薬師如来と御守の歴史について | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

もう長い間に渡りブログに我が論文や随筆を120件以上投稿して公開しているのだが、元日に記事を書くのは今回が初めてである。
我が家の菩提寺、祈祷山・成願寺(天台宗)でも毎年恒例の「除夜の鐘」と本堂での祈祷、並びに参拝客の接待が山主であり我が親友の甘露和尚と彼の弟殿によって執り行われる。
昨年の大晦日、余は母上と共に「おせち料理」の詰め合わせを終えた。


我が家の正月用の器は「飛騨春慶」の二段と三段の重箱、六角箱、飯櫃、「美濃焼」の木米(もくべい)風蓋付き茶碗、織部の大皿、そして「安政時代」(1855~60年)からの「輪島塗」の屠蘇器、汁椀、更に「会津塗」の三段重箱、汁椀、及び「津軽塗」の三段重箱とあるが、今年は全て余の一存で「飛騨春慶」と「輪島塗」の系の器で統一した。
彼女が寝床に入ったのを確認して、午後11時50分頃、成願寺にこれ等年末年始の儀式を見に参拝して来た。
除夜の鐘が突かれると同時に、甘露和尚が本堂で「般若心経」を太鼓を打ち鳴らしながら16回も繰り返し読経し、本尊の「薬師如来」様から始めて諸仏及び七福神にまで、世の中の幸福、安泰、等を祈祷するのである。(にも拘わらず、本堂内には余以外参拝者が一人もいなかった。)
余も何度となく見せてもらっているが、此の儀式は其れなりの体力、精神力の必要な物であると感心させられると同時に、此の様な存在感の無さ及び檀家からの無関心振りにはいささか憐憫に思えるのである。

我ら天台宗に於ける最も重要な御仏の一人「薬師如来」様について書き記すと、元来サンスクリット語では”Bhaisajyaguru”(バイシャジヤグル)と云う名前で、「医者の長」という意味である。
日本語訳された正式名は「薬師瑠璃光如来」(やくしるりこうにょらい)である。
彼がまだ菩薩であった時代に以下の「12の大願」を立てられている。
これ等の項目は「薬師如来本願功徳経」の中に記されている。
1. 全ての人々の仏性を目覚めさせる。
2. 全ての人々を明るく照らし、人々が善い行いを出来る様にする。
3. 全ての人々が必要なものを手に入れる事が出来る様にする。
4. 全ての人々を大乗仏教の正しい教えに導く。
5. 全ての人々に戒律を保たせる。
6. 全ての人々の身体上の障害を無くす。
7. 全ての人々の病を除き窮乏から救う。
8. 女である事によって起こる修行上の不利な点を取り除く。
9. 全ての人々を魔から救い、菩薩の修行を修習させて完全な悟りに到達させる。
10. 国法による災い等の災難や苦痛から解放する。
11. 全ての人々が飢えや渇きに苦しむ事が無い様にする。
12. 全ての人々に衣服を与え、心慰めるものを与えて満足させる。

医学が現在程発達していなかった古代、中世、近世の時代では、人々を病気、怪我を治癒してくれる所謂「現世利益」の御仏として階級、身分を問わず広く信仰され、平安時代の頃から多数の「薬師如来」様の仏像、仏画が制作された。
右手に「施無畏印」(せむいいん)を結び、左手の上にはあらゆる病気、怪我を治癒する薬の入った「薬壺」(やっこ)を持たれている。
「十三仏」の中では四十九日(七七日)導師の役を担当され、「三十日秘仏」ではの八日仏に数えられている。
又、「薬師三尊」として祀られる場合には、脇侍に「日光菩薩」、「月光菩薩」を従えておられ、更には「十二神将」を従える事もある。
又、我ら天台宗では開祖・最澄大師が一乗止観院(後の延暦寺・根本中堂)に御灯(不滅の法灯)を掲げられた時、薬師如来様の宝前にて「あきらけく後の仏の御世までも、光り伝へよ法の灯。」と云う御歌を詠まれ、「鎮護国家済生利民」(国家を護り人民を救済する)を御誓約された。
同宗の古書には、法華経・本門の骨子である「如来寿量品」(によらいじゅりょうほん)の聖説に基づいて崇め奉った、※「三身即一」の薬師如来様であったと記されている。
※(三身、即ち「釈迦」「薬師」「阿弥陀」の三名の如来様が一仏像に融合される事。)
故に天台宗で薬師如来様は「三大如来」の一尊として最も崇められているのである。

