帰って来た我が母上の古い琴 | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

 

少年時代から今まで余はヨーロッパのクラシック音楽のみしか聞かなかった。
クラシック音楽とは一口に言っても、国や時代や楽器によって様々な種類がある。
其の中でも特に自分が足掛け13年に渡って学生生活と芸術活動をして来たドイツ、そしてオーストリアの作曲家の作品を中心にCD約490枚で所蔵し、其の上ドイツ、日本両国で60回以上生演奏を聞いている。
しかし今日ではインターネットで音楽や映像を配信するサービスが主流となっており、CDやDVDの販売が以前に比べて伸び悩んでいる様である。
其れでも余は自から芸術作品を制作するだけでなく、其の他の美術品、骨董品をコレクションにしているので、図書やCDやDVDでも、コレクションや財産と同様に個人で所有する事にこだわりがある。
ところが既に所望するクラシック音楽のCDも全て集めてしまったので、最近では予てより好きであった日本の琴の演奏を録音したCDを集め始めている。
これ等のCDに収録されている曲目は、「春の海」、「五段砧(きぬた)」、「六段の調べ」、「八段の調べ」、「乱れ」、「千鳥の曲」、「秋風の曲」と言った古典琴曲のみならず、「さくらさくら」、「花」、「荒城の月」、「早春賦」、「浜辺の歌」、「夕焼け小焼け」、「とんぼ」と言った明治、大正、昭和初期の歌曲や、「春の小川」、「うれしい雛祭り」、「蜜柑の花咲く丘」、「シャボン玉」、「海」、「小さい秋見つけた」、「雪」と言った童謡、更にはヨーロッパの名曲、日本の人気歌謡曲、アメリカの映画音楽までも多種多様に含まれている。
余は個人的には琴の為に編曲されたJ.Pachelbel作曲”Kanon und Sigue D-dur” 、並びにJ.S.Bach作曲 “Orchestersuite Nr.3 D-dur”の第2楽章が特に素晴らしく感じられる。

琴を習っていた我が母上や、其の他の琴を習った事のある人から聞いた話だが、西洋式の音楽と琴専用の音符は全く異なる物なので、いざ西洋式の音楽を琴の演奏用に編曲する作業は決して容易な事ではないらしい。
余は音楽に関しては全くの素人である故、此の編曲作業の難易度は直接理解する事は出来ない。
しかしながら敢えて余の専門分野である「絵画」に置き換えると、あたかも西洋の油絵を日本絵具で模写するのと似ている様な気がするのである。
これ等は余が幼少時代より知っている曲と初めて聞く曲と両方あるが、琴で演奏される曲は原曲とは一風変わった趣と味わいが感じられ、そして何と言っても琴ならではの優美な音色が聞き取れるのである。
琴と云う楽器がここまで広範囲に渡って演奏の可能性を持っている事に余は全く感心してしまった。

 


 Cembalo und Harfe im Bachhaus Eisenach

余が琴に愛着を持つ理由として、先ず余の最愛の楽器Cembalo(チェンバロ)、Harfe(ハープ)に音色が似ている事、そして我が母上が昭和39年~40年に渡って琴を習っていた事である。
故に我が家には母上が琴を習っていた頃の楽譜が今でも残っているのだが、かつて余の少年時代までは2階の押し入れにしまわれていた彼女の琴がいつの間にか行方不明になっているのであった。
折角、琴のCDを本格的に集め始めたのだから、此の琴を探して見つけ出してやろうと思った次第である。
ところが我が館(実家)のいずこを探しても一向に琴は見つからない。
当時、彼女が御師匠さんから譲り受けた貴重な思い出の品を安易に捨てる筈が無いので、どこかにあるであろうと信じて、引き続き我が家のボロ別荘を探しても見当たらない。
11月29日、もしやと思い我が祖母の住んでいた空き家を探して見ると、遂に長年行方不明になっていた古い琴が見つかったのである!
かなり埃を被ってはいたが、幸いにして13本の弦も全て無事で十分演奏出来る状態である。
但し左右の端の弦の2つの「柱(じ)」と竜頭(先端部)の下付いていた「猫足」が2つ欠落している。
喜び勇んで余は早速我が家に此れを持ち帰り、簡単に掃除しておいた。
此の琴の竜尾(末端部)の巻に地金襴錦が付いているので、竜頭にかつて京都で購入した西陣織の地金襴錦を貼り付けておいた。
其の上、運良く京都の骨董業者が全く同じ琴柱を販売していたのを年末に見付けて購入し、更に楽器店で「猫足」の代用として「鳥居台」を購入し、これ等を取り付けて完全無欠の状態に持ち込む事が出来た。
不思議な事にたった此れだけの作業で琴が一気に見栄えがする様になったのである!


美術品の鑑定、修理の出来る余が幾つかの資料を参考に推定すると、此の琴はで昭和初期頃(1927~30年)に制作された物の様である。
此の時代に制作された我が母上の琴は本体が桐の木、そして柱が象牙と紫檀で出来ている。
其れだけに最近の琴の様に柱がプラスチック製の物より材質や技術の高級感が感じられる。
第二次世界大戦以前に琴を嗜める人とは都会の「特権階級」や「富裕層」と相場は決まっている。
即ち戦争末期の度重なる大規模な空襲によってかなりの琴が焼失したと推測すると、我が母上の琴もある程度の希少価値があるのかも知れない。

