7日に、「がん」により亡くなった、フランスの歌手、フランス・ギャル(1947-2018, 本名イザベル・ギャル)を追悼する、「緊急特集」をお送りしています。
https://ameblo.jp/daniel-b/themeentrylist-10097776129.html(これまでの記事)
今回紹介する作品は、前回の記事に関連する曲となります。
1986年1月14日、まさに、「悲劇的」な事故により亡くなった、ダニエル・バラボワーヌ(1952-86)を「追悼」し、その妻コリンヌに捧げられた曲、「evidemment "エヴィダマン(ココに捧ぐ)"」(1987)と、その「完結編」である、「la lettre "手紙"」(1992, アルバム「最後のデュエット」より)。
今回は、この2曲について書いてみたいと思います。
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12344422016.html(前回の記事)
https://ameblo.jp/daniel-b/themeentrylist-10095491551.html(「ダニエル」がテーマの記事)
https://ameblo.jp/daniel-b/themeentrylist-10095603016.html(「starmania」の記事)
折しも、本日「1月17日」は、「阪神・淡路大震災の日」(1995年)です。
あらためて、「犠牲者」の方々のご冥福をお祈りしたいと思いますが、今回採り上げた作品は、その意味でも、紹介するに相応しい曲だと思っています。
フランス・ギャルの逝去からも、もう「10日」が経ちましたが、これも、私にとっては、いまだに信じられないでいます。
彼女の曲は、本当によく聴いていますし、「インタビュー」に答える姿など、曲以外でも彼女を見聞きしていましたから、「亡くなった」という「事実」に、いまだに「実感」が湧いて来ないのです。
もちろん、「フランス」と「日本」という「距離」もあるのでしょうが、思えば、ダニエルが亡くなった時に、その「突然の訃報」を、誰も信じることが出来なかった、当時の「本国のファン」の心理にも近いものがあるのでしょう...。
さて、そのダニエルが、「コリンヌ」を「妻」として迎え入れたのが、1982年のことです。
この年に発表されたアルバム、「vendeurs de larmes "涙を売る男"」の制作中に知り合ったとのことで、1984年7月に長男ジェレミー、また、ダニエルの死後、1986年6月には、長女ジョアナ(前回の記事参照)が誕生しています。
アラブ系の女性コリンヌは、「ユダヤ系モロッコ人」と解説されている以外は詳しい情報はありませんが、上掲3番目の映像に、彼女の写真も載っています。
この、コリンヌの愛称が、今回採り上げた2曲のタイトルに添えられている「ココ」というわけで、この2曲は、確かに、彼女とダニエルに捧げられた曲なのです。
また、ダニエルが、さらに付けた彼女の「あだ名」が「l'Aziza "ラジザ"」で、それを元に書かれた同名の曲が、1985年の、ダニエルのラスト・アルバム「sauver l'amour "愛を救う"」に収録されています。この「l'Aziza」とは、アラビア語で「愛しい人」ということで、「シングル」としても大ヒットしました。
ちなみに、こういう曲です(この曲についても、過去に書いていますが、また、あらためて書くべきでしょう...)。
https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12123850538.html
今回最初に採り上げた曲「evidemment "エヴィダマン"」は、1987年のアルバム「Babacar "ババカー(セネガルの赤ちゃん)"」からの1曲となりますが、シングル曲としてもヒットしており、「代表作」の1つにも数えられる名作です。
タイトルの「エヴィダマン」とは、文頭に置いて、「もちろん」という意味になります。
「もちろん、もちろん、(彼が亡くなった今でも、これからも、)ダンスは踊り、一緒に笑うわ」と歌われますが、「だけど、昔のようにじゃない...」と、「切ない想い」が語られます。
この曲のタイトルには、「a Coco(ココへ)」のただし書きがあり、1998年発売の「日本盤」でも、「ココに捧ぐ」と明記されています。ただ、2004年に発売された「リマスター盤」(フランス盤のみ)では、この表記はなくなってしまいました...。(詳しくは、下に挙げた訳詞をご覧ください)
2番目に挙げている音源は、夫であるミシェル・ベルジェ(1947-92)の死後、自身も「乳がん」と戦いながら臨んだ、1993年9月の、「パレ・オムニスポール・ド・パリ・ベルシー(現「アコーホテルズ・アリーナ」)」の公演からの「ライヴ録音」です。
3番目に挙げている音源が、その夫、ミシェル・ベルジェの「最晩年」に発表された、「最初で最後の」デュエット・アルバム、「double jeu」(邦題「最後のデュエット」)からの1曲、「la lettre "手紙"」(1992)です。
手紙を書くことが、「彼女の愛し方」...。
私も、一番最初にこのアルバムを聴いた頃というのは、実は、その「事情」を、まだ、まったく知らない頃でした(「evidemment "エヴィダマン"」よりも、聴いたのは「先」です。夫、ミシェルのCDとして購入したのが最初ですから、少なくとも、その2年くらいは前のことです)。
ブックレットの歌詞を見ると、タイトルのすぐ下に、「pour Coco, suite et fin」と表記されているのですが、最初は、この意味が分からないままでいました。
1998年に、夫、ミシェルのプロデュースによる、フランス・ギャルのWEAへの録音が、日本で一斉に「CD化」された時、このアルバムも当然含まれていましたが、日本語の解説や、訳詞ではそのことに一切触れられていませんでした。「フレンチポップス」に関する書籍でも、アルバムの紹介はあり、この曲の内容にも少しは触れられていましたが、その「ただし書き」については、やはり、分からないままでした。
私が、「evidemment "エヴィダマン"」と、この曲の関連について知ることが出来た(と言うより、「気付くことが出来た」)のは、やはり、後年になって、いろいろと資料を揃え、検索することも「可能」になってからのことです。
「evidemment」も、当時の「日本盤」では、ダニエルのことについてまったく触れていませんから、やはり、ネットで検索してみて、ようやくその「事情」を知ることが出来たのです。
先述のダニエルの曲、「l'Aziza "ラジザ"」の解説(音声)で、これが、実は、妻コリンヌの「あだ名」であり、その1つ前の「愛称」が「ココ」であると知った私は、これで謎がすべて解けたのです。
