自殺サイト殺人
自殺サイトというのがある。今日、自殺サイトで知り合った3人を殺害したという男が逮捕された。これは複雑な現代的な事件だ。
そもそも、数年前から自殺サイトで知り合った数人で集団自殺するという事件がたびたび起きていることに非常に衝撃を受けている。昔からある宗教団体が「この世の終わり」が来る前に自殺するという事件があったりしたことはあるが、見も知らずの人たちがサイトを通じて自殺するためだけに知り合って、本当に自殺する、というようなことは決してなかった。おそらく世界的に見てもこういう事件がおきているのは日本くらいなのではないだろうか。もし、これが日本だけだったとすると、その原因は何かを考えざるを得ない。自殺者はいまや交通事故死をはるかに超え、男女とも20-35歳までの死因としては第1位になっている。そのくらい我々の社会は病んでいるということなのだろうか。
そして、自殺したいという若者を狙った殺人事件。刑法的には202条の嘱託または承諾による殺人として6ヶ月以上7年未満の刑となる。これが複数であれば10年6ヶ月以下で刑を科すことができるとなるが、当該嘱託または承諾が立証されなければ殺人罪として場合によっては死刑まで科すことが可能となる。つまり、刑法的にはあまりに大きな違いなのだ。本当に自殺をしたい人と、殺人をしたい人との連携という話は思いついたこともなかったが、このようなことで両方の思惑が一致し、罪も軽くなるとすれば、社会的な混乱を助長する。したがって、いかに本人が死にたがっているとしても、重い病気の末の安楽死のような場合とは異なり、安易に刑法202条を適用すべきではない。
とはいえ、本件はこのような法的問題を超えた社会問題である。どんなにつらくても死んではいけない。どんな人だってこの世に生まれた以上、何らかの使命を帯びているはずである。世界に一つだけの花である。きれいごとかもしれないが、こういう無駄な死を社会的に止めること、これは重いが大切な目標とすべきである。
ヤングライオンズ
今日は昨日のブログでも触れたヤングライオンズという会の勉強会に行ってきた。もともとは
ワシントンDCの若手で結成された政策勉強会、交流会だが、かなりのメンバーが東京に戻ってきたため東京とDCで継続されている。僕もボードメンバーということで、集まりにはできるだけ出席するようにしている。そこで活力とエネルギーをもらうことも多い。
今日はテロに関する専門家の古川氏の話を聞いた。事前に幅広く知らせていたためか、30人を超える大勢の出席者で埋まった。インターネットを通じた交流は実に普通のものとなり、そしてそれまででは会えなかった多くの人と会えるのだから、本当にすごい。学生も多く来ており、僕の学生の頃と比べるとこういう専門的な話を聞く機会が普通に得られることはうらやましいし、その分、頑張って欲しい。ただし、「頑張る」ということは誰でもできる。話を聞くことだけなら誰でもできる。問題は、何をどう具体的に頑張るか、そして話を聞く側から、人が話を聞きたくなるような側にできるだけ早くなること、そのために広がっている可能性は無限大である。
今日は2次会まで行って泡を吹いて議論をしてしまった。議論になったのは、日本国民は悪いか、政治は悪いか、ということである。僕は常々思って、そして自分への戒めともしているのは、自分で義務を果たさないのに権利だけを主張するな、ということである。ランチの時にも、自分はろくろく働かないの給料が安いといって文句だけを言うある労働組合員の話が出たのだが、権利を主張するのは実に簡単である。そして文句を言うのも実に簡単である。人は何かを批判すると、自分が偉くなったような気がして胸がスカッとする。しかし、少し胸に手を当てて考えて見なければならない。自分にはそういうだけの資格があるか、そして義務を果たしているのかと。よく日本国民は馬鹿だ、という批判を耳にするが、そんなことはありえない。戦後焼け野原の中から世界第2位の経済大国までなった我々はすごい国民だと思う。しかし、一点残念なことがあるとすれば、テレビも含めて権利だけを主張する傾向が強いことだ。その最たるものは投票率の低さである。自由選挙、普通選挙を勝ち取るために先人がかけた努力を無にするかのような投票率の低さは、一部の利益団体や思想団体の国政に対する影響を過大なものにする。もし、そういう現状を批判する一方で、自分が投票に行っていないとしたら、それはどういうことなのだろうか。