祈祷が終わった後、甘露和尚と本堂にて善哉を食べながら午前2時過ぎ位まで、仏教や倫理学や哲学の話題、更には寺院境内のすぐ後ろにある竹藪の処理問題について語り合った。
先ず、「小さな善行でも長年積み重ねて行けば、其れは大きな善行(正業)となり、一隅を照らす事になります。そんな人達が手を取り合う事によって余の中は更に輝くでしょう。
と云う天台仏教の根本教理に始まり、「正しい智恵とはただ理論だけに終わらず、正しい実践が伴って初めて価値があります。」(天台仏教の「教門」と「観門」の関係)
人から知恵や助けを借りる事も時には必要ですが、やはり最後には自分の事は自分で成し遂げなければなりません。

(「自力」と「他力」の関係)
結果がどうであれ、何事も真剣に取り組む事(正精進)が大切です。さすれば「力」が付いて来ます。
たとえ一時的に失敗しても、其れが人生の教訓になり、最後に何らかの成功に繋がれば、其の失敗は生かされた事になります。

(同ブログの記事『人が学ぶべき成功と失敗の関係、及び格言』 参照)

「最近の若い世代には現象や情報に振り回される人が多い様です。そうではなく正し心(正念)や正しい考え(正思)やしっかりとした自分(正定)を保ち、人や物の本質を見抜く目(正見)を養わなければなりません。」等の格言、法話を語り合った次第である。
戦後生まれの僧侶の中には、檀家で盆、法事、葬式、等の時に経だけ読み上げて、お布施だけ貰って、信徒の為になる様な法話等を全くしない(又は出来ない)、商業化した仏事のみを取り行う「売僧」(まいす)や仏教本来の「戒律」を平気で破り欲望の趣くままに私腹を肥やし、破廉恥な遊興に耽る「生臭坊主」が多くなっている今日此の頃に於いて、尚、僧侶として仏道、人道を貫き、そして会う度に世の為、人の為になる格言、法話を語り合える甘露和尚を余は親友として快く思うのである!

 

其れから今回は御守を3個も貰ったのである。
今回貰った御守は年号が変わる最初の年の元日に当寺院の初版号の御守で、余が最初に頂いた事になると言う随分と縁起の良い要素が揃っている。
今まで成願寺では、総本山・比叡山延暦寺から分配された「護摩札」を御守として檀家や参拝者に配布していたのだが、今回の初版号の御守は錦の袋も地と緑地の2種類あり、平均的な御守袋より一回り大きく、中身の御守も檜の板の表側に当寺院の本尊・薬師如来様の御姿が刻まれ、裏側には当寺院の落款が押されている、なかなかに上等な御守である。
余は個人的に西日本を中心に名立たる天台宗寺院を参拝すると、参拝記念と寺院への寄付という意味で御守を購入して、袋の中の厚紙に参拝の日付を書き込む様にしている。
扨、ここで御守の歴史について書くのだが、人類が”Homo Sapiens”(ラテン語:知恵ある人間)として誕生した頃の太古の時代より、”Naturkult”(ドイツ語:自然崇拝)が成立したと同時に何らかの形で存在していたと考えられる。  

詰まり御守は元来自然物が有する力をもらい守護してもらおうと云う観念を具体化した物であると言える。
日本で今日の様な御守が普及し始めたのは平安時代で、当時寺社の功徳を全国に普及する為に巡回していた「御師」(おし)と云う役職があり、占術、方術、祭祀を司る官職「陰陽師」(おんみょうじ)と共に貴族達に配布していたのが始まりで、当時は「懸け守」(かけまもり)と呼ばれていた。        

平安末期から鎌倉時代になると、御守は武士達の間にも広がり、江戸時代には庶民の間にも普及する様になり、様々な形が出来上がって行った。        
帰宅後、早速いつもの如く日付を書き込み、1つを我が家の仏壇に供え、1つを我が母上の部屋に、そして1つを我がAtelier(仕事部屋)に供えて置いた。
余は本来、「幸福」も「成功」も「自力」で獲得する物だと自負しているが、我ら天台宗の教理では「幸福」と「成功」の半分は「自力」残り半分は「他力」(御仏の加護)により獲得出来るとある。
(※成願寺の歴史については同ブログの記事『我がゆかりの天台寺院、成願寺、義仲寺の歴史と、源義仲公の伝記』 参照)

