旅の思い出「藤田美術館」で数寄者の愛にいたく感心する(大阪市) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

公益財団法人 藤田美術館

℡)06-6351-0582

 

往訪日:2023年3月4日

所在地:大阪市都島区網島町10-32

開館時間:10時~18時(休館日12/29~1/5)

入館料:一般1,000円(19歳以下無料)

アクセス:JR東西線・大阪城北詰駅(3番出口)から徒歩1分

駐車場:要らないでしょう

 

《関西随一の古美術コレクションの殿堂》

 

ひつぞうです。大阪滞在二日目は都島区にある藤田美術館を訪ねました。明治期の関西財界を牽引した藤田財閥の創始者で古美術愛好家だった藤田傳三郎の蒐集品を鑑賞できる美術館です。以下往訪記です。

 

★ ★ ★

 

まずは蒐集家の紹介から。

 

 

藤田傳三郎(1841-1912) 明治期の財界人、東洋美術蒐集家、茶人。現在の山口県萩市出身。維新後の軍事用払下げ品によって富を築く。その後、電力、鉄道、製鉄、土木などインフラ関連の起業によって関西経済界の中心人物となった。後のDOWA-HDに継承される藤田財閥の始祖である。

 

藤田美術館との出逢いは、世界(しかもすべて日本)に三点しか存在しない曜変天目茶碗がコレクションに並んでいると知ったことに始まる。残念ながら常設展示ではない。しかし、待っていたらいつになるか判らない。スタッフの話では展示された作品は概ね三箇月変わらない。他方、2022年4月にリニューアルオープンしたばかり。建物だけでも一見の価値はある。まずは行ってみることにした。

 

 

JR東西線・大阪城北詰駅3番出口の階段を出た所にあった。土曜日だったが20分前で並んでいる客は皆無。さすがは財団法人系。スタッフも多いし、新しいのでロッカーもトイレも信じられないほど綺麗。

 

「ほんとだ」サルめっちゃキレイ!

 

 

一面総ガラス張り。ロビーにはカフェもあって抹茶と団子のセットが頂ける(それだけを目的に訪ねてくる客もいる)。美術館は藤田家本邸跡に建てられたもので、空襲で焼失したあと、戦後に敷地は分割。昭和29年(1954年)に隣接する藤田邸跡公園とともに整備された。土蔵を展示館に転用したので(それはそれで大層味わい深いものだったが)収容限界と老朽化のために建て替えになった。

 

 

館内での支払いは全てキャッシュレス。事前予約してQRコードで入場する。なお、入口と出口は旧館の扉を再利用している。

 

「すっごく重厚だにゃ!」サル

 

解説もあるが、詳しい説明はHPからQRコードで読み込むのがお薦めだ。イヤフォンを忘れずに。

 

館内は《装》《緑》《僧》《禅》の切り口で展示室が分かれている。(※往訪時は禅は非対象だった)

 

まずはから。

 

と、その前に一言。なにも言われなかったので自粛していたのだが“撮影禁止”の注意書きがどこにもない。はて。まあ美術館は基本撮影NGだから書くまでもないということか。しかし、ひょっとしたらと訊いてみた。すると「当館はすべて撮影OKなんですよ」ですと。なんと心の広いこと♪

 

 

早めに来て正解。誰もいない。いてもどんどん先に進んでいくのでこんな感じ♪

 

「相変わらず遅いのー」サル早くこんかい

 

じっくり観る派なんだよ。

 

「じっくり撮る派じゃね?」サル本末転倒だにゃ

 

かも。

 

因みにこの展示室の壁は可動式。なので自由に展示スペースを変更できる。また作品との距離が近いのも特徴。普通はガラスケースの奥に軸物などが掛けられていて老眼泣かせだったりするが、その空間が薄いのでよくみえる(と言いたいが、作品保護のために照明が暗い)。

 

 

能装束長絹 藤熨斗桜草文 江戸時代 18世紀

(のうしょうぞくちょうけん ふじのしさくらそうもん)

 

「サクラソウと藤のピンクが美しいにゃあ」サル

 

デザインの組み合わせも秀逸でしょ。

 

藤田コレクションは始祖・傳三郎、そして、平太郎、徳次郎ら、親子二代の目利きによって築かれた。また、傳三郎翁は財界人でありながら、能、謡曲、茶道を嗜むなど、生粋の数寄者として知られた。そのため、展示品はゆかりの品で溢れている。傳三郎翁の功績は東洋美術の海外流出を防いだ点にもある。国内美術振興の思想は現在も受け継がれ、若い世代に親しんで欲しいという願いから、未成年者は無料だ。

 

 

古代裂帖 白地蓮文辻が花染残闕 桃山時代 16世紀

(こだいきれちょう はくじはすもん つじがはなぞめ ざんけつ)

 

なんてことのない桃山時代の残闕(布切れのこと)だけど、この染色技術がすごい。《辻が花染め》といい、蓮の葉に浮かぶ水玉に染料が滲まないようにガラのふちを糸で縛って竹皮と油紙で覆っている。工程もそうだけど、作業がめちゃくちゃ細かいんだよ。さすが日本人だね。

 

「ムリ」サルサルにはとてもとても

 

 

昔のひとはこうした布きれも大事に取って参考にしたり、鑑賞したりしたそうだ。

 

 

利休黒町棗 銘 再来 桃山時代 16世紀

 

《棗》というのは茶器のこと。通常、美しい漆や蒔絵の技法で飾られる。当館コレクションの代表作でもある。これは日常使いの道具で《町棗》と呼ばれる。利休はこうした名もない職人の作る素朴な意匠に美を見出した。

 

「わからん」サル茶ば飲むのは好きだけど

 

没後、一度行方不明になったが、曾孫の時代に見つかったんでこの銘があるよ。

 