選びたい政治家がいない、政治がつまらない、そういう言い訳めいた理由をよく聞くが、それなら行って棄権をすればいい。しかも、その前にその政治家が言っていること、あるいは政治で起こっていること、通っている法案について勉強してからそういうことを言うべきである。日本が本当に良くなるためには、まずみんながきちんと政党や候補者の主張を勉強し、選挙に行ってそれを投票に反映させるように努力すべきこと、そこからしか始まり得ない。
勉強会
今日は夜新しく研究会に参加した。最終的には本が出版されるという本格的なものだ。僕は勉強会というものは基本的に好きだ。勉強会をやるという人はかえって忙しい人たちなのに、わざわざそこに参加して議論をしようということだから、これは実に貴重な機会なのだ。もちろん、僕にとっても早い時間に出るのは仕事との関係上非常に大変なことだが、それでもこういう貴重な機会を逃してはいけないという思いで頑張ってしまう。そして、多くの場合、それは報われる気がする。
今日は僕以外は基本的に学者の方の集まりで、論文を書くということからするとプロと素人のような引け目もある。あるいは、実務をする者からすると正直違和感がすることもある。しかし、そういう垣根の違いを超えて意見を戦わせるということは楽しみでもある。ただ、やっぱり今日の結論としては、論文を書くという重い宿題を背負ってしまったような気もした。出版や論文の公表ということは今まで何回かしたが、多くの人の批判の目にさらされるわけだから、そのたびごとに冷や汗を滝のように書く。しかも、今回はその前に手厳しい方々の批判にさらされるのだからなおさらである。しかし、いったん引き受けた以上、責任をもって成し遂げなくてはならない。
明日も勉強会。今度はより若手の政策中心の集まりである。今日とは違う楽しみがある。また、熱い議論を交わしたい。
郵政民営化
郵政民営化についてますます熱い日々が続いている。今日も朝から政治家がコメンテーターとして議論をかわしていた。
それにしても郵政民営化というところに誰よりも早く気づいていた小泉さんという人はすごい人だと思う。そのころの僕には全く理解できなかったが、今では郵政民営化ということが多くの問題の鍵を握っていることを認識した。そもそも、同じように営利活動をしている団体が、公社や特殊法人や公益法人などであるという理由だけで免税されるというのはどう考えてもおかしい。そういう税をくいつぶすだけの存在は、会社と所得の両方で税を払わされている一般の人からすればできるだけ少なくすべきである。そもそも郵政民営化の問題を、いつもお世話になっている郵便局のみなさんがいなくなる、という発想はあまりに幼稚なものである。反対派の議論は、既得権益にぶら下がっている大勢の票と金を欲しいという本音を隠し、そういう幼稚で分かりやすい理由を掲げている。そこには将来への展望や未来の世代への思いやりのかけらもない。仮に自民党がそれで割れれば、従来の既得権益的な勢力(典型的には日本の最悪な政治家亀井静香)と、将来を考える真面目な勢力が分離されて分かりやすくなる。しかしながら、それによって政権を担う民主党も単に郵政民営化に反対するのみで、かえってたちが悪い。民主党は農村のばらまきを増やすと言ってみたり、あまりになりふりかまわない態度すぎる。ここで、将来の展望も含めたより良い郵政民営化法案を提出していれば、私も支持をしていたと思うが、今回の態度を見て正直心から失望した。こんな政党に今政権がわたるのはかえって危険な気もする。
