「1月14日」は、ダニエル・バラボワーヌ(1952-86)の「命日」です。同時に、このブログの「開設記念日」でもあります。

 

日本ではほとんど知られることのなかった、「夭折の天才歌手」ダニエルですが、少しでも、彼のことを知っていただきたい、との思いから、「2016年1月14日」、彼の「没後30周年」の記念の日に、「彼の名」を借りて、このブログはスタートいたしました。

https://ameblo.jp/daniel-b/themeentrylist-10095491551-1.html(これまでの記事)

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12237729954.html(昨年の「命日」の記事)

 

そのような経緯がありますから、「最初期」は、ダニエルの記事が「連続」するも、とにかく、「アップ優先」で書き上げたものばかりが並び、その「魅力」を伝えるには「不充分」と思われるものばかりとなってしまいました。

 

今回は、前回の記事、「フランス・ギャル~ババカー(セネガルの赤ちゃん)」を受けまして、ダニエルの、その早過ぎる「最晩年」の傑作アルバム「sauver l'amour "愛を救う"」(1985年10月発売)より、その「タイトル曲」をご紹介します(2016年2月3日付け記事の「グレードアップ版」です)。

 

ダニエルが、1983年の、「パリ・ダカールラリー」初参戦の際、「序盤戦」での「リタイア」という「散々な結果」と引き換えに、「人間」として、決して「無視」出来ない、悲惨な「アフリカの現状」に直面したことは、すでに前回、書いています。

 

「熱血漢」であったダニエルのことですから、仮に「好成績」を収めたとしても、何らかの「アクション」はあったはずだとは思いますが、「栄光」からは「ほど遠い」結果であっただけに、いっそう、救済活動への「情熱」を燃やしたのでしょう。

 

ダニエルの立ち上げた人道支援活動、「Action Ecoles(アクション・エコール)」の「精神」は、彼の死後も、同じく1986年6月に亡くなった、コリューシュ(1944-86)が立ち上げた「les Restos du Coeur(心のレストラン) 」によっても受け継がれました。そして、これこそが、現在も続く「Les Enfoires(レ・ザンフォワレ)」の「始まり」でもあるのです!!

 

これは、1985年に始まる、アーティストたちによる「チャリティー活動(無報酬)」ですが、その名は、「バカ者どもの集まり」を意味します。いささか「自虐的」なネーミングですが、「カッコイイ」ですね!!

 

そしてもう1つ...。

こちらの映像は、1985年10月13日(私の「15歳」の誕生日...ただ、「16日」としている文献もあります)に、パリ北東の郊外、「ラ・クールヌーヴ」で開催された、「エチオピア飢饉救済」のためのイベント「les chanteurs sans frontieres a la Courneuve "国境なき歌手団"」からのものです(この名称は、「les medecins sans frontieres "国境なき医師団"」をもじっています)。

 

ジャン=ジャック・ゴールドマン(1951-)とのデュエットで、彼の曲、「je marche seul "俺はひとりで歩く"」(1985)を歌った、とても「貴重」な映像です。

 

このイベントは、当時、参加が叶わなかった「Band-Aid」(1984年イギリス。これに続いて、翌年、「USA for Africa」が結成されました)の「フランス版」と言えるものです。

 

ダニエルも、ジャン=ジャック・ゴールドマンも、さらには、ミシェル・ベルジェ(1947-92)、フランス・ギャル(1947-2018)夫妻も、このイベントの中心人物であったと言えます(半ば「門前払い」のような形だった「Band-Aid」には、フランス・ギャルも憤っていました)。

 

詳しくは、こちらの記事をどうぞ。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12264420238.html

 

ダニエルのアルバム、「sauver l'amour "愛を救う"」の発売はこの直後でしたが、何と、このちょうど「3ヶ月後」である、1986年1月14日、「悲劇的」なヘリコプター事故により、この世を去ることになってしまいました。それは、このイベントのきっかけともなった「アフリカの地」でのことでした。

 

1986年。この年の「パリ・ダカールラリー」には、「ドライバー」としてではなく、「主催者側」のメンバーの1人として参加していました(「人道支援活動」の一環です)。

 

1月14日夜、天候に不安を覚えながらも、ダニエルは、主催者ティエリ・サビーヌ(1949-86)らとともに、視察のヘリに乗り込みました。しかしながら、視界は恐ろしいまでに悪く、すぐの着陸を余儀なくされました。しかし、なぜかヘリは、その後再び「離陸」したのです...(「重傷病者」が発生したのか、真相は「謎」のままです)。

 

そして、その数分後、「砂嵐」に巻き込まれた機体は、砂丘に激しく叩きつけられていました。

パイロットを含めた5人の搭乗者は、誰1人、生きのびた者はいませんでした。

ダニエルは、「2月5日」には、34歳になるはずでした...。

 

若者たちは、ダニエルの「突然の死」を信じることができず、フランス全体が、「大きな悲しみ」に包まれました。この、「最後」となってしまったアルバムは、彼の死後「ミリオン」となりましたが、「死の予感」すら感じられる内容です。