(※此の事に関しては以前に記述した「大正時代の雛人形」と似たり寄ったりである。)
とは言うものの流石に我が母上も既に53年も琴から遠ざかっていたので最早弾く事は出来ないと言うし、余も美術には天性の才能はあれど、残念ながら音楽の才能は全く持ち合わせていない。
「もしも琴が弾けたなら・・・」等と思っても此ればかりはどうしようもない。
とは言え長年行方不明になっていた母上の琴が久方振りに我が家に帰って来ただけでも親子共に何とも言えない喜びであった!
又、琴の音色をCDで聞くのみならず、琴自体が自分達の手元にあって、其れを触れるだけでも実感を味わえて、とても幸せな気持ちになれるのである。

扨、余は前記の通り音楽の才能は全く持ち合わせていないのだが、音楽野分野に於いても学術的な研究だけは長年続けている故、琴の歴史について書き記しておく事にする。

日本に古来から存在する「琴」は和琴(わごん)、「大和琴」(やまとごと)と呼ばれ、6本の弦(希に5本)を有する。
弥生時代から奈良時代の遺跡等に最古の発掘例があり、現在も雅楽に含まれる「国風歌舞」(御神楽、等)で演奏されている。
「筝」は日本に奈良時代直前に唐(中国)より伝来し、当初は「雅楽」の管弦楽奏用楽器の一つとして使用されていた。
平安時代にはやはり雅楽の楽曲種類の一つである「催馬楽」(さいばら)(在来の民謡等を当時の渡来音楽である雅楽の編成に編曲した管絃伴奏付き歌曲)の伴奏楽器として、和琴を加えて演奏していた。
日本に於ける筝曲の発祥は「筑紫流」と言い伝えられている。
此れは、福岡県・久留米の善導寺の僧侶・賢順が雅楽と琴曲(きんきょく)の影響を受け、琴の音楽を室町時代末期に完成させた物である。

 細田栄之 作「風俗略六芸・琴」


17世紀には八橋検校(やつはし けんぎょう、1614年 ~1685年)が現れ、従来の箏の調弦を律音階から、当時民間で流行りつつあった都節音階に変える技術的革命を成し遂げた。
又、彼は作曲も多数して、此れに依って現在の箏曲の基本形が成立した。
何と一説によると、箏曲の基本形の一つである所謂「段物」と呼ばれる形式は、八橋検校が何らかの縁で西洋音楽、特に余の最愛の楽器であるCembalo(チェンバロ)の為のVariation(変奏曲) に接触した経験によって生まれたとも推測されている。
此の検校を始祖として現在の筝曲が発展し、三味線同様に色々な流派が生まれたが、現在では「生田流」、「山田流」の二派に分かれている。
琴は其れまでの時代は三味線の伴奏楽器としてのみ使われていたが、「山田流」の始祖・山田検校(1757~1817年)が江戸で独奏楽器としての琴の為の曲を作曲して行った。
更に同時期に琴師・重元房吉が、琴に独奏楽器としての多様性を与える為に様々な改良を施したのである。
例えば、長さを6尺(180cm)に延長し、本体の厚みを増し、縦方向のソリを強くして音量の増大を図り、尚且つ琴爪を大きくした事によって音質が一層明瞭になったのである。
其の製作技術、技法は今日まで伝えられ、流派を問わず広く使用されている。

 水野年方 作「琴志らべ


日本国内の琴の生産の約70%を占めているのが広島県福山市の伝統工芸「福山琴」である。
「福山琴」の生産の歴史は元和五年(1619)徳川家康の従兄弟・水野勝成が福山城を築いた頃に始まると伝えられる。
江戸時代の城下町では武士や(富裕層の)町人の子女の芸事を習うのが流行り、備後国(十万石)の城下町・福山でも歴代の藩主:水野、松平、阿部氏等の奨励も手伝い、歌謡、音曲が盛んに行われていた。
江戸時代後期の文化年間(1804~18年)には京都で筝曲を伝授された琴奏者・葛原勾当(くずはら こうとう)が地元・福山に帰郷して、備中、備後で活躍した事から、幕末から明治にかけて優れた琴の演奏者が次々と誕生したのであった。
此の事に影響して福山では当時から琴の生産日本一になる産業基盤が出来上がっていたと言える。
又、正月の琴の定番曲「春の海」を作曲した福山出身の筝曲家・宮城道雄(1894~1956年)は、此の曲を生まれ故郷の鞆の浦の印象を元に作曲したと言われている。


琴の制作過程を簡単に述べると、原木の桐材を厳選する事から始まり、此の桐材を約1年間乾燥させる。
其の後、甲の刳(く)り、彫刻、焼き入れ、研磨と続き、更に蒔絵等の飾り付け、そして仕上げの金具付け、最後の微調整となる。
此の制作上の技術的特徴としては以下の3つが挙げられる。
先ず、甲(本体上部)の裏側に施される精巧な「彫刻模様」である。
此れは工芸的装飾だけでなく、音響効果に於いても重要な役割を果たしているらしい。
次に、琴を美しく装う「蒔絵」である。
蒔絵の技法には漆で模様を描くのと、地塗りの上に金粉、銀粉、錫粉、等を蒔き付けるのがある。
日本独自の「漆芸」の中でも其の優美さと繊細さが際立っている。
そして、琴の等級を判断する上で最も重要視されている「甲の木目」である。
此の木目が複雑な模様を形成している琴が高級品と見なされ、楽器の最重要要素である音色も響きも良いとされている。
又、木目の浮き出し具合、焼の色具合や艶も美しい甲の条件とされている。
尚、「福山琴」は楽器としては初めて「伝統工芸品」に指定される栄誉を授かっている。
そして、余も「琴」は日本が世界に誇れるだけの伝統楽器であると確信している。

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