サルヒツの温泉めぐり♪【第166回】
鎌先温泉 湯主一條
℡)0224‐26‐2151
往訪日:2024年1月2日~1月3日
所在地:宮城県白石市福岡蔵本字鎌先1‐48
源泉名:鎌先の湯(薬湯)
泉質:ナトリウム‐塩化物・硫酸塩泉(自家源泉)
泉温:(浴槽)約47.5℃(源泉)27.8℃
匂味:無味無臭
色調:無色透明
pH:6.8
湧出量:不明
その他:動力揚湯、加温、かけ流し
■営業時間:(IN)15時(OUT)10時
■料金:モダン和洋室34,000円(税別・正月料金)
■客室:24室(各種あり)
■アクセス:東北道・白石ICから約15分
■駐車場:40台
■国指定登録有形文化財(2016年)
《モダンと歴史が同居する》
ひつぞうです。中山平温泉の琢ひで投宿の翌日は、同じ宮城県内の鎌先温泉の老舗、湯主一條に向かいました。鎌先温泉の象徴ともいうべき木造四階建ての湯楼と、都会的なラグジュアリーステイが人気の宿です。以下、往訪記です。
★ ★ ★
前年のGWに鎌先温泉の最上屋旅館を訪ねた。灰褐色に濁った鉄分豊富な自家源泉が自慢の宿で、終日ゴロゴロして日頃の憂さを晴らしたのを覚えている。翌朝早朝に温泉街(といっても半径50㍍程度だが)を散歩したところ、坂を登った奥の一角に、木造四階建ての湯楼が聳えていた。それが湯主一條だった。聞けばここも登録有形文化財。行くならば季節を変えて雪見の頃だろう。
「いこう!いこう!」
さて当日。白石ICで降りて雪を被った蔵王連峰に向かって田畑が広がる小高い平原を走っていった。
まもなく鎌先温泉に到着。湯主一條には専用駐車場がある。一時間以上早く着いたので、電話で断りを入れて、いつものように坂の多い丘陵地を往復一時間ジョギング。汗をかいたところでスタッフに迎えに来てもらった(歩ける距離ながら送迎サービスあり)。
温泉街が沢を囲んだ溶岩台地上にあることが判る。
記憶に新しい建物が見えてきた。昭和16(1941)年に建てられた木造の本館。平成の初めまで客室として利用されていた。現在は朝夕の食事処として活用されている。ホテルへの改築案も浮上したが、鎌先のシンボルを残して欲しいというファンの要望もあり、今も凛凛しく聳えている。
写真では伝わらないが結構な急勾配。御年輩はつらいかも。
「だから送迎つきなんだにゃ」
新館と繋ぐ空中歩廊を通過するとかつての玄関が見えてくる。ここは昔の儘。今はスタッフの勝手口になっている。
こちら現在の新館玄関だ。到着と同時に黒の制服で決めたスタッフ数名が恭しく出迎えてくれた。つい偉くなった気にさせられてしまう(笑)。
記帳して館内の説明を受けた。ウェルカムドリンクはオレンジジュースとビールから。
「ビール!」
肥るから飲まないって言ってなかった?
「飲めるときは飲む!」 チャンスは活かしゅ
それがおサルね。
なんてくだらない遣り取りをしていると、ひと際オーラを放つ女性が慇懃に挨拶にされた。女将の登場である。
「貫禄あるにゃ」
普段ならば老舗宿では旧館タイプを選ぶが、一條らしさが表れたモダン和洋室を選択した。
ここだ。縦長の建物に複雑な廊下や階段。敵を欺く城郭のような造りだ。この迷路のような設計は非日常を演出したもの。しかし、本当に迷ってしまうとは思わなかった。
「サルも」~♪
サルは方向音痴じゃん。最初から。
「…」 ←真剣に頭に来たらしい(あとで聞いた)
室内もまた非日常。
「美しいのう」
畳敷きの小上がりに炬燵が用意されていた。残念ながらこの角度では本館は見えない…。
夫婦二人で泊まるには十分。
(館内図)
客室と温泉、共用スペースの配置は御覧のとおり。浴場は両端に配置されている。
では温泉探検に出発!
