相次ぐ悲劇、そして最後のステージ 〜《フランス・ギャル物語⑦》 | ホブのブログ

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1992年6月12日に夫妻での初のデュエット・アルバム"Double Jeu"を発売したフランス・ギャルは、同年8月、家族と南フランスの別荘で休暇を楽しんでいました。

悲劇は8月2日に発生しました。テニスを楽しんだ後、夫 ミシェル・ベルジェが心臓発作のため急死してしまったのです。

44歳。あまりに突然で早すぎる死でした。

 

この動画は翌8月3日のTVニュースです。ベルジェの死去がトップで伝えられています(最初の5分)。

 

二人はニュー・アルバムを引っ提げてのコンサートを計画していました。

ベルジェの急死によりコンサートは中止と思われましたが、ギャルは単独での開催を決断します。

 

 

しかし、今度は病魔に襲われます。

コンサートのリハーサル中にギャル自身に癌が見つかったのです。

93年春に予定されていたコンサートは同年9月に延期されました。

 

懸命の治療の後、ギャルはステージに立ちます。

そのコンサートの模様がこちらです(会場はBercy)。

コンサートは予定されていた6日に加えて追加公演2日が実施され、大成功でした。

 

また93年2月と94年1月には、"Les Enfoire"にも参加しています。

"Les Enfoire"は、1985年にタレントのコリューシュが発起人となり、フランスのミュージシャンたちが始めたグループで、毎年、「心のレストラン」というチャリティ・コンサートを開いています。

93年のライヴは、「スターマニア」の曲だけで構成されました(ベルジェ追悼の意味合いでしょう)。

こちらは94年出演時の映像です。

 

94年には、亡夫ベルジェの元カノであるヴェロニク・サンソンと、ジョイント・ライヴを行なっています(ライヴは1分頃から)。

 

ギャルとサンソンとの関係については、いろんな情報があります。

「親友である」、「仲が悪い」、「94年のライヴで仲違いした」等々。

daniel-bさん、実際のところ、どうだったのでしょうか?

 

 

癌を患いながら、コンサートを開くまでに回復した彼女ですが、更なる悲劇は彼女を襲います。

ギャルには二人の子どもがいましたが、長女のポーリーヌが「嚢胞性線維症」という難病で、19歳にして亡くなってしまったのです。

 

ポーリーヌの病状悪化と死去により、ギャルは第一線から退きます。

98年には、人気沸騰中だったパスカル・オビスポからの曲提供のオファーさえも断ったそうです。

 

ギャルがステージで歌ったのは、2000年8月15日、オランピア劇場でのジョニー・アリディとの共演が最後でした。

 

この曲、"Quelque chose de Tennessee"は、ベルジェがアリディのために書き下ろした曲で、この曲を含むアルバム"Rock'n Roll Attitude"は、1985年の"Victoire de la Musique"で最優秀アルバム制作賞を受賞しています。

 

 

《フランス・ギャル物語⑧》に続く