旅の思い出「小田原文化財団 江之浦測候所」(神奈川県・小田原) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

小田原文化財団 江之浦測候所

℡)0465‐42‐9170

 

往訪日:2023年12月2日

所在地:神奈川県小田原市江之浦362番地1

開館時間:(火水休館)

 ・事前予約制

 ・完全入替制

 ・午前の部:10時~13時

 ・午後の部:13時30分~16時30分

見学料:3,300円(中学生未満見学不可)

アクセス:JR東海道線・根府川駅から送迎バスあり

駐車場:32台(事前申込制)

■構想:杉本博司

■施工:鹿島建設

■開館:2017年

📷撮影OKです

 

《杉本流能舞台に立つ》

 

ひつぞうです。昨年12月初めに小田原市にある江之浦(えのうら)測候所を訪ねました。測候所といっても測量施設ではありません。ここは写真家や建築家など多くの肩書を持つ現代美術家・杉本博司氏(1948-)がプロデュースする古美術と古建築の現代美術館。以下、往訪記です。

 

★ ★ ★

 

改めて問う。江之浦測候所とはなにか。これがなかなかひと言で表しにくい。強いて言えば“建築・古美術の美術館”。有史以来日本人が築いてきた美術品や建築物を基に、杉本博司氏の美意識を具現したものと言えばいいだろうか。

 

実はこうした例は珍しくない。例えば、近代数寄者、原三渓が造った三渓園(横浜)。同じく北村謹次郎四君子苑(京都)。明治村江戸東京たてもの園と異なるのは、単なる保全ではなく、デザイナーの美学に則った“コレクション”が宇宙的に構成されている点である。

 

 

そもそもの出逢いは尻焼温泉で偶然手にした雑誌『CASA』の誌上だった。これは行かねば。直観でそう思った。しかし、ここまでの道矩は長かった。完全予約制で午前・午後の二部制。出来れば光が美しい晩秋から冬にかけての朝一番を狙いたい。ところが見学料3,300円と高額にも関わらず、予想外の満員御礼。侘び寂び好きな日本人など、そんなにいるのだろうか。こうしたこともあって、一年後にようやく機会を得たのだった。

 

「ほとんど執念だの」サル

 

 

この日は小田原市内で食事をする予定なので、電車で根府川駅まで移動。周囲にコンビニすらない無人駅。遅れるのは論外だが、早くすぎても時間の潰しようがないので注意したい。木造の瀟洒な駅で待っていると、立派な送迎バスがやってきた。15分ほど揺られて駐車場に到着。燈籠や道標が置かれた木立のなかを九十九折に歩く。

 

《赤坂蜂巣観音(再建)と円空仏》

 

既に“測候所”の世界は始まっている。

 

 

入り口前のテラスはカフェになっていた。

 

この日は最高の天気だった。相変わらず登山以外だと確実に晴れる。この先、雨に祟られるなんて心配要らないかもしれない。

 

《名月門》(室町時代)

 

「なんか立派な門があゆよ」サル

 

アジサイで有名な明月院の元正門だった。関東大震災で半壊したものを、大茶人・仰木魯堂が引き取り、茶の湯仲間の馬越恭平(大日本麦酒社長)の六本木の邸宅に移築した。しかし、今度は戦争で本宅が焼失。やはり、数寄仲間の根津嘉一郎に譲り、以来、根津美術館正門として親しまれてきた。2006年の美術館リニューアルを受けて、ここ小田原に終の棲家として収まった次第。

 

「歴史があるんだのー」サル

 

 

明治維新や震災で売りに出された古建築や古美術は、これら近代数寄者によって救われたということを覚えておこう。

 

 

杉本氏自身による揮毫《柑橘山》。ここ江之浦は海に面した温暖な斜面。蜜柑栽培が昔から盛んだ。

 

 

内側はこんな感じ。

 

 

そろそろ開館の時間だ。入り口は左側。夏至、冬至、そして春分・秋分の太陽の方角に向けて導線が設えてあることが測候所の由来だ。芸術の源流は太陽を崇拝する原始宗教にあるという理解が背景にある。そうした思想に基づいて作庭されている。

 

 

最初に現れる屋根つきの長い歩廊は夏至光遥拝100メートルギャラリー

 

 

