突然ですが、

 

曲を聞くとき、歌詞について深く考えたりしますか?

 

 

私はとても歌詞が好きです。

 

歌詞は、曲における最大のポイントであると思います。

 

 

 

 

 

 

例えば、クリープハイプの「ナイトオンザプラネット」

 

 

 

 

 

 

この曲は、TikTokを介して知りました。

 

この曲の歌詞に、

 

 

 

命より大切な子供とアニメを見る

 

 

 

という歌詞があります。

 

私には子供はいませんが、私は両親の子供です。

 

一人地元を離れて暮らしている私にとっては、

 

両親は私をとても大切に育ててくれていたことをよく実感させられています。

 

この曲を聞くと、私自身、私の親の気持ちになるのです。

 

そして、いずれ私も命より大切だと、

 

声を大にして言えるそんな存在ができたらと思うのです。

 

 

 

ここで一番、語りたい人

 

THE BULE HEARTS

 

私にとって、この世で一番かっこいいと思う存在

 

 

甲本ヒロト

 

 

彼の歌い方は、気が狂っているようで

 

怖いと思っていました。

 

 

ただ、あんなにパンクが詰まった彼が書く歌詞は

 

 

心の底から、愛情が溢れていました。

 

 

 

 

青空、夢、情熱の薔薇、人にやさしく、キスしてほしい、TOO MUCH PAIN

君のため、僕の右手、月の爆撃機

 

 

 

 

ため息が出るほどの素敵な曲たち

 

 

特に、ラブレター

 

 

彼らが、公園で歌う動画がある。

 

 

あの曲を聞くたび、私は幸せになるべきだと実感し、

 

同時に、あの人にも幸せになって欲しいと

 

心から願うことができるのだ。

 

 

 

私は、幸せでいたい気持ちよりも

 

 

今、目の前にいる あなたに

 

幸せになって欲しいと

 

 

常に、今日も、明日も、明後日も

 

昨日も、一昨日も

 

心から叫んでいる

 

 

あなたよ、しあわせになれ

 

 

 

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と言いつつ、あんなやつバチが当たればいい!と

 

腹を立てることも当然にあります

 

 

ただ、バチが当たればいいと思ったとしても、やっぱり私が幸せにしたい

 

そう思ったら、絶対に私から謝ったりしてしまいます。

 

 

また、思ったまま、気持ちも戻らない時は、

 

平穏に、ただ、心の中で

 

さめた目で見る

 

 

人を大切にしたい気持ちから、自分が辛くなることもあるけど

 

一人で旅行に出かけたり

 

旅行じゃなくても、ドライブしたりすることで

 

本来の優しい気持ちを取り戻しているように思います。

 

 

ストレスが溜まったとしても、

 

自分を大切にできない人には、他人を幸せにできません。

 

どうか、嫌われない努力より、自分を愛する努力を

 

 

自分にも、これを読んでくださるあなたにも

 

伝えることができたら、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さい頃からいろんな音楽に触れてきた

 

家で流れる音楽はレゲエとか、そんなんで

 

小学生、中学生と同級生との音楽の好みが合わなくて

 

レゲエを聞くことが好きだったりするこの気持ちを隠していた。

 

今でも、レゲエが好きだというのが少し恥ずかしい。

(ミーハーだからということもある)

 

 

 

小学校高学年の時、放送委員だった。

 

ラジオの収録部屋みたいなのが小学校にはあった。

 

そこの部屋を窓ガラス越しに、音響をいじる 

 

みたいなことに憧れがあったから、ごっこのつもりで入ったのだ。

 

しかも、担当の日は給食を持って放送室で食べる。かっこいい。

 

 

仕事内容は

小学生だし、CDをかけたり、やることは音量を上げ下げするだけ。

 

 

 

ただ、一つだけ特権がある。

 

 

好きなCDを持ってきて流して良いのだ。

 

 

 

私の世代だともしかしたら、馴染みがあるのかもしれない

 

今もあるのだろうか?