=湯主一條とは=
■温泉
・薬湯(かけ流し)と洞窟湯(循環泉)の二源泉
■部屋
・和室、モダン和洋室、セミスイート、別館スイートの四種類
・本館の眺望はスイートが一番
■料理
・登録有形文化財で頂く極上のモダン懐石
・酒(一般流通銘柄)
■ホスピタリティ
・都心のラグジュアリーホテル並みのサービス
=温泉利用法=
■薬湯(男女別内湯+混浴露天)1F
・24時間入浴OK
・男女入替なし
・加温、かけ流し
・ナトリウム‐塩化物・硫酸塩泉
・鎌先の湯(薬湯)
・(源泉)27.8℃(使用位置)47.5℃(pH6.8)
■洞窟の湯 2F
・24時間入浴OK
・男女入替なし
・加温、消毒循環式
・単純冷泉
・洞窟の湯
・(源泉)10.7℃(使用位置)43.0℃(pH7.8)
■家族風呂…2組限定(有料1620円)
■日帰り利用…なし
洞窟の湯は循環消毒式の加温泉なので泉質は極普通。薬湯も無色透明な加温泉。鎌先温泉随一の歴史を誇りながら泉質は普通だ。それは認識しておきたい。この宿の魅力はミシュランガイド宮城三ツ星プラスの料理と豪壮な歴史的建造物、そしてラグジュアリーステイにある。ということで、まずはかけ流しの薬湯を狙おう。(ただし紹介の順序は逆になっている)
=洞窟の湯=
洞窟の湯は二階の一番奥。エレベーターはない。でもご安心を。風呂つきスイートが用意されている。我われノラのサルとヒツジには大浴場通いでちょうどいい。
脱衣場はかなり広い。
そして浴場も。
循環泉。もちろん飲んではいけない。
明治の頃に地元の親父が掘らせてくれといった処、本当に湯が出てきたというのがその名の由来。
浴場の正面に源泉を引いている洞窟があった。
隣りには露天風呂。屋根つきなので雨でも雪でも大丈夫。
そこそこイオン物質が検出されているのに“温泉法第二条に適合する温泉”とはなんとも控え目な。
では薬湯へ。
本当に迷路みたい。何階にいるのか判らなくなる。
ホール正面の螺旋階段をくだる。そこが薬湯だ。
「凝った内装だの」
現在の20代目社長の決断で、2008年7月に全面リニューアルしたそうだ。昭和テイストの外観から想像できないモダンな意匠。ホテル設計の実力派、石井建築事務所の仕事だとか。
=薬湯=
洞窟の湯同様に24時間入浴可能(男女入替なし)。
脱衣場はゆったり目の半円形のデザイン。
男湯は広め。析出成分が床に付着している。
こちらが洗い場。
泉質はいわゆる芒硝食塩泉。無味無臭。
「飲用不可だよ」 この野良ヒツジは…
化粧タイルが美しい。
モザイクガラスも。
女湯はこんな感じだったそうだ。男湯の半分。温泉アルアル(笑)。
「差別待遇だにゃ」
いいんだよ。長湯しているのオサルだけでしょ?
「ほぼ独占状態」 ケケ
泉質は洞窟の湯と変わらないような気がした。
湯上がり処がめっちゃ広い。一條旅館の歴史が紹介されていた。
1428年にひとりの樵夫が鎌の先で湯を掘り当てた。これが開湯の伝説。一條家に伝わる《一條氏家譜》によれば、その百年余り後に京都から訪れていた開祖・一條市兵衛が湯宿の経営を始めたのが温泉宿の起源とされる。
仙台藩のお墨付きを得た一條家は、その後、武士と同等の扱いを受けて、村の統率者として代を重ねてきた。
小室達《乙女坐像》
「こんなところになぜ?」
銅像を眼にすると看過できない性格。これは青葉城の伊達政宗騎馬像で知られる(というよりそれしか知らない…)小室達制作の乙女坐像だった。東京美術学校彫刻科を首席卒業。天才と褒めそやされた逸材だったらしい。しかし、今ではネット上にも殆ど情報がない。
たしかに少女だな。様式としては近代彫刻以前か。表情が随分生硬だ。しかしなぜここに?。不思議。
そして大量のこけし。夜は怖くてダメかも。
談話コーナーが飛び飛びに。
夕食前に本館を探検しておこう。
廊下を伝って本館二階へ。天井が高い。
建替え計画が頓挫して、食事処として試しに使ったところが評判を呼び、今のスタイルになったそうだ。ホテルマンとして修業した20代目の慧眼。
1428年開湯の一條旅館。今の本館は昭和12年の豪雨水害のあとに再建された。ちょうど開戦後。金属の資材統制が重なり、大変だったらしい。
八畳間、六畳間が10部屋。それが四層並ぶ。
一階部分は既に利用されていなかった。古色を帯びたその様もなかなか良かった。
(側面図)
見学も終えたし、部屋でゆっくりしよう。
炬燵は一回入るとダメなんだよ。
「コタツムる」
=ヒーリングタイム=
17時から30分、アイリッシュハープの演奏を聴くことに。先生は斯界の第一人者、月輪まり子先生。毎月第1・第3火曜のみのコンサートなので巡りあわせがよかった。
(先生の了解を得て撮影してます)
古楽器はいい。優しい音色が気持ちを明るくしてくれる。ということで続きは食事篇。
「腹へったー」 プリン我慢したし
(つづく)
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