神長官守矢史料館
℡)0266-73-7567
往訪日:2023年8月20日
所在地:長野県茅野市宮川389‐1
拝観時間:(月曜定休)9:00~16:30
拝観料:一般100円 高校生70円 小中生50円
アクセス:中央道・諏訪ICより約1.5㌔
駐車場:6台程度
■設計:藤森照信
《言葉に表せない凄味がある…》
ひつぞうです。蓼科てんこ盛り旅行の最後に訪ねたのは神長官守矢史料館でした。初見だと文字の区切り目と読み方が判りにくいですね。守矢(もりや)家は諏訪大社上社の最上位の神職である神長官(じんちょうかん)を代々努めてきた家柄です。明治維新によってその官位は解かれましたが、守矢家に伝わる古文書を保存・公開するために1991年2月に史料館が設立されました。しかもここ、現代の名建築なのです。以下、往訪記です。
★ ★ ★
守矢と聞いて、歴史家は物部守屋を想起し、山ヤは守屋山を髣髴する。実はどちらも関わりがある。(根拠ははっきりしないが)物部氏の末裔と言われる守矢家は霊峰・守屋山の北麓に広大な宮社を築き、諏訪大社の年中行事を司ってきた。
78代当主・守屋早苗氏は、古文書の散逸を防ぎ、後代に伝えるために茅野市に寄贈。市管理の史料館を自宅敷地内に建設した。その設計に当たったのが、茅野市出身で早苗氏と幼馴染だった建築探偵こと建築史家の藤森照信氏である。
資料館は本当に守矢家の敷地内にあった。表札出ているし。
「いいの?勝手に入って」
大丈夫だよ。
ほら。ここだよ。
「なに?この掘っ建て小屋」 ちっちゃ
掘っ建て小屋はないでしょ。凝りに凝った設計なんだよ。現代の名建築なんだ。
そう。僕がこの史料館の存在を知ったのは、飽くまで建築散歩の延長だった。
藤森照信氏の初設計の作品で敷地面積822㎡。土壁のようだが鉄筋コンクリート造で一部が木造になっている。まず眼を惹くのが屋根から突き出した四本の柱だ。
材質はその硬さで知られるイチイ。御柱祭の柱を模している。
「キツツキみたいなものがくっ付いてるにゃ」
薙鎌(なぎがま)と言われる祭器らしい。当主自ら打ちつけたそうだ。ちなみに屋根は宮城雄勝産とフランス産の鉄平石。つまり天然のスレート葺き。美ヶ原の王ヶ頭周辺でも見られるけれど、雄勝石は最高級硯にもなる高級石材なんだ。
軒先にぶら下がっている電灯は鉄鐸を模している。外壁はサワラ材の手割り板だ。この技を受け継いだ故・矢沢忠一氏の最後の仕事。つまり、同じものを作れる人は最早いない。それくらい細部に拘り抜いた意匠なんだよ。
「ふむふむ」
土壁の風合いに苦労したそうだ。結局、藁と着色モルタルを練り合わせて投げつけ、最後に土をスプレーで吹きつけた。懲りすぎ(笑)。
ガラスはステンドグラス用の手吹き板ガラス。気泡とうねりがその証拠。
和紙も繊細だ。
天井と壁の繋ぎ目を曲線で均すことで奥行きを演出している。
「二階には階段で登るのかにゃ」?
一般見学者は観ることができない。この《結界》のような仕掛けは清春芸術村の茶室と同じ。
「なにこれ?」 グロくね?
