今回も、「最初期」の記事を「グレードアップ」してお送りしたいと思います。
今回は、昨年1月30日付けの記事、「奇跡のデュエット(その1)」(リブログ)です。
テーマは「ダニエル・バラボワーヌ」ですが、「ジャン=ジャック・ゴールドマン」とすべきかも知れません。
最初の映像は、1985年10月13日(私の「15歳」の誕生日...ただ、「16日」としている文献もあります)に、パリ北東の郊外、「ラ・クールヌーヴ」で開催された、「エチオピア飢饉救済」のためのイベント「les chanteurs sans frontieres a la Courneuve "国境なき歌手団"」からのものです(この名称は、「les medecins sans frontieres "国境なき医師団"」をもじっています)。
これは、当時、参加が叶わなかった「Band-Aid」(1984年イギリス。これに続いて、翌年、「USA for Africa」が結成されました)の「フランス版」と言えるものです。
ダニエル・バラボワーヌ(1952-86)も、ジャン=ジャック・ゴールドマン(1951-)も、さらには、ミシェル・ベルジェ(1947-92)・フランス・ギャル(1947-)夫妻も、このイベントの中心人物であったと言えます(半ば「門前払い」のような形だった「Band-Aid」には、フランス・ギャルも憤っていました)。
ジャン=ジャック・ゴールドマンは、日本では、セリーヌ・ディオン(1968-)のアルバム「d'eux "彼らについて"(日本発売時の邦題は、単に「フレンチ・アルバム」)」(1995)や、「s'il suffisait d'aimer "愛するだけでよかったら"」(1998)で、その名を知っていらっしゃる方も多いかと思います。
ダニエル・バラボワーヌは、日本ではほとんど紹介されることなく、何と、このちょうど「3ヶ月後」である、1986年1月14日、「悲劇的」なヘリコプター事故により、この世を去ってしまいました。それは、このイベントのきっかけともなった「アフリカの地」でのことでした。
1983年に、「選手」として、初めて参加した「パリ・ダカール・ラリー」では、「1stステージ」でリタイアと、結果は「散々」なものに終わりました。しかし、このことが、「アフリカの現実」に目を向ける「きっかけ」ともなったのです。
「食べるものが何もない子どもたちは、自分にたかってくるハエを捕まえて口にしている!!」
ダニエルは「衝撃」を覚えました。そして、この窮状を救うべく立ち上がったのです。
当時の彼は、まさしく「キャリアの絶頂期」にあり、若者を中心に絶大な人気を誇っていました。「熱血漢」であり、過去の「テレビ討論番組」(1980年)でも、その「熱弁」を大いに振るいましたが、この時同席していた、ミッテラン元大統領(1916-96, 当時はまだ「大統領候補」でした)は、彼の思いを「真摯に」受け止めました。もとより、「音楽」に大変理解のある人物でしたが、ダニエルの死に際しても、「弔意」を示すなど、彼を「気に入っていた」ことは間違いありません。
この曲「je marche seul "俺はひとりで歩く"」は、当時の最新曲で、130万枚を売り上げた、ジャン=ジャック・ゴールドマン4枚目のアルバム「non homologue "非公認の(仮題)"」(1985)からの、最初のシングルカット曲です。この曲単体でも73万枚を売り上げたということで、チャートでも、30週連続で「TOP50」にランクインし続けたと言います。まさに、彼の「代表曲」の1つと言ってよい作品でしょう。
ダニエルも、最新のアルバム「sauver l'amour "愛を救う"」の発売がまさにこの「10月」でしたが、先述のように、この「3ヶ月後」にはこの世を去ることになります。若者たちは、彼の「突然の死」を信じることができず、フランス全体が、「大きな悲しみ」に包まれました。この、「最後」となってしまったアルバムは、彼の死後「ミリオン」となりましたが、「死の予感」すら感じられる内容です(詳しくは、彼の「命日」である、1月14日付けの記事などをご参照ください)。
このように、いろいろな意味からも、この映像を「奇跡のデュエット」と呼びたい、と私は思います。
ジャン=ジャック・ゴールドマンは、ダニエルの死の数日後に、彼を追悼するため、テレビで歌いました。曲は、「je marche seul "俺はひとりで歩く"」と同じアルバム「non homologue」に収録されている、「confidentiel "親展"」です(「追悼」のために、一部歌詞を変えて歌っていますが、内容に大差はありません。彼にも、何らかの「予感」があったのではないでしょうか。ここには、歌っている内容に沿った歌詞を載せています。映像は、「歌のみ」のものと、「インタビュー込み」のもの両方を載せてあります)。
両曲とも歌詞を載せておきましょう。
それではまた...。
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je marche seul 俺はひとりで歩く
comme un bateau derive
sans but et sans mobile
je marche dans la ville
tout seul et anonyme
漂流する船のように
目的も、動機もなく
俺は街を歩く
たったひとりで 名も隠して
la ville et ses pieges
ce sont mes privileges
je suis riche de ca
mais ca ne s'achete pas
街とその罠
それらは俺への「特典」
それで俺は恵まれている
でもそれは、「カネ」で買えるものじゃない
(refrain 1)
et j'm'en fous, j'm'en fous de tout
de ces chaines qui pendent a nos cous
j'm'enfuis, j'oublie
je m'offre une parenthese, un sursis
(ルフラン1)
かまうものか、すべてがどうでもいい
俺たちの首からぶら下がっているこの鎖のことも
俺は逃げる、忘れる
自分に「(執行)猶予」を与える 括弧付きで...
