも英語やローマ字が氾濫しています。どうして、日本という国が持っている良さをクリエイティブできないのでしょうかね。
ある米国の有名大学のマーケティングの教授が日本の京都の旅館に宿泊したとき、「これこそがブランドだ」と思ったそうです。ブランドの研究のきっかけになったそうです。ブランドを高めるうえで必要なすべての要素を京都で体験したと言っています。つまり、人間の持つ五感を刺激する要素が、京都にたくさんあると言うのです。確かにそうですね、寺院などの庭園の美しさ=視覚、日本食の美味しさ=味覚、旅館についたときにほのかに香る御香の匂い=臭覚、琴の音色や川のせせらぎなどの音=聴覚、ふんわりとした布団や木に振れたときの柔らかさ=触覚、そして旅館で働く女将や従業員の接待のすばらしさは、アメリカでは体験できないサービスだと言っていました。そういえば、私のよく知っているコピーライターも、時間があれば1人で京都へよく行って散歩するそうです。
日本人だから、やっぱり日本人の五感に響くようなブランド戦略をすると効果的だと思います。銀座や六本木、麻布に、広尾などで素敵なお店は、それはそれで素敵ですが、老舗のお店にはかないません。
10月に夏目漱石、森鴎外などの文学作家もよく利用していたという、海湯島にあるすき焼きで有名な老舗「江知勝」に行ったのですが、柳の垂れている門をくぐり古いお店の玄関で暖かく着物の店員さんに迎えられ、畳の個室に入ると、なんとなくくつろぎます。歴史を感じながら食事をする贅沢さは格別です。例えば、六本木のどんなに素敵な和風のお店も歴史にはかないません。
食事をする以外に感じる「何か」、これぞ日本人が直感的に感じるブランドでしょう。
それにしても、江知勝のすき焼きは旨かった、、、。
右脳の磨き方のヒント
昨日、中小企業向けにブランドの作り方というテーマでセミナーを実施しました。ブランドは広告でも、マークでも、ネーミングでもないので、そんな簡単につくれるもんではないし、お金に余裕のある大企業だから取り組めるというもんでもないのです。だから、中小企業でも、ちゃんとブランドってなんだか分かっていれば、誰だってブランドを作ることができるわけです。難しいブランドの本を読まなくてもブランドのツボさえ押さえれば、理解をするのは実はそんなに難しいものではありません。
ただ、考え方や知識は理解しても、なにせ、ブランドの最終アウトプットというものは、何らかの形にして社内外に発信していかなければなりません。結局、それはデザインだったりコピーライティングだったりします。なので、ブランドのセミナーはクリエイターの話が無いとあまり現実的なものでは無いと思います。
そこで、昨日我々が実施したセミナーは、ブランドコンサルの経験を持つ私と、クリエイティブの世界で活躍しているコピーライターとのコラボ企画になったというわけです。
コンサルタントの話は、ブランドという、なんとなくぼんやりしている概念を、ロジックベースの説明でテキパキと体系的に整理して話すためか、昨日の参加者からの質問はほとん出ませんでした(分かりにくかったのかも知れませんが・・・)。とことが、クリエイティブの話になると、どうしても感性やアートの世界になるためか、質問が結構ありました。例えば、「どうやったら、そうした発想ができてコピーライティングができるようになるですか」という質問です。
実は、”これは”という回答はないのですが、そのブランドの歴史、世の中の変化、地域の文化や自然にどのくらい興味を持って日々生活しているのか、このセンス、感性が重要になってくると話をコピーライターの講師がしていました。
例えば、意外に私たちは、自分の働いている会社の歴史や創業者の想いを知っているようで、知っていません。これは、ブランドを作るうえでもったいないことです。そこにブランディングのヒントが隠れていることが多いからです。
やはり、無からブランドを作るというのは難しいですし、出来ないことだと思います。必ず自分たちの身の回りに自社のブランドに役立つ素材はあるのもですから。
私の経験から言うと、右脳を鍛える良い場は、社内のブレストですね。どれだけ自分のアイディアを出せるか、どれだけブレストを自分の力でで盛り上げられたのか、それが訓練になります。左脳の人は、直ぐに「結論は?」「何が言いたいの?」「でっ
