将来の自分へ 初心を忘れないために -5ページ目

テロが続く

ロンドンでの2回目のテロに続き、エジプトでもテロ事件が起こった。イラクでは憲法採択を前にしてテロが継続して起こっている。何人もの人の命が失われ、何人もの悲しみの輪がまた広がっている。さすがに電車の中でも女子高校生が「何でテロって起きるんだろうね、嫌だね」と会話しているのを耳にした。自国に関係のない国際問題にほとんど無関心の日本でこのようなリアクションが一般に広がっているのは、もはや自国に関係がない、という認識ではなくなってきたからであろうか。


自爆テロという手段は、同時多発テロ以前からイスラエルーパレスチナ紛争ではパレスチナ側のハマスなどが一般的に使っていた。しかしながら、同紛争ではどちらかというと親族や友人、仲間を殺された人たちによる個人的復讐という面が強かったのに対し、同時多発テロ以降はずっと組織的な面が強くなっている。実際、インドネシアでのテロは、アルカイダ系の組織が洗脳活動を行った影響を受けた若者が犯行を行ったらしい。おそらくはロンドンやエジプトのテロもこれまでとはだいぶ様相の異なる犯人像が浮かび上がるに違いない。


テロとの戦争というは易しいが、国対国の戦争とは根本的に異質な問題である。アメリカ人は「戦争」というと支持率を取れるため、戦争という単純な図式を単純な大統領が使っているが、決してそんな単純なものではない。国土もない、人種もない、つまり戦うべき相手はきちんとした姿を持っていない。そもそもアルカイダという組織自体、アラビア語で「基地」を指すといわれているが、アラビア語の一般的使用方法として「便器」を指すという人もいるくらい、おそらく米国あたりがつけた俗称によって総称された組織集合体・ネットワークのにすぎない。つまり、そもそも壊滅することができない「組織」なのである。それを組織であるかのように言っているのは、「敵」を作ることによって軍隊や戦争を正当化する米国と、それによって自らの活動を正当化している「テロ」側の都合が大きいと思われる。といっても、僕も別にテロの専門家ではないため、それすら正しいかどうか分からない。つまり、結局のところ、実態不明の、組織かどうかも分からない、ネットワークかどうかも分からない、ビンラディンの指揮下にあるかどうかも分からない、ビンラディンという「リーダー」が生きているかどうかも分からない、そういう存在を我々はテロの象徴として実体化し、「戦っている」のだ。勝てるはずがない。


そもそも、国や「組織」ではない以上、まず最初に彼らを死を賭してまでテロ行為に走らせている原因を突き止めなければこの「戦い」は終わらない。その原因を突き止めるには彼らの生まれ育った環境や文化、人種、宗教観など、彼らを型づくっているものを理解しなければならない。しかし、人口の14%しかパスポートも持っていないという米国人がそれを理解するのは不可能である。キリスト原理主義のブッシュにもそれは絶対にできない。そもそも、ブッシュなどにとっては「テロとの戦争」もしょせんは政争の具の一環であるという面があるのだろう。僕はパレスチナに行って初めて彼らがイスラエル人相手に自爆テロを繰り返す気持ちが少し分かった気がした。つまり、あの荒涼とした土地に希望もなく閉じ込められ、そしてすぐ隣にかつて自国の領地であった肥沃で美しい土地があり、そもそもが絶望と怒りが簡単にこみ上げる環境なのだ。つまり、こういう環境が残っている以上、テロは決してなくならない。親の7光でいい学校に行き、牧場を所有し、石油や政界マネーで王様のような生活をしてきたぼんくら大統領には絶対解決のできない問題なのだ。


こういう環境をなくすにはどうしたらよいか、開発援助の意義付けという話をしたことがあるが、テロ防止という意味があると思う。そういう根本的な解決方法をずっと考えて生きたい。自分がどこまで役に立つかどうかは分からないが。



