信貴山 朝護孫子寺
℡)0745-72-2277
往訪日:2023年10月22日/11月12日
所在地:奈良県生駒郡平群町信貴山2280‐1
参観時間:(霊宝館)9時~16時30分
料金:(霊宝館)一般300円 子供200円
アクセス:JR大和路線・王子駅→奈良交通バス・信貴山門で下車(約22分)
駐車場:有
《商魂と歴史の奥ゆかさが同居する隠れた名刹》
ひつぞうです。10月下旬に生駒の古刹で、信貴山真言宗の総本山、朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)を訪ねました。目当ては国宝「信貴山縁起絵巻」。しかし、訪ねてみるとそこは、商魂と傷病治癒の効験あらたかな寺院でした。以下、往訪記です。
★ ★ ★
十月終盤のことである。
かねてより、関西に出向いた折には、是非訪ねたい寺があった。それは信貴山。正しくは真言宗信貴山朝護孫子寺。国宝の絵巻物ゆかりの寺だった。
いつものようにおサルを酒で釣って、JR大和路線の王子駅で降りた。
この日も頗るつきの快晴だった。寺の案内に従って、近鉄に乗り換えて山門下駅を目指す。能因法師の歌で有名な竜田川がそそぐ大和川を越えて、列車は生駒山麓へ。
山門下駅で下車すると、すぐにバスがやってくる。乗りそびれると一時間近く便がないので注意しよう。というより、実はこのバス、王子駅が始発だった。敢えて近鉄に乗り換える必要はなかったのだ…。土地感のなさゆえの凡ミス。
「時間は幾らでもある」 ダイジョウブ
信貴大橋のバス停で降りると、そこは広い駐車場になっていた。脇を走る鳥居の道を登っていく。
「ひゃー!広いんだにゃ!」
ほんとだ
複数の堂宇が点在しているのは確認していたが、平坦な場所ではなくて山懐に蝟集しているんだね。
「信貴山っていうくらいだし」
(案内図)
歩きやすい靴でお参りしましょう。
伝承によれば敏達天皇の御世11年、寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に聖徳太子が毘沙門天を感得し、その結果、物部守屋を討つことに成功。
その御恩に報いるため、587年に寺を創建したのが起源とされる。
(名物の大寅。電動仕掛けで首を振っています)
「寅」に因んで阪神タイガースの選手が必勝祈願に参拝することでも知られる。今年はかなり盛りあがったそうだ。
「小寅もいるでー」
酒癖の悪いひとはここで祈りましょう。
「大トラにならないようににゃ」
その後、一度衰退するが、中興の祖、命蓮上人が真言宗の寺として再興。この上人を主人公にしたものが国宝《信貴山縁起絵巻》全三巻である。普段は奈良国立博物館に寄託されているが、秋の特別公開で“里帰り”する。それを見るために生駒まで来た次第。
外国人が多少いたものの、京都、奈良に較べれば観光客は圧倒的に尠ない。
どう回るのも自由。早朝は殆ど誰もいない。厳かな雰囲気に浸れていい。
お!これは北村西望作《聖徳太子御像》ではないか。最近ご縁がある。
「馬の彫刻がリアルだの」
リアリズムの彫刻家だから。
白文で書かれているので全く理解できない。判るのは「信貴山誕生」だけ。
本坊。お寺の関係者以外は外からちょっとだけ。
「煌びやかな建物が見えてきた」
弁天堂。
宿坊の成福院。
その脇道を伝って。多宝塔の下に三宝堂。
不動明王を中尊に、阿弥陀如来と三宝荒神が脇を護る。神仏習合の名残りを感じる。
まもなく本堂だ。
立派だね。その左に霊宝館がある。まずは本堂で毘沙門天王に参拝したあと、戒壇巡りをしよう。
「なにそれ?」
京都・智積院のゆかりの僧侶で、真言密教の中興の祖・覚鑁(かくばん)上人が当山で修行した際に、毘沙門天から授かった如意宝珠が本堂の地下に納められているそうな。参拝者は漆黒の闇に包まれた地下回廊を矩形に周回する。途中にある宝珠を納めた錠前に触れれば、ご利益を授かるという仕組み。
「面白そう」
アトラクションじゃないから。
「本当に真っ暗だにゃ」
背の高い外国人だと絶対頭をぶつけるね。これ。
「どこ歩けばいいか判らん!」
右手で壁に触れたまま進むんだよ。あった!
「なにもないけど」
ちびっ子だから下のあたりを触れてたんじゃない?
「不利だ!」
※無事ご利益を得ました。
魔除けの榧の実を二袋買うことにした。
本堂からは眺めがいい。
紀伊山地の山なみが続いているけれど、全然同定できない(笑)。
大台ヶ原だけなんとなく。ひと際目立つし。
ではいよいよ霊宝館へ。
「信貴山縁起は貸し出し中だってよ」
え!そんなはずは…。なになに。里帰り期間は10月28日から11月12日だと…?
(これは10月22日の記録である)
「一週間早すぎたにゃ」 困ったにゃ ←さほど困ってない
おまけに今年は一番有名な《飛倉の巻》は東京国立博物館に貸し出し中とか。戻ってくるのは《尼公の巻》だって…。ちゃんと調べたのに…。
残念そうにしていると、おサルがチラシをもらってひょこひょこ戻ってきた。
「11月12日に専門家の先生の講演があるって。その時観れば?」
そうか。また来ればいいんだ。
早速訊ねてみると空きがあるという。ネットで予約して11月12日に再訪することにした。
★ ★ ★
特別講演会 抱腹絶倒!? 信貴山縁起絵巻を深掘り!
