檜倉山(1744m)/刃物ヶ崎山(1607m) 新潟県・群馬県
日程:2019年4月20日~21日
天気:(1日目)快晴
行程:(1日目)清水集落5:15→(50分ロス)→8:50東屋沢9:00→11:00檜倉川堰堤11:20→12:50旧道13:05→16:25檜倉山(幕営)
■駐車スペース(路肩5台程度)/トイレなし/登山ポストあり(投函式)
≪丸ノ沢合流点から見上げる大源太山≫
こんばんは。ひつぞうです。ようやく今季初の残雪登山にトライしました。目指したのは刃物ヶ崎山(はもんがさきやま)。マニアに知られた奥利根の秘峰ですね。詳しくはいつもの山行記録で!
★ ★ ★
【刃物ヶ崎山(清水集落よりピストン)】
刃物ヶ崎山の存在を知ったのは『岳人』(2002年4月号)で選定されたマイナー12名山の、その選から惜しくも漏れた秘峰としてだった。選者は大内尚樹、宮内幸男、高桑信一という沢と藪のレジェンド。当然一筋縄ではいかない山ばかり。
決められたルートを辿る山旅にもの足りなさを感じていた僕はすかさず飛びついた。最初の挑戦となった毛猛山では手ひどく返り討ちを喰らった。だが達成感はそれまでの山行の記憶を完全に色褪せさせるものだった。だがマイナー名山の殆どが残雪期限定。休みを取れない宮仕えの身としては、毎年少しずつ挑戦の数を増やすしかない。寡雪と悪天が重なると機会は一層限られてくる。
刃物ヶ崎山は利根川源流域の支尾根の上にあった。八木沢ダムのダムサイトから始まる家ノ串(1534m)と稜線を等しくしているが、最終核心部の櫛歯の如き痩せたバットレスは、素人の手に負えるものではなく、このルートは問題外だった。
それでも諦めきれない僕は幾つかの記録を漁り、越後側の清水集落から上越国境稜線を跨ぎ、檜倉山(ひのきぐらやま)にベースを張れば、ピストンで山頂を踏めると知る。更に意欲を掻き立てたのは、ネコブ山からの下山の折、偶然声を掛けられ、知遇を得ることになった群馬の大先輩の記録だった。幾度も挑戦を繰り返し、遂に山頂を極めた数年間の記録は、なぜ人は山に登るのかという語り尽くされた命題に、感動的に答えるものだった。
貴重な情報を得た僕は、幸い前年に白毛門から巻機山までの上越国境稜線を歩き、檜倉山周辺の地勢を理解している心強さもあり、多少の天候の不安を抱えながらも、関越道の土樽PAで仮眠し、出発の時がくるのを待った。
★ ★ ★
午前四時に清水集落の国道291号線の最終除雪地点に車を停めた。先行車輛は一台のみ。ちょっと拍子抜け。ベストシーズン到来とは云え、土合からの馬蹄形にしろ、上越国境稜線にしろ、出逢ったハイカーは常に片手程度の数だった。
ずっと寡雪と思い込んでいた僕は、上越や会越の雪山をどこかで諦めていた。今回、谷川・巻機周辺の記事を拝見するに及んで、昨シーズン以上に雪があるのではないかと思い直した。来てよかった。川端康成の小説ではないが、国境の長いトンネルを抜けると、そこは“まだ充分”雪国だった。
支度を終えて酷道の誉れ(?)高い清水峠越えの道を歩き始める。往復二人分の古い足跡が残っていた。1885年(明治18年)に馬車道として建設されたものの土砂災害と雪崩により呆気なく崩壊。その後鉄道や国道17号(三国街道)の整備が進んだため、今では一部の登山者が利用するだけの事実上の廃道となっている。
さっそくデブリの歓待を受ける。数日前のもののようで安定していない。時間が早いのでサッサとパス。デブリの傾斜が予想以上に激しいので進退窮まる前に早めのアイゼン装着。
初日は稀にみる快晴の予報。期待できそうだ。逆に二日目は高曇りの予報。慾を言えばキリがない。しかし二日目はそのほうがいいのかも知れない。気温上昇で残雪が緩んでしまうとブロック雪崩のリスクが増すからだ。
過去の記録は五月の連休を狙ったものが圧倒的に多い。そのためこの時期、檜倉山の尾根までどんな罠が待ち受けているのか、行ってみないと判らない。
なお全体行程の目論見はこうだ。
(1日目)
清水集落~(3.5時間)~檜倉川堰堤~(5時間)~檜倉山【幕営】
(2日目)
檜倉山~(3.5時間)~刃物ヶ崎山~(3.5時間)~檜倉山(幕営撤収30分)
~(1.5時間)~檜倉川堰堤~(3時間)~清水集落
ということで初日は休憩一時間を見込んでも15時には幕営着手できるはず。