最初に44ページからなる立派な案内書を手渡されるので、遺構の来歴はそれで知ることができる。

 

まずはこの方角に進もう。

※順路はありません。好きな処から観ることができます。

 

 

石舞台だ。造成中に発掘された(石切り場跡の)転石を再利用したそうだ。根府川一帯は花崗岩を産し、今でも現役の石丁場が点在している。この軸線は春分・秋分の太陽に向かっている。

 

右《東大寺七重塔礎石》(天平時代)

 

かつての東大寺には金堂の両脇に100㍍もある東塔西塔が聳えていた。平重衡による焼討ちや度重なる落雷で焼失し、再建されずじまいで明治の廃仏毀釈を迎えた。その後、大阪の数寄者藤田傳三郎に救われ、長らく屋敷に据えられていた。国内最大の礎石。礎石マニアにはたまらない逸品だ。

 

「そんなヤツいないよ」サル

 

小学生の頃、大の礎石マニアだったけど。大宰府政庁が近くだったし。

 

「ジミすぎゆー」サル

 

何言ってんの。大実業家と趣味が同じなんだよ。

 

石舞台周辺にはこうした名刹伝来の礎石が沢山据えられている。

 

 

さて、観光客で溢れ返る前にメインステージへ。

 

《生命の樹 石彫大理石レリーフ》(12~13世紀)

 

元ベニスの商館のファザードを飾ったレリーフの下に、当館の象徴ともいえる冬至光遥拝隧道の入り口があった。

 

 

一番乗り!

 

と勢い込んで突き進もうとしたら、監視役のスタッフから「止め石の先にはいかないでください!」と制止された。

 

「怒られてやんの」サル 笑う~♪

 

 

これね。館内にはこの止め石が数箇所ある。立ち入り禁止のマークなので覚えておこう。

 

「知らんかったんかい!」サル

 

 

「全然怖くなーい」サル

 

光学硝子舞台の下は京都の清水寺と同じ懸造りになっている。能や狂言が上演されるそうだ。

 

 

円形劇場の隣りになにかあるね。

 

 

野点席だった。冬至の朝は、此処で焚火をして暖を取るそうだ。ちなみに石は蜜柑畑の石組の再利用。

 

 

降りてみることにした。

 

 

耐候性鋼のボックス柱。内部に入ることができる。

 

「行かないの?」サル

 

後でね。

 

 

次は夏至光遥拝100メートルギャラリー

 

 

高度感あるね。奥に見えている顕著なピークは大山

 

 

下に回り込むと航空母艦を思わせる構造。

 

 

その先は茶室になっていた。手前の石鳥居山形県小立部落の石鳥居(重文)を模したもの。

 

 

踏込石は古墳の蓋石を用いている。つまり、全てが一体物という訳ではない。飽くまで杉本先生の趣味で集められた遺物を、やはりその美意識に基づいて再構成しているのだ。

 

 

茶室《雨聴天》千利休ゆかりの待庵(京都・山崎)を“本歌取り”している。つまり、寸分違わず再構成しながらも、先生自身の感性を織り込んでいる。見所は狭い簡潔な空間を満たす光と影。壁も床柱も銘木ではなく雑材で済ますところが茶人に好まれた。

 

「おサルは派手な方がいいかにゃー」サル

 

派手好きだもんね。

 

《鉄宝塔》(鎌倉時代)

 

鋳造製の宝塔は非常に珍しいそうだ。西大寺の鉄宝塔は国宝。

 

(左)《旧奈良屋門》(大正~昭和初期)

 

もういろんなものがありすぎて。平成18年に廃業した箱根宮ノ下温泉「奈良屋」の別邸を繋ぐ門。近衛文麿佐々木惣一によって日本国憲法草案(一部)が起草された宿としても知られるそうだ。

 

 

塀は版築という古代工法で作られている。

 

「けっこうたくさんあるにゃー」サル

 

全部は紹介できないね(笑)。

 

 

「なんか丸い場所にでた」サル

 

円形石舞台だね。これもオリジナルの作庭だよ。中央は大名屋敷の大燈籠の伽藍石。放射線状に取り巻いているのは旧京都市電の敷石なんだ。それを江戸城の城壁築造のために切りだされた巨石が囲む。何らかの理由で回航船から落ちたと思しき石が、あたりの海底に沈んでいるそうだよ。

 

「ストーンサークルだにゃ」サル 現代の

 

 

上から見るとこんな感じ。

 

 

この開口部から冬至光遥拝隧道に這入れる。行ってみよう。

 

 

「これはまた神秘的な」サル

 

《光井戸》(江戸時代)

 

途中が天窓になっていて、降りそそぐ陽光がガラスの破片が敷き詰められた光学井戸に反射している。

 

 

もう先端じゃない?

