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株式会社大治の社長ブログ

東京都中央卸売市場・大田市場 青果物専門の仲卸

先日、元社員が亡くなったという報せが入った。

元社員といっても、大治ではなく個人で運営していた会社の元社員だ。

今後の大治のために、新たな青果物の提案・提供方法を模索する会社を立ち上げたのだが、そこである業務を担当してくれていたのが彼だった。

個人で立ち上げたので、様々な不備もあり、それが彼との労務トラブルに至ったが、自分としては「従業員に絶対に悪いようにはしない」という思いは常に持っていただけに、非常に残念な出来事だった。

労働に関する法律があり、それを監督する行政機関があるわけだが、彼らの指導内容と言動は実業の現場にいる者としては受け入れがたいものではあった。が、基本的にはほぼ全面的に受け入れて、和解に至った。

しかし、その結果として、その事業は継続が不可能になり、そこで働くスタッフは全員解雇することになった。ひとりの主張を全面的に受け入れることで、事業は消滅し、全員が仕事を失った。

そして今回、その引き金を引いたともいえる元社員も亡くなってしまった。

彼が会社を去って約半年、その間に糖尿病が悪化したということだが、半年間も仕事をせずに不規則な生活に陥った結果、命を落としてしまったよう(想像も含まれます)で、「仕事を続けていればどうだったのか?」という思いは強い。

会社も仕事も人も守ることが出来ない法律とはいったい何なのか。

もちろん、従業員を人とも思わないような企業もあるのだろうから、労働に関する法律は絶対に必要だが、すべての業種、すべての企業を同じルールで縛るのは非常に無理がある気がする。

少なくとも彼らよりも自分のほうが従業員のことを考えているのに!と思ってしまう。

そもそも、その役所は労働者の利益を守るのではなく、法の番人として事業所を取り締まることが目的だとHPにも明記されていたが・・

結果、誰も幸せにならない法律は、今の時代にそぐわない気もするのだが、どうだろうか。

最近、社内のスタッフ同士の会話が気になることがある。

気になるのは会話の内容ではなく、表現方法。

聞いていて、「えっ?」と思うくらいキツイ言葉や口調を耳にすると、「もう少し違う言い方があるのでは?」と第三者である私でも辛くなってしまう。

 先日、とあるセミナーを受講して「事実は一つ 解釈は無数」という言葉を学んだが、たしかに同じことを見ても聞いても、それを受け取る側が同じように解釈する保証はない。

だが、無数の解釈の中で相手にどの解釈を選択してもらうかは、ある程度、言葉を発する側の表現方法にかかっているのではないだろうか。

一つしかない事実をどのように理解し、どのように解釈し、どのように動いてもらいたいのか、言葉を発した後の相手をイメージしながら表現することで、物事の結果も人間関係も大きく変わるような気がする。

植物は有機肥料を与えても、そのままの状態では吸収できないらしい。

いったん有機物を無機化してから栄養として取り入れるため、成長にも時間がかかるのだ。

いっぽう、無機物である化学肥料を与えると、そのまま取り入れることが出来るので、素早く効率よく吸収することができるため、成長も早く栽培も容易になる。

どちらが正しいということではなく、何れも栽培のテクニックであり、それぞれの農家さんが栽培環境からベストな施肥方法を見極めて、良質の青果物を消費者に提供するという目的に変わりはないのだ。

要は人間も植物も同じだ、ということ。

 「事実は一つ 解釈は無数」であるのと同様に「事実は一つ 表現は無数」である。
事実の先にある目的をイメージし、そこに到達するために最適な表現を選択することが出来る会社になりたいと心から願うが、その道のりは易くはない。
「そこに愛はあるのかい?」という昔流行ったドラマの決め台詞があるが、言葉を発する前に「そこに愛はあるのかい?」と自分に問いかけてみるのも一つの方法かも知れない。
ドラマの題名ではないが、会社という「ひとつ屋根の下」で気持ちよく働くことが出来るようになることをイメージして、数多の表現からベストな選択をしていきたいと思う。

最近、当社は若手の離職者が多い。
当初は原因がわからなかったが、ヒアリングを重ねるうちに、少しずつ見えてきた。
いろいろ難しい問題もあるが、やはりコミュニケーションが不足していたと大反省している。
そこで、月並みかもしれないが、小さな飲み会を企画し順番に話をすること、挨拶を徹底することを今月の目標にした。
しかし、ある管理者からは、「離職者対策だろって思われるのでは?あまりにわざとらしいのでは?」という意見が。

いいじゃない!わざとらしくても!

今迄出来てないことを意識して行うんだから、わざとらしくなるに決まっているのでしょ!?
最初はわざとらしく感じても、続ければいつかは呼吸をするが如くになるはずだよ。
それまで思い切りわざとらしくても、陰口たたかれても、事を起こすのが重要だ。
行進みたいに、意識しすぎて手足が一緒になってもそれはそれ。

ということで、飲み会やりますよ!
挨拶しまくりますよ!