地震と「自分」

今日大きな地震があった。震度5強あったところもあったためか、電車は大混乱、静岡で法曹テニスの大会に出ていて他人事だった僕も、帰宅すると食器がこなごなに割れているというショックな状況が待ち受けていた。


僕は赤ん坊の頃から地震は全く怖くなかった。揺れがおきると大喜びではしゃいでいたらしい。今でも別に揺れそのものには恐怖を感じない。しかしながら、他の天災をはるかにしのぐ地震という天災の恐ろしさは小さい頃から数々見ている。日本海中部地震では沖からやってくる津波の映像とカールルイスでも逃げ切れないということを聞いて本当に怖くなったことを覚えている。神戸や新潟の地震は一瞬にして多くの人の人生を破壊した。サンフランシスコ、メキシコ、イラン、トルコなどの大地震も忘れることができないし、もちろん先日のインドネシア沖地震では空前の死者を記録し、改めて世界中に地震・津波の恐ろしさを知らしめた。


ずいぶん昔から東海大地震が起こるといわれており、高速道路のサービスエリアでそのことを説明する看板があって、子供心にもこれは大変なことだと思った。それから、20年が経ったが、未だに神戸と同じ規模の地震があれば東京では10万人以上が死亡するとか言われているものの、対策が20年分進んだとは到底思えない。もし、20年経ったのに20年分の進歩がないとすればそれは行政の怠慢である。とはいえ、こういうのは実際に起きなければみんなの心に油断が生じるし、たとえば予知能力ある人が、それがあと数時間後に起こると警告して回っても実際に行動をとる人はごくわずかであろう。


思えば人というのはこういうことは地震のみに限られない。自分のそれまでの経験や教育、経験に照らした最低限の防御は行うが、それを超える危険は備えないし、時には少し経験したくなってみたりしてしまう。

逆に備えていても防ぐことのできないのが天災の本質であったりもする。こうやってふと自分自身のことを考えてみても、食器が割れても、落ちるようなところに割れ物を置くのはやめようと思っても、水を準備したり、自身グッズを買ったりするところまでは気持ちも進まない。そうやって、短い先々のことをちょこちょこ手当てしながら何とかやりくりしているというのがかなり部分の人生の実態なのだろう。


しかし、時には2,30年単位の先のことまで少しじっくりと考えてみることも必要だ。僕自身でいえば、思いもよらなかった浪人という事態を受けて、30歳までの人生は1年かけてかなりじっくり考え、それが今振り返るとその後無駄な人生をここまで過ごすことのなかったことの最も大きな理由になっていると思う。目の前のことの持つ意味を、20年後の自分の目から振り返って見るとどうなるか、この難しい思考を働かせることによって解決する問題もたくさんあるのではないか。少なくとも、僕は目の前の悩みには常にそういう解決方法を探ろうとしている。苦しい時、悲しい時、まわりのアドバイスや愛犬、自然、映画、カラオケ、何かが救いになることはあると思う。しかし、最後にはそれを解決できるのは「自分」しかいないのである。しかし、同じ自分でも、子供の頃の「自分」と今の「自分」は違うし、あるいは昨日の「自分」と今日の「自分」すら違う。そういういろいろな「自分」の助けを借りて今の「自分」のつらさを解決してみてはどうだろうか。

人徳

僕が所属している法律事務所の大貫弁護士のマネージング・パートナー就任パーティーがあった。僕は現在事務所からは5年強離れている身ではあるが、お世話になっているという恩義や、仲間と思える素晴らしい人々がいるために、顔をちょこちょこ出している。今日は、友人関係を中心にお祝いをしようと盛り上がった結果のパーティーであったため、事務所から顔を出したのは僕だけで、あくまで同弁護士の「仲間」の集まりであった。