支流合流部の屈曲点は2メートル以上の積雪でデブリもない。多少の傾斜に気をつける程度だった。
対岸に聳える高平ノ頭が立ち止まって見惚れるほど凛々しい。
いよいよ広い斜面に変わり、奥には柄沢山が真っ白に輝いている。昨年の上越国境稜線と奇しくも同じ週の往訪となった訳だけど、昨年以上の雪。二週間前の季節外れの寒波が雪化粧をし直したという情報は本当だった。
その上越国境の女王に見惚れるあまり、とんでもない過ちを犯していることに、この時の僕はまだ気づいていない。
足許にはヤドリギのオレンジ色の実が果柄ごと落ちていた。カケスの仕業だろう。森の住人のサインを眼で拾いながら、そのヤドリギの株が夥しく寄生した高木を仰いだ瞬間、違和感を覚えた。
たしか河川敷をずっと歩くのではなかった?
「そんなことオサルチに言われても判んないよ!」
そうだった。地図の読めないおサル妻ではあるが、毎度行程表を渡すことを習慣にしていたが、今回は基本スケジュールが組めない山。そういう勝手な解釈で自分だけの計画を簡単に作って臨んだのだ。
まずい。いつの間にか旧道に誘い込まれてしまった。ブナの大樹の赤いペンキマークに眼を奪われたというと言い訳がましいが、油断していたのは事実。かなり登りあげてしまった。慌てて走るように引き返す。河川敷の分岐まで戻ると時間が掛かる。傾斜はきついが崖の上から直接降下することにした。
雪の締まりは申し分なく、アイゼンの利きもいい。三分とかからず降りたった。問題はこのひとだった…。今季初というブランクで勘の戻りが悪いのか、キックステップが入念すぎて、いつになったら降りてくるのか判らない。これと同じことが昼闇山でもあったな。
結局この間五十分のロス。これは大きかった。おサル遅かったじゃん。
「もともと誰のせいじゃ!」
はい。僕です。
次第に(上杉謙信が関東出兵の往還に使ったと言われる)謙信尾根が目の前に迫ってきた。鉄塔が邪魔くさいけど仕方ないか。
最初の関門東屋沢の徒渉。水量は安定しているが飛び石で簡単に渡れる量ではなかった。ま、靴さえ脱げばなんてことないのだけど、アイゼン、ゲイター、靴と足許を雁字搦めにしているため、とても面倒臭いのだ。
どの岩も浮石だと疑って掛かった方がいい。それほどグラグラ。なんとか無事渡り切った。
問題はこの人。無理にリスクを冒す必要はない。少し戻って際どいスノーブリッジ上を飛び跳ねた。おサルの体重だから持ちこたえたが、帰りはもう使えないだろう。
こんな感じで路面が剥き出しになっているから、サンダルさえあれば少し冷たい
思いをするだけで渡りやすいと思う。帰りはそうしようっと。
無事通過した。暫く絶景が続く。誰も後続者はいないようだ。いい山なのにね。
ここで新たな問題が。(上の写真の左の肩に)道路らしきものが見える。土留めの擁壁のようだ。間違いなく道だ。今回地理院地図しか持参していない。過去の先輩方々の記録を持ってくれば安心なのだが、それでは創造的登山らしさが半減してしまう。そう思って核心的なポイントを抑えるだけにして、ルート全体の細部を敢えて深く掘り下げなかった。
「またあ。ただのチョンボなんじゃね?」
地理院地図には河川敷なりの道が続いている。最初のミスが頭に引っかかってその儘進んでしまった。
そのお陰と言ってはなんだが、他では見ることができない大源太山のヨーロッパアルプスのような、圧倒的なスケールを感じることができた。大収穫だった。
「いいのちよ。そんなに言い訳しなくても。間違ったのとにゃ?」
なんかさ。道がないような気がするんだよね。
やっぱりその先は渡渉できなったので、戻って右岸脇のデブリを利用した。
朝日岳(厳密に言うとジャンクションピーク)が迫ってきた。ふと前方に視線をやる。とても自力で登れる高さではない堰堤が視界に這入った。
おサル。まずいよ。あれ絶対越えられない。ふと左脇を見るとこれはまた都合の良いことに、程よい傾斜の雪渓がある。
ここを登ろう。旧道までそんなにないよ。
「え~っ!マジ!?」
どっちにしても登るんだよ。
雪崩は大丈夫とは言い切れないが、この時間なら凌げるだろう。
もし積雪量が少なかったらこうはいかなかった。今年は地方によって降雪の差が激しい。四月に寒い日が続いたため去年以上の残雪があるのだろう。去年はその逆で、豊富にあった雪が早々と融けてしまった。
無事旧道にタッチした。大きくカープを巻いて次の支沢越えに近づいた。ん?