(refrain 2)
je marche seul
dans les rues qui se donnent
et la nuit me pardonne, je marche seul
en oubliant les heures
je marche seul
sans temoin, sans personne
que mes pas qui resonnent, je marche seul
acteur et voyeur
(ルフラン2)
俺はひとりで歩く
与えられたその街路を
夜も俺を許してくれる ひとりで歩く
時間を忘れて
俺はひとりで歩く
証人(目撃者)も、誰もいない
俺の足音が響くだけ... ひとりで歩く
「俳優」(当事者)にして「野次馬」で
se rencontrer, seduire
quand la nuit fait des siennes
promettre sans le dire
juste des yeux qui trainent
出会い、惹かれる
夜にはいつものように
言葉もなく「約束」をする
ちょっと目を惹かれただけで
oh, quand la vie s'obstine
en ces heures assassines
je suis riche de ca
mais ca ne s'achete pas
(au refrain 1, 2)
ああ、こだわり過ぎで
時間はムダに過ぎて行くけれど
それで俺は恵まれている
でもそれは、「カネ」で買えるものじゃない
(ルフラン1.2へ)
je marche seul
quand ma vie deraisonne
quand l'envie m'abandonne
je marche seul
pour me noyer d'ailleurs
je marche seul...
俺はひとりで歩く
人生がメチャクチャになったとき
欲望にすら見放されたとき
俺はひとりで歩く
街に溺れるために
俺はひとりで歩く...
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confidentiel 「親展」
on voulait simplement te dire
que ton visage et ton sourire
resteront pres de nous sur nos chemins
te dire que c'etait pour de vrai
tout ce que t'as dit, tout ce que t'as fait
que c'etait pas pour de faux, que c'etait bien
faut surtout jamais regretter
meme si ca fait mal, c'est gagne
tous ces moments, tous ces memes matins
faut pas nous dire que faut pas pleurer
y a vraiment pas de quoi s'en priver
et tout ce qu'on a pas loupe, le valait bien
peut-etre on se retrouvera
peut-etre que peut-etre pas
mais sache qu'ici bas, tu resteras
tu resteras comme une lumiere
qui tiendra chaud dans nos hivers
un petit feu de toi qui s'eteint pas
僕たちはただ君に言いたい
君の顔も微笑みも
僕たちのそばで、いつまでも残ることだろう
君の言ったこと 君のしたこと
それらはすべて、まぎれもない「真実」
「嘘」じゃなかった 「立派」なことだった
決して後悔しちゃいけない
たとえつらくたって、これは「勝利」
どんな瞬間も、どんな朝にでも
僕たちに「泣かないで」とは言わないで
何も止めることなんてないんだ
「失敗した」なんてことはない 意味のあることだったんだ
多分、僕たちはめぐり会えるだろう
多分、いや「きっと」
この世界でも、君は残り続けることだろう
(太陽の)光のように
僕たちの「冬」を暖め続けてくれるだろう
君の小さな「灯し火」は、消えることはない...
(daniel-b=フランス専門)