?」という単語を発し、ぜんぜん話が盛り上げられないケースが多いですね。
どのくらい自分がそのブレストを盛り上げられるか試してみてはどうでしょう?盛り上げられたら、結構右脳的人材かも。
新入社員時代の躾の大切さ
フレックスタイム、裁量労働制、在宅勤務制度などが導入され、会社における始業時間の風景もずいぶん変わったと思う。それに加え、社員一人にPC一台が当たり前の時代になって、日本企業ならではの朝の風景も変わってきたように思える。全員がキッチリそろって「おはようございます」と言ったあとに経営理念や社是を唱和するなんていう会社はどのくらいあるのだろうか。工場などや工事現場では安全などの問題もあり、まだまだこうした昔ながらの朝礼をしていると思う。
しかし、事務系の職場では始業時間というもののメリハリが薄くなってきているので、朝の挨拶も「○△※#★」となんだか聞こえないようなぼそぼそした声で、スーッと席に座ってPCの画面に向かいメールチェックに没頭している職場は多いのではないかと思う。そんな部下に注意する言葉もなく、何も言わない上司。それでは、会社に一体感なんてできないと思う。
新入社員のときから、「社会と言うものはこういうものだ」と教育することは、その後の企業文化の醸成には、とっても大切なことで、そうやって教育された社員と、そうでない社員の人物の魅力度=人間力みたいなもので大きな差がでてくると思う。
挨拶に厳しい昔ながらのがんこ親父的な課長や部長は、だんだんと世代交代の波の中で組織に少なくなってきたのはさびしいような気がした。今の時代、時代遅れのような気もしますが、逆にそうしたがんこ親父的な管理職が必要な企業もあるのではないかと思うこのごろです。
今どきのビジネススクールの期末試験
昨日、9年ぶりにビジネススクール時代の友人とランチを取りながら昔話をしたときに、「最近のビジネススクールの期末試験って、パソコン持込んでネットに繋いで、皆でチャットしながらケース問題に答えるようになってきているんだって、昔のような試験は成り立たないようだ」と言っていました。
確かに私たちの時代でも、何でも持ち込んでOKで、あるケース問題に答えるというスタイルでした。でも当時は、ノートブック型のパソコンは高すぎて誰も買えず、ましてやAir EDGEなどでネットにつないで、チャットしながらケースの戦略を書くなんてことは想像すらでいないことでした。もっとも違う点は、膨大な情報を簡単にネットで集められちゃうところですね。その膨大な情報(もちろん友人たちの情報も含めてですが)が簡単に集められるだけに、そのありすぎる情報をどうやって戦略に活用していくのか、かなりの思考力が求められそうです。
でも、それって、ネットやパソコンの機能が向上したから便利になったのか、逆に情報の氾濫によって複雑化して不便になったのか、どうっちなんでしょうか?
そこで、私たちがビジネススクールの学生だった9年前がどのくらい昔か、インターネットの技術進化と比べて考えてみたんですが、そしたら、とてつもなく昔のような気になりました。まさにドックイヤーです。なにせ、ビジネススクールに入学してはじめてインターネットという存在を知った私は、ニフティに加入し、やっとのおもいでメールのやり取りをしはじめた経験があります。ファイル添付なんていう機能もなく、データはすべてフロッピーの郵送で友人とやりとりした時代でした。今から考えるとありえない状態です。インターネットプロバイダーも数えるほどしかなく、携帯電話を持っている学生は45人のクラスで5名程度の普及率でした。そうした時代が9年前、でっ、今はWEB2.0の時代とかいって、携帯の世界も、インターネットの世界も、もうなにがなんだかよくわからない時代になってしまいました。とにかく、いまの日本人は電車中でもカフェの中で、家の中でも、職場でも、常にそうした機器で何かやっていますよね。情報に追われているよううで、皆とっても忙しい時代になりましたね。9年前にはそんな光景はなかったのに。
だから、電車やカフェで読書をしている人を見たり、なんだか落ち着いちゃいますね。それが普通でしょう!って感じです。逆に、ケイタイに向かって何かやっている姿をみると、なんか違和感を持ちます。なんか人間らしいスタイルじゃないような。。。わたしだけでしょうかね、そんな気持ちになるのは?
