夜の世界に見切りを付けて
ハワイに留学するまでのお話を
書いています
以前のものはザックリ書いたので
詳細を足しながらの再投稿です
ホステスを20年間してきた私が
37歳の時にすべてを手放し
ハワイに留学したお話
いつも読んでくださり
ありがとうございます
気軽にコメントくださいね
◆最初から読んでもいいよ
という方はこちらからどうぞ
当時21歳の静香ちゃんが
どのように
自立をしていったのか
少し長くなると思うけど
数回に分けて、そのお話を書くね
(良かったら読んでね)
DV旦那と2歳の子供がいる
静香ちゃんが
週末の2日間だけ
お店に来るようになり
当時まだ、40代前半で
体力もありあまっている、私の母が
あゆちゃんを預かることを
喜んで引き受けてくれたの。
本当に子供が大好きな母だから
あゆちゃんと遊べる時間を
与えてもらえるだけで幸せだから

と、無償で見てくれてた。
(そこから5年間、母は
預かり役をしてくれました)







私はその頃
当時の彼氏と同棲をしていて
連日、沢山のお客さんが来るし
同伴やアフターにも忙しく
お客さんとの交流もそうだけど
他のホステスの子との
コミュニケーションもある。
なので、閉店後
あゆちゃんを迎えに行く
ほんの短い時間だけで
静香ちゃんと
その日の営業のこととか
彼女がお客さんに
食事に誘われて困ったとか
接客テクニックの相談とか
そんな話をすることが多かったの。
なので、なかなか
静香ちゃんとあゆちゃんが
今まで、どんな生活をしてきて
なぜ、DV旦那と
結婚することになったのか
詳しい事情をゆっくり
聞くチャンスがなかったんだけど。






静香ちゃんが働き始めて
数か月くらい経ったころかな
彼女は家政科の高校を出たらしく
ミシンをやる....と教えてくれた。
夜逃げをしたときね
夜に突然、旦那が帰ってきて
『今から逃げるぞ
荷物は置いていけ』
と、言われたんだって。
その時、すごい急かされて
旦那の顔も引きつり
ヤバそうな顔をしていたので
黙って従うしかなく
せめて、あゆの写真アルバムは

と持ち出そうとすると
そんなもん、いらねぇ

と怒鳴られたらしい。
で、アルバムを持っていくのは
諦めたんだけど
押し入れにあった
ミシンの存在に気が付いて
お母さんの
形見のミシンだけは
お願い、持っていかせて

と、懇願してみるも
また怒鳴られ、却下されたんだけど
それを無視し
無理やり自分でミシンを
車に詰め込んだんだって。
静香ちゃんは
彼女が小学生の高学年の時
母親が癌で亡くなったらしく。
その頃は、まだ
『がん告知』なんていうのが
一般的じゃなかったので
父親からも聞かされていなくて
お母さんが死んだあと
当時の担任の先生から
『お母さん、癌で大変だったね』
と言われ
あ。。。癌って病気だったんだ
と、知ったらしい。
その後、父親と弟と3人で
団地住まいで
炊事、洗濯、団地の掃除とかも
全部、静香ちゃんひとりで
やってたんだって。
お父さんは
連れが亡くなった寂しさから
益々、仕事に没頭するようになり
大分出身の人なので
近くに親戚が一人もいないし
誰を頼ることも出来ず
家庭のことは、すべて
静香ちゃんに任せっきり。
冷蔵庫には
食材は補充されるけど
衣類が小さくなった
生理が始まり、ショーツがいる
ブラがいる....
お父さんがそんなことにまで
気が回るはずもなく...
父親が異性ということで
恥ずかしくて
言いずらいこともあるし
ようやく、下着が欲しいと伝えるも
女の子の下着の値段も
わからないから
千円しかくれないらしい。
(パンツしか買えねぇー
)

で
これを聞いたときさ
旦那からも千円ずつしか
貰えない静香ちゃんに
なにそれ
千円の呪い?
と、突っ込みを入れたら
めちゃくちゃ笑ってくれてさ 

あ、この子
こんなに爆笑する子なんだって
声をあげて笑った静香ちゃんを
初めてみた日なので
今でもよく覚えてるわ
続きのお話はこちら
