一回表明星から二点を先制した。
あの明星からまさかの二点先制。
湧き上がるスタンドの歓声が試合前に圧倒されていた俺をかき消した。

いけるかも・・・

安易にそう思ったその裏、二点取られあっけなく同点に追い着かれた。
そう簡単に勝たしてくれるわけが無い。
相手は明星である事を再認識させられた。

一回に二点ずつ取り合ってそのまま試合はこう着状態となった。
あの明星と俺たちの高校が互角に戦っている。
いや、内容を見れば互角以上だった。

『俺たちは強い』

試合が進行するに連れ、選手達の試合前の自信は確信に変わっていった。

カキーン!!

八回表、金属バットの快音が鳴り響いた。
今沢の放った打球はレフトの頭上を越える二点タイムリーツーベースだった。
四対二。
終盤八回、ついに貴重な二点を勝ち越したのである。

八回、九回の明星の攻撃を凌ぎ四対二で試合は終了した。
あの明星に俺たちが勝ったのである。

俺はまた記録員としてベンチに入ることになった。
「俺なんかがベンチに入っていいのだろうか・・・」
監督にベンチ入りを告げられた時そう思った。
室内練習場の奴らの事がずっと頭にあったからだ。
一緒に談笑していた奴が大会になると、選手を支えるマネージャーとして認めら
れる。
グラウンドにはちょくちょく顔を出していたが、『あいつら』と俺は何も変わら
なかった。

ベンチから見る試合場は秋に見た光景と変わらないはずだったが全く違って見え
た。

ドンドンドン!ドンドンドン!かっとばせー!かっとばせー!

スタンドからはベンチに入れなかった選手達の応援が聞こえる。

室内練習場の奴らの事だけじゃない。
ベンチに入りたくても入れない奴がこの野球部にはたくさんいる。
スタンドからの応援が俺の心に鳴り響いた・・・


大会は一、二回戦を勝ち抜き俺達の高校は三回戦に駒を進めた。
そして明星も当たり前のように三回戦へ勝ち上がってきた。
予想通り、対明星戦が実現した。

試合前、野球場のグラウンドでは先に明星の選手たちがシートノックを始めた。
ひとつの無駄もなくスムーズに行われるシートノック。
低いけどよく通る大きな声。
これが名門明星なんだと見せつけるようなノックと声はベンチで座って見ていた
俺を圧倒した。