 

 

NHKの0655という番組。

 

朝の6時55分から7時までの5分間だけ、シャキーンが始まるまでのつなぎの番組(のはず)

 

あの番組がいつも家で流れた

 

 

「ぜっろろっくごーごー!」

 

と元気よく始まり、「あさがきた!」という曲が流れる。

 

 

(今調べたら、ウルフルズだと思っていたが、真心ブラザーズという方達が歌っていた。)

 

 

この曲は、ボブマーリーの 

 

Soul Captives のカバーである。

 

家にはこのボブマーリーの曲が収録されたアルバムがあった。

 

 

 

みんなに聞いて欲しくて、この曲を小学校の放送室から流した。

 

 

CDの掛け方があまりわからなかった私は、友達に3曲目を流して欲しいと言い出せず、

 

Soul Shakedown Party が流れてしまった。

 

 

小学生は思わず動揺する

 

聞いたことのない曲が大音量で流れるのだから。

 

 

あの頃はきゃりーぱみゅぱみゅとか、いきものがかりが主流だったのに。

 

 

誰がかけてんだよ!笑

 

みたいな、ことばが飛び交う。

 

 

 

あれから、みんなの前でレゲエが聞けなくなってしまった。

 

 

 

ただ唯一、堂々とレゲエを楽しめる時間がある。

 

 

 

 

それは、両親の営むスープカレー屋である。

 

 

 

食べに行くと必ずレゲエが流れている。

 

いつも聴けないでいる、

歪みの効いたレゲエを大音量で、思う存分スープカレーを頬張る。

 

 

 

 

親にも恥ずかしくて言えないが私にとって、

 

レゲエは、私のソウルミュージックだったりするのだ。

 

 

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レゲエが好きな人って、みんなココナッツの匂いがしたり、

 

男の人も女の人もドレッドだったり、

 

全てのレゲエ好きは、チチカカでアクセサリーを買っているんじゃ?

 

と思うような人が多い。

 

 

 

私自身、個性が飛び出てるような人間じゃないから、近づけない。

 

ましてや、近づける機会すらない。

 

 

 

 

ただ、純粋にレゲエを楽しんでくれる男性がいたら、

 

一緒に海辺をドライブしたいところである。

 

 

 

私には、天使がいる。猫のふうちゃんだ。

 

ふうちゃんと出会ったのは、三年前の丁度ここに越してきたときのこと。

 

耳がカットされていたから、ここの地域猫なんだろうと遠くから眺めていた。

 

猫は大好きだ、完全の、生粋の、猫派である。

 

 

 

ただ、猫を飼ったことがない。

 

猫を飼うのが私の人生における最大の夢である。

 

 

そんな私に、ふうちゃんという天使が現れたのだ。

 

遠くから眺めていて、距離の詰めかたがわからず、遠目の階段に座ってみる

 

そんな作戦を繰り返しているうちに、なぜか家の前で待ってくれているほどに

 

仲が良くなった。

 

 

私が落ち込んで泣いて帰ってきても、

 

私に全力の愛を伝えるかのように、優しい瞳で見つめてくる気がする。

 

 

 

私のことを好きだと思う。

 

 

 

ふうちゃんと一緒に暮らすことが夢なのだ。

 

猫ではなく、ふうちゃんと。

 

 

 

さいきん、ふうちゃんは尻尾の治療をしていた。

 

ある日急に尻尾の付け根が丸裸になっていたことに驚きを隠せず、

 

夜間の動物病院に電話をかけて、かけて、かけて。

 

 

Yahoo!知恵袋にも聞いた、

 

TikTokにも。

 

 

これはきっと、ドレナージという医療行為だった。

 

本人(本猫?)も気にしていない様子だったから、ただ一緒にいられる時間を増やした。

 

いつもより、私から離れようとしない。

 

 

私も君から離れられないんだよ。

 

あと一年。もしこの就活がうまくいけば、この家を出る。

 

駅から家が遠すぎるからだ。

 

その時には、君を連れて引っ越そう。

 

 

ただ、ふうちゃんは友達が一人いる。

 

兄弟かもしれない。

 

ふうちゃんは虎柄だが、その子は白黒で、白い靴下を履いている。

 

てんちゃんと呼んでいる。

 

 

この二匹は、名前をわかっている気がする。

 

てんちゃんも連れて行こうと思うんだ。

 

 

私は、君たち二人の一生を見届けるべき人間なのではないかと、

 

心から思う。

 

 

ふうちゃん、君が今を一生懸命生きている限り、私は死ねない。

 

君のために生きているも同然なのだ。

 

 

私が君たちを幸せにしたいと、

 

今日もベッドの中で目を瞑る。

 

天使たちと暮らす日々の夢を見るために。

 


 

今日は、ホワイトデーですね

 

 

 

 

女性陣の方々はバレンタインを楽しんだのでしょうか

 

 

 

 

バレンタインデーにチョコを渡し、ホワイトデーにはチョコのお返しがあるこのイベント

中高生の時は、お菓子を作るのが楽しかったり、友達同士で交換するのが楽しくてウキウキして

バレンタインを待ち望んでいたけど

 

大学生になってから、バレンタイン=見返り

深く考えすぎかもしれない

 