当社は青果物の仲卸業を営んでいるが、この商売は青果物を供給してお客様に喜んでいただくサービス業だと思っている。

業態は異なるが、飲食店や小売店もお客様商売という意味では同業であると個人的には考えている。

我々は、お客様に商品やサービスを提供することで、その対価を得ているのだが、本来は対等であるべき関係にもかかわらず、日本では「お金をいただく側」の立場が弱いと感じることが多いのはなぜだろうか。

当社のスタッフもお客様に毎日のように怒られている。

ミスをすれば注意を受けるのは当然だし、それが続けば怒られることも仕方ない。

しかし、相手の人格を否定するような怒り方をするのは如何なものだろうか。


学校を卒業して、スーパーマーケットに就職したが、レジの女性がお客様からお叱りを受ける場面はたびたび目撃した。

あるとき、レジスタッフがバックヤードで号泣しているので理由を尋ねると、お客様からお叱りを受けたときに「親の教育が悪い、お前の親の顔が見たい」といわれたのが悔しかったのだそうだ。

いくらお客様とはいえ、言っていいことと悪いことの分別がつかない人を他のお客様と同様に扱うべきかは非常に疑問である。

先日も、ある人間ドックに行ったときに、受診者が受付の女性を大きな声でなじっていた。

途中で「理事長の○○さんも年ばっかり食っても、こんなことも指示出来てないんじゃ・・・」と話が飛び火し始めた。

○○さんは御年103歳、そんな方に対して「年ばっかり食って」は、幾らなんでも品がなさ過ぎるのでは、と思った。

飲食店、小売店だけでなく、多くのサービス業に携わる方は、このような言葉の暴力に晒されるリスクを抱えながら、今日も頑張っている。


だから、私は当社のスタッフが仕入先に必要以上に威張ることを絶対に許さない。

また、飲食店に行ったときに、店員さんに過度なクレームをつけたり、からかったりするのは大嫌いだ。

なぜなら、当社のスタッフがそんな目に遭うことが耐えられないからだ。

人にされて嫌なことであれば、まずは自分が人に対して行なわないのは当然である。


当社は簡単に謝らない会社を目指したいと思っている。

もちろん、間違いを認めないという意味ではない、ご迷惑をお掛けしたことはお詫びするのは当然。

しかし、自分たちがプライドを持って取り組んだことに関しては自信を持ち、しっかりと説明をするべきだ。


「人に誇れる会社になる」ためには、簡単に謝るような仕事をしていてはいけないぞ!お客様に喜んでもらえる、感謝される仕事をしようぜ!とスタッフ一人一人に説いてまわることこそ、社長の現時点における最重要任務だと考えている。





 先週末は大学柔道部の試合を応援に関西へ。

これが4年生最後の試合だったが、なかなか良い試合だったと思う。

試合後に指導陣と4年生の話し合いがあり、その場に同席させていただいたが、なかなか折り合いをつけにくい状況に陥ってしまった。

それぞれの思いがあり、その判断材料を充分に持ち合わせていない自分としては、軽々に発言すべきではないと思い、学生に対しては意見を述べずに終わったが、ひとつだけどうしても気になって、いまでも心に引っ掛かっていることがある。

師範や監督との会話の中で、ある学生幹部が、その場にふさわしくない言葉を発したのだ。

その言葉は、相手に向けて発したものではなかったが、聞いて不快になる単語の一つであったことは間違いない。

その学生が語彙に乏しいのならともかく、本人も「あまり良い表現ではないですが」と前置きをしていることから考えても、別の表現方法があることは承知した上で、その言葉を選択したのであろう。

話し合いに対してのイラつきを、これらの汚い言葉を使用することで間接的に表現したかったのかもしれない。

しかし、私としては「なかなか大した奴」という彼の評価が一変しかねないほどの衝撃だった。

いままで築き上げたものを一瞬にして破壊する、言葉とはそれほど威力をもった武器である。

その先端が鋭利な武器で相手を突けば、それ以上の威力をもって突き返される事を覚悟しなければならない。

いままで彼の素晴らしい試合で何度も感動をいただいた自分としては、この一言が残念でならない。

その場にいた他の方々はどのようにその言葉を聞いたのだろうか・・・

 現在、当社も様々な課題に直面しているが、言葉に関係する問題が少なくない。

相手に物事を伝える際の「言葉の選択」を誤ると、場合によっては相手(もちろん自分も)の人生を変えてしまう事もあることを理解しなければならない。

当社が「人に誇れる会社」を目指すのであれば、売上よりも利益よりも、まずはこういったことを真剣に考えるべきだろう。

またもや柔道部に学ばせていただいた、ありがとう。