これでカール・セーガンが挙げた「論理的な落とし穴や、言い回しの罠」は以上である。
彼はこう続けている。

「これを知っておけば、我々のキットは完成だ。(中略)このキットを賢く使えば、世の中を変えることができるだろう。とくに誰かと議論するときには、事前に自分の話をチェックしておこう。」

このような“トンデモ話検出キット”、実は俺も勉強中で完璧な解説などできるわけもないが、それぞれの“落とし穴”について、俺なりに例を挙げていこう。

<対人論証>
これは、最近の記事でちょうどいい例がある。先の、茂木健一郎氏のツイッターにおける発言の松本人志氏や坂上忍氏の“反論”だ。(参考記事ここでも議論できてない芸能界

彼らは、茂木氏の挙げた論点に一切触れることなく、彼の人間性やタレント価値などについてしか語らなかった。まさに「議論の内容ではなく、論争相手を攻撃すること」その言葉通りのことを行っていた。

他にも、俺の記事にもそのようなコメントがついたことがある。(参考記事親のことを思い出す① 余談33 趣味には反する余談31 インタビュー(余談だが、このコメントは文体からして全員同じ人のような気がする)
おそらく、このような意見を平然と“反論”として認識してしまうのは、例によって例のごとく「相手の言葉の裏を読む」ということが関連しているような気がする。

つまり、「こう言う意見を言うということは、裏にはこういう気持ちがあるに違いない」とこんな風に。そして、その“気持ち”の部分に“反論”しているのだろう。

「お笑い批判をするということは、俺たちを馬鹿にしているに違いない」と思い、その「馬鹿にしている“気持ち”」に“反論”しているのではないか?
「この脳科学者は“お笑い芸人wバカw”って言いたいんだから、反論するならそこにしてこそ筋!」って感じで。

俺の記事に対するコメント主が何を言いたいのかはよくわからん。ただ、俺の意見が気に入らないということはなんとなくわかる。だったら反論すればいいものをそうしないのは…いや、これだと俺自身「対人論証」をしてしまいかねないのでやめておこう。

(続く)

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