だけど、渡すことによってお返しをあげなくてはいけない

そういった日が設けられていることで

なんだか素直にチョコをプレゼントできなくなってしまいました。

 

何でもない日のちょっとした何かをプレゼントする

これがとても好きなんです

 

私も普段の感謝の気持ちを伝えたくて、彼氏にチョコをプレゼントしました。

 

ただ、去年は彼に手作りのチョコをプレゼントしたけど

今年は彼も社会人

学生時代の彼ではない

 

手作りチョコで喜んでもらえないのではないかと

ネガティブが顔を出したので

渋谷の百貨店で、バレンタインプライスのチョコを買ってプレゼント。

 

ただ、手を抜いてるとも思われたくなかったから、

紙袋を三つ用意して

 

トモダチコレクションの

大中小の箱を選ぶ アノ シーン

 

を再現

 

彼の反応は去年の付き合いたての頃のような可愛さはなかった

 

 

 

 

アルバイトでも、事務所のデスクにチョコを置いておこうと思い、

重くなってはいけないと謎に

アンパンマンチョコをチョイス

 

完全に失敗したと後悔した

 

お返しはいらないから、

気兼ねなく食べて欲しいと思い、選んだのに

もしかしたら、こんな安価なものでお返しを求めているように見えてしまったかもしれない

 

 

ホワイトデーの存在を疎ましく思いながらも

私は完全に見返りを求めている

 

喜ぶ顔が見たくてプレゼントしているのだから

 

ただ、プレゼントで喜んでもらうというのは

こちら側の完全な自己満であり、幻想に過ぎない

 

私のバレンタインは2回、失敗に終わったのだ

 

 

彼からホワイトデーのお返しは何がいいかと聞かれたが

私が欲しいのは、ホワイトデーのギフトではなく、

あなたの笑顔である

 

一番、わがままなのは私なのかもしれない

 

 

そして、クリスマスプレゼントを用意していなかった彼を見ると

ホワイトデーのお返しも、次会う時にはきっと用意できていないだろう

 

 

ホワイトデーはいらないとデカデカという割に

やっぱりその習慣のせいか、何かお返しをもらわなければ悲しい思いをするのだろうと

この日を迎えた今日、少し寂しい気持ちになるのだろう

 

 

彼女や好きな子から、チョコをプレゼントされたら

満点の笑顔で彼女を抱きしめることをオススメします

 

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完全に余談ですが、本日は私の推しの誕生日。

 

過去の好きだった子も今日が誕生日だったなあ、と

 

なんだかいろんな思いが込み上げてくる1日であります。

 

そんなことはさておき、私は今日もESにSPIに面接練習が、、

 

 

 

 

 

 

 

 

私、友達は片手で数えられるほどしかいない

普段仲良く話すことができても、うちに帰ると

 

あの子は私の友達じゃないんだなぁ

 

と一人ぼっちになる

 

私の友達は、みんな私のことを大切にしてくれる

大切にしたい、そう思える人が実際に友達だと思っている

 

毎日、連絡を取り合う子

月に何度か、二人で渋谷に出掛ける子

 

友達と頻繁に遊んだり交流する友達はもっと少ない

 

そんな友達を大切にしようと思う反面、普段全く連絡も取らないし、

連絡を取るとしても、また友達を一人介してコンタクトを取る人がいる

 

遊んだことも一度きりである

 

果たして、そんな人を友達だというのか

私は友達だと思っている。

 

なんでって、そりゃ大切に思うからだよ

ただそれだけなのです。

 

綺麗な歌声を持っていて、文才で、頭も良くて、絵も上手だ

だけど謙遜しすぎるくらいには謙遜している

 

そんな彼女が好きである

 

この友達は、石を集めている

コレクションなのだろうか

 

彼女が紡ぐ言葉一つ一つが今にも解けてまた一つの毛糸玉に戻ってしまいそうで

その度その度、糸は細くなって

いつか消えてしまうのではないかと心配する

 

お酒が好きで、ほろ酔いで話す彼女を画面越しで見ると

なぜか涙が出そうになる

 

自分から彼女に連絡する勇気はない

 

ただ、遠くからずっと

彼女をとても大切な友達だと思っている

 

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急にこんな話ですが

私には、幼い頃架空の人物が友達にいました

 

「ハセガワ ミヤコ」

 

今でも存在していたのじゃないかと思うことがあるのです

彼女は背が高く、おさげ髪で赤いワンピースを着ていました

 

顔はわからないけど、ずっとことイメージが残るのです

 

母と何かで病院に行った時、同姓同名のミヤコさんが呼ばれたことがありました

 

母はとても怖がっていましたが

私はミヤコさんが存在している証明ができたようで嬉しかったのです