しかし、圧倒されていたのは俺だけだった。

レギュラーメンバーには余裕があった。


『俺たちは強い』

猛練習で培われた自信があったのだ。

チームはそんな状態のまま春を迎えた。

春には春季県大会が開催される。

甲子園出場には直接関係ないが、冬を乗り越えどれだけ力をつけられたのかを試す

新しい年の最初の大会である。

ベスト4まで勝ち進めば、夏の県予選ではシード校になる。

シードになれば二回戦からになるので、連戦が続く夏の大会には有利になる。

実力校は夏に向けた調整を含めながら、とりあえずこのベスト4を目標に戦ってくる。

『明星』

気のせいか少し大きく見えたその文字は、組み合わせ表の俺達の高校名の近くにあった。

順当に勝ち進めば三回戦で明星と当たる事になったのだ。

あの明星と俺達が。

明星は間違いなく三回戦まで勝ち抜いてくる。

俺達の一、二回戦の相手は弱小校、なめて戦ってはいけないが三回戦で

明星と当たると誰もが確信した。

組み合わせ抽選会が終わったその日の練習で監督が

「先を見ず、一戦一戦大事に戦って行く事が大切なんや」と言った。

明星を意識するなとでも言いたいかのようなその言葉は逆に明星を意識している様に聞こえた。

それも仕方ない事だった。

監督がこの高校に就任して十数年、明星には公式戦で一度も勝っていないのだ。

夏に限っては六年前には決勝で、三年前には準決勝でこの明星に敗れ

甲子園の道を阻まれている。

レギュラーメンバーは燃えていた。

「今までのリベンジだ」、「俺達が明星を倒す」と。

室内練習場組の奴らはどう思っているのか気になった。

「どうせ勝てんやろうな」、「いっその事コールドで負けちまえよ」とでも俺は思っていると思った。

その予想はいい意味で外れた。

「明星に勝って欲しいな。たまにはな・・・」

ポツリと小泉が言った。

小さな声はレギュラーメンバーへの大きなエールのように俺は聞こえた。

それから俺はその場所にちょくちょく顔を出すようになった。

レギュラーとしてグラウンドには立てない『仲間』が集まる場所に。

ダラダラ練習をして、談笑する。

あの場所は居心地がよかった。

それは練習をサボる楽さとかそんなのではなく、何かもっと違うものがあった気がする。

真剣な野球の話しもたくさんした。

これからの事、明星の事、レギュラーの事・・・

みんな、やっぱり野球が本当に好きなんだとわかった。

みんな、きっとこのままじゃダメだともわかっていた。

まだ季節も、秋から冬に変わろうとする時期だ。

まだ遅くない。

まだ腐っていない。

今からでもあのグラウンドに戻れる。

レギュラーはもう無理かもしれない。

けれど、それ以上にあのグラウンドには大切なものがある。

みんな、心のどこかでそう思っていたと思う。

そして何より俺はチームをまとめようとする今沢に申し訳ない気持ちがあった。

何度も監督のあの言葉が頭をよぎった。

「チームがひとつにならなきゃ甲子園に行けない」

こんな事をしていて、甲子園にいけるわけがない。

それはあの先輩達を見ていて充分承知だった。

『あの三年生や大倉先輩と同じ過ちをまた繰り返すのか』

室内練習場にいればいるほど、そんな気持ちが強くなっていく。

でも・・・

やっぱり俺にはあの場所であいつらと色々話す事も捨て切れなかった。

室内練習場に行って、キリのいいところでグラウンドに行く。

そんな煮え切らない中途半端な日々が続いていった。

秋の大会は準々決勝で負け、春の甲子園大会は絶望になった。

負けはしたが、俺の胸のつかえがスーッとなくなるようなそんな大会だった。

チームもこの敗戦をきっかけに「来年の夏こそは」とみんなの目標を一つになった気がした。

しかし、チームが一つになったと思えたのはほんとその一瞬だった。

今思えばそれは単なる幻で、一瞬にすら一つになどなっていなかったのかもしれない。

そして、俺の胸のつかえがなくなるように感じたのも・・・同じだった・・・

俺は狭間にいた。

レギュラーメンバーとベンチ外の選手との狭間に。

俺達の学年は部員が30人近くいた。

この数は、他の学年の部員数と比べ多かった。

最上級生の部員が多ければそれだけレギュラーの競争率が上がる。

競争率が上がれば上がるほど自分の実力を現実的に把握する事になる。

残酷な現実は希望の光をさえぎり、やがてその希望を腐敗させる事となる。

秋の大会に負けてから、一、二週間経った頃だっただろうか。

この野球部にはグラウンドから少し離れた場所に小さい室内練習場があった。

そこに、4,5人の野球部員が毎日のように溜まるようになっていった。

監督の目が届かないその場所で。

ティーバッティングが終わればダラダラと球を拾い集める。

次の練習に取り組む事もなく談笑を始める。

室内練習場の外からは、監督のノックの打つ音と選手達の声が聞こえてくる。

談笑はグラウンドの練習が終わる頃まで続いた。

毎日のように室内練習場ではこんなだらけた練習が行われていた。

その中に・・・小泉もいた。

俺はどうすればいいのかわからなかった。

「お前が今沢のサポートをしてくれ」

新チームになった時、監督が俺に言った言葉が胸を突き刺す。

こいつらの気持ちも俺には理解できた。

いや、実は俺はこういう奴らを待ち望んでいたのかもしれない。

光がなくなった仲間を。

選手として甲子園のグラウンドに立てる可能性は完全に無いんだな・・・

甲子園にレギュラーとして行くためにこの高校を選んだのに。

マネージャーの雑用をしていてふとそう思った。

俺は一体、何の為にこうやって野球を続けているんだろう・・・

秋の大会、俺はベンチ入りした。

学校の制服を着て。

選手としてではなく、記録員として俺は登録されたのだ。

「記録員としてベンチに入ってくれんか」

大会前、監督が俺にそう言った。

最初は戸惑った。

みんなと違う服を着て試合に挑む。

なんだか変な気持ちだった。

しかし、そんな気持ちはすぐに消えた。

予選の初戦で点が入った時の事だった。

ホームインした今沢がベンチに帰ってきた時、俺に手を出してきた。

俺もつい手を出した。

パチーン!