 

重文 大伴家持像(上畳三十六歌仙切) 鎌倉時代 13世紀

 

もとは絵巻物だった一部を軸物に仕立てた作品だ。

 

 

当時流行った似せ絵の技法で描かれている。なので平安貴族のはずが顔は鎌倉武士。

 

緑のコーナー

 

緑色を切り口に横断的に展示されている。東洋では緑は神秘性の象徴だったんだよね。

 

 

勾玉/棗玉 弥生時代~古墳時代

 

細い線が彫り込まれた獣形勾玉と呼ばれる珍しいタイプ。特に左端のEの形をしたものは見たたことないね。

 

「綺麗な碧だのー」サル

 

しかし、どういう経路で入手したんだろうね。最終的にはオークションや個人売買なんだろうけど。

 

 

砧青磁杓立 南宋時代 12世紀

 

青磁ってさ、、中国では紀元前から生産されていたんだって。それが朝鮮半島に渡って高麗青磁が生まれたそうだよ。

 

 

青磁一閑人平水指 明時代 17世紀

(せいじ いっかんじん ひらみずさし)

 

これなんか面白いよね。

 

「ヒマ人が水指の中を覗いている」サル

 

こうした人物(だいたい唐子)がくっついたデザインの茶道具が流行ったんだ。これらを称して《一閑人》と呼ぶ。顔には釉薬が掛けられていない。

 

 

重文 歯車形碧玉製品 古墳時代 4世紀

 

グリーンタフと呼ばわれる緑色凝灰岩でできた副葬品。こんなの今まで見たことないよ。明治10年に大阪府下のヌク谷東ノ大塚古墳で出土したんだけど、その指揮にあたった堺県令の税所篤が手許に置いたんだとか。

 

「ダメやろ」サル

 

おおらかな時代だったんだよ。明治10年じゃ、まだ近代国家として機能していないし。

 

「で譲ったわけきゃ」サル

 

そうらしいよ。でも傳三郎翁の手に渡って、結果的によかったよ。

 

 

砧青磁浮牡丹龍環耳花入 中国(元時代) 13~14世紀

(きぬたせいじ うきぼたん りゅうかんみみはないれ)

 

釉薬に厚みがあるね。牡丹の柄が美しく浮かび上がっている。酸化鉄の釉薬を厚く塗らないとこの色がでないそうだ。そのあたりに技術的な難しさがあるのかな。というのは中国浙江省龍泉窯で焼かれた青磁のトップグレード。このセリフ、鑑定団でよく耳にするよ。

 

「贋物も多いんだよね」サル

 

そうそう。「こんな出来の悪い贋物」と中島先生がいつも怒るヤツよ。たくさん日本には輸入されたらしいけどね。

 

 

高麗青磁平茶碗 高麗時代 12世紀

 

高麗に渡るとこんな感じに。

 

僧のコーナー

 

 

国宝 玄奘三蔵絵 第12巻

 

西遊記の三蔵法師の出世絵物語。

 

 

続きね。入滅の様が描かれている。

 

 

古井戸茶碗 銘老僧 朝鮮時代 16世紀

 

なぜ「僧」のコーナーに茶碗か。それは銘にある。

 

 

大獅子図 竹内栖鳳 明治35年(1902年)

 

幾枚か描いた栖鳳の大獅子図にあって、本作は最大の作品らしい。

 

 

拡大すると判るが、鬣と顔の微細な毛まで巧みに描き分けている。特筆すべきはその眼力と牙周辺のリアリズム。デッサン的にややおかしい部分もあるが、それを忘れさせるほどの、栖鳳らしい“スーパーリアリズム”だ。

 

この作品とのコラボを京都の老舗帯屋が挑んだ。

 

 

帯《大獅子図》 誉田屋源兵衛 2022年

 

誉田屋(こんだや)源兵衛の10代目・山口権兵衛氏と現館長・藤田清氏のアイデアで生まれた。誉田屋は野蚕糸に拘っていて、素材も金銀糸本漆箔、そしてホンモノのライオンの鬣まで織り込んでいる。

 

「アドベンチャーワールドの協力らしいにゃ」サル

 

 

拡大してみる。

 

古い手織り機をつかって六人がかりで織ったそうだ。微細に織り方を変えているのが判るだろうか。特にこだわったのは眼だって。

 

★ ★ ★

 

ということで1フロアを仕切っての公開で、展示品もさほど多くはない。じっくり観ても1時間くらいで済む。一挙大公開的な特別展よりも、地方の有力美術館の常設展示の方がゆっくり愉しめる。最近、そう感じるようになってきた。

 

 

外に出ると、庭園の多宝塔がまるで書割のように見える仕掛けが。

 

 

これは傳三郎翁が高野山から移築したものだそうだ。

 

「集め方のスケールが全然違うにゃ」サル
 

 

庭園めぐりは外からもできる。たくさんの親子連れが遊んでいる姿があった。

 

 

茶室もある。有職の美、枯淡の美を満喫できた半日だったね。

 

最後に抹茶と団子で。

 

 

セットで500円。器も盆も現代作家の作品。特に茶碗はひとつとして同じデザインはない。工芸品の美は、直接触って、素材の質感、所作への馴染み方、そうしたものまで含めて鑑賞する。若い頃は全く理解できなかった工芸品や古美術の愛で方が、少し判るようになってきた。

 

「マズい兆候だにゃ」サル

 

この日の街歩きはこれにて終了。もう一箇所くらい回る時間はあったが、この先、幾らでも来ることができる。なんとなくまだ、北摂の住民になるというイメージがつかめないが、そのうち慣れるだろう。新大阪駅の構内で昼酒でいい気分になり、横濱村へと帰ることにした。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。