それにしても、国会議員4人をはじめ、それぞれの分野で大活躍をしている面々が集まっており、すごい会だった。みんなが口々に言っていたのは、そして僕も同意したのは、「人徳」という吸引力だ。僕は、実は同弁護士は結構ナイーブで、あの明るさと周りを決して不愉快にさせない外観を維持するために、相当に無理もしているのではないかと心配している。それは、ある日曜日に事務所でひどく疲れていた表情を見せていたことがあったからだ。しかし、どんな人間だって、100%素直に生きている人間などいるはずもなく、さんざん悪口を言っていた上司が目の前に実際にくれば笑顔で挨拶をしたり、投げ出したい時でも「やります」と無理を言ってしまったりすることはいくらでもあることであろう。つまり、無理をしようがしまいが、それだけ周りを引き付け、和ませる人というのは本当にすごい。


人間社会は非常に疲れる世界である。人間は本能的には利己的であり、互いに生存競争をする運命にある。それを理性が押さえ、教育や経験などが「共存」の心を育んでいるに過ぎない。だから、赤ちゃん、小さい子供、理性の弱い大人、あるいは理性が弱まってきた老人などは、本能が強くて極めて利己的になる。あるいは、生存競争意識の強い人も利己的になる傾向がある。だから、そういう社会で生きていくというのは大変なのだ。その中で、確かにときどき「オアシス」のような人がいる。疲れている時でもその人の顔を見るだけでなんか癒されたり、逆に元気付けられたりするのだ。これは、当該本人の努力もあるだろうが、やはり生まれ持った「人徳」みたいなものを感じる。おそらくは、本来的に利己的な中に、本来的に利己的ではない部分を持った人がそういう存在になっているのではないだろうか。


僕はどう頑張っても、生まれ持った「人徳」的な人間ではないから、せいぜい頑張ってやれるのは、そういう本来的「人徳」人間の方の生き様を少しでも「学ぶ」ことであろう。それでもいい。


いずれにしても、おめでとうございます。大和魂をもって、日本の未来を築く、そう語り合ったことを心に刻んで、先生の人徳に答えたいと思っています。

お役所

役所に入って約2年。もともと、僕は中央官庁に入ることも考えていた。日本のために働きたいという

思いを抱いていた僕としてはそれは自然な気持ちだった。しかし、エリートの象徴であった大蔵省の役人が次から次へと逮捕され、厚生省や労働省、文部省などと、次々に逮捕者を出す事態に、その思いは消えた。何よりもショックだったのは、その人が逮捕され、首を切られたとしても、何事もなかったように動いている状況に、あまりに個人の存在が軽いように感じてしまったことだった。


役所に入ってみて最初はショックの連続であった。何よりもあまりに非効率なシステムに驚いた。また、民間から見ると、何かをやって欲しいと言った時に、次から次へと担当をたらいまわしにされたり、一向に反応がない状況が続いたり、ひどく威張っていたり、そういういわゆる「お役所」のイメージがあるが、それがあたっていることが中から見ていてもたくさんあった。実際、電話の対応などを見ていると、ああこれがまた民間のイメージを下げているなあと思うこともあるし、「一般人」を見下げているなあと思うこともある。大臣出張には大名行列、硬直的な上下関係等々、民間のいわゆる「再建家」さんが入ったらおそらくめったぎりにされるのは間違いない。


しかしながら、外からは見えなかったプラスの面があることも気づいた。まず、私が驚いたのはいわゆるノンキャリアと呼ばれる方々の能力と人格の高さである。キャリアとノンキャリの話はもちろん大きな問題になっていたから、知識としては知っていた。しかし、正直世界広しと言えどもこれほど不当な制度はないのではないかと思えるほどである。たとえば、どう考えても管理職になる能力のない人もキャリアというだけでそこまではほぼたどり着けるし、誰もが有能であると認める人でも、キャリアではないというだけで、無能なキャリアより出世がかなり遅くなる。特に有能なノンキャリアの人が、無能な自分より若いキャリアの部下になってしまった時は本当に悲惨である。たとえば、僕ならとても耐えられそうにない。でも、そんな不合理な制度の下でも、実に素晴らしい人が多い。私が役所に入って、この人は凄い!と思った人の半数は実はノンキャリアの方である。