シンプルな人事制度のススメ
ある調査によると、人事制度改革のひとつとして成果主義がありますが、すでに上場企業の80%以上で導入済みというデータがあります。最近では中小企業でも導入する企業が増えています。成果主義の有効性に疑問を投げかける記事や書物も見受けられますが、成果主義そのものは何も問題はありませんよね。評価の基準として、成果上げた社員を高く評価するという、ごく正当な考え方ですから。
何が問題かというと、2つあると思います。1つは、成果主義を構築して導入するコンサルタントがイマイチという点が問題であり、2つ目としては、人事部がオートマチックにパソコンでサッとお手軽に機械処理できるような機能を求め、さらにダメ社員の救済処置的な項目をどんどん追加する傾向にあるという点が問題なのです。
1つ目に関しての問題は、すでに持っている人事制度の雛形を、クライアント用にちょこっとカスタマイズして導入してしまうコンサルがいるのです。その企業のおかれている現状や組織上の問題をほとんど考慮しないまま、はじめからこの雛形ありきでプロジェクトをスタートさせているというケースです。さらに、クライアントからどのような質問が来ても問題が発生しないように、ロジックで完璧な人事制度を入れてしまうのです。つまり、マニュアルが分厚い人事制度=細かいルールに縛られた人事制度となってしまうのです。こうした制度を平気で導入してしまうコンサルタントは実に多いのです。多くの企業の成果主義の人事制度を拝見し、実感しています。
2つ目の問題は、何でも数値化して客観的に評価しするということでエクセルで自動計算できるように計算式が組んであるために、たくさんのテーマ目標も評価欄に数値や記号を入力すると評価点が一瞬の間に出てきてしまうので、ゲーム感覚で数値合わせができてしまうので、たくさんテーマ目標を作っても自動計算処理できるのでテーマ目標が総花的になり、結局何もしなくてもどこかのテーマで評価されるようになっているので、昨年と何も変わらなくてもそれなりに賞与や給与がもらえてしまうのです。
おまけに、計算式などで複雑化しているため、ルールが覚えられず一般社員にとってみれば、細かくてわからないから別にどうでもいいやと思ってしまう制度になっているケースが多いです。要するに、ルールが複雑で分かりづらいということです。
こうした問題の根本原因は、私はすべて人事制度を作り導入したコンサルタントにあると思っています。つまり、コンサルタントの都合で、効果の出ない成果主義になってしまったと思っています。なぜか?それは、「こんな場合はどうするのか?ではこんなケースは?・・・」といった具合に、クライアントの人事部や経営者から細かい質問を受けるたびに、コンサルタントは、ロジックでその問題を解決しようといして、理論武装をしてしまうためです。大切なのは、人事制度はあくまで「人間が判断する裁量的な部分」をどのくらい上手に運用するかということです。そして、その「判断」するための議論にどの程度こだわるかが重要です。
人事異動は経営のメッセージ
担当しているあるクライアントのA社長から、1年ほど前に「なるほど」と思うようなことを教えてもらいました。A社長は、以前大手の自動車メーカーに勤務されていた経験ももっている方でした。その自動車メーカーの人事担当副社長さんとA社長が話す機会があり、そのとき組織における人事の話になったそうです。その副社長さんは「末端の社員まで経営の方針を伝えるには、人事異動が最も有効な手段だよ。人事異動は経営からのメッセージだから」と言っていたそうです。つまり、あの優秀な部長も、あの立派な役員も、あんな小さな事業部門へ異動したということは、わが社の今後は、その事業に力を入れるという戦略だということが、誰の目にも明らかに映るということです。どの部にどんな人材を張るか、それによって業績はホント大きく変わりますからね。いくらトップが社内報やイントラネットで言っても伝わりづらいことも、人事異動を見たら一発で経営のメッセージが全社員に伝わるものすごい威力を持っているんですね。
私も生保に8年在籍していましたが、2月から3月の人事異動の発表の日って、ほんとお祭りでした。一日中ソワソワして。特に20代の若手社員は身軽な独身が多いせいもあり、北海道から沖縄までどこに異動するかわからない、ある意味ロシアンルーレット状態でした。人事部の人が分厚い紙を持ってきて、自分の名前が載っているかどうかドキドキしながらページをめっくた記憶があります。そして、しばらくすると、あちらこちらで、「わーっ、岡山だ、福岡だ、岐阜だ!」などと大きな声があがってました、なんだか受験の合格発表みたいでした。懐かしい時代ですした。ちなみに私は8年間本社勤務で、転居をともなう人事異動はありませんでした。金融機関で地方に出ると、いつ本社に帰ってこれるかわからない時代でしたので、私は恵まれていました。
半径5m以内の憂鬱