 

親交のあった、当時のミッテラン大統領も弔意を表し、また、ダニエルの、「芸能界での親」でもあった、バークレー社副社長、レオ・ミスィール(1925-2009)も、彼の死をきっかけに、その職から退くことになりました。

 

こちらの映像は、ダニエルの死後に誕生した、長女ジョアナ(1986年6月1日生まれ)が、ベテラン歌手(と言っても、ダニエルからは「10歳も年下の後輩」ですが...)マルク・ラヴォワーヌ(1962-)と、この曲を「デュエット」したものです(「2007年」の映像ということです)。

 

上掲の他の映像では、まず、最初に挙げたものが、「公式のMV」です。次いで、1985年10月19日付けのテレビ番組での映像で、ダニエルのDVDでは、こちらを収録しているものもあります。3番目が、このアルバムについて話す、インタビューの映像です。

 

4番目は、2016年、ダニエルの「没後30周年」を記念して発売されたトリビュート・アルバム、「Balavoine(s)」からで、この曲は、Zaho(「ザオ」、1980-)が歌っています。昨年採り上げた曲、「tous les cris les S.O.S. "すべての叫びはS.O.S."」(1985)は、同年生まれのZAZ(1980-)が歌っていましたね。

 

以下に、歌詞を載せておくことにしましょう。

 

今回採り上げた曲、「sauver l'amour "愛を救う"」(1985)の歌詞は、いささか「難解」なところがあることも否めません。「アフリカ」とも、一見「関係なさそうな」歌詞に見えますが、前作、「loin des yeux de l'occident "西洋の視点から遠く離れて"」(1983)からすでに、彼の視点は、「第3世界」に向けられており(もっと以前にさかのぼれば、1980年の「un autre monde "もう1つの世界"」も「その1つ」だと言えます)、その意味で言えば、充分「理解」が出来るものだと、私は思います。

 

「アフリカ」ということであれば、こちらの曲は、まさに、それに相応しいと言えるでしょう。この曲、「un enfant assis attend la pluie "座って雨を待つ子ども"」も、近いうちに、必ず、「正式に」紹介したいと思います。

 

次回は、またフランス・ギャルの曲に戻りたいと思いますが、このダニエルを「追悼」し、その妻コリンヌに捧げられた曲、「evidemment "エヴィダマン(ココに捧ぐ)"」(1987)と、その「完結編」である、「la lettre "手紙"」(1992, アルバム「最後のデュエット」より)をお届けしたいと思います。

 

それではまた...。

 

..............................................................................................................................................................................................

 

sauver l'amour  愛を救う

 

partir effacer sur le Gange

la douleur

pouvoir parler a un ange

en douceur

lui montrer la blessure etrange

la douleur

d'un homme qui voudrait trouver

en douceur

au fond de lui un reste de lueur

l'espoir de voir enfin un jour

un monde meilleur

 

ガンジス川流域の

苦しみを消しに行く

天使にも話しかけられるだろう

こっそりと

彼にその不思議な傷を見せるのだ

その痛みを

ある男が見つけたがっていたものだ

こっそりと

彼の中には、わずかな光明が残されている

いつの日か

より良い世界を見たいと願っている

 

qu'est-ce qui pourrait sauver l'amour

qu'est-ce qui pourrait sauver l'amour

et comment retrouver le gout de la vie

qui pourra remplacer le besoin par l'envie

oh...ou est le sauveur?

 

愛を救えるものとは何か

愛を救えるものとは何か

どうすれば、生きがいを取り戻すことが出来るのか

誰が、「窮乏」を「羨望」に変えることが出来るのか

ああ...救世主はどこに...?

 

et chaque nuit le peuple danse

en douceur

croit qu'il peut exorciser

la douleur

puis lentement quitte les transes

en douceur

alors revient dans sa conscience

la douleur

au fond lui sent cette peur immense

de voir mourir ce sentiment d'amour intense

 

そして毎晩、人々は踊る

穏やかに

これで悪魔が祓えるということのようだ

その痛みを

そして、ゆっくりと、「トランス(神がかり)状態」から抜け出る(「不安から解放される」とも)

穏やかに

それでも意識の中に戻って来る

その痛みが

彼の中では、その「限りない恐怖」を感じている

この激しい愛情すら消え失せることに

 

qu'est-ce qui pourrait sauver l'amour

qu'est-ce qui pourrait sauver l'amour

et comment retrouver le gout de la vie

qui pourra remplacer le besoin par l'envie

oh...ou est le sauveur?

 

愛を救えるものとは何か

愛を救えるものとは何か

どうすれば、生きがいを取り戻すことが出来るのか

誰が、「窮乏」を「羨望」に変えることが出来るのか

ああ...救世主はどこに...?

 

Sauver L’Amour Sauver L’Amour
 
Amazon

 

 

25th Anniversaire 25th Anniversaire
 
Amazon

 

 

Balavoine Balavoine
 
Amazon

 

(daniel-b=フランス専門)