いよいよ金曜日。郵政民営化はいまやそれ自体の問題というよりは、日本が古い体質を抜け出して少しでも未来に向かって一歩踏み出せるかどうかの試金石である。ここでしくじってしまうといつか国が借金で沈むだろう。とにかく未来のことを考える良心が少しでも多いことを切に願う。
異動
異動、それは一種のドラマである。法律事務所には基本的に異動、というものはないから、役所に入って初めてそのドラマ性に気づいた。そもそも異動は、基本的に他人に人生を決められてしまうことだから僕から見るとすごい怖いことである。しかし、その「結果発表」は、評価が給料という形で現れない世界にとってはほとんど唯一の自分への評価発表のときであり、それによって将来がある程度分かるという副次的効果があるために、最も重要な「イベント」になる。また、周りにとっては、一緒に働く人がきまるやはり大イベントである。それが嫌なひとであれば「早く異動して欲しい!」と心から願っていることがかなうし、いい人であれば周りの悲しみを誘う。次に来る人に関しても噂がとびかい、結果が良ければみんなで喜び、悪ければそれはなんとも言いようのない悲しい気持ちになる。最初は、そういう人事異動に関するみんなのあまりの関心の高さにびっくりしたが、今はそれの気持ちが実に良く分かる。
この2年間、自分はもう一番の古株の一人になってしまったため、多くのドラマを見てきた。涙もそこにはあった。正直、寂しいとか、この人がいなくなっては困ったなあ、と頭を抱えたこともある。
今日異動になった人は、うちの部署ではかなり異色の存在であった。部長を補佐し、しかも一年生の面倒もみる、いわば大動脈の位置にあったともに、上にも下にも横にもかまわず怒号をかかさない強烈な人でも会った。しかし、彼が最後のスピーチでうまく行かなかった仕事について悔し涙を流した時、その真剣さを改めて感じた。結局その真剣さが最後みんなの盛大な見送りにつながったのだと思う。やはり人は何かを一生懸命やればみんなに伝わり、最後には何らかの形で報われるのだと思った。
花火
今日は隅田川の花火大会の日だった。この花火大会を見ていていつも思うのは、さすがに凄いということである。といっても、、、、今年もまたテレビで見ていた。
ありきたりだが、花火は日本が世界に誇ることのできる代表的な伝統行事の一つである。ニースの海岸でちょうどフランスの革命記念日の花火を見たが、それはそれで良かったものの、日本の花火はやっぱりすごいなあ、と改めて思ったことがある。今日のテレビのゲストだったボビーも、アフリカの両親に見せてあげたい、と言っていたが、こういう風に思ってもらえるものがある、ということだけでも、実に嬉しいし、誇らしい気持ちになる。
Yokoso、Japan!というキャンペーンを昨年以来、政府の旗振りでやっているが、日本は外国の人から見てちっとも旅行しやすい国ではない。標識を見たって英語表記は全然ないし、鉄道も道路も複雑でしかも高い。地方の人が東京に来ても迷う、というのに、日本語が全く分からない外国の人が来て分かるはずがないのである。さらにお祭りのようなイベントに参加するというのはハードルが高いことであろう。
日本は素晴らしい自然、歴史、文化、伝統をたくさん持っている国である。せっかく国が旗振りをするのであれば、外国人旅行者の視点に立ったインフラ整備を徹底し、世界有数の旅行人気国として恥ずかしくないような「体制」作りをしないと、単なる号令だけでは意味がない。さらに、伝統文化や行事などは所得保障をしてでもこれを維持し、しかも日本人だけでなく外国の人にも広くこれを知ってもらうようにしたら良い。しかも、これは国や地方、および環境や文化や交通などの垣根を越えて戦略的にやる必要がある。そうやって日本を本当の意味で知ってもらうという地道の作業がなければ、いくら外交官同士で高いご飯を奢ってやっても安全保障常任理事国、として世界中から認めてもらうのは難しいだろう。侵略戦争からわずか60年、そんなに簡単にわが国への不信感が消えるはずがないのである。僕らが変わったのであれば、そして理解してもらうためには、どんどん受け入れて、わが国の素晴らしさを知ってもらいたい。