これは!
なんと沢に大量のブロック雪崩が。傾斜は先程登ったものと大差ない…。普通に登れたのは、ただ運が良かったということか?
「帰りはここ通るのち?」
そうだよ。
「…」
しかし。襲われたら表層雪崩と違ってまず生きて還れそうにないね。これ。
鉄塔が見えてきたよ。第二の関門・檜倉川の堰堤だね。ここは年によって沢の流れが変わり、それによって難易度が変わると教わった。
鉄塔下にあるというハイカー用のベンチはない。雪の下に埋まっているのか。道路にも5メートル以上の積雪がある。雪壁をバックステップで降下する。
尾根の先端に見えているのが今日の幕営地・檜倉山の頂。近そうに見えるだけ。去年もそうだったもん。
堰堤は大丈夫そうだ。乾いている。ここで水を補給する。綺麗な雪融け水なので冷たくてうまい。
ここからのルート取りを考えた。基本は尾根下の鉄塔を起点に尾根伝いに登る。その場合、シャクナゲの籔に阻まれるそうだ。僕の心の師匠は尾根を巻いた裏側の斜面を突いた。だが、今の状態であれば北西側の斜面を詰めれば旧道と交差してそのまま雪の残る尾根を拾えそうだ。
そうと決まれば善は急げだ。すでに1時間ロスしているし。判ってます。全て僕のせいです。
堰堤からの柄沢山は噂通りの秀麗な姿だった。近そうに見えるけどね。気のせい。
本当に今でも清水峠まで行けるのか。道型が殆どない箇所も多いと聞くけど。
たぶん、ここは夏道じゃないね。ショートカットしただけ。
ふむふむ。雪の被りは問題なさそうだ。じゃ行こう。
歩いているうちに右足ばかりに雪団子ができることに気づいた。アイゼンの裏側を子細に検分して驚いた。裏側のアンチスノープレートが剥げかけているではないの!とりあえずテーピングでぐるぐる巻きにして応急対応。ほんとに優れモノ。
ここからがきつかった。先々週の降雪は締まりが悪く、水分を沢山含んだ重雪。表層がズルズル滑って、足を上げるのも一苦労。
堪らずアイゼンにワカンを重ねて装着したが、沈下は減っても滑動してしまい、結局四つん這いになってしまう。それでも藪漕ぎするよりマシだ。おサルが発狂している。
旧道にタッチした。といっても殆ど道の形を成していない。
暫く急傾斜が続く。重雪に閉口した僕らは嫌々ながらも籔に逃げ込んだ。意外に笹もシャクナゲも心配したほどではなくて、むしろ踏み跡が見えていた。
1420mを越えたあたりで傾斜が急に緩んだ。と同時に降雪も安定したものになった。相変わらず重雪だけれどズボリが減った。その先の疎林まで進んだとき一気に眺望が開けた。
これだよ。これ。これぞ上越国境だ。左が大烏帽子山。去年山頂直下に幕営したね。
「覚えてると思っているのち?」
期待した僕がバカでした。因みに右が朝日岳ね。
「知らん」
二回ピーク踏んでるけど…。
思い出したかな?
「小屋が見えるね」
三角屋根の大きい方がJRの監視小屋だね。小さい方が泊った白崩避難小屋だよ。数年前の五月の連休の、爽やかな風に吹かれながらの、二人だけしかいない馬蹄形縦走の記憶がよみがえった。
※写真の関係でここで区切ります。
(続く)
いつもご訪問ありがとうございます。