 

 

太平洋が見えるよ。

 

 

夏至光遥拝100メートルギャラリーに戻ってきた。いろいろな場所と迷路のように繋がっている。ガラスに注目しよう。37枚すべてフレームも支えもなく自立しているのが判るでしょ。風景が書割のように見える仕掛け。

 

 

壁は大谷石。

 

 

さて。それではみかん道を抜けて、第二のゾーン、竹林へ行ってみよう。

 

 

是より下殺生禁断。江戸時代の標注。

 

 

やあ。蜜柑が豊作だよ。

 

「旨そう」サル

 

くれぐれも触れないように。

 

「ま。あんまり柑橘類は好きじゃないし」サル

 

《古香庵収集 石仏群》(室町~江戸時代)

 

毛織物業で財をなした泉大津の実業家で茶人の細見亮市(雅号:古香庵)は、仏教美術の一大蒐集家として知られた人物。その邸宅に合った石仏群は、いまこうして、本来の田舎仏の姿に戻っていた。それにしても、なかなか長い九十九折のみかん道。お年寄りが悲鳴をあげるのも頷ける。

 

《蜜柑山 春日社》

 

現存最古の春日造の社、円成寺春日堂を実寸で再現している。海の碧と社の朱色が好いコントラスト。礎石は奈良国分寺跡から出土したもの。ひとつひとつ、全てに謂れがあるんだよね。

 

 

「深いね」サル

 

あんまり覗き込んで落ちないでね…。

 

 

まだあるんか。

 

 

掘っ立て小屋のようなものが。化石窟と書かれている。

 

 

なぜかアンモナイトやウミユリの化石。よく判らん。

 

《石棒》(縄文時代後期)

 

これはあれですね。古代の金精様。しかし、勝手に掘り出して持ってきていいのか。と思ったら、このあたりの斜面から出土するらしい。大昔から人の暮らしのあった場所なのだ。

 

《数理模型0100 負の曲率回転面》

 

双曲線関数を回転させて立体化。無限点を造ろうとすると、ものすごい高さで極小にしないといけない。物理的に無理。それでも先端は5㍉まで研磨されているそうな。

 

「でもなんでこんなものがここに?」サル

 

所々に現代アート風のオブジェがあるんだよね。ここ。

 

 

やあ。京都みたい。本当は各所それなりに観衆がいるのだが、悉くオミットした。

 

《片浦稲荷大明神》(江戸時代1727年)

 

現在の渋谷周辺にあったものらしい。しかし、幕末にはこんなものまで売られてしまったのか。

 

《道標 二丁信貴山》(江戸時代1800年)

 

信貴山の宿坊の近くにあったものだそうだ。

 

《数理模型0004 オンデュロイド平均曲率が0でない定数となる回転面》

 

また出たね…。

 

「まったく理解できない」サル 何のことやらさっぱり

 

《石造狸》(明治時代)

 

こういうものの方が安心できる。一応モチーフは信楽焼。

 

 

ということで鑑賞終了。所要時間は二時間半だった。

 

 

最後に待合棟でゆっくり。関連書籍などが販売されている。地階にロッカーもある。

 

 

この敷石。長らく京都市民の足に踏まれた歳月を感じる。

 

 

これだけジックリ鑑賞する物好きはいないと見えて既に人影はなかった。逆に午後の部の客が集まりつつあった。

 

 

建築と古美術でいっぱいの数寄者の世界。それでもかなりの一般客が訪れている。小田原財団のPRの旨さを感じた。

 

「観光だし、別に詳しく判らなくてもいいんじゃね?」サル

 

京都の寺院もそうだしね。ただ3,300円は高いやろ。パンピーには。

 

 

まだ時間はある。もう一箇所観光することにした。

 

「サルは早く酒飲みたーい」サル こんだけ付きあったんだし

 

(つづく)

 

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