報道発表
朝早く暑くて目が覚めてしまったため、寝ぼけ眼でテレビをつけたところ、1週間後にプレスリリースされるはずの情報がいきなりNHKニュースのトップで出てきて、一瞬夢かと思ったけど、やはり現実だった。おかげで、歯切れの悪いプレス対応を繰り返すはめになり、一日中なんか気分のさえない日となってしまった。
それにしても、第2次世界大戦に日本が情報戦で負けたということを思い出す。政府の驚くべきはその情報管理の甘さである。大きなことになればなるほど、幅広い根回しが必要となるため、それだけ情報の漏れる危険性が大きくなる。しかも、書類が散らばっている役所の中は報道関係者のみならず、一般人でも立ち入り自由であるため、ほとんど情報管理に関する体制がそもそもなっていないのだ。小泉首相が北朝鮮に行った時にかなりの側近まで聞いていなかったと怒っていたが、本当に機密性を守ろうとするならばそうせざるをえないということが良く分かった。結局、秘密情報というのはいったん公になってしまうと何ら「秘密」としての意味がなくなる。そういうやや虚しい思いに捕らわれながら、必死に秘密を保っていた情報が、あっという間に世界中でニュースとなっていく様をインターネットでチェックしながら見守るしかなかった。
それでも、この案件にかけてきた自分のエネルギーを思うと、良くぞここまで来たと言わざるを得ない。本当に微妙な力学と、関わってきた人の努力と仕事に対する誠実さ、人間関係、こういうものがやっとつながったという感じである。それを最初から最後まで関わってきたのは、この人事サイクルの中でたまたま自分だけだったというのも非常に感慨深い。そして、本当に部下に恵まれた。そう思って気も抜けそうになるが、次から次へと来る重要案件を必死に回していく毎日が続く。
ホテル戦争
今日もなかなか忙しい日であった。しかしながら、昼間ばたばたと忙しいが、そこで集中してさっさと帰る、そういうまさに理想的な日でもある。仕事というのは不思議で、どんどんこなすとどんどん増える傾向にある。留学前はそうやってかなり無理をしており、結果的に相当辛い思いをしながら仕事をするはめになった。やはり人間それぞれのスタイルがあるから、それにあった仕事量、やり方をしていかないと長続きはしない。
と、仕事帰りにコンラッドホテルおよびその隣のホテル・ビラ・フォンテーヌを覗いてみた。コンラッドはヒルトングループの創始者の名前を冠した最高級ブランドであり、どんなホテルなのかすごく楽しみであった。覗いたというのは文字通り覗いただけであったが、さすがの雰囲気、夜景を擁する一度は泊まりたくなる雰囲気であった。とはいえ、新宿のパークハイアット、六本木のグランドハイアットと極めて近い雰囲気であり、さらに丸の内のフォーシーズンズにも何となく似ていた。どういう点で「最高級」ブランドなのかは、泊まってみないと分からないのかもしれない。
その隣の住友ビルに入っているビラ・フォンテーヌはむしろびっくりした。というのもビルおよびフロントの吹き抜けの雰囲気は素晴らしいにも関わらずシングル一泊11000円(朝食つき)と極めて安いからだ。もちろん、部屋は見ていないが、インターネットも使い放題らしく、友人がビジネスで来た時には是非お勧めしたくなるホテルであった。東京に多数の場所があるホテルだったらしく、それを知らなかった自分も恥ずかしいが、それにしても伸びるホテルの貫禄十分であった。惜しむらくはせっかくロケーションがいいので、上の夜景のきれいなところに他のホテルとは違う、雰囲気はいいのに安い、バーなんかがあればよかったのにということである。