検察官には特任検事という制度があって、検察事務官という司法試験を通っていない、別ルートで入り口は抜けた人が、途中でいわゆる司法試験を通った検事と同様に検事として働くことのできる制度がある。私が知っている特任検事の方は、素晴らしい実力とモチベーションを持った方ばかりであった。キャリア、ノンキャリア制度は時代の遺物として廃止すべきだと思うが、仮に存続するとしても、まずはこのような途中での昇格を認める制度を導入すべきであり、また管理職になるためにはキャリアであってもそれなりの審査を要求すべきであると思う。実は、このような改革は、単に官庁内の話のみにとどまらず、ひいては国家の未来に関わることなのだ。


いずれにしても、こういう内部を見るにつけ、本当に経験できて良かった。そして、いずれどんな人でも国家・天下のことを思い、頑張った人が頑張った人だけ報われ、それが国を良くして行くと言う好循環を作ることに関わることができたらと切に思う。

今の仕事

僕のやっている仕事は弁護士としては今まであまり例のなかったものだ。知っている限りでもこの分野をやっている人は数人しかいない。


僕らの世代は80年代、つまり青春期がまさに米国との通商摩擦の時代に重なっている。その頃、大和魂をこよなく愛する僕としては、米国の一方的な脅しをかけたやり方に純粋に怒りを感じていた。そもそも、日本は資源を有しない、貿易によってしか国の未来をかけることのできない国である。しかも、純粋な物の貿易だけではなく。投資や知的所有権、サービスなどでも、原則としては、門戸を閉ざすのではなく、むしろ他の国の門戸を開かせることを通じて国の未来戦略を立てるべき国である。そのための体制作りには、国際ルールや条約交渉、あるいは国対国の国際紛争をきちんと戦えるだけの法的素養や専門性が必要なはずである。それにもかかわらず、役人がそれを処理し、弁護士が関わっていないのはどうしてだろうと純粋に疑問に思っていた。この思いは、米国ではこのような交渉や紛争には弁護士あるいは弁護士の経験を有する役人たちがやっているということを聞くにつれ、強まっていった。


そして、留学前の数年間、渉外弁護士をやりながら、僕は金をもうけるということには全く興味を見出せず、むしろ正義や国の未来といったイデオロギーや歴史の構築にこそ自分の生きがいを感じた。その時、日本にとって何が大切か、どのような人材がかけているのか、自分には何ができるか、何をしたいか、など様々な問いを通じてでてきた答えが今の「通商」という分野であったのである。膨大な量の英語文書を読み、書かざるを得ず、常にアップデートが必要で、しかも金銭面では全く明るい見通しのないこの分野をやるには、よほど興味があるか、あるいはこのような大義を感じてなければとても続けることはできない。それでも、訴訟や仲裁など国際紛争の経験もあり、他の弁護士業務も分野としてはだいたい経験し、留学もほぼこの分野に注力し、国際機関研修も経験し、世界中にこの分野での友人がいる、という自負と、自分が頑張ることによって国が良くなるという盲信のみが、僕を支えている。別に残業代がつくわけではないが、そんなことは全く気にしたこともない。研究者として名を売ろうと思ったこともない。弁護士として仕事をとることを目的化したこともない。それもこれも、僕が頑張ることによって、少しでも国が良くなり、みなが幸せになればいいなという思いからだ。あるいは、今もしくは今後、日本がこの分野できちんとした専門性や真剣さをもって対応しないと、日本の将来をだめにする可能性があるという危機感からだ。


