名建築を歩く「アテネ・フランセ」(東京都・神田駿河台) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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名建築シリーズ19

アテネ・フランセ

℡)03‐3291‐3391

 

往訪日:2023年5月28日

所在地:東京都千代田区神田駿河台2‐11

開館時間:関係者以外は入館不可

アクセス:JR中央線・水道橋駅から徒歩約5分

■設計:吉阪隆正

■竣工:1962年

 

《駿河台に立つ奇抜なデザイン》

 

ひつぞうです。今夜は山の上ホテル滞在記のオマケ備忘録を。神田駿河台には由緒ある名建築が点在します。そのひとつ、ル・コルビュジエ門下だった吉阪隆正(1917-1980)の代表作のひとつアテネ・フランセを見学しました。以下、ヒツジの街歩記です。

 

★ ★ ★

 

二日目の早朝、山の上ホテルを起点にジョギングした。それには別の目的があった。明大アカデミーコモンの裏を抜けて、とちの木通りを西に走った。足の調子は今ひとつだったが、天気は良く、気持ちのいい朝だった。間もなく、小豆色の尖塔が見えてきた。これが目当ての名建築アテネ・フランセだった。

 

 

1913年創立のフランス語教育の老舗。実はこの意匠をル・コルビュジエの許で学んだ建築家のひとり、吉阪隆正が担当していた。

 

「前川國男とか坂倉準三とか」サル

 

そうそう。覚えてきたね。

 

(写真はネットよりお借りしました)

 

早大理工学部を卒業した吉阪は、のちに建築家の道を歩むことになるが、学生時代に山岳部にどっぷりハマったことでも知られている(昭和35年のマッキンリー早大隊を指揮)。その縁だろうか。昭和38年には涸沢ヒュッテ新館を設計している。山をやっている人なら知っているだろう。受付や食堂のある最前の建物だ。他には、青いドームが眼を惹く妙高山の基地、黒沢池ヒュッテなど。意外でしょ?

 

「ふーん」サル 泊ったけど気づかんかったにゃ

 

おサル、酒飲んですぐ寝たからね。自炊だったし。

 

 

1962(昭和37)年竣工のこの学院。ぱっと見では三つに見えるが、オリジナル部と増築部で構成されている。最初に金属的な外装が眼に飛び込んでくる。

 

「奇抜だの!」サル

 

こちらは一年後に増築された特別教室群だ。どちらも同じ吉阪のデザインだよ。昭和30年代だから、相当話題になったのではないかな。

 

 

そして、ここが当初竣工部分。尖塔を戴く棟と、ショッキングピンクの棟は同じ建物。まだ開校前なのでシャッターが下りているが、円盤の断面のようなファザードが印象的だ。側面に、智慧と芸術、そして闘いの女神アテネの横顔もみえる。

 

「なにも知らなかったら、ただの派手なビルにしか思えん」サル

 

確かに。

 

 

この色ももちろん吉阪の指定。“アンデスの夕陽”と言われる。また、コンクリートに穿たれた文字も特徴的。これはテンプレートにスプレーを吹きかけて作る文字、俗に云うステンシル・フォントだ。工事現場の部材などに印字する際によく使われる。それをネガとポジを反転するように、繰り抜いて意匠にしたあたりが、吉阪の遊び心なのだろう。

 

 

ほら、よく見て。女神アテネの横柄が繰り抜かれているでしょ。

 

「ただの孔かと思っただよ」サル

 

ちなみに(少し判りづらいが)2枚目の写真にあるように、尖塔に先端にたつ避雷針には、やはり智慧と学問の象徴であるフクロウがデザインされているよ。

 

当学院ではフランス語の他にギリシャ語、ラテン語などが教えられている。過去の受講生は、フランス文学者の辰野隆鈴木力衛、そして、谷崎潤一郎佐藤春夫澁澤龍彦、画家の岡鹿之助など錚々たる顔ぶれ。今でこそ、ネットで気軽に語学学習できるが、昔は直接教授法しかなかったしね。

 

「ふむふむ」サル

 

吉阪作品は現存作品が少ない。そうしたなか、俳優の鈴木京香さんが、吉阪のVILLA COUCOUを自ら買取り、一般公開を視野に改修しているというニュースは心を打ったね。

 

★ ★ ★

 

もうひとつおまけ。

 

こちらは同じ、とちの木通りに並ぶ旧文化学院だ。

 

 

1921(大正10)年に、実業家・西村伊作や、与謝野鉄幹、晶子夫妻、そして、画家の石井白亭などによって設立された自由学園。主に芸術系の学科に力をいれていた。卒業生は芸能、文芸関係者が多く、古い処では黒沢作品を多くてがけた脚本家・菊島隆三、女優の高峰秀子。そして、料理研究家の平野レミさんなど枚挙に暇がない。

 

「寺尾聡さんも」サル そーらしい

 

 

設計は西村本人。残念ながら英国風の初代は関東大震災で焼失。これは1936(昭和11)年完成の二代目。かつては奥に四階建ての、緑青色のフランス窓が美しい瀟洒な鉄筋コンクリート造の校舎が立っていたが、2018年に閉校されたのち、正門だけが残り、後背に立つ新たな高層ビルとともに現在はBS11放送の本社となっている。見学はできない。

 

「なかなか帰ってこんと思ったら」サル 取材しとったんかい

 

太平洋戦争中は文化学院が捕虜収容所とされたため、山の上ホテルが空襲を免れたというエピソードが残っている。一方のアテネフランセの初代の建物は焼けてしまった。その“お陰”で吉阪隆正の名作が生まれたのだから、縁とは不思議なものだ。

 

「以上、ヒツの建築マニアレポートですた」サル

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。