「トルコ至宝展/チューリップの宮殿トプカプの美」を鑑賞する | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

「トルコ至宝展 チューリップの宮殿トプカプの美」

 

往訪日:2019年4月14日

会場:国立新美術館(六本木)

会期:2019年3月20日~5月20日(火曜休館)/10時~18時

 

(画像はネットからお借りしました)

※いつもの個人的備忘録です。興味のない方はスルーしましょう。

 

こんばんは。ひつぞうです。この日曜日はおサルの希望で六本木の東京新美術館で開催中の「トルコ至宝展」を鑑賞してきました。

 

★ ★ ★

 

親日国として知られるトルコは1890年(明治23年)に紀伊半島沖で発生したエルトゥール号遭難事故に際しての日本人の献身的救助に感謝して、今でも最大の友好国なんだよね。

 

「歴史話はもうよい!光る石が見たい!」サル

 

はいはい。

 

個人的な話になるけど、社会人になって二年目の五月の連休に、初めての海外ひとり旅に出掛けた。大学の卒業旅行が流行っていた時代で、既に欧州を周遊していた僕は、次はトルコに行こうと思った。ギリシャとトルコを扱った村上春樹の紀行文集『晴天雨天』に感化されたからだ。ガラダ橋の袂で鯖サンドを喰ってみたい。純朴なトルコの青年に、案内の礼に(彼らが好む)マルボロを一本譲って微笑みを交わしたい。羊の群れに遮られても時間に追われない旅をしたい。そう思ったのだ。

 

しかし、現実は甘くはない。商売慣れしたイスタンブールの人びとは日本語を巧みに操り、高い絨毯を“友達価格”だと言って売りつけようとし、道案内を乞うた靴磨きの青年は、僕の差し出したマルボロだけでは納得せず「バクシーシ!」と言ってカネをせびろうとし、そして西の外れに近い村では荷物を誤送され、当初のプランにはなかった、観光客など誰も訪れない、それこそ羊と老人しかいないような寒村でバスを乗り替える羽目に陥ったり、トラブル続きで大変な思いをした。

 

「ひつじっぽ~い」サル

 

それでも悪い印象はない。政教分離とはいえ、初めてのイスラム圏。時間になればモスクの尖塔からコーランの祈祷を呼びかけるアザーンが流れる。国土の大半を占めるアナトリア半島には、ヒッタイト、古代ローマ、原始キリスト教、セルジュク朝、オスマン朝など、異なる文明と民族の遺産を見ることができた。

 

もちろんオスマン帝国の王宮トプカプ宮殿も訪れた。しかしその記憶は殆ど薄れてしまい、排気ガスと埃にまみれた、欧州側のイスタンブール市街で黄毛碧眼のトルコ人に道を尋ねたものの「英語は判らない」とトルコ語で言われたことだけよく覚えている。Englishを“イングリジェ”と発音していたとかどうでも良いことを。

 

ま、あらかた忘れているので調度いい機会だった。

 

★ ★ ★

 

「宝飾手鏡」(16世紀末)

 

国立新美術館の開館は10時。たいしたビッグネームでもないしと、高を括っていた。10時を回ったところで入場したら、かなり混んでいるではないの。慌てたついでにイヤホンガイドをオミットしてしまった。これもミスジャッジ。説明が殆ど会場には附されてない。これには参った。

 

「おサル借りたもんね!」サル

 

「玉座用吊るし飾り」(18世紀後半)

 

展示内容は以下のとおり。

 

第一章 トプカプ宮殿とスルタン

第二章 オスマン帝国の宮殿とチューリップ

第三章 トルコと日本の交流

 

ということでおサル御目当ての宝石の数々は最初のブースに集中している。ま、これらがメインディッシュなので「これだけでいい」と思っている人は第一章をじっくり鑑賞すること。後にくだるに従って、織物、タイル、工芸、と地味になっていく。

 

「スルタン・メフメト四世の宝飾短剣」(1664年頃)

 

オスマン帝国のスルタンはとかく催事が大好きで、派手に着飾って現れた。調度や工芸品を宝石でバリバリに飾るのも大好きだったようだ。そのため職人も大切に扱われ、互いの技を競わせるなどして文化的向上を図ったんだ。

 

「射手用指輪」(16-17世紀)

 

ヨーロッパの宝飾品のように研磨せず、原石本来のテイストが残っているのが特徴だね。そのどれもが道具としての本来の機能性を問われなくなっている。

 

「いいのちよ。美しければ。買っておくり!」サル

 

いいよ。フェイクなら。なんぼでも。

 

「儀式用宝飾水筒」(16世紀後半)

 

当時はこうした宝石を無暗矢鱈と張り付けるのが流行したんだって。(画像はUPしてないけど)中国やドイツから輸入した陶磁器にも勝手にルビーや真珠をバンバン貼り付けているもんね。歴史的価値が付与されているからいいけど、当時なら成金的な悪趣味だよね~。

 

「宝飾兜」(16世紀後半)

 

これなに?先端についているの。

 

「マイスプーンだにゃ。毎月給料日に盛大な御馳走が振舞われたって」サル

 

へ~!じゃ先っちょにご飯粒がついている事もあったんだ(笑)。しかし凄い装飾だよね。ほら、兜の側面にアラビア文字みたいなものがデザインされているでしょ。

 

「カリグラフィだよにゃ」サル

 

さすが。書道やっているからおサル詳しいね。中国や日本などの東アジアを以外で文字を装飾的な芸術に高めたのはトルコやペルシャだとどこかで聞いたよ。

(諸説あります)

 

「スルタン・アブデュル・ハミト2世の花押」(19世紀)

 

一見文字なのか、唯のデザインなのか判らないね。

 

★ ★ ★

 

第二章ではオスマン帝国とチューリップの関わりが紹介される。おサルさ、チューリップってトルコ原産って知ってた?

 

「うんにゃ。オランダじゃないのち?」サル

 

「スルタン・スレイマン1世の儀式用カフタン」(16世紀中期)

 

違うんだって。この花にアッラーとの深い関係性をトルコ人は見出したんだ。なので聖なる花なんだよ。(上の衣裳の意匠もそうだけど)至る処にチューリップがデザインされている。見て判るように、当時は燕尾のように尖った花弁が流行したんだそうだ。

 

「ワニス塗りの詩集表紙」(18世紀前半)

 

ここにもチューリップ。そんなチューリップ熱が、オランダを筆頭に欧州にも拡大したんだ。そのためチューリップ専用の首の細い花瓶も流行った。トルコの工芸といえば毛織物やタイルってイメージだけど、まさかチューリップが主要モチーフとは。工芸品も象嵌七宝彫金などは日本にも通じるものがあった。なかなか愉しかったよ。

 

★ ★ ★

 

残念ながら撮影コーナーはなかった。ただ五月の連休に訪ねてみようと思っている方には朗報。期間中18時以降はトルコの民族衣装を着て写真を撮れるそうだよ。超名品の出展はなかったけど、網羅的にトルコの工芸美術を鑑賞するには良い機会だったね。1時間半あればゆっくり鑑賞できるかな。

 

東京展終了後は京都国立近代美術館に巡回するよ。関西の皆さまお愉しみに。

 

(おわり)

 

いつもご訪問ありがとうございます。