「pour Coco, suite et fin」とあるのは、「ココ(コリンヌ)へ、続きと終わり」ということです。
つまり、「evidemment」の「完結編」ということなのです...。
それでは、以下に、両曲の歌詞を載せておくことにいたしましょう。
今回は、その、1998年に発売された日本盤の歌詞対訳を、そのままお借りしました。
どちらも「名訳」で、原詞のニュアンスがストレートに伝わってくると思います。
それではまた...。
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evidemment(a Coco) エヴィダマン(ココに捧ぐ)
y'a comme un gout amer en nous
comme un gout de poussiere dans tout
et la colere qui nous suit partout
y'a des silences qui disent beaucoup
plus que tous les mots qu'on avoue
et toutes les questions qui ne tiennent pas debout
この苦い味
まるで砂をかむようね
つきまとう怒りのように
饒舌な沈黙もある
どんなおしゃべりより
ちぐはぐな質問より
evidemment, evidemment
on danse encore
sur les accords
qu'on aimait tant
evidemment, evidemment
on rit encore
pour des betises
comme des enfants
mais pas comme avant...
もちろん もちろん
ダンスは踊るわ
あれほど
愛していたんだもの
もちろん もちろん
一緒に笑うわ
ちょっとした事にも
子どもみたいにね
だけど昔のようにじゃない
et ces batailles dont on se fout
c'est comme une fatigue un degout
a quoi ca sert de courir partout
on garde cette blessure en nous
comme une eclaboussure de boue
qui ne change rien
qui change tout
この戦いなんて
徒労だわ 不快なだけ
走り回って何が変わるの
傷を抱えたわたしたち
泥はねのように
何も変えず
すべてを変える
evidemment, evidemment
on danse encore
sur les accords
qu'on aimait tant
evidemment, evidemment
on rit encore
pour des betises
comme des enfants
mais pas comme avant
pas comme avant...
もちろん もちろん
ダンスは踊るわ
あれほど
愛していたんだもの
もちろん もちろん
一緒に笑うわ
ちょっとした事にも
子どもみたいにね
だけど昔のようにじゃない
昔のようにじゃ...
(訳:白石緋女子)
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la lettre(pour Coco, suite et fin) 手紙(ココへ、「続き」と「終わり」)
ces mots sur le cahier
c'est sa maniere de parler
ce crayon sur le papier
c'est sa maniere de l'aimer
dans sa lettre
elle a mis des "mon amour" partout
vous croyez peut-etre
que c'est un curieux rendez-vous
mais c'est sa maniere de l'aimer
便箋の上の言葉
それが彼女の話し方
紙の上の鉛筆
それが彼女の愛し方
手紙の中で
彼女は記す「愛する人」と 至るところに
たぶんみんなは思うだろう
おかしなデートだと
けれど それが彼女の愛し方
ces phrases ecarpillees
c'est sa maniere d'exister
toutes ces pages alignees
c'est sa maniere d'y penser
dans sa lettre
pas de ratures, rien d'efface
quoi promettre
sinon que tout va continuer
c'est sa maniere de l'aimer
c'est sa maniere de l'aimer
散らばった文章
それが彼女の在り方
綿々と綴られたページすべて
それが彼女の考え方
手紙の中には
訂正線もなく、消しゴムの跡も全然ない
すべてが続くこと以外
何が約束されよう
それが彼女の愛し方
それが彼女の愛し方
ces mots sur le cahier
c'est comme pour le retrouver
ce crayon sur le papier
c'est son arme pour resister
vous pensez peut-etre
que l'image est devenue floue
vous devez admettre
que le temps ne demolit pas tout
il y a mille manieres de s'aimer
et c'est sa maniere de l'aimer...
便箋の上の言葉
それは彼を再び見い出そうとするように
紙の上の鉛筆
それが彼女の抵抗の武器
たぶんみんなは思うだろう
イメージがぼやけていると
でも認めなければならない
時がすべてを壊すわけではないと
愛し合う方法は千とあるけれど
これが彼女の愛し方...
(訳:西川知余子)
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Double Jeu (Remasterisé)
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Evidemment
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Sauver L’Amour
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(daniel-b=フランス専門)