組織で働く場合、オフィスの自分の席がどこになるかはとっても重要な問題なのです。小学生、中学生時代を思い出しますね。自分がどの担任の先生になり、誰と一緒のクラスになるのか、そしてクラスでの席が誰の隣で誰が同じグループになるのか。人事異動の季節や転職して入社したときの会社員も同じ気持ちですよね。どのような組織に配属され、上司は誰で、どんな人が隣の席になるのかドキドキです。
でも、管理職の方々は、自分の課や部の席のレイアウトの重要性をどの程度認識しているのでしょうか。レイアウト=自部署の業務の生産性、業績、人材育成、組織風土づくりに大きな影響を与えます。レイアウト次第で数ヵ月後にはアッという間に結果が出てしまいます。
人材斡旋会社で転職希望者の方々とお会いして、転職の動機の本音を聞き出すと多くの方が人間関係で仕事を辞めたいと言っていました。これを半径5m以内の憂鬱と言っていました。皆、自分の席の周りの人間関係で疲れてしまっていることが多いと言うことです。管理職として着任したら、まずやらねばならないことは、部下がヤル気を出す席のレイアウトを考えることです。これもマネジメント力のひとつです。
ちなみに私が働いていた大手人材斡旋会社は3ヶ月に一度席替えしてました。すごかった、、、。
12.2%という数字
今日、ある雑誌を電車の中で読んでいたら、ちょっと暗い話になってしますが、1970年代は70%以上だったのに、2005年は12.2%にまで低下したという記事を見つけました。「やっぱりそうだよな」と納得してしまったのです。何かというと、日本で畳の上で家族に看取られながら自分の生涯を終えることのできる人の割合だそうです。70年代は実に7割りもの日本人が自宅で最後を迎えられたそうですが、現代では10人に1人くらいしか自宅で最後を迎えられないということです。確かに実感はできますよね。家から病院へと、その場所は変わったというのは医療が進歩したからという説もあるらしいですが、自宅で死ねない国、世界1位だそうです。なぜ、日本がダントツで自宅で最後を迎えられない国になったのでしょうか?家族の絆の問題でしょうか?高齢化も一因だと記事は書いていましたが、、、。でも、日本という国の歴史は「家」の歴史でもあったはずなのに、なぜ。本当の要因は何でしょうかね?畳、つまり自宅で死ねない国って、豊かな国なんでしょうか、それとも寂しい国なんでしょうか。なんか寂しい国のように思えますが。
こうした社会の変化について、企業経営者はもっと目を向けるべき時代がきていると思います。富士セロックスの小林陽太郎氏は1年くらい前の新聞で「会社は、お父さんを家庭に帰すべきだ」といっていました。家庭や家族の基盤がなければ、やはり良い仕事はできないそうです。メンタルヘルスの仕事をしているソーシャルワーカーの同僚が言っていました。社員のココロのマネジメントを企業はもっと真剣に考えれば、生産性は間違いなく確実に上がることが分かっているのに。なぜ取り組めないのでしょう?ココロのマネジメントは、自社のコーポレートブランドを築いていく際にも有効ですからね。なぜなら、ストレスだらけの組織では、良いサービス、良い商品は生れませんから。いたって簡単な答えですが。畳で家族に看取られながら最後を迎えられる国が美しい国だし、そうした家族環境を企業も考えなければならない時代と思います。
日本人だから、畳の上でやっぱり最後を迎えたい、そんな社会が再び来ることを願っている自分は、年を取ったのでしょうか。
社内でも教育は大切
組織で働いている以上、上司と部下の関係はかならず存在しているものです。特に、部長という立場はひとつの部門方針を意思決定できる立場であり、人事権も持っている、とっても凄い地位にいるのです。ところが、コンサルティングで多くのクライアントへお邪魔して、いろいろな管理職に会って話を聞くと、どうも、そうしたものすごい権限を持っていることの重責を感じない、というか、そういう役割認識を持たなくてはということすらわからないへなちょこ部長も大勢いました。
どうして、自分がそううした権限をもっていることの責任の重さや、業績を上げるためには何でも手を打てるという恵まれた立場にいることがわからないのでしょうかね。不思議でなりません。部長に限らず、組織のなかで、○○長と肩書きがつく管理職の皆さんは、もう現場の一社員ではないのですから、頭の脳みそも違う箇所を使わなくてはならないのです。現場業務の作業発想から問題解決&部下のモチベーションマネジメントの発想に転換、ギアチェンジすることが何より大切です。
しかし、そうした訓練や教育を受けていない組織では、なかなかそのギアチェンジは難しいですね。それもそのはず、見たことも聞いたことも無ければ、いくら経営陣がアドバイスしても、当人にしてみればイメージが沸かないし、それこそDVDでも見せないと
さっぱり会話が噛み合わないことになります。やはり、社員教育への投資が少ないということは、取り返しのつかないほどライバルに差をつけられてしまうのですね。