大和朝廷の侵攻に屈したものの、諏訪の族長として君臨し続けた守矢一族は、神職としての実権を握り、明治までこの地を治めてきた。その貴重な資料を茅野市に寄託したことが記されている。
「ウサギ、猛烈に痛そうなんだけどにゃ」
御頭祭(おんとうさい)の復元展示だそうだ。今でいう酉の祭だね。
75頭の鹿のほか、獣や魚などを山積みにして酒を献じて神と人とが交わる饗宴の儀式だそうな。
左から、生兔、生鹿。生とはいっても茹でて味付けされている。右端は脳あえ。鹿の肉と脳を味噌で和えたご馳走らしい。ちょっと考えただけで具合が悪くなりそう
「ヒツはデリケートだからのー」
ウサギの姿焼きは大丈夫なんだけどね。
恨めしそう…。
今は剥製の鹿で神事を執り行っている。できれば今も続けて欲しい。鹿は増えすぎだもの。
鯉は今でも信州のご馳走だ。
祭祀用の道具は多岐にわたる。
ということで古文書コーナーへ。
常設のスペースはこんな感じ。
天正期の古図(模写)。かなりの規模の宮社だったことが判るね。
史料《神使御頭之日記》(1528~1554)
甲斐の武田信虎と諏訪頼隆が立場川で合戦。守矢氏も武装従軍したことなどが記されている。
史料《武田晴信名字状》(1545年)
守矢犬太郎が晴信から《信》の一字を拝領して、守矢信實を名乗るようになったそうな。それくらい武田氏とは昵懇だったとか。
「なんかムツカシイ」 歴史はもうよーい
その時に拝領したのがこの十角重箱らしい。
史料《武田晴信定書》(1554年)
諏訪大社に奉納される馬や鷹の配分を巡って五官祝(ごかんのほうり)の間で争いが起きていたらしい。
「五官祝って?」
神職を司る氏族は五つあったそうだ。神長官守矢氏の他に、禰宜大夫守矢氏、権祝矢島氏、擬祝伊藤氏、副祝長坂氏の四家。そこで晴信がまあまあまあと裁定に入り、これで文句なしよと云った話が記されている。現人神の割には人間臭いね(笑)。
★ ★ ★
ということで史料館は終わり。他にも見学できる場所があるんだ。
「ここ人んちじゃないの?」
でも、皆ここ歩いているし。
=みさく神 社叢=
神長官が個人的に祀っている神様だ。
右の邸宅は誰も住んでいないのかも。
「なんか変なものが見えてきた!」
=空飛ぶ泥舟=
これこれ。これが観たかったんだ。藤森さん設計の茶室が三点あるんだよ。
芸大か工学部の学生と思しき集団が前を歩いているので、いい道案内になっている。
「冗談のようなデザインだの」
ある意味間違ってないよ。
「どうやって登るの」
これだね。
=高過庵=
「前の日に見たのと似ている」
清春芸術村ね。
「こうかあん?」
“たかすぎ庵”だよ。「高い場所で過ごす」と「高すぎやろ」のダブルミーニング。
自然木でよく重心不安定な建物を作ったね。
足許には小さな祠。
=低過庵=
じゃこれは?
「ひくすぎ庵かの」
正解!
「極端だのー」 どうやって入るんじゃ
一段下に玄関があるんだよ。
「わざと板に焦げ目をつけてる」 どれも入ってみたいにゃ
特別公開の抽選に当たれば一般見学も可能だ。ここ全部私物なんだよ。
ということで見学終了。時間に余裕があれば古墳や祠なども見学できる。
「あれ?学生の集団が明後日の方角から戻ってきた」
なんだろうね。道でも間違えたんじゃない?
★ ★ ★
蒸し暑い車内の換気を終えて出発した時だった。
「あれ?同じ設計?」
これ、藤森デザインだ!
慌てて戻る。間違いない。
高部公民館とある。なんと!地元のよしみで公民館の設計も出がけていたのだ。
「誰よ。道間違いなんて言った人」
学生たちはここも見学したのだろう。ありがとう…。危うく観過ごす処だった。
たたきの部分には鉄平石。
鑿跡の美しい扉に炙りをいれた割り板。そして燕の巣に配慮した糞除けまで。細かい!
裏側は森林組合に割り当てられていた。着色モルタルと炙りの割り板の対比が絶妙だ。
「郵便受けもキュート」
ということで、路上観察学会をお株を奪うべく、アヤシイ見学隊サルとヒツジによる藤森建築の旅は無事終了。近代洋風建築やモダニズム建築も好いけれど、現代の意匠も素晴らしかった。建築散歩はやめられそうにない。
(おわり)
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