名建築シリーズ51
横浜人形の家
℡)045‐671-9361
往訪日:2024年1月6日
所在地:神奈川県横浜市中区山下町18
開館時間:9時30分~17時(月曜休館)
観覧料:企画展によります
アクセス:みなとみらい線「元町・中華街駅」から3分
駐車場:有料(500円/h)
■設計:阪田誠造(坂倉建築研究所)
■施工:竹中工務店
■竣工:1986年
📷館内撮影OK
《朝日に耀くメルヘンの館》
ひつぞうです。一月初めに山下公園前にある横浜人形の家を訪ねました。おサルたっての希望でしたが、調べてみると坂倉建築研究所の設計。まずは建築散歩することに。以下、往訪記です。
★ ★ ★
建築探偵紛いの活動を始めて、少しだけアンテナの感度が良くなった気がする。今回の横浜人形の家は真珠王・御木本幸吉の通訳をつとめた大野英子氏のコレクションが母体。才能を見込まれて、戦前は銀座系列店の店長も任された。1961年に元町通りに自身の店《大野真珠店》を開業。主なき後の2012(平成24)年にその歴史の幕を閉じた。
英子氏の趣味のひとつが人形蒐集だった。遺族から横浜市に寄贈されたその数は2000体以上。のちの専門美術館建設の契機となった。時代も良かったのかも知れない。
午前中のフランス橋からの眺望。建物の裏面にはファザードの連なりをイメージしたデザインが施されている。ドールハウスを思わせる温もりのあるピンクの意匠。京都国立近代美術館との類縁性から槇文彦先生かなと思ったが、そうであればガラスを全面に出すかもしれない。大きな箱と空間のイメージ、原広司先生か。
「結局どーだったの」 眉唾くさいにゃ
全然違った。坂倉準三亡きあとの坂倉建築研究所のデザインだった。
「そんなもんであろー」 所詮シロウトだし
そこが愉しいところなんだよ。間違っててもいいの。でも悪くないよ。この建物。(※その後調べているうちに、阪田誠造氏ほかのメンバーで設計されたことが判りました。)
近所の旧横浜市西分庁舎の前にアメリカ人宣教師のヘボン博士邸跡があった。ローマ字の父だ。
このあたりはかつて外国人居留地だった。
正面入り口は二階にある。赤いフレームに総ガラス張り。美しい。よく観察すると透明ガラスと反射ガラスが使い分けされていることが判る。
この日は企画展《不思議の国のアリスと人形》が開催されていた。
スイスの民族人形がモチーフのブロンズ像。なんかあんまり可愛くない(ごめん)。
人形の家と山下公園を繋ぐポーリン橋。日米友好の証しとしてアメリカから沢山贈られた“青い目の人形”。その一体の名前にちなんで命名された。形式は上下部ラーメン構造の三径間連続鋼床版箱桁。これも概略パースは坂倉建築研究所が当たったとか。
波打つような曲線桁なので製作難度は高い。ペデストリアンデッキは板厚も薄く、歪み矯正が大変だ。実は横浜市臨港部には構造屋の眼を惹く歩道橋が多いことで知られる。
路面はこんな感じ。奥のパーゴラに誘われる仕掛け。
山下公園にも行ってみた。朝一度、ジョギングで来ているのだが。
このあたりはバルセロナのグエル公園(ガウディ作)に似ている。
「姉妹都市?」
でもないんだよね。くどいけれどここも坂倉建築研究所のデザイン。
この一段下がヘビ(それともトカゲ?)の頭になっている。渇水期だから?噴水も流水も停止中。
開館時間になったので入館することに。(展示のメモは次回)
内部はごくシンプル。階段部分に意匠性を感じた。
坂倉イズムだろうか。壁面は打ちっ放しコンクリート。そこに壁龕めいた飾りが施されている。これは吉阪隆正のアテネ・フランセや(鈴木京香さんがオーナーになった)ヴィラ・クゥクゥの意匠にむしろ近い。箱抜きの作業は極めて大変だったらしい。
ご覧のとおり、下り階段が二重構造になっている。坂倉の代表作のひとつ東京日仏学院に二重螺旋階段がある。あれを思い出した。ここは垂直構造だけど。
「別の理由があるんじゃね」
よく判らんかった。
階段裏面は化粧板をやめてそのままに。前川國男などル・コルヴィジエ門下に見られる処理。
女性や子供など訪れる客層を意識してデザインしたのだろうか。オシャレで遊び心が溢れていた。次回は展示の模様を。
「相変わらず長いにゃ」
(つづく)
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