ハイタッチのいい音がなった。

「よっしゃー!つづけつづけ!」

今沢が次の打者に声を出した。

「いけーいけーバッター!」

俺も自然と声が出た。

ユニフォームは着てないが俺も選手の一人だと今沢が教えてくれた気がした。

甲子園に行きたい。みんなで。

マネージャーの俺はそう思うようになっていった。

甲子園予選敗退翌日、俺達が最上級生となる新チームで早速練習が始まった。

まだ大倉先輩達がいつも通りグラウンドにいそうな気がした。

先輩達がいなくなったグラウンドは異様に広く感じた。

何か無性に寂しいグラウンドは‘‘負けたら引退‘‘の夏の残酷さを物語っていた。

「お前ら、甲子園行けよ」

昨日の最後のあいさつで大倉先輩がこう言った。

単純な言葉だったが、その言葉にはとてつもない重みを感じた。

大倉先輩に最後まで涙はなかった。

新主将には今沢が選ばれた。

今沢はどちらかというとおとなしめで大倉先輩と違い自分がやって見せて

周りをついてこさせるタイプだった。

最初は皆、今沢にチームをまとめられるか不安だったが黙々と練習をこなす今沢を見て

チームは確実に一つになっていった。

2年の秋-

夏休みの猛練習も終わった二学期の始め、秋の予選大会の抽選会があった。

この秋の予選大会は翌年の春に行われる甲子園大会出場のかかった大事な大会であった。

そして・・・

俺の足は限界に達していた。

痛み始めてから一年。

練習を休んでちょくちょく病院に通っていたが、痛みは一向に消える気配はなかった。

過度の負荷が原因で骨にひびが入る疲労骨折だった。

「マネージャーをやらして下さい」

俺は監督にそう告げた。

甲子園を狙える実力は持っていた。

大会前、地元の新聞も優勝候補に挙げるほどのチームだった。

俺達一年も甲子園に行けるかもと大きな期待を膨らませていた。

が、やはり甲子園は甘くはなかった。

三年生達最後の大会は準決勝で敗退した。

グラウンドには泣きじゃくる三年生達がいた。

ベンチ入りしていた大倉先輩も一緒になって泣いていた。

多分、どこかであの腐った三年生達もこの試合を見ていただろう。

この間まで一緒に頑張ってきた仲間が負けて、あの泣きじゃくる同級生を見て、

一体何を思ったんだろうか・・・

2年の夏-

大倉先輩の代も甲子園には行けなかった。

準々決勝でコールド負けだった。

大倉先輩に涙はなかった。

こうなる事をもうわかっていたのかもしれない。

この高校が30年も甲子園に行けない理由がはっきりわかった気がした。

この代も一年前のあの三年生達と一緒だった。



この野球部には甲子園に行く為の一番重要な物が欠けていた。

それは本気で「甲子園に行きたい」という気持ちであった。


明星を選択せずに、この高校を選んだ時点で俺達の運命は決まっていたかもしれない。


だからこそ明星には負けたくなかった。

通用しない事を否定するにはその方法しかなかった。

俺達にもそれなりのプライドがあった。

気付けば、『打倒明星』が『甲子園出場』よりも大きな目標になっていた。

今思えばそれが一番甲子園を阻む事になっていたかもしれない。

一年の夏-

野球部の監督が三年間口癖の様にいつも言っていた事があった。

「チームがひとつにならなきゃ甲子園に行けない」

「当然の事を何言ってんだよ」と俺は思っていたが、次第にその言葉の重みを理解していった。

夏の大会は三年生にとって最後の大会となる。

負ければその瞬間、三年間の部活が終わる。

大会が近づくに連れ、ベンチ入りメンバーというものがほぼ決まっていく。

試合に出れる者、出れない者が明確になっていく。

それはその大会が最後となる三年生にもいえる事であった。

「あいつら腐ったな」

練習が終わった後のグラウンド整備の時に二年の次期主将大倉先輩がこう言っていた。

「あいつら」とは大会のベンチ入りに選ばれず練習に来なくなった一部の三年生達の

事を指していた。

その言い方と言葉からで誰の事を言っているのかはすぐにわかった。

大倉先輩のグラウンド整備の荒さはやり場のない怒りを表していた。

「チームがひとつにならなきゃ甲子園に行けない」

監督が言っていた事が頭に浮かんだ。

明星高校。

地元では名門中の名門である。

甲子園の常連校でプロ野球選手も多く輩出している。

練習試合は地元の高校とは対戦しないで有名であった。

それは本大会となった時相手校に分析されない為と噂で聞いた事があった。

それほど徹底されていた。

それほど甲子園出場にプライドを持っていた。

甲子園行くなら明星。

プロ野球選手になるなら明星。

野球少年は誰もがそう思っていた。

俺も小泉ももちろんその一人だった。

中一、中二、中三・・・

時が経つにつれ、自分の実力の限界がわかってくる。

それはいずれある答えを導きだす。

『明星へ行っても通用しない』

小泉みたいにストレートに言う奴もいる。

俺みたいに「なんとなく」という奴もいる。

「明星倒して甲子園に行きたいから」という奴もいる。

「ここの監督の指導が評判だから」という奴もいる。

みんなあらゆる理由にすり替えて、この高校を選んだのだ。

みんなわかっていた。

それを心の隅に隠し込んでいた。

『明星へ行っても通用しない』事は。