あの頃仏映画は輝いていた――アラン・ドロン逝く
フランス映画(仏映画)の黄金期≒1960年代のスターだったアラン・ドロンが先日(8月18日)亡くなった。88歳だったという。世紀の二枚目と言われ「クールとは違う冷たい美貌」の持主だったように思う。小生が、はじめてアラン・ドロンの映画を見たのは、たしか高校1年生のとき、TVの深夜の洋画放映?の『太陽がいっぱい』だったと思う。とくに、ドロンが、署名=サインを偽造する練習のシーンが印象に残っている。https://www.youtube.com/watch?v=HgbtspZOBEMその当時は、なにか鬱屈していて、アルベール・カミュの『異邦人』や『シーシュポスの神話』などを読んでいた小生にとって、この映画は、『異邦人』の匂いがした。そう、精神のアナーキーな青春、生への疑問、死の匂いがする生の受容、・・・ だったのかも。さらに言えば、この『太陽がいっぱい』(原作:リプリー)は、モンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラー主演のアメリカ映画『陽のあたる場所』(原作:アメリカの悲劇)がそのベースにあるという。なお、石川達三原作・萩原健一主演の『青春の蹉跌』も同様のモチーフだったように思う。アラン・ドロンは、他にも多くに映画に出ているが、日本では、ダーバン(レナウンの紳士服)のCM(♩ダーバン・セレリガン・デラ・モデルネ?)とダリダとの歌(「甘い囁き」=の囁き:パローレパローレパローレ~♪エクルト・モア?)が印象に残っている。 ※ なお、ダーバンのCMでのアラン・ドロンの決めセリフは、 「D'URBAN, c'est l'elegance de l'homme moderne.」 (ダーバン、セレレガンス、ドゥローム、モデルヌ) =「ダーバン、現代を支える男のエレガンス」 だった。 このCMは大好評で、以後、11年間もつづいた。1980年代にアラン・ドロンが来日したとき、京都(金閣寺?)にも来たらしい。アラン・ドロンの座った椅子というのが、立命館大学衣笠校近くの観光道路と馬代通りの交差点にあったカフェ(今はない)にあったのを覚えている。まあ、それだけ日本でも人気だったのだ。なお、『太陽がいっぱい』の流行った時期は1960年代後半だが、1960年代後半といえば、のちに「1968」(1968年)と言われるように、世界的にも若者が(学生が)荒れた時代だった。パリの五月革命、日本では大学紛争(全共闘)、ベトナム反戦運動(べ平連)、などがあった。「そんな時代もあったのだなぁ」と、同時期の高石ともやさんの訃報にも接して、やや感慨深く、振り返ってみた。 まとめに一句 星屑が涙のごとく若さ降る ひうち