映画「カムイのうた」
2023年 126分
配給:トリプルアップ PG12 日本
<監督>
菅原浩志
<キャスト>
北里テル:吉田美月喜、
一三四:望月歩、
イヌイェマツ:島田歌穂、
兼田静:清水美沙、
兼田教授:加藤雅也、
レモク:阿部進之介、
パロカリレレモクの妻:葉月、
パスタ功次郎
<内容>
アイヌ民族が口頭伝承してきた叙事詩ユーカラを「アイヌ神謡集」として日本語訳した実在の人物・知里幸恵の人生を描いたドラマ。
大正6年、学業優秀な北里テルはアイヌとして初めて女子職業学校に入学するが、理不尽な差別といじめに遭う。
ある日、アイヌ語研究の第一人者である東京の兼田教授が、テルの叔母イヌイェマツのもとへアイヌの叙事詩ユーカラを聞きに来る。
テルは教授の強い勧めでユーカラを文字にして残すことに着手し、その日本語訳の素晴らしさから、東京で本格的に活動することに。
同じアイヌの青年・一三四(ひさし)や叔母に見送られ、東京へと旅立つテルだったが……。
「あつい胸さわぎ」の吉田美月喜が主演を務め、テルに思いを寄せる一三四を「ソロモンの偽証」の望月歩、叔母イヌイェマツを島田歌穂、兼田教授を加藤雅也が演じる。
監督・脚本は「ぼくらの七日間戦争」の菅原浩志。
(映画.COM)
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2月24日横浜シネマリンにて鑑賞。
当日は監督、出演役者さんの舞台挨拶があるためか、パイプ椅子の補助席を出しても足りないくらいの満員御礼状態。
アイヌ文化が和人によって上書きされてしまった悲しい歴史、
今なお差別されている事実に目を背けてはならない、
そのような社会で自分の命を削ってまで、アイヌの伝承文化のために、19年という短い人生をささげたアイヌ人の女性がいたことを知っているでしょうか。
アイヌの口承伝統文化、一大叙事詩「ユーカラ」を文字にした実在の人物、知里幸恵(劇中では北里テル)さんの物語。
アイヌ人として生まれた北里テルがある時、言語学者の兼田教授(モデルは金田一京助)と出会うことから、彼女の人生が変わることになります。
「土人学校」「アイヌ学校」
北里テルは、学業成績も良く北海道の高等女学校に入れるだけの実力はある、しかし当時の高等女学校が軍人の子女しか入れなかった。
あきらめそして女子職業学校入り成績優秀でも、アイヌ人ということだけで学内でも差別を受けることになるのです。
そのような差別の象徴として、劇中に次の名称が出てきたことは衝撃でした。
女子職業学校の生徒が彼女に放つ言葉、
「アイヌは土人学校でも行っていればいい」
土人学校これは明治政府が、北海道の植民地化を推し進める傍ら、アイヌ民族の言語や風習や伝統文化を捨てさせ、日本人に同化させるための教育を行った学校。
その学校は「土人学校」「アイヌ学校」と呼ばれていたそう。
まさか、「土人学校」と呼ばれた学校があった事、そしてそのような呼び方をアイヌの人々に放っていたことに衝撃を覚えました。
アイヌ民族への侵略
また劇中では、アイヌの人を奴隷のように扱ったり、帝国大学の民俗学者が研究の為とかこつけアイヌ人の墓を掘り返し、装飾品や遺骨の収集をするのです。彼らにとっては、屈辱的な仕打だったはずですが何もできない。
映画を観ていてこれは差別というより、アイヌ民族への侵略ではないかと思うほど。
あの「福田村事件」同様、闇に葬られていた出来事かもしれません。私を始め多くの人は、アイヌ民族の歴史をあまり知らないのではないでしょうか。
この作品を通じて、知らないことを知ろうとする大切さ、知らしめることの大切さを感じるところが多かった。
監督、撮影スタッフ、俳優陣の熱を感じる作品、
当日は菅原浩志監督、出演者俳優のパスタ功次郎さん、上野彰吾撮影監督の舞台挨拶がありました。
そのなかで菅原監督からの話は興味深かった。
★アイヌの方々にこの作品を撮る事を話した時に
「和人のお前にアイヌの何がわかる?」
と言われた事。
★各俳優事務所からは
「アイヌの事を扱うのならお断りします」
とほとんどのところで出演拒否を受けた事。
★作品の中にもアイヌ人の方がいるそうですが、
「絶対にアイヌ人だということは公表しないで欲しい」
と言われた事。
今なお続いている差別を知ることができます。
★オーデションで若い役者に
「私はアイヌは嫌だ、和人(ワジン)になりたい」
のセリフを言わせた時に、
「私はカズヒトになりたい」
「カズトになりたい」
と言った若者たちがいた。
どこにカズヒトやらカズトがいるんだと?