とはいえ、正直、あれだけ大変な思いをして受かった司法試験後、僕の同期の弁護士は僕よりはるかに良い給料を手にし、一緒に飲んだりすればあまりの羽振りの良さの違いにがっくりくることもある。良い家に住み、良い車に乗りというような世俗的な欲求は人並みにある。しかし、僕が今政府の一員になって仕事をしていることに全く後悔はない。それどころか非常にやりがいを感じている。上司や同僚、他省庁のカウンターパートにもすごく恵まれている。だから、このような生き方をしている自分を半ばあきれながらも、これを天命と思って頑張れるのだ。ありがとう。感謝の思いを抱きながら、今後とも自分の信じる道を生きたい。


日本百名山

日本には山がそれこそ「山ほどある」。もののけ姫の世界にも描かれているように、大昔は信仰の対象として崇められ、未だに神社や祠が祭られているところも多い。基本的にはそこにランク付けなどはなく、一つ一つが個性を持った山だったはずだ。しかし、深田久弥が雑誌「山と高原」に連載していた「日本百名山」が昭和39年に刊行されると、徐々にそこで指定された100の山があたかも日本を代表する山々のようなステータスを持ち始め、自分の目標を100名山制覇、そしてその「偉業」(?)をホームページで公開している人も多くなった。さらに、この深田久弥を愛する人たちで結成された深田クラブというところが200名山を指定し、日本山岳会が300名山を指定している。突如として山々にくっきりとしたランク付けがなされたのだ。こういう選定に対して納得のいかない人もいるかもしれないが、ランク付けというのは恐ろしく、いったんなされるとそこに目標を見出す人たちによって加速的に権威付けがなされる一方、されないと人々の視野から外れることになる。

といいながら、実は僕もランクには弱く、百名山はあっという間にほぼ記憶してしまい、かなり魅了されている。

一生かけても、少しでも多く登りたいと思っていたりもする。

今日は赤城山に行った。日本を代表する任侠、国定忠治の舞台でも有名なところである。関越自動車道を行くと、群馬に入るあたりから裾野の長い赤城山がその雄大な姿を見せ始める。上毛3山の中でも唯一「百名山」に入っているだけあって、明らかに存在感がある。日本の多くの山は山脈の中の一つの峰に近いようなところだが、赤城山は富士山と同様、一つで山を形成している。そこに山としての個性が強く感じられるのだ。

それだけ小さい頃から幾度となく見ている赤城山であったが、実は登るのは初めてであった。といっても、登ったのは車で行けるところまで。天気が悪く、道も悪く、時間も遅く、山頂まで行くことはできなかった。しかしながら、雰囲気は楽しめたし、湿原の自然も見事だった。人にはいろいろなリラックスや気分転換の方法があるだろう。僕の場合は、小さい頃から自然に親しんでいたためか、明らかに自然や緑を見ることが最良の道だ。都心のコンクリートの無味乾燥な「林」は疲れる。生きている自然に囲まれることは彼らから生きる力をもらえるかのような気がする。

日本はあまりに自然を壊しすぎた。先祖から引き継いできた美しい国土が、無能かつ悪質な建設族や農林族のためたちにどれだけ回復不能にされてしまったことか。税金の無駄遣いも許せないが、回復されえない自然は、長い歴史を無駄にし、後世にわたってその負を残すという意味で、はるかに許せない。未来の子孫達にも僕らが楽しむことのできた美しさを引き継ぎたい、そして僕らと同じように必死に生きている動植物を同じように守りたい。


いま、会いにゆきます

趣味は?と聞かれていろいろと答えるという話はしたが、「映画」というのを趣味に入れていいかどうか悩む。いわゆる「映画好き」を自認する人たちにもいろいろな人たちがいて、マイナーなものまですべて見尽くして自分だけのいい映画を見つけようとしたり、あるいはそう称しているだけの人もいるだろう。僕の場合は明らかにミーハー系であり、良さそうなもの、あるいは有名なものはすべて見るという路線である。どうしても、心からではなく、頭から、あるいは知識から入ってしまうので、自分でも真に映画好きなのかどうか自信がない。でも、いい映画はいい、それだけである。


