トム クルーズ主演の映画で、バニラ スカイという映画があります。この主役は、自分の主催するパーティーで、素敵な運命の女性に巡り会います。一目で、好きになり、恋が芽生えて と書くと映画にありがちのストーリーです。この映画には、トリックがあるので、これ以上、お話すると面白くなくなってしまうので、やめておきます。
途中の話は、個人的には、あまり魅力は感じませんが、ラスト5分程度の2人の会話に
魅力を感じます。詳細は、YouTube等でも
Upされているかもしれませんので、ご覧になって頂ければと思いますが、このようなセリフが、出てきます。
ー今度、生まれ変わっても、君を見つけ出すーという言葉です。つまり、永遠に貴女を愛し続けるということですね。
いい言葉だと思います。


いろいろと異論は、あるのを承知で、書かせて頂きます。
ある2つの映画に対照的な男性の恋愛流儀をみることができます。ひとりは、前にも書いた 大停電の夜に登場するFoolish HeartというJazz Barのマスター、
もう、ひとりは、卒業 という映画に出てくる
ベンジャミンというダスティン ホフマンの演じる男です。
豊川悦司の演じるJazz Barのマスターは、元ベイシストですが、彼女が去り、失意の日々を送っています。
卒業のベンジャミンは、ある過ちから、彼女を失い、失望の日々を送っています。
詳細は、映画を観て頂きたいのですが、
Jazz Barのマスターは、自分と生きようと
店に現れた女性の手を握ることもなく、
その女性を見送り、平凡だけれど、幸せと
思える生活に戻ることを促します。
それに対し、卒業のベンジャミンは、元恋人の教会の式場に乱入し、ガラスの壁を叩き、
何度もエレーンと彼女の名前を叫び、しまいには白い十字架を振り回し、彼女を奪う。
卒業の映画の名シーンです。

以前は、こちらの方が、理想的なシーンだと
私は、思っていました。でも、ある時、
映画好きの友人から、あの最後のバスで、
2人で去るシーン、女性の方は、ちっとも
幸せそうじゃないよね。ベンジャミンは、
自己満足そうな顔をしてるけどね。 という
言葉を聞いて、そのシーンを見返してみると
確かに2人は、言葉を一言も交わさないし、
2人とも宙空を見つめていました。
Jazz Barのマスターの方は、言葉は交わさないのですが、2人とも見つめあい、納得したように微笑みの中で、うなづきあいます。
どちらが、本当に愛情が深いのか?
未熟な男の私には、よく分からなくなりました。
あっ!この話、男性からの愛する女性に
対する愛情表現の話ですから、レディーには、全く参考になりませんので。あしからず。

 

 Barでの愉しみというと、もちろん、お酒を味わうということになるのでしょうが、
ちょっと、違った時間の過ごし方をすることも可能です。
 
 私も若い頃は、Barで、時間を過ごすことが、苦手でした。Barに出かける前には、覚えられるだけのカクテルの名前やBarで、使える用語を頭につめこんで、カウンター席の中央に陣取った記憶があります。
 そこで、ドライマティーニを注文するにも、マティーニをボンベイサファイアで とか
シェイクじゃなく、ステアでね なんて、年配のバーテンダーさんに言っていたものです。
 ボンベイサファイアとは、カクテルに使うジンの銘柄のことです。他にも瓶の形が、イギリスか、どこかの街中の消火栓の形をした、タンカレーというジンもあるのですが、ドライマティーニ1つを
注文するのに、いちいち、ジンの種類まで、20代の若造が、自分の親ほどの年代の方に注文をつけるわけですから、さぞかし、滑稽な姿に映ったことと思います。
 ちなみにシェイクというのは、シェーカーというカクテルを作るときに数種類の酒を混ぜ合わせる
道具で、カクテルを作ること。ステアというのは、数種類の酒を混ぜ合わせ、単にかきまぜて、カクテルを作ることをいいます。
 他にも、ギムレット、サイドカー、スクリュードライバーなどと幾つかのカクテルの名前を頭につめこんで、次々に注文していくわけです。それが、Barでの作法だと勘違いしてました。

 今は、Barのカウンターは、片隅に座るのが、居心地が良いことを知り、カクテルではなく、シングルモルトやバーボンの方が、心地よく酔えます。
 ただ、バーテンダーがシェーカーを振る音は、聞こえてくるジャズの音色と併せ、Barの雰囲気を醸し出すものだと思います。
 お酒の苦手な方でも、Barでの時間を愉しむことは可能です。アルコールの入っていないカクテルのレシピがありますからね。シンデレラ、コンクラーベ、サマー デライト、フロリダ、シャーリー テンプルなどが、それにあたります。
 
 夜の静かな時間の中で、ジャズやシェーカー、店内の華やかな談笑を聞きながら、喫茶室がわりにBarの片隅に なんて、贅沢な時間になるかもしれませんね。
 
 2005年と、ずいぶん、昔の映画になりますが、タイトル名にもあげた<大停電の夜に>という邦画があります。
 ストーリーは、クリスマス イブの夜に都心を中心にした大停電が起こり、そのなかで、いろいろな人生の背景をもつ人々に、偶然に起きた大停電が、非日常の時間をもたらすというものです。

 大きなテーマは、人生という時間のなかで、偶然に出会ったひと との出会いと別れ、そして、ひとの生と死といった壮大なストーリーが展開されます。

 そして、ビル エバンスというJazzピアニストの曲、キャンドルの灯というキーワードで、物語は進んでいきます。

 突然の非日常のなかで、ひとは何を思うのか?これも<大停電の夜に>の重要なテーマとなっています。
 映画に出演している宇津井 健さんは、つい、先日にお亡くなりになりました。映画の中では、名演技をみせています。時間の流れが、永遠でないことに気がつかされます。
 個人的な映画の感想は、ひかえたいと思います。自分の人生と重ねてみると観る人によっての
様々な感想があると思うからです。

 生きとし生けるものの時間は、永遠ではありません。でも、それぞれの人生の灯りは、キャンドルの灯のようであり、ときに明るく周囲を照らし、自らが、燃え尽きる前には、新しい別のキャンドルに灯をともすこともできます。
 私たちの世界におきかえれば、言葉や思い出がキャンドルの灯ということになるのでしょうか。