それを見てこれは腹をくくらねばと覚悟したようです。
★オーデション参加ではなく、知里幸恵さんの遺骨が入った小さな骨壺を持ってきて、
「撮影している間あずかってほしい」
と監督に渡しに来た方がいた。
監督はそれを預かり撮影中そして試写会の時もそれを脇に置いて、知里幸恵さんと共にこの作品を作り上げたのだと話されていました。
それらの話を、菅原監督が壇上で時に声を詰まらせぐっと堪え、この作品にかけた思いを話すその姿に、私は本編以上にウルウルと涙してしまいました。
ですから監督のそのような、信念・希求が込められ製作されたこの作品は、参加した俳優陣達にも伝わっていたはず。
その「想い」・「覚悟」・「使命」・「熱」が込められた演技は、圧倒されるばかりでした。
ただ素人の私が言うのもなんですが、北海道の広大な自然やアイヌの方々の生活の画が、全体的に奇麗すぎた感があるのが少し残念なところ。もっと過酷な感じをより多く出しても良かった気がしました。
そのような中で唯一、大自然の中での過酷さを映像として感じたシーン。
猛吹雪の中で奴隷のようにこき使われ、魚が入った荷役を運ぶアイヌの人達。
その荒れ狂う猛吹雪の凄まじさは、スクリーンからも感じられる。
そこに映し出される映像は、CGなど使わず現場の撮影にこだわった全て本物の映像。
そのシーンで一人、眼光鋭く異彩を放っていた役者がいた。
彼はそのあと倒れ命を落とし、墓も作られず雪の中に埋められるだけ。その様子を見ている和人の男は
「どうせ動物の餌になるだけだから、適当に埋めておけ」
と。
その埋められてしまった役者さんこそ当日の舞台挨拶をされた、我らが「パスタ功次郎さん」だったのです。
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★(スペシャル エピソード)★
パスタ功次郎さんへのご挨拶。
さてここからは、時を戻そう。
当日の横浜シネマリンは、パイプ椅子の補助席を出しても満員御礼状態。時々利用する映画館でもありますが補助席までの満席は、ウクライナ応援上映での映画「ひまわり」以来でビックリでした。
事前に予約していて正解。当日劇場に来て、購入できなく帰る方も大勢いましたからね。
知里幸恵さんの事は少し存じ上げておりましたので、興味はあった作品。ただ2月24日は別の映画鑑賞を2本考えていたのです。
そこへいつも拝見しているブロ友(一方的に言わせていただきます)のブログ、
「やりすぎ限界映画入門」
ダイナマイト・ボンバー・ギャルさんがこの作品を紹介をしておりました。
ちなみに彼は時に映画監督としての顔「ダイナマイト・ボンバー・ギャル」そしてある時は俳優「パスタ功次郎」の顔を持つお方なのです。
ブログ記事の中で、
「場内からすすり泣く声が」
響く恐るべし
「泣かし」
「これでも泣かないか」
恐るべし
「泣かし」
との熱い文言、
そして当日は菅原浩志監督と我がブロ友「パスタ功次郎」さんの舞台挨拶もあるとのこと。
おぉ~これはぜひ観なければと、予定していた1作品(午前十時の映画祭上映作品)をキャンセルして、こちらの作品をネット予約した次第。
ブログの中には予約した旨をコメントさせていただきました。
とにかく当日は鑑賞して大正解でした。
パスタ功次郎さん、劇中何処に出てくるかも注視しておりましたが、前述したようにすぐに発見。そのシーンは見応えあり、見ているだけでも極悪な天候の中での撮影がわかる状態。
舞台挨拶でも菅原監督は、パスタ功次郎さんはあのもじゃもじゃの髪に髭はこの作品のために伸ばしたとのこと。
ここでも作り物ではなく本物だったのですね。
★★感動の出会い★★
さて舞台挨拶の後はロビーで、監督とパスタ功次郎さんは移動しサイン会などを行う。
シャイで無口なほくとは、このまま帰りメッセージにてお礼と感想をと最初は思っておりましたが、やはり「感謝」と「感動」を口に出してお伝えしなければと使命を持ち、
不審者の如く
そろ~りそろ~りと接近。
「あの~・・」
そうするとパスタ功次郎さんは
「写真撮影ですか?」
戸惑うほくとは
「あの・・ブログを拝見して、この作品の映画予約して鑑賞しました。 素晴らしかったです」
そうすると
「も・・・もしかして、ほくとさんですか?」
コックンとうなずくほくと。
パスタ功次郎さんは
「いやぁ~嬉しいですお会いできて」
と、私の接近を大変喜んでいただきました。
そのあと二人は、熱い血潮を感じる握手をしたのでした。
ブログや映画の中でのイメージでは、眼光鋭くどれほどとんがった、狂気に満ちたサイケデリックな恐ろしい方と想像していましたが、当日は劇中とは異なり髪の毛に髭はすっきりとした、物腰柔らかい紳士でありました。
この作品本当にご紹介いただき、当日もお話しいただきありがとうございました。
パスタ功次郎さん、およびダイナマイト・ボンバー・ギャルさんの今後のご活躍応援しております。
まさかブログでやり取りしている方、特に映画監督であり役者の方とお会いできるとは思ってもいなかったので、感激でした。
当日は貴重な充実した日になりました。
この「カムイのうた」は
「アイヌ民族の事」、
そして実在の人物「知里幸恵さんの人生」を描いていますが、
「絶対忘れてはいけない問題」、
「民族への差別」、
そして「文化の侵略」、
また、我々の文化も含めそれぞれの文化が上書きされることがないようにと、熱い思いが込められた作品でした。
多くの方に鑑賞してほしい作品ですね。
(画像全てお借りしました)
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(おまけ)
知里 幸恵(ちり ゆきえ、1903年(明治36年)6月8日ー1922年(大正11年)9月18日)は、北海道登別市出身のアイヌ女性。19年という短い生涯ではあったが、その著書『アイヌ神揺集』の出版が、絶滅の危機に追い込まれていたアイヌ伝承文化の復権復活へ重大な転機をもたらしたことで知られる。
なお、弟に言語学者で東京大学を卒業後アイヌ初の北海道大学教授となった知里真志保がおり、幸恵の『アイヌ神謡集』の出版以降、大正末期から昭和にかけて、新聞・雑誌などはこの姉弟を世俗的表現ながらも「アイヌの天才姉弟」と評した。
他の弟の知里高央(1907年 - 1965年)(ちり たかなか、真志保の長兄)も、教師をつとめながらアイヌ語の語彙研究に従事した。
(ウィッキペディア参照)