今日見たのは、やはり話題作(といってもレンタルで)「いま、会いにゆきます」だ。僕がその作品がいいと思うことの一つの指標に、題名がどこまでその内容のポイントになっているかということがある。その意味ではこの映画の題付けは素晴らしい。ほぼこの一言に内容が尽きているといっても過言ではない。映画の内容自体は、主演の二人のその後の展開を知ると、何となく意味合いに深さを感じてしまうが、基本的にはいわゆる純愛系である。最近の日本の純愛・感動系はことごとく誰かを死なせてしまうので、少しワンパターンじゃないか、生きている純愛というのはないのか!とも思ってしまうが、やはり「死」は感動を呼び起こす最大の舞台設定であり、また実際に人生のテーマなので、そこから抜け出すのはなかなか難しいのだろう。とはいえ、映画はいい映画だと思う。主演二人は結婚してしまうくらいだからやっぱり何か迫真の演技だし、子役も脇役も配置がいい。画面・背景も美しいし、あるいは物語に合っている。「今」ということの大切さも伝えてくれる。秘密も効果的に物語全体を彩っている。


運命的な「愛」とは何であろうか。親子の愛は宿命的である。なぜなら基本的にはそこに選択の余地はないからである。それをあえて宿命と呼ぼう。しかしながら、夫婦はあくまで夫婦になるまでは「他人」であった存在であり、たとえば「その人」でなくても選択の問題としては良かったわけである。その無数の選択の余地の中で一人を選ぶということは考えてみるとすごいことだ。そう考えると結婚に愛がある場合には、そこまでたどり着いた愛はすべて運命的な愛なのかもしれない。しかし、みんなが運命的な愛、という場合にはもう少し深いものをさしている気がする。それは、おそらくは、相手がどんな条件であっても、自分がそれによってどんなことになろうとも、「その人」以外の選択肢はない、という「愛」のことを指すのではないか。つまり、宿命に極めて近い、選択権のない世界の話なのだ。なるほど、こう考えると、3高!とかいって条件付けから入る世界には「運命的な愛」はない。


しかし、そんなことが本当にありうるだろうか。家が相手を決めていた昔の世界ならともかく、選択権のない世界などない。どんなに「運命的な愛」だと思って結婚しても、ほかの異性に心が揺れたり、相手を一瞬でも嫌いになったり、憎みたくなることも長い生涯にはあるには違いない。その相手ではなかった自分の人生を夢想することもあるだろう。僕の考える運命的な愛とは、そうではない。人間は誰しも死ぬ。その死を迎える瞬間に自分の一生を彩ったなあと思える愛、それが運命的な愛ではないだろうか。たとえば、夫婦であれば結婚まで至ることは、それをその後数十年続けていくことの難しさに比較すれば、たいしたことではない。その長い間、いろいろなことを乗り越えて最後まで行けること、これは単なる「どきどき」では不可能である。それを可能にするのは、振り返ってみれば「愛」なのではないだろうか。

留学

友人に留学のことを相談され、僕自身の留学経験の意味について考えてみた。 そもそも、僕は大学一年生の秋休みまで海外というものには行ったことがなかった。初めて行ったのはアメリカであり、サンフランシスコ、ワシントンDC、ニューヨーク、ナイアガラ、シアトル、ロス、 そしてハワイを一人で回った。最初の海外旅行、しかも英語もろくに使えない自分が一ヶ月これだけの町を一人で回るというのはかなり無謀な挑戦だった。すでに63カ国を回っている今から思うとおかしいが、家族全員があたかも戦地に赴くかのように見送りに来てくれ、そして赴く僕のほうもそんな気分だった。その時、一番感動したのが、DCのリンカーンメモリアルからモールを見渡した風景であり、ここにいつか戻ってくるぞと夕陽に誓ったことが、その10年後留学の地をDCに選ぶひとつの理由になった。


