快進撃、そして 〜 《フランス・ギャル物語⑥》 | ホブのブログ

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ノンジャンルで、好きな音楽のことを気ままに書き綴ります。
インストゥルメンタルやヨーロッパのポピュラー音楽が中心になりそう。

 

ミシェル・ベルジェのプロデュースによりフランス・ギャルは生まれ変わり、ニューミュージックの旗手としてフランスのポップス界を牽引します。

 

ユトリロさんが書かれているように、その一つの集大成が、ロック・オペラ「スターマニア」です。

 

本日は、「スターマニア」以外の活躍をご紹介します。

 

 

Si Maman Si (1977)

 

J'ai Besoin de Vous (1984)

 

Tout pour la Musique (1981)

仲間たちと"Tout pour la Musique"を歌う姿が本当に楽しそうで幸せそうです。

ちなみに登場する仲間たちは、ソロで歌う順に、ピアノの上に座っているフランス・ギャル, もう一人の女性歌手リオ, 赤シャツの男性歌手アラン・シャンフォー, パーマヘアーのミシェル・ベルジェ, 黒いジャケットのダニエル・バラヴォワーヌです。

 

 

一方のベルジェも自身の歌でヒットを放ちます。

 

Quelques mots d'amour (1980)

 

Celui qui chante (1980)

 

 

ポップな曲も静かなバラードも実に洗練されており、聞く者の心を掴んで離しません。

 

抜群の曲作りセンスをもつものの今ひとつ華やかさに欠けていたベルジェと、一度聞いたら忘れられない独特の声と抜群の"華"をもちながら、楽曲に恵まれなかったギャルが出逢い、お互いを補完し長所を増幅しあったことで、見事に花開いたのだといえるでしょう。

 

 

「フランスのアカデミー賞」といわれる"Victoire de la Musique"での受賞&ノミネート歴からも、二人の活躍が分かります。

第1回〜第5回のうち、7つの賞にノミネートされ、そのうち2つで受賞しています。

また受賞ではありませんが、第1回目には、ベルジェの弟分であるダニエル・バラヴォワーヌがプレゼンターを務めています。

 

 

順風満帆に見えたギャルとベルジェですが、この後、次々と悲劇に見舞われます。

1986年、ダニエル・バラヴォワーヌが乗ったヘリコプターが事故を起こし、バラヴォワーヌが亡くなってしまいます。

88年の楽曲賞にノミネートされたギャルの"Evidemment"は、バラヴォワーヌの残された妻に捧げられた曲です。

 

daniel-bさんがブログに詳しく書かれています。

 

 

 

 

二人は1992年6月12日に、初の夫婦デュエットアルバム”Double Jeu"を発売します。

 

このアルバムは翌年、日本でも発売されます。タイトルは「最後のデュエット」.....

 

本国でのアルバム発売から2ヶ月も経たぬうちに、次の悲劇が訪れます。

 

 

《フランス・ギャル物語⑦》に続く