なにより良かったのは、吐息でガラスケースが曇るほどに近づいても、そして、好きなだけ居てもいいことだった。もし、これが都内の美術館であれば「立ち止まらないでください。歩きながら観てください」という状態で、しかも1メートル以上の距離を隔てて鑑賞することになる(最近老眼でなにも見えん!)。今回は紙の皺の寄り具合まで、細部に至るまで鑑賞できた。
ちなみにおサルの備忘録として記すと、信貴山縁起絵巻とは中興の祖、命蓮に纏わる絵巻。あれれ。寺の創建は聖徳太子では?そういう疑問も残るが、それはさておいて、命蓮上人は真言宗の僧侶。真言宗=密教。そして密教といえば呪術。一番有名な《山崎長者の巻》、通称飛倉の巻は命蓮の法力を伝える一巻だ。
《飛倉の巻》 同上
聖(ひじり)として山の庵で修行に励む命蓮は、荘園の長者に托鉢して生活していた。いつものように法力で鉢を飛ばして米を乞うが、その日はムシの居所が悪かったのだろう。忌々しく思った長者どんは、鉢を倉に隠してしまう。すると鉢諸共に倉がメリメリと地面から浮き上がり、命蓮の庵に向けて飛んで行ってしまう。困った長者は命蓮のもとに駆け付けて許しを請う。しかし、倉は返せぬと、米俵だけを鉢に載せて荘園まで戻したという話。
「収納が欲しかったんだにゃ」
奇想天外なストーリーは現代の漫画にも通じる。《縁起》の魅力は本筋の描写だけではなく、全然関係のない脇役たち、あるいは動物の仕草やサブストーリーにある。だからこそツブサに鑑賞したい。
次は《延喜加持の巻》。重い病を患った醍醐天皇の加持祈祷を求められた命蓮は「御法童子ちゅうのがそのうち行くから待ってなさい」と呑気に構えて動かない。困った使者は半信半疑で御所に戻る。すると全身を劔で覆った童子が金輪を蹴飛ばしながら、天空を駆けてくる。
《延喜加持の巻》部分 平安時代末期
この発想がすごい。
「剣で覆って走ったら全身致命傷やろ」
これは切手《国宝シリーズ》のデザインにも採用された。拡大してみよう。
右から左に物語が進行するのが絵巻物。ところが童子は逆方向から飛んでくる。クルクル回る金輪の効果線の描写もいい。童子というには老け顔。労働環境が悪いのだろうか。など、いろいろ想像をたくましくさせてくれるのが名画の証しである。
最後の《尼公の巻》は、命蓮の姉が弟の身を案じて信州の故郷から遥々訪ねてくる物語。ババは訪ねて数百里である。
《尼公の巻》 部分 平安時代末期
平氏による焼き討ち前の東大寺の姿を唯一伝える、時代考証学的にも重要な作品だ。よくみると姉(尼公)は祈ったり、寝転んだりと、複数のさまが描かれている。一枚の画幅のなかに時間の経過を表現しているわけだ。
ということで(一巻のみではあるが)無事絵巻物を観たという次第。
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再び10月の記録に戻る。
その後は多宝塔を見たり…
鐘楼堂を見たりして…
最後に飛倉ゆかりの空鉢御法堂に向かった。
結構な登りである。
かなりの登りである。一旦登り始めたら、どんな靴を履いていようと頂上を目指す性格。
「着いた!」 10月なのに大汗💦
空鉢御法堂
伝説ではここから倉が飛んだ。一願成就を叶える竜王が祀られている。命蓮は関係ないらしい。蛇神様だからか、卵がたくさん売られていた。
葛城山や金剛山の眺望がすばらしい。
戻ることにした。
実はこの山。戦国武将、松永久秀の居城でもあった。
麓に戻ると俄かに大衆的になる。
商売繁盛、傷病治癒、安産祈願など、現世利益的な色彩が濃いのも事実。
残念ながら昭和26年に本堂は焼失。由緒ある寺院なのだが、全体的にピカピカ感が否めない。
「あまりに直球すぎゆー」
ゼニ儲けのために小銭を納める。
霊宝館のスタッフお薦めの堂宇へ。
開山堂
聖徳太子、弘法大師、命蓮上人。ゆかりの尊師を一箇所に集めて、併せて四国八十八箇所の本尊も祀る。各寺院の砂が敷かれていて、この一箇所で四国遍路まで達成できるそうな。寺守りのオババはとてもお得と力説する。集まった客は催眠術にかかったように、またぞろと砂踏みの儀式に誘われていく。なお、オババ本人は四国遍路めぐりを数回達成しているそうな。
「四国は自分で行こうよ」
ということで催眠術から脱出。
最後に絶対欠かせない場所へ。
劔鎧護法堂
傷病治癒の本尊、あの全身劔を纏った劔鎧童子が祀られる。少し、いや結構距離があるので、訪れる人も疎ら。ただでさえ静かな信貴山であるが、更に厳かな風情が加わり、贔屓にする人も多い。
ここから見返す本堂もいい。
折角なので食事することにした。と云っても飲食店は限られる。橋を渡った先のうどん屋に入ることにした。
開運橋は昭和6年に開通した元・鉄道橋。形式は上路式カンチレバー橋(施工:松尾橋梁)。このタイプでは国内最古の名橋だ。
関西にきたら、かすうどんでしょ。
「なにそれ?天かす?」
大阪生まれのおサルが知らないとは。カリカリに揚げたも牛ホルモンを載せたうどんだよ。
「美味しいのきゃ?」
一見地味だけど、不思議とヤミツキになるんだよね。
ということで愉しい寺社参拝だった。しかし、帰りのバスは一時間に一本。眼の前で出ていった…。
「泣きゅ」
(おわり)
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