それからは海外に行く機会もあったが、やはり「住む」というとその不安感や緊張感はまったく違った。実際、家を探す、電話を引く、家具を買う、車を買う、授業の準備をする、さまざまな登録をする、免許を取る、等々、日本であれば何も難しくないことに四苦八苦し、最初の数ヶ月は「慣れる」ことの難しさに参った。授業の英語はまったく分からないのに、翌年からの法律事務所研修のための採用面接では、前期の成績次第だと脅され、国際機関(WTO)研修をするためにもやはり成績重視だと言われて、改めて日本の学歴などまったく通じないことを痛感するとともに、すごいプレッシャーの毎日だった。日本人の友人より、むしろ海外の友人となるべく付き合うように「努力」したが、砕けた会話になればなるほどついていけず、ついにはパフォーマンスでもして気を引かなければ、仲間の輪から離れそうになる状況がつらかった。たまにしゃべる日本語、たまに食べる日本食は、本当にほっとするものであり、ついつい流れそうになるが、それではいけないと必死に歯を食いしばって、外国の友人や先生やテレビ番組や字幕なしの映画や、そういうもののみを自分に課した。


2年目には同時多発テロがすぐ身近で発生し、炭そ菌事件なども起こった。20万人が参加した反戦デモにも参加し、戦争についてずいぶんと米国人や米国にいる他国の友人と議論した。外国人の友人はいまや世界に散らばって世界のどこにも友人がいるような気がする。そして、米国で出来た日本人の友人も熱い友人が多く、今でも僕のエネルギーを活性化させてくれる貴重な存在である。


何よりも祖国のことや世界のこと、自分の人生のことを客観的に見つめ、一生懸命考える時間と機会と環境があった。


人生は一回である。それをどう生きようとそれは自分の選択である。しかし、誰にだって人とは違う何かがあるはずであり、この世に生を受けた何らかの理由があるはずであると僕は信じる。日本は素晴らしい国であるが、この国における「当たり前のこと」は必ずしも他の国では「当たり前のこと」ではない。つまりこの国の中のことをすべてだと思っていると、それはまさに井の中の蛙なのである。自分が思う自分や日本にいる自分は、海外から見た時、海外に行ったとき、「自分」ではなかったことに気づかされることもあるかもしれない。日本人であるというだけで、その現地では人とは「違う」人種や文化が自分にはあることを意識させられる。この「違い」を認識するだけでも、大きく成長するきっかけになるはずだ。


そうでなくとも、日頃から素晴らしい逸材であると思っている友人には、さらに自分の人生の意義を見つめ、より一層輝き、さらに周りを魅了する存在になって欲しいという僕の希望からも、そして僕自身の経験からも、是非留学という選択肢を取ってほしい。そして、一人でも多くの日本人が、「遊びではない」真面目な留学を大変してほしい。

宇宙と烏帽子岩

今日、スペースシャトルの打ち上げが延期になった。日本人飛行士の野口氏も6年越しの夢を実現するはずであったが、またしても延期になってしまった。彼のすごいところは、小学1年生の時から、夢は宇宙飛行士であると書いていたところである。子供の頃からの夢を実現できる人は、本当に一握りの人だろう。子供は自分の能力の限界や大人からのプレッシャーを感じることなく純粋に夢を語ることができる。しかし、選択肢に関する知識も少ないから、どうしても無理筋の夢を語ってしまうともいえる。その中で、小学1年生から「宇宙飛行士」と答えたこと自体驚きだし、それをずっと追い続けるという根性、そしてそれを実現する実力、どれも本当に驚かされる。