とは言え御守、護摩札、等を所持するだけで、あらゆる苦難、災難を回避出来る程、人生と世の中は甘くもなければ、左程単純でもない。 

(今時、此の様な迷信は子供でもせせら笑うであろう。)                                      我が親類の幼馴染の言いった「御守御札なんぞは糞坊主の金儲けの手口に過ぎん!」との手厳しき意見や、更には「檀家や信者達から法外な銭をむしり取ってのさばっている「腐れ寺」なんぞは、ガソリンぶっかけて焼き払ってしまえ!」との過激な冗談もある位である。 

又、現代社会では僧侶に対し敬意や信頼を置く人は1割程度なので、口さがない者に(中途半端な)僧侶が説教しようが者なら、「糞坊主が!何を偉そうにぬかしとんじゃ!其の禿げ頭、西瓜みてーにカチ割ったろーか!」と言われるのが落ちである。                                           (話がとんでもなく脱線してしまったが、)一番大切な事は人間があらゆる苦難を自分自身の智恵や能力で克服し、あらゆる災難を予測して回避する事である!

 

余はドイツに足掛け13年住んで、近隣の9か国を訪ねて来た経験があるので、Europäische Sozialsystem u, Wesen (社会の仕組みと制度)を日本の其れと比較する事が往々にしてある。   

そこで更に日本の仏教や僧侶を批判する事になるのだが、日本の葬式や法事の費用はヨーロッパの其れと比べて途方も無く高額なのである。   

 参考にドイツでの(キリスト教による)Trauerzeremonie(葬式)は故人と遺族の居住する都市の教会で執り行われる。 

地元の町の教会ならば、其の教区に属している者なら場所代は無料であるし、葬式を進める牧師も其の町の公務員であるので、其の給与も町から支給される。        

従って遺族は葬儀屋のみに報酬を支払えば良いのである。

Hochzeit(結婚式)も似たり寄ったりである。

其れに対し日本の仏式の葬儀では、坊主が(馬鹿の一つ覚えの様な)読経を20分程げるだけで30~50万円を払い、更には位牌に記入する「戒名」の文字(6文字+院号付きで9文字)を考えるだけで、坊主に40万ないしは80万を超える報酬を払わされるのである。      

日本人は此の様に高額な葬式が常識や習慣となっている様だが、余のドイツ人の牧師の友人や其の他の友人達に此の事を話すと、”verrückt”(気が狂っている)とか “Wahnsinn”(狂気、錯乱)とか “Schweinelei”(貪欲な行い)等と言って呆れ返っていた。                       

日本の常識は外国に出れば非常識となる。」と言うが、此れ程までに結婚式や葬式に高額な費用がかかる国は世界中探しても見当たらないのではなかろうか!? 

 

追伸:
明後日の1月3日午前10時、再び成願寺を我が母上と我が家の農地を耕作してくれている友人の鶴海さんと共に訪れ、客殿にて世間話や前記の竹藪の処理問題について語り合った。
有り難き事に鶴海さんが此の竹藪の手入れをボランティアとして引き受けてくれる事になった。
其れでも甘露和尚は人の恩に必ず報いる人柄なので、其れ相応の御礼をする事は必定であろう。
彼は日頃から「人は神仏、恩人そして自然にも感謝の気持ちを持たなければなりません。」と言う様に、此れを自ら実践しているのは誠に立派な事である。
それから甘露和尚は我ら3人を本堂に案内してくれて、皆の健康、幸福、安泰を願って御本尊の薬師如来様に向かって祈祷してくれた。
其の後、正午前に帰宅する道中、晴れた空を見上げて来世で行けると信ずる「極楽」を思い浮かべたと同時に、昨年多発した自然災害の甚大な被害を思い出して、ふと我が親父殿と日蓮上人の御言葉「極楽、地獄もあの世(来世)にあるだけではない。 既に此の世(現世)にあるのだ。」を思い付いた。

(同ブログの記事『世界の幸福に関する格言、名言集』 参照)

過去の多くの偉人、英雄、天才達が「幸福」について論じている中で、「人間の幸不幸は本人の考え、気持ち、そして生き方次第である。」と云う考え方が最も多く共通して述べられている。
即ち幸福と満足で満ちた人生は「極楽」、其の正反対は「地獄」なのである。
其の様な意味で「現世利益」の最大要因の一つである「健康」を象徴する「薬師如来」様、並びに人間の為「正しい教え」を布教された「釈迦如来」様、そして不滅の光で万物を照らしてくれる「大日如来」様(太陽)は如何に有り難く尊き存在であるかをつくづく感じさせられるのである。

 

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