などといっちょまえにホテル評論家ぶっているが、僕は全然そういうことには疎い。東京生まれなので、東京のホテルに泊まるということもほとんどない。それでも、コンラッド、リッツカールトン、マンダリンオリエンタル等々という世界に名だたるホテルが東京に来るというのは楽しみなことであり、何か東京もようやく国際的だ大都市の仲間入りをしたようで嬉しい。これに負けず国内オリジナル組みも是非独自色を出して頑張って欲しい。ホテル戦争、大歓迎であり、他の産業も「守り」に入らずにどんどん競争して欲しいものである。それが消費者にとって嬉しい質の向上につながり、国際化も進むだろうからである。
人口減少
今日は台風が上陸しようかとしており、かなり気持ち悪い一日だった。それにしても、台風というのはどこでどのように発生して、どのように動いてくるのだろう。そう思って日常の周りのことを見てみると、実に知らないことに囲まれていることに気づく。
今日の夕刊にいよいよ人口減少時代を迎えるという記事が載っていた。男性に限っていうとすでに減少したそうだ。新しく生まれた子供の数も最低、わずか100万人強、僕らの世代から比べると半分近い。これは凄く恐ろしいことであり、我々を支える世代はもはやまったく頼りにならない数しかいないのである。それでなくとも、我々より上の世代が残した膨大な借金を我々は何とかしなくてはならないのに、下の世代も頼りにならないとすれば、実に負担が重く感じるのは僕だけだろうか。
ただ、嘆くだけでは何も始まらない。問題はこれの原因は何なのか、そしてどうすれば解決できるのかということを考えることである。それは結婚に関連することなのか、それとも出産に関連することなのか、子育て条件に関することなのか、あるいはそもそもの生理的変化や流行の問題なのか、社会的な貧富の格差の問題なのか、おそらくすごくたくさんの複雑な問題なのであろう。でも、少なくとも不妊治療を保険対象としたり、子供一人当たりの控除額を大きく認めること、独身者はその分税金を高くすることなど手段は必要なのかもしれない。もっとも、個人の尊厳に関わる話なので、決して強制すべきではないし、また結婚や妊娠はしたいけれどもできないという人がおり、そういう方々の悩みや苦しみにはきちんと配慮すべきである。
それにしても、難しい。。。。でも少しでも健康で幸せな子供が増えて欲しい。
小田和正
今朝、テレビを見ていたら小田和正の特集をやっていた。小学生の頃、自分が好きだった子が小田和正ファンでなんか嫉妬を感じたが、その後「さよなら」という音楽を聴いて、自分も好きになってしまったことを覚えている。ちょうど受験勉強をしていたころに、ラブストーリーは突然に、が大ヒットして、その時の自分とは正反対の華やかな世界を代表する歌のようで,少し憎らしかったことも覚えている。とにかく、一度聞いてもどの歌手だか声だけでは分からないことが多い中、一度聞いたら絶対に忘れない、その美しい声を20年以上も続けているすごい歌手だと思う。
その小田氏が、人生には「とにかく思い出をいっぱい作れ」と言っていた。人生を意義深くするための年配者からのアドバイスを僕は大好きなのだが、この一言はまさにそういう人生を送ってきた方からの、心に響く一言だ。人生の意義は、結局振り返ってどうだったかにあるのだろう。これは自分で振り返る場合もそうだし、周りがその人を振り返る場合でもそうである。祖母がなくなったときにも、愛犬が死んだ時にも、とにかく悲しみも、喜びも、すべてよみがえってくるのは「思い出」である。つまり、思い出をたくさん残した人は、それを通じて人の中で「行き」続ける。
彼はいつ自分の声が出なくなるか分からない、だから本番以外では無駄に声を使わない、しかし本番の時はえいやっと思いきり、今のところ声が出ている、といっていた。その顔は最後まで燃え尽きようとする男の素晴らしい輝きがあった。思い出をいっぱい作り、最後まで、燃え尽きるまで自分の好きなことを尽くす、今日の一言だった。