しかし、僕が何よりも感動したのは、烏帽子岩のワッペンだ。野口氏は茅ヶ崎市出身であり、友人に何かお守りかつ仲間にプレゼントできるものをデザインしてくれ、とお願いしたらしい。頼まれた友人達は、宇宙に旅立つ友のことを思い、茅ヶ崎の象徴である烏帽子岩をあつらったワッペンに、乗組員一人一人の名前を刻んでプレゼントした。そして、今日飛ぶことはできなかったが、乗組員達の胸には、それも全員の胸に、あの烏帽子岩のワッペンが縫い付けられていたのだ。烏帽子岩が宇宙にみんなの夢を乗せて飛び立つのだ。この話を聞いた瞬間本当に涙がこぼれそうになった。


人の気持ちは本当にありがたい。昔、留学中に今は亡くなった祖母が一時帰国する僕のために、足も不自由で車椅子で動くのすらすごく大変だったのに、わざわざ近所の有名なおせんべい屋さんに行っていたらしく、お見舞いに行ったら逆にそれをおみやげでくれた。おせんべいが好きであったということを覚えていてくれていたことだけでも感動的であるのに、それを留学中できっと恋しく思っているだろうと思ってくれ、相当な無理をして買っていてくれていたのだ。祖母はそれから数ヶ月して亡くなった。しかし、その優しさは永遠に僕の中では生き続け、そして僕が人に優しくできること、いずれできるかもしれない子供や孫にその優しさを伝えていくことが、祖母に対する最大の恩返しだと思っている。そんなことを改めて思い出せてくれた「優しさ」に関するエピソードだった。



悩み

今僕は悩んでいる。それは人生設計のことである。もともと、大学に入る前にだいたいの自分の人生設計を行い、途中若干の変更はあったもののほぼ自分の目標と夢を実行してきた。法律家になること、大きな仕事をすること、留学すること、国際機関に行くこと、そして役所に入って日本のために仕事をすること、これらはすべて大学時代には自分で考え、その時にはとても実現できないような「夢」みたいな存在であったが、時には倒れるくらいの努力を継続して実行してきたのだ。しかしながら、これからの目標は、それまでのように今ひとつ絶対的な自信がない。


そもそも、僕は新しいことに挑戦することに何よりもやりがいを感じる。それはやったことのないことにはひょっとしたら、今よりももっともっとやりがいを感じるという「可能性」があるからだ。逆にこれまでそこまでこれで一生行こうと思ったことがないというのは、天職にめぐり合っていないのではないかと思ってしまう。おそらく、多くの人が仕事について、これが「天職」と思ってしているのではないのだろう。ただ、何となくそれが生活の手段だからということで継続しているに違いない。しかし、たった一回の人生、仮にそれが失敗に終わるとしても「おれはこれをやるために生まれてきたのだ!」と思いたい。そうやって燃え尽きたい。ただ、それだけなのだ。逆説的ではあるが、死ぬまでに自分が生まれてきた理由を知っておきたい、そういう思いなのだ。


今日、日本のためを思って活躍しているファンドの社長と話をする機会があった。その時、出た話は坂本龍馬と中岡慎太郎の話であった、二人が一緒に暗殺された時、坂本は33歳、中岡は30歳であった。二人が凄かったのはその年齢で二人は誰よりもしっかりした国家展望を起草し、しかも予想される新政府の内閣名簿には自分達の名前を入れていなかったということだ。この二人の話を聞いて、その後の明治、昭和の政治家と今の政治家を比較すればいかに二人が偉大だったかがわかる。


日本は偉大な国だと思う。昭和の侵略戦争とバブル後のどうしようもな時代を除けば、素晴らしい歴史を持ち、そして素晴らしい文化を持っている。しかしながら、今は800兆円もの借金を返す当てもなく膨らまし、今後も減る見込みがない。少子化や他国の台頭もある中、具体的な国の方向性は見えていない。もはや借金を膨らませるしか能力のない国の「リーダー」たちは要らない。僕にはどれだけの力があるか分からないが、とにかく自分達の子孫に、自分達が引き継いだ素晴らしい国、歴史、文化を無事引き継ぎたい。そのために歯をくいしばるのだ。